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【2018/4/4】#112 ポーランド(1) ワルシャワ前半 破壊の街


本日の日記は後述の事情で前後半に分けてます。

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▼徘徊メモ
・行き先:リトアニア・ビリニュス→
                   ポーランド・ワルシャワ
・手段:長距離バス (Lux Exress社)
・料金:19€≒2470円
・時間:7.5時間  22:30発、6:00着

▼移動図
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▼ワルシャワぶらりマップ
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・中央オレンジ:バスターミナル1
       ワルシャワ中央駅ターミナル
・左のオレンジ:バスターミナル2
       ザホドニ(Zachodni)ターミナル
・中央の赤:
・左の赤    :ワルシャワ蜂起博物館

                      Warsaw Rising Museum

・上の赤    :ポーランド・ユダヤ人の歴史博物館
                     POLIN Musium historii Żidów Polskich 
から赤ピンを時計回りに
・1つ目:ワルシャワ蜂起記念碑
               Warsaw Uprising Monument
・2つ目:ワルシャワ王宮
               Zamek Królewski w Warszawie
・3つ目:聖アンナ教会
               Kościół Akademicki św. Anny
・4つ目:聖十字架教会 
                 Krakowskie Przedmieście
・5つ目:ショパンミュージアム
               Muzeum Fryderyka Chopina
・6つ目:ワジェンキ宮殿 ウォッチポイント1
・7つ目:ワジェンキ宮殿
・8つ目:ワジェンキ宮殿 ウォッチポイント2
               Pałac na Wyspie
・右の茶色:コペルニクス像
・右下茶色:ショパン像
・各種緑色:ワルシャワでお勧めされてるポーランド料理二大チェーン、ZapiecekとBar Mleczny Skrzynkaたち。各々複数店舗あり。

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ビリニュスバスターミナル前の安宿のラウンジでしれっと22:00まで時間を潰し
ビリニュスバスターミナル、22:30に夜行バス出発。

本日のバス。
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安宿ラウンジに居座った上にビールまでやらしてもらっていたため、乗車後すぐ爆睡。

ふと気がつくと軍服着た男が私の方を揺さぶってます。

どうしました!戦ですか!


パスポートチェックでした。
いつのまにかポーランドとの国境に来ていたようです。

シェンゲン協定加盟国同士なので出入国審査はありませんが、検問があったようです。



私は一番後ろの席に1人で寝ていたので大注目を浴びてました。
アジア人1人だけですし。




なんて感じで朝6:00、私的には和気あいあいとワルシャワ到着です!

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セントラルステーション駅の脇で下車でした。



大!

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都!!

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会!!!

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北欧、サンクトペテルブルク、バルト三国は高層ビルが並んでることなんてなかったのでないしはそう言うエリアに行ってなかったため)、久々です、この感じ。

街頭には花壇が。

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こんな色彩豊かな街頭のお花って、ヨーロッパ大陸きて初めてな気がしますよ。
どっかの市場で売られている花はありましたけど。

ようやく春が近づいてきてます。

このワルシャワがナチスドイツの攻撃によって84%も消失し、またゼロから復興させた街だなんて思えません。




、、、とワルシャワ談義を始める前に、
いつものMaedaKメモです。

今さらですがこのメモ、スウェーデンあたりから始めているのですが、wiki先生の説明を中心に浅はかな知識でまとめているので誤解や語弊が多いです。
またWiki自体も執筆者の意向が否応なく入るわけで、戦争仕掛けた国、仕掛けられた国とで記述が全く違う点があったりします。
何が正しいかわからないのですが、以下は本旅時点の私の理解であるとしてください。

+++++++++++++++++++++
▪️国名
ポーランド共和国
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+++++++++++++++++
▪️地理
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▪️首都:ワルシャワ
▪️人口:3848万人  世界34位  ※2014年時点
▪️言語:ポーランド語
         こんにちは Dzień dobry ジェン ドブレ
         ありがとう Dziękuję ジェンクイェ
         トイレ toalety トワラテ
▪️通貨:ズウォティ(PLN) 
                1PLN≒31円 ※本日時点
▪️物価:水500ml 150円
             ジュース1リットル 240円
+++++++++++++++++
▪️経済
・一人当たりGDP:23,273ドル。
・若年人口が多いこともあり経済成長率はやや高いが、失業率はEU平均以上、1人あたりGDPはEU平均大幅未満。
・教育水準は高い一方で労働賃金が低いため、EU各国企業の工場や研究開発機関が多い。
・ライ麦、カシスは世界最大の生産量。
・バルト海沿岸は世界最大の琥珀の産地。石炭や天然ガスなどの鉱物資源も豊富。
・OECD治安調査では1位日本に次いで2位。3位はイギリス。犯罪発生率も年々低下傾向にある。

▪️歴史
・10世紀にミェシュコが近隣部族を統合してポーランド公国として西欧国に認知される。
・13世紀にはモンゴル軍の進撃を受け国の一部が荒廃。その後の復興策としてドイツ人やユダヤ人が招かれ、復興が進み、14世紀にはリトアニアと同盟。
・その後ポーランドがモスクワを攻め入ったロシア・ポーランド戦争やポーランド・スウェーデン戦争を重ねながら国家財政は逼迫し、国力が低下して行く。
・18世紀の大北方戦争やロシアがポーランドに攻め入ったポーランド・ロシア戦争の結果、ポーランドは周辺各国に分割され、国は消滅した。
・1807年にナポレオンがワルシャワ公国を建国したが1815年ウィーン議定書にて解体され、領土の3/4をロシア皇帝の領土としてポーランド立憲王国が成立(1/4はドイツの支配下)。この後にポーランド国民がロシアに抵抗する「十一月蜂起」「一月蜂起」が起きるもロシアに鎮圧される。
・1918年第一次世界大戦終結後、ヴェルサイユ条約の民族自決の原則によりドイツ・ソ連から領土を割譲され、ポーランド国家が再生する。
・1939年、ナチスドイツとロシアの独ソ不可侵条約の秘密条項によりポーランドがドイツとロシアに分割吸収され、再びポーランド国家は消滅する。
・独ソ戦が始まりソ連によるドイツ占領地域の解放が進んだ後、1944年にソ連軍の呼びかけでポーランド国内軍やワルシャワ市民がドイツに対して蜂起(ワルシャワ蜂起)したが、ソ連軍はこれを支援せず、ポーランド人約20万人が死亡するという悲惨な失敗に終わる。
・1945年第二次世界大戦終結後、ポーランドはソ連占領下となる。ソ連はポーランド領土の一部をロシアに併合する代わりに敗戦国であるドイツの領土の一部をポーランドに与えた。
・冷戦時代は最も大きなソ連衛星国として東側諸国の一員となる。一方で国内はソ連による激しい文化抑制や経済抑制や反政府活動者の処刑などにより民主化の運動が拡大していく。
・1989年、非共産党政府が成立し、民主国家時代が始まる。

+++++++++++++++++++++

リトアニアの歴史も凄まじかったですが、こちらのポーランドも凄まじいですね。ナチスドイツによるユダヤ人迫害くらいしか知りませんでした私。
自分の国がなくなるって、いまの私には想像がつかないです。
そしてこうして異国の地の歴史への理解の深まりと並行して、日本の戦争についてもきちんと理解せねばと思う次第です。満州事変とかね。

+++++++++++++++++++++


先ほど記載の通り、ワルシャワ蜂起の後にワルシャワはドイツ軍に徹底的に攻撃され、焼け野原になりました。

だなんてことが想像つかないくらいワルシャワ中央駅はモダンです。

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※ウロウロしてたらホーム入ってしまった。


まずはATM探しです。
案内板が出ているので難なく発見できました。

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英語表示もできるので言語はオッケー。

、、、あれ、1PLNっていくらだっけ。
いま旅程再検討作業の弊害で10カ国ぐらいの情報を頭にインプットしてるのでこういう時訳わかめです。

なんか5円くらいだった気がする。
と思い3000PLN引き出しました。



ひとまずこれでロッカー行くぞと思っているととんでもない数の札束が出てきました。
ビンタしたら痛そうなくらいの束です。

、、、??
一旦これを小銭に崩さねば、と隣のカフェに入り、WiFi拾って為替調べたら1ズウォティ31円=90000円下ろしてもうた!!!!


まずいです。
ポーランドでしか使わないのに。。。

これ結果的にベルリンでユーロに両替して大量に為替手数料持ってかれるパターンのやーつです。10000円分はロストするでしょう。なんてこと。。。せめてユーロでやらかしたかった。

本日の朝食。

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18ズウォティ=540円。
なかなか高いな。
※面倒なので以下1ズウォティ30円で算出します。




ということで大金持ちです。
スリには気をつけたいと思います。

先ほどの調べで犯罪発生率は低いと書いてましたが経済事情を踏まえると絶対経済格差ありそうですやん。



ロッカーです。

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一番小さいサイズで十分そうです。
コロコロバッグとショルダーバッグと食料品袋が余裕で入ります。
24hで12PLN。

先ほどのコーヒー屋では結局10PLN札と5PLN硬貨しか手に入らず、1PLN硬貨が足りません。

どうしようと思ってたら近くに両替機を発見。10PLN札と20PLN札を硬貨にできそうです。

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いざお札をイン。

→5PLNしか出てきません。馬鹿か!


結局ロッカーに5PLN硬貨3枚入れてみました。
お釣りは出てきませんでした。

ロッカーと両替機は共犯ですね?
最初から15PLNにしておいてください。


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鍵がドラクエです。



さて身軽になりました。
毎度この時の開放感ったら無いですね。



ワルシャワぶらりマップを再引用です。

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ワルシャワ蜂起博物館が朝8:00からオープンなので、そこをスタート地点とし、時計回りにぐるりと周り、左のザホドニターミナルをゴールにしたいと思います。

、、、約20kmありますねこれ。
そして夜行バスでウクライナに行きます。

2日連続夜行バス、久々です。
節約節約です。

節約した分を先ほどのように盛大に帳消ししてしまうのが無念です。




ということで繰り返しですが、最初はワルシャワ蜂起博物館へ行きます。


当時ドイツ軍に占領され激しく弾圧されていたワルシャワ。
その状況下でソ連の軍隊である赤軍がドイツ軍をじわじわと押し返しワルシャワ近くまで来た。
そこでソ連はワルシャワ・レジスタンスに蜂起の呼びかけをし、これに呼応する形で「ソ連軍様が悪のドイツ軍討伐を支援してくれるらしいぞー!俺たちやったるぞー!」と蜂起したのにソ連からの支援が無くワルシャワ軍は孤軍奮闘。結果的に約20万人のポーランド人とワルシャワ市民が犠牲になった事件です。

解釈合ってますかね、、。
収集した情報からはそのように理解したのですが、これまで散々戦ってきた相手(ソ連)が敵の敵は=味方だ!なんて信じれるものなのでしょうか。
という疑問が未だに拭えておりません。



ただいずれにせよ非常に悲しい事件です。
昨日に引き続き重たい内容になりますがご容赦ください。


道中。
時刻7:30頃です。
駅の北側は、旧市街では無く(旧市街は東の方)、かといって開発され切ってるわけでも無く、広い敷地に昔からあるボロボロの建物と、いくつか建築中の建物があるというだけの灰色エリアです。

が、時折こうしたウォールアートが。
市民が書いたのでしょうか。

操り人形の兵隊。

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近代的なパックマンが人を襲う

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ごく一部の区間ですが、メトロも走っています。入り口の屋根がM!

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殺風景な雰囲気1

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殺風景な雰囲気2

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時折こうした好物が現れる。

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博物館には駅から徒歩30分くらいで到着しました。

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このマークはなんのマークでしょうか。


こちらがチケットオフィスっぽい。
スペイン語以降、各国ともカサに近い言葉が会計とか精算を意味する感じなんですよね。

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ビンゴでした。
入場料20ズウォティ=600円。


入場口。

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あ、中には結構人がいます。
というかこれ学生さんですかね。大集団です。



以下、かなりショッキングな内容を含みます。気分が悪くなると思うので本日は日記を前後半に分けます。
後半(ワルシャワ旧市街の絶景)は後ほどupしますので必要に応じて以下はスキップしてください。


中は思った以上に作り込まれた展示でした。

ワルシャワ蜂起前後、つまりは第二次世界大戦の年表です。

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下の画像は日本軍のパールハーバー攻撃も一項目として掲示されていた部分です。



展示はまずワルシャワ蜂起前の、ドイツ軍占領時の様子から始まります。
英語説明ありです。

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当時の様子は街中の光景だけで無く、当時を経験した方のインタビュー映像も織
り交ぜられています。映像コンテンツが非常に多く、理解しやすいのと同時に、それが故に震えます。

ワルシャワ蜂起の前からすでにドイツ軍による残虐な仕打ちは始まっていたのですね。。

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これは家の表札に「ドイツ軍により殺された」と紙を貼ってるシーンです。
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ワルシャワのゲットーについての説明もありました。
ゲットーとはドイツ軍がユダヤ人を住居から追い出して強制的にそこに居住させた区域です。

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子供がユダヤ人処刑の様子を描いた絵
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その他ワルシャワゲットーの凄惨な様子。

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ワルシャワだけで無くアウシュビッツやビルケナウ強制収容所の映像もありましたが上記以上に酷い内容でした。

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この映像を見て泣いている子もいました。



ヒトラーの言葉の引用がありました。

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慈悲を捨てさり残酷になれ。法は強者にあり。

、、、という訳で相違無いでしょうか。




他にもドイツ軍による弾圧について様々な展示があったのですが、途中から気持ちが追いつかなくなり眩暈がてきたので次のエリアで一旦休憩しました。

これを学生さんに見せる先生、凄いと思う。
学生さんは恐らく高校生くらい。中には小さい子もいるから学校では無いのかも。



次のエリアはワルシャワ蜂起の様子です。
ポーランド国旗が出迎えます。

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ワルシャワの人々に歓迎されるソ連軍。

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蜂起実行のときを振り返る生存者たちのインタビュー。

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1944年8月1日17時ちょうど作戦開始時刻。
この時刻はワルシャワWをとって「W」と呼ばれたそうです。
今でも毎年8/1の17時は市民全員がその場で1分間の黙祷を捧げるんだそうです。


予め周知していた時刻である1944/8/1 5:00pmに志願者が集まり、郵便局?か何かのエリアにバリケードを築いてそこを砦とし、ポーランド国旗を立ててドイツ軍に抵抗を開始した、、と理解しましたがいまいち自信がないです。

映像を見ているとこの時点でワルシャワの街はかなりボロボロ=ドイツ軍に攻め込まれてたはずで、みんなしてゾロゾロ集まってくることなんか出来たのだろうか。




続いてワルシャワ蜂起鎮圧後の展示。
ワルシャワ蜂起に激怒したヒトラーは、ワルシャワの街を徹底的に破壊せよと指示したそうです。

ワルシャワの街に落とされた空爆量のデータ。私が降り立ったセントラル駅周辺が最も爆撃されてます。

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なんと焼け野原になったワルシャワの街を3Dで紹介する映像展示もありました。
普段はめっちゃ混むらしいですが、朝イチのためか私ともう1人だけで鑑賞です。

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3D映像を普通に撮ってるので緑っぽくなっちゃいますが、

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もうなんも残っちゃいないワルシャワの街がそこにはありました。

なんにも残ってなさすぎて3Dを謳う意味がありません。

、、、ということを理解させたかったのかな。。




他にも多数の映像がありました。

総じて、ワルシャワ市民が勇敢に立ち向かい、いかにドイツ軍に対してポーランドという国を主張したか、という様子を、紹介していた、、、ように思います。

いかんせん英単語の内容が一般的ではないので都度Google翻訳しながらなのと、しゃべり言葉が多いので、とても頭が追いつかないのです。



ちょっと語弊があると思いますが、映像を見ていくうちに、改めて、ポーランド人が作った博物館なんだな、という思いもしました。



3階は蜂起時に用いられた武器などの展示。

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2階は蜂起時の関連展示でした。

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手紙は少年たちが危険を冒して遠くのポストまで入れにいったようです。蜂起参加者は家族や友人に、自身の無事と自らの行いへの誇りを伝えたのでしょうか。
ちょっと理解に自信がないですが。



砦に立てこもった人は砦から出る際は下水道を通ったとありました。映像では下水まみれになって亡くなってしまった方の様子など。

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空爆戦闘機
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というあたりでワルシャワ蜂起博物館は終了です。

なおワルシャワ・レジスタンスに呼びかけをしておいた上で生還したソ連赤軍は、ワルシャワ蜂起が鎮圧された後にようやくワルシャワへ進軍し、ワルシャワのレジスタンス幹部を逮捕してワルシャワを占領したそうです。

なんという凄惨な結末なのでしょうか。



この歴史的事実も凄まじいですし、この博物館展示も冒頭の映像が衝撃的すぎました。
でもここに来なければ見ることはなかった、歴史上の事実です。

一方で昨日のリトアニアと同じく、まだ安易に解釈はしないようにしたいです。

ワルシャワ蜂起やユダヤ人迫害について、ドイツ側の見解ってどうなのでしょうか。そういった博物館はドイツにあるのでしょうか。
ドイツ側からの視点でもこの事件を捉えてみたいなぁと思っております。

今回は日程的に無理なのですが。。



この足で次の目的地。
ポーランド・ユダヤ人博物館へ。

すみません、また重めです。

動機は2つ。
道順上の背景と、まずは暗い歴史を知った上で現在の美しいワルシャワを見てみたい、という理由です。



道中。
やはりウォールアートが多いように思います。

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3つ目は豚肉レストランの宣伝でしたがね。



ポーランド・ユダヤ人博物館は旧市街に近い場所にあり、ちょっとずつ人通りも増えてきました。

そしてなによりも。

暖かい。

最高気温13度ですって。
春じゃないですか。

思えばこの旅、春を未経験なんです。

アメリカは冬、南米は夏、アンデス山脈は高山につきもはや冬だったので。

そりゃ花壇に花も咲きますわ。



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シティさんのレンタサイクル。
このワルシャワでもそこら中にありました。
良い広告モデルだと思います。


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親しみの湧くスーパー。



公園に無料の青空ウェイトマシーン。

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なんてやりながら30分くらい歩いたでしょうか。
結構遠いんです。ワルシャワ蜂起博物館が。




到着です。
この場所ワルシャワ・ゲットーの跡地だそうです。

お、思った以上にモダーンですね。。。


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やはりこの建物で間違いないようです。
入場料30ズウォティ=900円。



階段を下っていきます。
やはり雰囲気はモダーンです。

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なおそもそもなんでポーランドにユダヤ人が多かったかってご存知ですか。
私は博物館訪れてもその理由が解読できず、結局宿に戻ってGoogle先生に聞きました。


11世紀にキリスト教徒が聖地エルサレムを奪還しよう!という十字軍運動が激しさを増し、ヨーロッパ各地でイスラム教徒やユダヤ教徒が殺害されるようにななったそうです。特にドイツ人がライン川近隣でユダヤ人を大量殺害し、ドイツのユダヤ人の多くがポーランドに逃げ込んだのですが、ポーランドはユダヤ人の安全や権利を法で保護したんだそうです。それでポーランドにはユダヤ人が多いのですね。


さて、博物館の方はというと、

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ここも学生だらけ!それに人数マジ多!
なによりも腹立たしいのはみんな興味なさそう!

ならばどけ!
こちとらGoogle先生片手に目を凝らして小さな英文訳してかないと理解できんのじゃ!




前半は、ユダヤ人の歴史(神話っぽい話から)から始まり、いかにこのポーランドでユダヤ人が繁栄していき、いかなる功績や文化を遺したか、、だったと思います。

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これは17世紀のシナゴーグ。
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すみません学生がうるさすぎて途中から学生追い抜くほうに気持ちが逝ってしまったのです。
あとユダヤ人による繁栄の話は後でググればいくらでも学べるかなって。



エカテリーナ2世ですかね。

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ポーランドとエカテリーナ2世って何かあったのだろうか。
と調べてみると、ポーランド分割においてロシアがポーランドの領土を一部奪い取ったのがエカテリーナ2世でありました。。



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そこから展示は徐々に戦争の時代へ。

ポーランドが西はドイツ軍、東はソ連軍から挟み撃ちになった時の地図。これは辛い。逃げ場がないですね。

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このマーク。
結局ワルシャワ蜂起博物館ではわからないままだったのですが、これ、ポーランドのPとワルシャワのWなんですね。。!

Polskaはポーランドのことです。ポーランド語かな。



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ポナリについての展示が小さく掲示されていました。
ポナリとはリトアニアのユダヤ人処刑場です。
昨日ビリニュスのユダヤ人博物館でこの存在を知りました。

処刑場と書きましたが、実際には大きな穴があるだけで、人々はここに連れてこられて銃殺され、この穴に投げ込まれる、ただそれだけです。

もう壮絶でした、昨日のビリニュスの博物館の展示も。



アウシュビッツ強制収容所の展示です。

これは有名な警告板ですね。

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書かれている内容がこちらにも記載されてました。

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彼らは家畜運搬車から降ろされると、体を洗浄する必要がある、とこのシャワー室に詰め込まれたわけです。



ここから先の内容は写真を撮っていません。
内容が酷すぎたのではなく、展示内容が理解しきれなかったのです。

私の理解では当時の様子を紹介している展示のはずなのですが、何についての説明なのかピンとこないことが多く、???、でした。

※なんについての説明かが言うまでもないようなショッキングな展示もほぼ無かったです。

本当は日本人ガイドさんがいるとベストなんでしょうけどね。。(オーディオガイドはありますが日本語版はありません)。


最後には戦後のポーランド・ユダヤ人の再起や功績の紹介展示があり、ミュージアム終了です。

ちょっと予習が足りませんでした。。



ユダヤ人の笑顔。
彼らは我々と同じ、人間です。

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建物の前には碑がありました。
イスラエル国旗もありました。

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イスラエルのユダヤ人たちは当時のポーランド・ユダヤ人ならびにリトアニア・ユダヤ人の状況を知っていたのでしょうか。
どんな気持ちだったのでしょうか。

イスラエルにも今後行くつもりです。
上記を知る機会がそこであるのかどうかわかりませんが、引き続き理解は深めていきたいと思います。



なおアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所には4/8に行くつもりです。
もうちょっと予習してから臨みたいと思います。


繰り返しになりますが、ここで私がどうこう言うことはせず、ひとまずはポーランドという国で起きたことを、ポーランドという国がどう紹介しているか、を私なりに日記にしてみました。


前半はここまでです。
後半は次の日記にて。


終わり。






























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MAEDAKプロフィール

Maedak

Author:Maedak
ろくに英語もできないまま地球を東方面へ徘徊しはじめた158cmです。
なにを目指したブログかいまいち模索中ですが、関係各位への生存報告を兼ねて日々更新していきます。記事中の情報はあくまで英語力不十分な私が個人的に体験した限りのことを記載しているまでですので、あくまでご参考程度によろしくお願いいたします。

★2019年5月に無事帰国しました!
 これまで応援いただいた皆々様本当にありがとうございました。
 お陰様でこのブログは2018年11月頃よりブログ村世界一周カテゴリで
 しばらくの間、1位をいただくことができました。
 このブログは記念に残しておきますのでどうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
 また皆さまが旅に出れる日が来ることを心から願っております。


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