夜行バス車中泊が衝撃のバスターミナル泊となった一夜明け、本日は以前から行ってみたかった十字架の丘に行きます。
当初計画時はビリニュスからバスで手軽に行けるかなと思いきやそもそもビリニュスではなくシャウレイという街にあることを直前に知り、予約していたビリニュス行きのバスを急遽キャンセルするなどバッタバタです。
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▼徘徊メモ
①
・行き先:エストニア・タリン→ラトビア・リガ
・手段:長距離バス (Lux Express社)
・料金:14€≒1820円
・時間:4.5時間 22:30発、02:50着
②
・行き先:ラトビア・リガ→リトアニア・シャウレイ
・手段:長距離バス (Lux Express社)
・料金:12€≒1560円
・時間:2時間 06:00発、08:00着
③
・行き先:十字架の丘
シャウレイバスステーション→ドマンタイ
・手段:路線バス
・料金:0.8€
・時間:20分くらい
※バス停から十字架の丘まで約2km。徒歩20分。
※時刻表 左がシャウレイ→ドマンタイ、右がドマンタイ→シャウレイ
④
・行き先:シャウレイ→ビリニュス
・手段:長距離バス (BUSTRAS社)
・料金:14.3€≒1859円
・時間:4.5時間 12:45発、17:15着
▼移動図
▼シャウレイ〜十字架の丘
・オレンジ:シャウレイバスターミナル
・黄色:ドマンタイ(Domantaiバス停)
・赤色:十字架の丘
▼十字架の丘 周辺
・Domantaiバス停着いたらちょっと戻って一本道に入る。
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ラトビア・リガのバスターミナルに予定通り2:50に到着。私としては予定外のバスターミナル泊です。
ただ幸い待合室で待てたのと(タリンターミナルよりボロいが、広い。)、WiFi回線が比較的良かったので、バス出発の06:00まで旅程再検討タイムとしました。
※電源なし。
他にも数名ベンチで寝てる人もおり、比較的安全かと。
06:00。
指定されたターミナルに来た車。
まさかね、と思い、シャウレイ? と聞くと「乗って!」みたいなジェスチャー。
Oops、、。
改めまして、本日のバス1
乗合バンですからね、そりゃ揺れますわそんなにかっ飛ばしたら。
途中激しく上下に揺れた際に前の座席の角にスネを打ちのたうちまわってるうちに爆睡、気がつけばシャウレイでした。
朝8:00ですが、ターミナルの窓口はおばちゃん3人が満面の笑みで出迎えてくれます。
イングリッシュ、オーケー?
と問うと、イエース♪と満額回答。
このおばちゃん達が天使対応でございまして、
私・問1「ドマンタイ(十字架の丘最寄りのバス停)に行きたいです」
今思い返すともはや問いではなく主張なのですが、おばちゃんすぐに手元の時刻表を出してくれ、「今からだと、そうね、9:00のがあるわ!12番ホームよ。お金は運転手に支払ってね、バスの中よ!」と満額回答。
私・問2「その後にビリニュスに行きたいです」
おばちゃんすぐにPCカタカタしてモニターぐるりとこちらに見せて、今から十字架の丘に行くんだから、、そうね、きっとこの時間がいいと思う!とご提案スタンス。ちなみに予約はできないみたい。
私・問3「ロッカーはありますか?」
おばちゃん即答であるわよ!すぐそこの部屋がクロークルームで、、、あら、9:30オープンだからまだ空いてないわ、ちょっと待って、こっち来なさい! と窓口内部に誘導され、ここに置いておいて良いわよ!
天使!!!
リトアニアの天使達にすっかり癒されました。問3は実際は「ロッカー」が通じず、荷物指差して困った顔をしてみました。
これで心置きなく、勇気を出して十字架の丘に行けます。
ちょっと十字架の丘、心許なかったのです。
なぜなら本日
豪雪なのです。
豪雪であることを伝えたいのの伝わらない絵。
十字架の丘、文字通り「丘」なので、完全に吹雪の中を長らく歩き回るのです。
帰りのバスは1時間に一本。バス停に屋根ありませんでした。
厚手のダウンはサンクトペテルブルクに置き去りです。
下手すると私も十字架のお世話になってしまうかもしれません。
ただせっかくですからね。
行きましょう。私にはこのシャウレイの3人の天使達が付いている!
あ、逆にしっかりと天に召してしまいそう。
なんてやってるうちにバスが来ました。
というところまでオフラインで日記を書き上げて9:00を待ったのですが、
バスが来ません。
やめて下さいもう書いちゃってるじゃないですかバスがちゃんと来る前提で。
まあ、吹雪だし、遅れてるのかな。
と旅程再検討作業開始。
、、、10:00になりました。
次のバス10:25の時間になっちゃいそうです。
それはそれで良いのですが、時刻表通りじゃなかったら困るなぁと思い、天使達が待つ窓口へ。
問4「バスがまだ来ていないけど、キャンセルされてますか?それとも遅れてますか?」
おばちゃん驚いた顔。
え、まだ知らなかったの?ごめんなさいね、今日はイースター2日目だから9:00のバスキャンセルされたの!
バスが来ていないことへの驚きでは無く私が知らないで待ち続けてたことへの驚きでした。そりゃそうです私エストニア語分かりませんからね。何やらアナウンスがわきゃわきゃ言ってたのは知ってるのですが。
ということで、あらためて10:25のバスを勧められる。
帰りのバスにキャンセルは無いかを為念確認するも、ノープロブレム、帰りのバスは全部アライブよ!
アライブって。生き死にみたいで意味深です。十字架の丘に行くのに。あ、もしかしたら腹を抱えて机をバンバン叩くべきでしたでしょうか。
すみません、こちとら必死なんです。バス逃したら1時間吹雪につき召しますので。
ということですったもんだしつつ10:25バスに無事乗車。
本日のバス2
乗車時間は大体20分です。地図アプリ+GPSを睨みながら運転手に降りる旨を伝えてください。私の時は他に同時に降りる観光客はいませんでした。
乗車時に最寄りバス停である「Domantai?(ドマンタイ)」とPRしながら乗れば止めてくれるでしょう。
さて、一旦ここでリトアニアメモを挟んでおきます。なぜ十字架の丘が出来たのかの背景に後ほど触れたい為です。
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▪️国名:リトアニア共和国
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▪️人口:325万人 世界126位
▪️言語:リトアニア語
▪️通貨:ユーロ(EUR) 1EUR≒131円
※2015年にリタスからユーロへ移行
▪️物価:
・水500ml 63円
・パスタ500g 193円
・牛乳1リットル 109円
・卵10個パック 206円
※ビリニュス駅前スーパー価格
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▪️地理
バルト三国の中では最も大きい。
九州+四国よりもうちょっと大きいぐらい。
▪️経済:
1人当たりGDPは15,649ドル。まだまだ小さいが、経済成長率はEU内では高い部類に入る。バイオテクノロジーやレーザー産業が盛ん。
▪️文化:
シャコティスという伝統的なケーキがある。
世界で最も自殺率が高い(直近は2番手。1番は隣国ベラルーシ)
、、、なんかもっと無いのかな。。
▪️歴史
・1230年代にこの地域のバルト人諸部族をミンダウガスが統一し、リトアニア王となる。
・14世紀末までにリトアニア大公国は現在のベラルーシ全域、ウクライナ全域、ポーランドの一部、ロシアの一部を領土とし、ヨーロッパ最大国家となる。
・1385年、ポーランドと同盟を結び、1569年にはポーランド・リトアニア共和国が誕生。
・1655年の北方戦争でスウェーデンに大敗、その後の1700年の大北方戦争でリトアニアの人口の4割が亡くなる。
・その後のロシア・プロイセン・オーストリアの3カ国によるポーランド・リトアニア分割により、共和国は解体、特にリトアニアの大半はロシア領となり、リトアニア語による出版の禁止や、文化施設や教育機関の閉鎖などを強いられる。
・1918年、ロシア革命の余波が及ぶ中でリトアニアは独立を宣言。
・1920年、ポーランド軍が現在の首都があるヴィリニュス地域を侵攻しポーランドに併合。
・1939年、ソ連がポーランドに侵攻し、ヴィリニュスをリトアニアに編入させる。その後1940年にソ連はリトアニアに侵攻。リトアニアはソ連にまた支配される。
・翌年ドイツがロシアに侵攻、リトアニアはドイツに占領され、リトアニアのユダヤ人19万5000人が殺害される。
・1944年にソ連が再び侵攻してリトアニアをソ連に併合。第二次世界大戦中、
合計78万人の住民がリトアニアで死亡している。
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私はリトアニアの歴史を1ミリも知りませんでした。上記を調べるまで。
なんとなくながらエストニアと同じようにロシアの支配を受け続けてきたんだろうなぐらいにしか。
リトアニア大公国としての歴史があったのですね。そしてポーランドと同盟していたとは。
北欧諸国巡った際に北方戦争について知りましたが、リトアニアについてまでは当時は知りませんでした。ロシアもなんだか横暴な国だなぁと思いましたが、スウェーデンも積極的に領土拡大させていった国だったのですね。
そして上記の通り、リトアニアは北方戦争以降、数々の戦争で多くの国民を失ってきた国です。そしてロシアとドイツ&ポーランドに挟まれて何度も攻められてます。
これを念頭におきながら、引き続きリトアニアを歩いて行きたいと思います。
なおリトアニアの首都ビリニュスは北のエルサレムと言われユダヤ人が多く住んでいました。そしてナチス・ドイツによってリトアニア・ユダヤ人の95%の人口が殺されました。
その話と、日本人杉原千畝の話は明日の日記で書きます。
バスがDomantaiに着きました。
降り立ったは私1人です。
、、、寒い。
ひとまず行きましょう。
バス停を、進行方向とは逆方向にちょっと進むと十字架の丘への一本道があります。
道の入り口に大きな十字架があるのが目印です。
道は一本道。
結構、車通りが多いですこの道。
足元は雪が溶けてみぞれ溜まりのようになってるので車が通りかかるときっとバシャシャシャ!!!!
とこのように足がびしょ濡れになりました。
いきなり大ピンチ。
どうしてよりによってズボンとブーツの隙間にびっちゃりヒットしたんだこの野郎!
左足凍傷警報発令です。
が、行きます。
私には天使がついている。
2kmの道のりですが車が来るたびに路肩を通り越して草原まで退避していたとのでちょっと疲れました。
ビジターセンターです。
お土産屋、琥珀アクセサリー屋が細々と営業してました。
10:00開店。
トイレとコーヒー自販機もありました。
ビジターセンターの外では出店?でおばあさんが寂しく十字架を販売しています。
何に使うかは後ほど。
そこから歩いて数分。
見えてきました。
分かりますか、これが十字架の丘です。
見ての通り、これぜんぶ、ぜんぶぜんぶ十字架なんです。
大変なことになっています。
誰がどう数えたか不明ですが、約5万本だそうです。
なんなんでしょうかこの十字架の嵐。
この十字架の丘。
最初の1本となった十字架にまつわる話ははっきりとは伝わっていないのだそうです。
一説では14世紀頃に上記の通り他国からの侵略を受け続けていたリトアニア人が祈りを捧げようと集まり、十字架やキリスト像などを持ち寄ったのが始まりだろうといわれています。
現在のように大型の十字架が複数立てられたのは、1831年にロシア帝国に対する「11月蜂起」の後だそうで、戦いの中で犠牲となった家族を悼んで十字架を立てたことをきっかけに、この丘はリトアニア人の愛国心と強い抵抗とを象徴する場所になっていったのだそうです。
その後ロシアは何度も十字架の破壊・撤去を行ったのだそうです。
そしてリトアニア人は全ての十字架がブルドーザーでなぎ倒された丘に新しい十字架を立てつづけ、ロシアに抵抗したそうです。
そして1933年にローマ教皇が訪れたことで、この地はリトアニア人の聖地から、全世界のカトリック教徒にとっての巡礼地になったのだそうな。
リトアニアの方々の未来への想いがこの十字架に込められているのですね。
最初は、なんとなく凄そうだから行ってみよう、程度の動機でしたが、リトアニアの国の歴史を知るにつれ、十字架を立て続けた人々の想いが染み入って来ます。
来てよかったです。
本当に良かったです。
私も恐縮ながら目立たない場所に十字架を一つ置いてきました。
さてそろそろ凍死するので帰りたいと思います。
ただ今時刻11:50。
次のバス12:12。イースター2日目ということですがバスは来るでしょうか。
そもそもバス停まで間に合うでしょうか。
っというタイミングで雪が止んだので、ここぞとばかりに小走り。
何を血迷ったか荷物預ける時にタリンのスーパーで購入したパンと蜂蜜を入れた袋を手持ちで持ってきてしまってるのが邪魔です。
パンと蜂蜜と私です。
言いたかっただけです。
間に合いました。。。
バス停は行きとは異なり、
一本道と大通りの交差点の左側にあります。
右じゃ無いのでご注意ください。
バスが来なければここでもう1時間待ちです。
すなわち召です。
、、、来ました!
なんと12:12ジャストです。
凄いです!
安堵の車中@本日のバス3
ということで無事シャウレイバスターミナルに帰ってきました。
その足で天使達の窓口へ。
問5「ビリニュス行きのバスはありますか?」
あるわよ!次は、、、15分後ね!預かっていた荷物こっちに取りに来て!
最後の最後までホスピタリティあふれる天使達でした。
なお2017年の先達のブログでは皆欧米人らしく愛想皆無の塩対応、と書かれていました。私の時はたまたまなのか、抜本的に改善したのか不明です。
この15分の間に、
隣(同じ建物)のショッピングモールで、ヘルシンキにおいてきてしまったシャンプートリートメントを買い足し(トラベルサイズ1つ1€)、iPhone2台持ちなのに一本しかなかった充電ケーブルを購入(9€)。
いずれもヘルシンキの値段の半額で買えました。
本日のバス4 逆光がすごい。
バスはほとんど乗客がいません。
お腹も空いたので、私最強スキーム、パンジャムをやらしてもらいます。
今回はタリンでゲットした蜂蜜選手の出番です。
悦〜♪
私的コスパが高まりまくりスティです。
二つ前の席のワンちゃんもこのコスパに目が点です。
てかカゴ入れなさいって。
シャウレイからビリニュスは3.5時間と認識していたのですが、途中でいくつかの街に立ち寄る便だったようで4.5時間もかかりました。
そしてビリニュス宿は奇跡のバスターミナルの真向かいでした。
スーパー併設です。
宿名は「5ユーロ ホステル」です。
一泊8ユーロです。ガッデム。
久々のベッドです。
ビリニュスは旧市街が素敵な街なのですが、もう時間も遅いのと、この街では教会よりも見ておきたい場所があるので明日に回し、旅程再検討作業とこれからいく先々の勉強の時間にしました。
北欧以降、いく先々の国の歴史と文化を可能な範囲で知ろうと努め始めているのですが、点が散らばりまくり、それを線にせずにはいられず、いくらでも時間が過ぎてしまいます。
今はチェルノブイリとユダヤ教です。
点ばっかりでまだまだ全然理解が浅いですが、この東欧を巡るにあたりこの二点は抑えねばです。
と言いつつ、21:00。出掛けます。
というのもバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)に来て一度も郷土料理を食べていないのです。
やって来たのはこちら。
Forto dvaras(フォルト・ドゥヴァーラス)。
エストニア郷土料理が手頃な値段で食べられるカジュアルレストランです。
英語も通じるようで、唐突に現れた2日間風呂なしの単品東洋人♂を温かく迎え入れてくれました。
メニューが写真付きで分かりやすい。
エストニアビールください、と申すと三種類あると言われ、適当に、と言って出て来たのがこちら。
やや苦手が剛です。
赤ビーツの冷静スープ。
リトアニアの夏の定番スープなんだそうです。
好き嫌いありそうですが、私は超好きです。
なんとなくシーザードレッシングの風味を感じる。チーズかしら。
付け合わせのポテト。
これ地味ウマーですよ。
見ての通り茹でて炒めただけっぽいです。何炒めだろう。
そしてこれ。
Zeppelins(ツェペリナイ)。じゃがいもの団子です。
中にミート入ってます。
奥にあるのがサワークリームで、これをかけるとなおさら美味しです。
ただこれ腹にガンガン溜まりますね。
もうここまでで満腹です。
上記で10€。
安くは無いですが、北欧と比べると激安です。
美味すぎるまた来よう!とはなりませんが、良い経験になりました。
帰り道。
かなり人影少ないイースター2日目の夜です。
駅前。
旧市街の入り口、夜明けの問。
門は思っていた以上に小さいです。
昔は城壁に囲まれ9つの門があったそうですが、今はこの夜明けの門のみだそうです。
タリンもビリニュスもほんのちょっとしかみれてないので比較すべき段階では無いのですが、ビリニュスの方が大人しい感じがします。タリンの方が荒々しいというか。タリンは港町で城壁も残っているからでしょうかね。ビリニュスは上記の通り街が一度破壊されているので綺麗に整えなおしたのかもしれません。
明日はまるでRPGの世界と言われるトラカイ城を朝イチで拝み、
午後はビリニュスの冷たい歴史を勉強しに街を歩きたいと思います。
明日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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