#120 ベルリンの壁の今 inドイツ(1) 2018.4.12
- 2018/04/14
- 08:32
ベルリンにやってきましたー。
ドイツ人の特徴でしょうか。
そんなにやったら脳髄が噴出しないかと思うくらい鼻を噛むんですよね一枚のティッシュで。
ちなみに私は鼻をかむのが下手くそなので基本鼻はかみません。
どうしたら皆さんのように上品に鼻がかめますか。
そしてびっくりすることにブログランキング20位以内に入ってきました。ちょっと緊張します。是非top10くらいまで頑張りたいので引き続きご支援を頂けると幸いです。
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▼徘徊メモ
・行き先:ポーランド・ヴロツワフ
英Wroklaw/ポWrokław
→ドイツ・ベルリン
英Berlin/ドBerlin
・手段:長距離バス (FLIXBUS社)
・料金:13.9€
・時間:4時間 20:00発、24:00着
▼移動図
▼ベルリン弾丸マップ
・オレンジ:ベルリンセントラルバスターミナル
・青:宿 Check in hostel Berlin 4月平日で一泊約12€
・緑ピン左から二番目:カイザーヴィルヘルム教会
Kaiser-Wilhelm-Gebächtnis-Kieche
・緑ピン右:ベルリン大聖堂
Berlin Dom
・ピンク:ベルリンフィルハーモニー
Berliner Philharmonie
・赤ピン左中央:ソニーセンター
Sony center
・その右上の赤:虐殺されたヨーロッパユダヤ人のための記念碑
Memorial to the Mudered Jews of Europe
・その上の赤:ブランデンブルグ門
Brandenburger tor
・その右の赤:アンペルマンショップ
Ampelmann shop
・その下の赤:ベルリン・ユダヤ博物館
Jüdisches Museum Berlin
・茶色ピン上:ベルリンの壁記念碑ビジターセンター
Visitor center of Berlin wall memorial
・茶色ピン右:イーストサイドギャラリー
East side garally
・紫色のピン:カレーブルストミュージアム(謎)
この地図がデカすぎるので以下に中心部だけ拡大したのを置いておきます。
▼ベルリン地下鉄路線図
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記事が参考になった、ちょっと笑えた等々、
少しでも心動かされたましたらぜひこの青い
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バスの到着時刻がベルリン地下鉄終電間際(恐らく)にも関わらずバスの出発が30分遅れるというドキハラな出だしでしたが、バスは予定通り24:00着でした。
国境審査や検問もありませんでした。
ベルリン地下鉄の終電情報が分からなかったのでバスターミナル到着後はダッシュで地下鉄駅へ。
にしてもなんでこんなバスターミナル遠いんですか。
東京⇆横浜ぐらい遠いんじゃないかと思う次第です。
冒頭地図のオレンジです。
ビックリです。
地下鉄駅Kaiserdamm。
券売機は非常にシンプルで簡単に切符ゲット。
どっち方面に乗ればいいか一瞬分からず戸惑う。
ベルリンの路線図、東京ばりにややこしいです
いざホーム。
無事乗車、、!
助かった。。。
毎度恐縮ですがドイツの現時点での私の勉強メモです。
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▪️ドイツ連邦共和国
+++++++++++++++++++++++
▪️地理
▪️首都:ベルリン
▪️人口:8267万人(2016) 15位 ※EU最大
▪️GDP:33,677億ドル(2016) ※世界4位
▪️一人当たりGDP:42,000ドル
▪️言語:ドイツ語
こんにちは Guten Tag
(グーテン・ターク)
ありがとう Danke schön
(ダンケ・シェーン)
トイレ Toilette
(トアレッテ)
▪️通貨:ユーロ(EUR) 1€≒132円 ※本日時点
▪️物価:地下鉄初乗り494円
他、調査中
+++++++++++++++++++++++
▪️経済
・主要産業は工業。特に自動車ではガソリンやディーゼルを発明。メルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン、アウディ、ポルシェはご存知ドイツ企業。他、化学薬品バイエル、電機シーメンス、ソフトウェアSAPあたりが有名かと。
・全世界1億9,000万人(いつ時点か不明)の難民の5%を迎え入れていて移民受入数は世界3位。
▪️歴史
・5世紀に西ローマ帝国が滅んだ後に西ヨーロッパを支配したフランク王国のうち、東フランク王国が後のドイツの原型となる。
・同国王オットー1世が962年に神聖ローマ帝国を形成。
・その後の宗教改革でドイツ諸侯は新旧両教に分かれて争い、三十年戦争でドイツ全土は徹底的に破壊される。人口は1600万人→600万人にまで減少したらしい。
・1701年プロイセン王国が形成される
・ナポレオン侵略により民族意識が高まり、1871年にプロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠により分立していた各領国は統一され、ドイツ国となる。
・第一次世界対戦では引き金になったオーストリア=ハンガリー帝国と同じ中央同盟国側につき、ロシアに宣戦布告し。
・1918年第一次世界大戦敗戦時にドイツ革命が起き皇帝ヴィルヘルム2世は廃位して共和制となったものの、政局不安定や、大戦の賠償によるハイパーインフレで国は不安定に。
・1933年、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が国民の支持を受け、政権を握る
・1939年9月にポーランドを侵略し、第二次世界大戦が始まる。
・第二次世界大戦に敗北し、アメリカ/イギリス/フランス/ソ連に分割統治される
・1949年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂する)
・1989年東ドイツ民主化運動(東欧革命)でベルリンの壁が崩壊し1990年に東西ベルリン統一。
+++++++++++++++++++++++
ドイツの歴史はある程度わかっていたつもりでしたが、改めてみると、各諸侯のまとまりがなかったためにイギリスやフランスといった国には大きく出遅れた苦い歴史があるのですね。
また敗戦後はドイツ国民からしたらかなり屈辱的な扱いだったのでは無いでしょうか。
そのあたり、どうなのでしょうか。
+++++++++++++++++++++++
ということで無事宿着。
1:00到着でしたが宿入口が集合マンション式ではなかったので問題なく入れました。
ということで翌朝から荷物を宿に預けてベルリンぶらりスタートです。
宿はベルリン中心地から南東方面なのですが、偶然宿から徒歩5分にこれがあったので行ってみました。
ベルリン・ユダヤ博物館。
これまで約20万人が殺害されたビリニュス、約20万人が亡くなったワルシャワユダヤ人だけではないですが)、約110万人が殺害されたアウシュビッツ、と迫害された側を見てきましたが、迫害した側の展示も見ておきたいと思っていたのです。
入場料8€≒1040円。
いざ。
、、、えっとですね、
まず建物がめちゃくちゃオシャンティです。
入ってすぐに、Resonantという光のアートエリアがありました。確か、、イスラエルのアーティストによるものだったような、、。
ちょっと規模も小さく、全然ピンと来なかったのですぐ通過してしまいました。
その後は亡命するユダヤ人たちの様子。
これはアメリカへの亡命家族。
アメリカって実はイスラエルに続いてユダヤ人人口の多い国なんですよね。
こちらはイスラエルへ亡命中の船の甲板。
みんな楽しそうです。
ユダヤ人が生活で使っていた生活用品。
ユダヤ人学校が閉鎖される直前の手紙。
などなど、
ユダヤ人がドイツにいたときの様子を中心とした展示でした。
そして、三つの変わった展示が。
一つ目はホロコーストの塔。
天高い場所にちょっとだけ見える光が絶望感を醸します。光あるが故に我が身を取り巻く闇が恐ろしくなります。
それ以上にここに入るドアが重たく、誰かが入った後に閉まるドアがバッタァァァァン!!!と閉まりこの空間に恐ろしく反響します。そっちの方が最初ビビりすぎて大人気ない断末魔みたいな悲鳴を上げてしまいました。
動画。
二つ目。亡命の庭。
ここは床が急角度で傾いていて、そこに7x7=49本の石柱が画一的に並べられている場所です。
歩いていると感じる圧迫感、はユダヤ人がナチスドイツから受けた抑圧を表現しているのだそうです。
歩いていると、圧迫感、、というよりはここで鬼ごっこしたら楽しいだろうなというワクワク感が勝ってしまいましたごめんなさい。
そして亡命ってExileと言うんですね。
The garden of Exileって書かれてたのでこの柱の陰から彼らが躍り出てくるのかと一瞬期待しました。
動画。
石柱の隙間から見上げた空。
三つ目。記憶のヴォイド。
動画。
10,000枚の丸い鉄板が床に敷き詰められています。
人間の顔のような形をしています。
一枚たりとも同じ顔のものはないそうです。
一歩歩くたびに大きな金属音が響き渡ります。
これは意図がよく分かりました。
自分が歩くことでものすごく大きな不協和音が周囲に広がるわけです。ほんとは静かに密やかに歩みたいのに。
当時のユダヤ人もそのような状況になってしまっていたということですね。
、、、このぐらいでした。
え、えっとですね、ドイツは先日の日記の通り、アウシュビッツ強制収容所ミュージアムの補修費用に最も出資をしていますし、このあと出てくる慰霊碑はベルリン中心地一丁目一番地のだだっ広い土地を使っていたりと、ナチスドイツの過ちを認めて未来に活かそうと努力をしているのは事実です。
その上でですが、、、もうちょっとなんかなかったかなーというのが私の感想です。
強制収容所がアーリア人至上主義の考えで国外に作ってしまったし、ユダヤ人はどんどん亡命していったので、ドイツ国として、展示するものが無いのだろうなとも思いました。
「ドイツは過去の過ちを認めて今これこれこんなことを頑張ってます!」なんて展示してもアレですしね。
この展示が今のドイツにできるベストなのかもしれません
そしてアウシュビッツと同様、学生のグループ団体が見学しに来ていました。ユダヤ人の遺留品のスケッチが課題として与えられているようで、ある人は真剣に、ある人は遊びながら、各々のスタイルで書いてました。
なお別エリアで実施していた企画展が良かったです。
「Welcome ro Jerusalem」
エルサレムについての企画展示でした。
いまのエルサレムの人々の生活、ユダヤ人離散〜再集結の経緯、紛争の現状、と、エルサレムという街を切り口にユダヤ人を紹介する展示でした。
これは勉強になります。
エルサレムの人々の生活の様子。
エルサレムにおける、ユダヤ教徒/キリスト教徒/イスラム教徒の分布図の変遷
時代により勢力図が何度も塗り変わるのでついていけませんでした。。。
現代ではユダヤ教徒とイスラム教徒が大半を占めているように感じます。
第一次世界大戦以降のパレスチナおよびイスラエルの経緯と紛争の様子
360度シアターで紹介されていました。
こちらも含めて展示は映像が多用され、とても分かりやすい内容でした。イスラエルにはいつか行く予定で、ちょうどざっくり調べ始めていたのですが、もうちょっと踏み込んで調べておけばもっと理解ができたと思われ悔やまれます。
ありがとうございました。
これにて、ここ最近私の日記の搭乗率急上昇だったユダヤ人はしばらくお休みです。
カレーブルストって知ってますか。
ベルリン名物らしいのですが、ソーセージにカレーパウダーまぶしたやつです。超美味いです。
と、ヨーロッパ沈没経験のある謎後輩の提言が以前ありました。バルセロナでイカ墨パエリアを猛プッシュしてきたやつです。
イカ墨パエリアはたしかに大絶品だったので、このベルリンでもカレーブルストはやってみようと思っていたのですが、
ユダヤ人博物館の隣にあったのですぐ入りました。
5€。
ただ見ての通り、これは、、、ポテトですね。
ポテトと、付け合わせのソーセージケチャップ和え、+ちょっとカレー粉をオシャレにまぶしてみた、という感じでしょうか。
まぶされた部分はごくわずかです。
実食。
はい、ケチャッピーソーセージですね。
無念です。
店を間違えました。
リベンジするチャンスはあるでしょうか。
このまま徒歩で思い切り北上。
ここは音楽ホールでしょうか。
ブラームスと大きく書かれてます。
その向かいに、アンペルマンショップ。
アンペルマンとは、ベルリンの信号に登場するこいつです。
こやつがベルリン市民に愛されていて、こうしてキャラクターショップまで出来ちゃってるわけです。
美味い商売ですね。
私は南米とかのあの実際に歩く彼の方が好きですけどね。アンペルマン動かないんですもん。
日本では出来ないでしょうけど、標識の人たちを擬人化したら一部層にはウケると思うんです。
これとか。
さらにもうちょっと北上すると、
ベルリン大聖堂。
ベルリンの大聖堂って、
なんかすごそうじゃないですか。
私ロンドンの聖堂が工事中で入れなかったので大都市の聖堂って初めてです。
7€、とかなり強気な価格ですが、行ってみましょう。
思ったよりも落ち着いた雰囲気でした。
ただ聖堂自体がとても大きいので迫力は十分です。
余談ですが、私今更になってカトリックとプロテスタントの違いを勉強しました。イギリスや北欧はシンプルな教会が多かったですが、プロテスタントだったのかな。
※プロテスタントは兎にも角にも聖書重視なので教会に豪華絢爛さを求めないのだそうです。
そして7€なだけあって、聖堂だけでは終わりません。
ドームに上がることができます。
ただこの手の聖堂のドームって
やっぱりエレベーターみたいなものはなく、階段です。
300段くらい上がったでしょうか。
ようやく外が見える場所に来ました。
全然見えないではないか。
建築資材見えちゃってるし。
これはこれで面白いけど、7€て!!
と思っていると、まだ上に上がる階段がありました。
すみませんでした。
さらに100段くらい上がったでしょうか。もう膝が震えています。
が、
良い景色!
なるほど。
思ったよりも高層ビルが無いんですね。
もっと東京のように刺々しいシュッとしたビルが剣山のように群がってるんだと思ってました。
先ほどの景色写真の1枚目は北側なのですが、
目の前に緑があり、写真では分かりませんがとても色鮮やかに花が咲いていました。
やはりベルリンも百花繚乱なのでしょうか。
このあと是非行ってみようと思います。
また400段くらいの階段を降り膝が痒くなりながら今度は地下。
墓地でした。
そして随所の棺桶に
王冠が。。!
ここは過去の王が弔われているのでしょうか。
一番奥に格式高そうなエリアが。
これ、たぶんヴィルヘルム王ですよね。
Wって発音Vですよね。
一世か二世か分かりませんが、教科書で見た王がいま目の前に。
7€取るだけある見応えある聖堂でした。
すみませんね。ちまちまとお金の話を引っ張り出して。
最近お金払って聖堂に入ることがなかったもので。
※無料のところは幾ばくか寄付をしております。
この一帯は有名な博物館だらけらしいのですが、あまり興味がないのですみませんが、スルーします。
それよりも聖堂ドームから見えていた北側の花庭園を見に行きましょう。
花じゃなかったー!!
むしろビールメーカーのブランドロゴでしたという罠。
青空ビールをかましたいところですが、あまり景色が良くないのでやめておきます。
いや、良いには良いのですが、先ほどの聖堂前の方が抜群だったのです。
さっきの方が良かったな、、と思いながら呑みたくないじゃないですか。
ということでスルーしてさらに北へ。
リバークルーズの案内。
対応言語にヘブライ語(イスラエル)がありました。
イスラエルからもベルリンに観光しにくる人が多いのでしょうね。。
30分くらい歩き、到着しましたは、ベルリンの壁記念碑。
ベルリンを東西に分割していた壁が一部残されているのと、
ビジターセンターがあり、ベルリンの壁について学べます。
ビジターセンターでは1時間に一回?くらいのペースで15分間の説明映像が催されていたのですが、タイミング合わず断念。
壁の展示だけでベルリンの壁の歴史を追いました。
以下ではメモ追記してます。
1949年に東西ドイツが成立。
ベルリンは東ドイツのエリアにあるが、ベルリン市も東西に分割され、西ベルリンは3つの区画に分かれアメリカ・イギリス・がそれぞれ管理、東ドイツはソ連が管理した。
東西ドイツ間の国境は閉鎖されたがベルリンだけは東西の往来が自由であり、東ドイツの人々が西ドイツへ逃れまくったために東ドイツの人口に深刻な影響を及ぼしたため、196年に東ドイツが西ベルリンの周囲にコンクリートの壁を作ったのがベルリンの壁の始まり。
1989年11月9日、多くの東ベルリン市民が押しかけてベルリンの壁が崩壊する。
実感湧かないのは、世界大戦もアウシュビッツも私が生まれる前の話ですが、ベルリンの壁(チェルノブイリも)って私すでに幼稚園小学生とかだったんですよね。当時ニュースなんて見てないので当時そんなことがあったなんて覚えてないですが、どんな風に報道されていたのだろうか。
ビジターセンターの外にある、壁に行ってみましょう。
、、、壁です。
壁ですね。
こんなふつうに、壁なんですね。
近くに説明書きがいくつかあり、Google翻訳片手にちょっとずつ読み解いていきます。
どうやら壁は一層ではなく二層あったんですね。
西側と東側との間には何もないエリアがあり、そこは警備員が監視するエリアになっていたようです。
何もないエリアを用意するために元々あった生活の場をぶち壊して更地にしたのだと思われます。
壁の前には十字架も。
この壁を越えようとして数多くの人が射殺されたそうです。
壁はこんなに薄いのに。
壁の向こう側。
西から東。
東から西。
亡くなった方の慰霊碑がありました。
子供も。
ここには教会があったそうです。
壁ができたとき、教会関係者の90%が西側の人だったのに教会は東側に区分され、教会は監視塔として使われたそうです。
ベルリンの壁崩壊時、教会は壁の一部として見なされ、壁もろとも破壊されてしまったのだそうです。
、、、私の英訳が正しければね。
このベルリンの壁メモリアルエリアは結構広く、まだまだ続くのですが結構な炎天下で日陰もないので、一旦この辺にしておきました。
ちょっとビジターセンターで謎の炭酸飲料で休憩して今度はベルリン中心地に行ってみます。
またしても徒歩です。
高いんです公共交通機関が。初乗り500円て。キエフを見習えっての(20円)。
30分くらい歩いていると急に若者が増えてきました。
これベルリン大学でしょうか。
Unibersityっぽい綴り。
近くに学生価格っぽい食堂が数件ある中で、めちゃうまそうなカレーっぽいもの食ってる学生二人を発見。
6.5€。可もなく不可でもないお値段です。
結構、結構逡巡したのですが、
やってしまいました。。。
オリエンタルフードと書いてあるお店で名前忘れました。
期待を裏切らないバカウマでした。
調子に乗り卓上のカレーパウダーみたいのふりかけたら激辛すぎて食べれなくなってしまったのが心残りです。
ご馳走様でした。
もうこれでベルリンでソーセージとビールをやる予算は使い果たしました。
でもいいのです。
別の街でやります。
ブランデンブルグ門。
ここがベルリンの中心地と思って良いでしょうかね?
ちょっと逆光だったので、毎度ながら、反対側からパシャってみますが、
上の彫刻は前後両用の設計にはなっていないようでした。
このすぐ近くにあるここ。
これ「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための慰霊碑」です。
朝のユダヤ人博物館でも似たのありましたね。
もちろんこちらの方がお先です。
本家の方は相当に広く、かつ中央部に進むにつれて地盤が下がり、石柱に囲まれて確かにこれは圧迫感があります。
また左右の方向に地面が山谷になっているので平衡感覚も結構奪われます。
そして、そんな厳かな場所で、、
やってましたクソガキどもが鬼ごっこ!
やっちゃダメな場所なのは分かっちゃいるんでしょうけどどうしてもやりたくなるよね分かるよねなんなら私も追っかけたいくらいいや何を言っているんですかけしからんそんなわけないじゃないですか。
ダダダっ
キャーー
キャハハッ
ああっ!!(私の悶絶)
後ろ髪を引かれながら大人の私は次へ行きます。
唐突に巨大アンペルマン登場。
なんだこの胡散臭いおっさんは。。
これ公式なのでしょうか。
だとしたら改善の必要性ありかと。
ポツダム広場に来ました。
思ったほど広場っぽくなく、高層ビルもあまり見当たらないのでスキップ。写真も忘れました。
ただこのあたりにベルリンの壁の一部が残っていると思っていたのですが、、、。
※東と西を分かつ壁はブランデンブルグ門からポツダム広場まで縦にズッパリとぶった切っていました。
これくらいしか見当たらずです。
それよりも神降臨。
OPENと書いてます。
最近できたのでしょうか。
中はそれなりに広く、バルセロナ店よりは賑わってます。
ただ私今思うのは、夏服に関しては、ユニクロ服は生地がちゃんとしてるが故に乾きにくいという難点に悩まされています。
むしろ今はH&Mの安物服がすぐ乾いて助かってます。
ということで気持ちH&Mに浮気気味です。
ユニクロで購買意欲は刺激されなかったのでH&Mへ。
とここでWiFiが入ったので、ベルリンの壁が1km近く残されている場所をググると、、、
※冒頭地図再引用
「今」とあるのがこの時いた場所、
右の囲み丸が目的に場所です。
なんと激遠ぷんぷん丸でございました。。!
軽く5kmはありそうです。
街はずれだと思っていた宿よりも全然遠い、、、!
これは、、、地下鉄の出番ですね。
流石に徒歩は無理だ。
と思って地下鉄に向かいかけたその時。
久々にコイツ見かけました。
伝説のメイソウです。
ロゴ見た目ユニクロ、雰囲気MUJI、商品ダイソーのとんでもない中国企業です。
そしてやはりここにも魅惑のタグライン。
凄いなー。
吹っ切ってるなー。
確か前回は台湾で見かけたきりだったような気がしますが、まさかこんな大都会ベルリンの一丁目一番地で出逢うとは。
こんなところでJapaneseBrand気取ってるんですね。
でも近くにユニクロ神やってきたぞ。
どうするメイソウ。
そんなこと考えてたら急にこんなWi-Fi拾いました。
キリスト・ホットスポット。。!
もの凄い幸があるか、もの凄い罰があるか、いずれかでしょうね。
ちなみに私はアクセスできませんでした。
資格無しということですね。
なんてほんとどうでもよいことでわちゃわちゃしつつ、
地下鉄を乗り換え、目的の場所、イーストサイドギャラリーへ。
なのですが、目的の駅の手前四駅くらいで地下鉄が停車。なんとここから先は工事中で運休なんだそうです。
そんなまさか。
案内書をみていると、どうやら振替BUSが出ているようです。
ドイツ語も喋れない私になんて試練を課すんですか。
すぐ見つかりました。
バス停に来たるバス路線番号と到着予定時刻が書いてあるのが素晴らしいですね。
さすがベルリン。
ここは東京も是非学んでいただければと。
近くの駅に到着。
ここからは橋を越えて川を渡ります。
どっかのブログで、川を渡った向こう側は街中が落書きだらけでFuck tourist!!と言った落書きも多く治安が悪いと聞いていたので、ちょっと緊張です。
ところで今歩いてるこのエリア、
街中の至る所が落書きだらけで、近くの川辺で男たちがひとりの男をボッコボコにしているんですが、橋の向こうはもっとヤバいのでしょうか。
橋の上から遠巻きに撮った写真。
コイツらが男をボコボコにしていた。
やられた男はどうなったんだろう。
、、、橋を渡ってる途中で気づきました。
私がいたところがその危険なエリアだったのでした。
「川の向こう」とはよく考えたらイーストサイドギャラリーから見て「川の向こう」な訳です。
私はどうやら「向こう側」から来てしまったようです。
確かにガラは悪いですが、リオやLA程じゃないです。まだ可愛いもんです。
って一部しか見ていませんが。
着きました。
ここです。
散々長々と日記を綴りましたが、本日私が最も来たかったのはここです。
一部残されたベルリンの壁はいま、ウォールアートになっているのです。
なんというか、素敵です。
人々を苦しめていた壁を、壊して忘れるのではなく、かといって保存して見学に入場料とってご覧あそばせでもなく、色々なアーティストが色々な視点で平和を問うアートを描く。
ウォールアート自体にいたずら書きがされてたりするのでみんながみんなそうではないとは思いますが、なんというのでしょう、「数多くの人々がみんなして一つのことを願う、その各々の想いが形として表現されているもの」ってすごく素敵で美しいものなんじゃないかと、リトアニアの十字架の丘以来、私、最近改めて思っておる次第です。
このベルリンの壁アートでは特にこの絵が有名です。
東と西の人々の友情(愛情?)表現でしょうか。
※後日追記。
これ旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長だそうです。(ベルリン市民にとって)悪者同士ですか。凄い風刺ですね。
こちらも良いです。
TEST A REST。クルマが壁をぶち抜いてます。
なんでしょう、やれるだけやってみよう!という意訳でしょうか。
こちらも有名なようです。
ちょっと私にはピンときませんが。
日本の富士山を描いた作品もありました。
ドイツと日本。
ナチスドイツと同盟した日本をドイツ市民はどう思っているのでしょうか。そういえばアウシュビッツの日本人ガイドの方が言っていました。欧米人からよく聞かれるのは、なぜ日本はナチスドイツなんかに同盟したの?と。
日本人が教科書では教わっていないことですね。
ベルリンの壁アート。
いかんせん1.5kmですからね。
まだまだ続きますよ。
ふう。
1.5kmも歩いたので元々のバス停はかなり遠いのと、同じ道を戻るのって心理的に面白くないので、このままぐるっと歩いて降りたバス停の2、3個先のバス停を目指します。
約1時間歩きましたが、特に発見はありませんでした。
ということで宿に18時着。
地下鉄とバス乗車時とカレーとソーセージ食ってる間以外はずっと歩いてたので実に7時間くらい歩いたでしょうか。
宿に預けていた荷物を回収し、フロント前のラウンジの宿スタッフの目が届くところに荷物をこれみよがしに起き、宿スタッフの目を盗んで貴重品だけ持って部屋に戻ってシャワーを浴び、充電完了させていざ夜行バスへ。
ベルリンOUTもINと同様にベルリンセントラルバスターミナルです。
全然、全然セントラルじゃないです。
冒頭記載の通り、東京横浜間くらい距離あると私は思うくらい遠いですが、地下鉄一本で行けるっちゃいけます。
ベルリンセントラルバスターミナル。昨夜はバタバタで写真もなかったので。
流石はFLIXBUSの本国。
珍しくFLIXBUSのインフォメーションセンターもありました
ロッカーもあったのか。
出発までカフェスタンドで無難なサンドイッチを頂き
21:50。オンタイムでバス来ました。
良い席確保するためにバス前景写真を撮っておりませんがお陰様で最もリクライニングシートを気を使わずに倒しまくれる階段上手前をゲット。
バスの外では地獄絵図のように乗車手続きを迫る乗客たち。
毎度思うのですが、並ばせりゃ良いのに。
さて、あっという間でしたが、ベルリン終了です。
心残りはカレーブルストのリベンジが出来なかったことですかね。
、、、とおもっていろいろググってたらとんでも無いもの見つけました。
カレーブルスト博物館、、!!
イイですね、ベルリン市民、イイ感じに頭おかしいんじゃないですか。
残念ですが今からじゃもう行けないので、だれか是非行ってみてください。どんだけ特B級な内容なのか、ぜひ教えてください。
伝説のクラブもあったんですよね、ベルリン。
名前忘れましたが。
ただ場所がクソ遠いのです。
そして入場審査が超厳しいらしく、そもそも私みたいなのが近づいていいような場所ではなさそうなのでやめておきました。クラブはa knotだけで十分です。
あ、Dirのファンクラブです。
ということで、明日はアムステルダムです。
いきなりドイツぶった切ってオランダですが、またドイツに戻ってくるのでご安心ください。
書いておいて何がどう安心か分かりませんが、ひとまずアムステルダムは色々楽しそうなので楽しみですー。
明日もどうぞ宜しくお願い申し上げますー。
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