#128 約780円で最前列オーケストラ&ロンギヌスの槍 in オーストリア(1) ウィーン 2018.4.20
- 2018/04/23
- 18:00
いまプラハ駅のバーガーキングの前の地べたに座ってWiFi拾って日記書きながらバス待ちしてるのですが、スケボー少年が唐突に私の前に立ち、Are you hungry?と小銭を差し出してきました。
危うく受け取りそうになりました。
やめてください。
私の中の乞食を引き出さないでください。
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▼徘徊メモ
・行き先:チェコ・プラハ
(英語表記:Prague)
(チェコ語表記:Praha)
→オーストリア・ウィーン
(英語表記:Vienna ヴィエナ)
(ドイツ語表記:Wien ヴィーン)
・手段:長距離バス(FLIXBUS社)
・料金:17.99€
・時間:4時間 7:10発、11:30着
↓ウィーンぶらりマップ
・オレンジ:長距離バスターミナル Erdberg
・青:宿 A&O Wien Hauptbahnhof 一泊1500円くらい
・左下の赤:シェーンブルン宮殿
(詳細は次の拡大図にて)
↓詳細図
・黄色:地下鉄Stephansplatz駅
・その右の紫:シュテファン大聖堂 Stephendom Nordturm
・その左の紫:聖ピーター教会 Katholische Kirche St.Peter
・左の三つの赤:ホーフブルク宮殿
右下:国立図書館 Nationalbibliothek
左上:旧王宮
左下:王宮宝物館
・その右上の赤:ペスト慰霊碑 WienerPestsäule
・地図右の赤:モーツァルトハウス
・右のピンク:ウィーン学友協会 Musikverein Wien
・左のピンク:ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper
・その上の緑:ホテル ザッハー カフェ
・左上の緑:カフェ デメル
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朝3:30に起きたというのに。
みんな寝ている中こそこそと荷物整理したというのに。
まだまだ肌寒く真っ暗闇のプラハの街をころころバッグをガタガタ言わせながら来たというのに。
バスが目の前で行ってしまいました。
なぜかというとですね、
バス停には30分前からいたんですよ。
いたんですけど、
なんと、
バス停は反対車線だったんですねー!
馬鹿か!路線バスか!
、、、ただ予約完了メールの添付ファイルにちゃんと書かれていたので文句は言えません。
幸いプラハ→ウィーンは2時間に一本あるので、冒頭の通りバーガーキングの前で時間潰していま無事7:10のバスに乗車したのが今という次第です。
バスから憎き反対車線のバス停を撮る。
恨めしや。
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▪️国名
オーストリア共和国
英語表記:Republic of Austriaq
ドイツ語:Republik Österreich
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▪️地理:
◾︎首都:ウィーン
▪️人口:874万人 (2016世界銀行調べ)
▪️言語:ドイツ語
こんにちは Guten Tag
(グーテン・ターク)
ありがとう Danke schön
(ダンケ・シェーン)
トイレ Toilette
(トアレッテ)
▪️宗教:多数派はカトリック63%
▪️GDP:3,909億ドル 世界29位 (2016IMF)
▪️一人当りGDP:44,733ドル 世界15位 (2016IMF)
▪️経済成長率:1.45% (2016IMF)
▪️失業率:6.0% (2016/澳統計局)
▪️通貨:ユーロ
▪️物価:水500ml 64円
ジュース1リットル ?円
牛乳1リットル 131円
パン1斤 131円
パスタ500g 170円
卵10個 341円
地下鉄初乗り316円
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▪️歴史
すみません、これまで見てきた各国の歴史の点と点が線になり始めておりちょっと長ったらしくなりました。
・10世紀頃、東フランク王国の一部だったこの地域がバーベンベルグ家に与えられ、1156年にオーストリア公国となる。
・バーベンベルグ家断絶後はボヘミア王(現在のチェコ)が支配権を獲得したがその後ハプスブルク家のルドルフ1世が領有し、ウィーンが首都となる。そして1358年にルドルフ4世がオーストリア大公国を称するようになる。
・一方で1273年にルドルフ4世がローマ王に選出され「ルドルフ1世」となり、その後もハプスブルク家がローマ王を世襲することに成功。
・ハプスブルク家マクシミリアン1世は政略結婚でブルゴーニュやスペインにも家領を持つようになる。スペインはちょうど当時大航海時代で新大陸を植民地化していたため「太陽の沈まぬ帝国」だったのはこのハプスブルク家である。
・その後も政策結婚を繰り返し、ネーデルラントの大半や、スペインその領土のイタリア、アフリカ、そしてハンガリー、ボヘミア(チェコ)なども手中に収めていく。
・ドイツとスイスでの宗教改革でプロテスタントが勢力を広げた際に神聖ローマ帝国はカトリックを強行した結果、三十年戦争が始まりヨーロッパ各国を巻き込んでの戦争となる。カトリック派は神聖ローマ帝国(ハプスブルク家率いるオーストリア、ボヘミア(≒チェコ)、ハンガリー、スペイン等。プロテスタント派はフランス、スウェーデン、ネーデルラント等。単なる宗教戦争では無くヨーロッパの覇権争いの様相を呈し各国が次々に参戦した。結果、1648年ヴェストファーレン条約で信仰の自由と諸侯の自由が認められ、神聖ローマ帝国は求心力を失い、同じ民族であるドイツとの間には溝が生まれる。
・フランス革命でルイ16世とその王妃マリーアントワネットが処刑されるとフランスと戦争を開始(マリーアントワネットはハプスブルク家だった)。ただ幾多の戦いでナポレオンに敗戦し、1806年に神聖ローマ帝国フランツ2世は退位し同国は消滅することとなった。同時にフランツ2世は「オーストリア皇帝フランツ1世」を称し、オーストリア帝国が成立。以後ハプスブルク家はオーストリア皇帝として存続する。
・1814年、他国とともにフランスへ侵攻しナポレオン戦争を終結させる。1815年ウィーン会議でナポレオン戦争後の領土取合いを主導。オーストリアはヨーロッパ大陸列強4国として認められる。
・小国分立していたドイツにおいてドイツ国統一基調が強くなる中で、当時この地域を支配していたプロイセンとオーストリアのどちらがドイツを統一するかで1866年普墺戦争開始し、オーストリアが敗北(プロイセンがドイツを統一していく)。これ以降オーストリアはドイツへの政治関与をしなくなる。
・1867年、オーストリアはオーストリア=ハンガリー帝国を成立させて勢力を維持。さらには1908年にはバルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナを併合。同国は南スラヴ人国家であり、同じスラヴ人(東スラヴ人)のロシア帝国がこれに対し激怒。バルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」と称される状態になる。
・1914年、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公がボスニアのサラエヴォ訪問時にセルビア人青年に射殺されるサラエヴォ事件が発生。これを機に同国がセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まる。
★第一次世界大戦同大戦の過程は以下。
1.セルビアはロシアを後ろ盾として軍を動員
2.それを牽制してドイツがロシアへ宣戦布告
3.ロシアがフランスに共同戦線を呼びかけドイツとフランスの戦争が始まり
4.その過程でドイツがベルギーの中立を侵害したためそれを牽制してイギリスがドイツへ宣戦布告
※ここまでの構図
連合国:セルビア、ロシア、フランス、イギリス
中央同盟国:オーストリア・ハンガリー、ドイツ、
5.一方でオスマン帝国が付き合いの多かったオーストリア側に付き中東エリアで侵攻を開始、そしてイタリアが連合国、ブルガリアが中央同盟国に付く
6.その後は各国が各々の事情で宣戦離脱して行き、オーストリア・ハンガリーも休戦協定を結び敗戦となり、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊する。
・終戦後の敗戦各国の領土取合い時にドイツとオーストリアは同じ民族ということで併合の意向があったがドイツ強大化を懸念した周辺国の圧力で防がれる。
・その後ドイツではナチスドイツが台頭し、オーストリアはドイツに併合される。
・第二次世界大戦でドイツが敗戦するとオーストリアは切り離され、戦勝国の統治下となったが、中央政府を喪失したドイツと異なりドイツ併合前のオーストリア政府を回復させる形を取れたため国家の機能は存続した。
・1955年に東西冷戦緩衝地帯として永世中立国宣言を行い、ドイツとの合併を禁じることを条件に戦勝国から独立。以後、オーストリア共和国となる。
神聖ローマ帝国や第一次世界大戦が登場するとあっという間に関係国が増え記述が増えてしまうのをかなり端折りました。重要なとこも抜けてるかもしれません。。
▪️国民
・上記の歴史の通り、現オーストリアの領土はドイツ人の神聖ローマ帝国が元となっているため、オーストリア民族は存在しないという見方が有力。逆にでオーストリア大公国が神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)の帝位を独占して来たので、むしろオーストリアこそドイツ民族の奔流であると主張する説もある。
・ナチスドイツはオーストリアを併合したが、オーストリア側は戦後、ナチスドイツを生んだドイツ人とは異なる「オーストリア人」という国民意識が広がったのだそうです。
▪️経済
・一人当たりGDPは世界10位であり豊かな国と言える。
・自動車、鉄鋼業が中心で、ドイツ企業の下請け企業が多い。
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ウィーンには11:30着。
街の中心地から離れたErdbergという場所にあるバスターミナルです。
ここは屋根がありますが、時間潰せるような茶屋はありません。
※写真忘れました。
隣に地下鉄Erdberg駅があるのでそこから街中へアクセスです。
切符は1乗車2.4€。
どなたかの2年前の日記では2.2€とあったので値上がりしておるようです。
ひとまず正午回りそうなのでもう宿に行っちゃいます。
最近新たにできた駅らしく、色々お店もありそうです。
そこから徒歩5分。
今回はアムステルダムに続き(あとニュルンベルクで早朝に暖だけ取らせてもらった)A&Oにしております。
金曜で一泊1500円くらいとウィーンの最安値ラインより数百円高いですが、大箱故に色々自由にできるので気に入っております。
さて、荷物も放ったのでいざウィーンへ。
ウィーンはもともと泊まる予定はなくササっとその日中に次の街に行こうと思っていたのです。
が、
先日クラクフで出会ったウィーンからクラクフに来ていた日本の若者に、「当日予約でクラシックコンサート見れました、めっちゃ安く」というおったまげな情報を頂き(ありがとう!)、
いざ調べてみると掲題の通り、
目ん玉飛び出ちゃうような金額で本当に行けそうなので、、、
三泊三日します。
ヴェートーベンのオーケストラが明後日じゃないと取れなかったのです。
ちなみにヴェートーベンに至ってはお値段「5ユーロ」です。
嘘でしょって。
ただ、、、、立ち見席なんです。
大丈夫。
私どれだけこれまでライブハウスで戦ってきたと思ってるんですか。
なんならいえやめておきましょう。
ということでウィーンにはちょっと長居します。
私にとって二泊以上はは長居です。
宿のすぐ近くにスーパーがありました。
クラクフで出会った日本の若者(ウィーン後にクラクフに来ている)がオススメしていたお安いスーパーBILLAです。
物価見ておきましょう。
水500ml 64円
ウィーンはきっと物価高いと思っていましたが、やはりそのようです。
そもそも宿には実はキッチンが無いし。。どうしよ。
ひとまず旧市街の広場に来ました。
いきなり目の前に大聖堂。
ただ広場のど真ん中に聖堂があるので広場が狭く、フレームに全く収まりません。。。
屋根が綺麗です。
5€。行ってみましょう。
ガチ階段、、、。
この螺旋階段が大変狭くて幅が1mくらいしかない上に363段?あるようで、ゼェゼェはぁはぁ以上に平衡感覚を失います。
途中おじさまおばさまが休憩している脇をギリギリすり抜け、私も瀕死。
そしてようやく。
ショ、ショップ、、、!!
こんなところに用意せずとも。。。
一方で景色は良好です。
緑屋根やはり綺麗。
プラハのように、
山! 川! 旧市街!
な感じかなと思っていました。
、、、降りましょう。
思いのほかウィーンは長居しますが、ウィーン市内は本日中に見ておこうと思っておりまして。
テクテク行きます。
大聖堂内部の見学は無料ですが、手前までしか行けません。
奥に行くにはミュージアム入場が必要です。
金額忘れました。
そして私は入ってません。
プラハといいウィーンといい観光客の数がすごいのですが、ここまで迎合せずとも良いのではと思います。
聖堂付近は赤い服着た人たちがモーツァルトコンサートの勧誘をひっきりなしにしていました。
ヨーロッパ各国にこうしたモニュメントがあるそうですが、中でもウィーンのものは美しいと評判だそうです。
そこ競わない方が良いのでは。慰霊碑ですし。
聖ピーター教会。
外観だけ。
王宮付近に来ました。
一つ前の写真と酷似していますが、別です。
私もいまこれ書いててびっくりしました。
似たような建物が多すぎてどこにお目当ての建物があるかわからんです。。
ここ、、、??
ここでした。
思ったよりも街中ど真ん中にあって、THE王宮!!という感じがしないです。
※この裏手側に広大な公園が広がっているようです。
ホーフブルク宮殿。
かつてハプスブルク家が640年に渡り神聖ローマ帝国やオーストリア帝国のトップとして政治を司ってきた場所です。
ヨーロッパの歴史のかなり主要な部分をこのハプスブルク家が担ってきたわけです。
どの国の歴史を紐解いても出て来ますしね、ハプスブルク家って。
ということもありここには色々あって、
王宮はもちろん、博物館や図書館、宝物殿など、様々です。
そして各々別個で入場料。
手痛い。。
ですが私はどうしてもこの眼に収めねばならないものがあり、参ります。
王宮宝物館。
ハプスブルク家がヨーロッパそして大航海時代の新大陸そして各植民地から寄せ集めたコレクションと、神聖ローマ帝国ならびにオーストリア帝国の遺物が所蔵されています。
入場料12€。
オーディオガイド日本語ありませんでした。。
いざ。
色々と展示されているのですが、すみません。
どれがどの時代のもので、とかわからなかったのでひとまず雰囲気だけ。。。
キンキラキンでした。
こちら、「ロンギヌスの槍」です。
磔の刑に処されたイエスキリストの生死を確認するために兵士が脇腹に突き刺したというこの槍。死んだはずの死体から血は流れないはずが、イエスの体からは血と水が流れ出たといいます。そしてそれに触れた兵士ロンギヌスは白内障が完治したそうで、これを機に彼は洗礼を受け、聖ロンギヌスとなったそうです。
ヒトラーはこの槍の入手に執心したそうです。
彼の学生時代に大きな影響を与えたと言われる作曲家、リヒャルト・ワーグナーの作品にはこのロンギヌスの槍がたびたび登場し、黒魔術に用いられたりしていますが、ヒトラーはこのロンギヌスの槍を探し求めて世界征服への野心を燃やしたと言われています。
既述の通りヒトラーはドイツ・ナチ党党首就任後にオーストリアを併合しますが、その際にハプスブルク家の財宝の中でも特にロンギヌスの槍の奪還にこだわったそうです。
そしてロンギヌスの槍と対面した際のことをヒトラーは以下のように記述してます。
「私はその槍の前に立って、数分間、ただ静かにそれを見つめていた。するとそれが何か、私の奥底で眠っていたもの、あるいは私が直視することを避け続けてきた何かを強烈に呼び覚ましているような感覚に襲われたのだ。そして私はその槍を、自分が生まれる以前、数世紀前にも一度手にしていたような気がした。私はその槍を持って世界を手中に収めようとしていた、そう感じたのだ、、、。」
ロンギヌスの槍入手後、ヒトラーはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発。そして1945年4月30日午後2時10分に米軍がニューンベルク教会に保管していたロンギヌスの槍を奪還。その80分後、ヒトラーはベルリンの地下壕で拳銃自殺をしたのだそうな。
大変賑やかな話じゃないですか。
厨二病には堪らんです。
そして聖槍ロンギヌスとして、
ご存知エヴァンゲリオンをはじめ幾多の作品でも登場する、あの槍です。
そんな槍が、
超脇役!
実はですね、私この前を2回素通りしているのです。
私はこのロンギヌスの槍を目当てに来ているので、槍はどこだ、と意識しながら歩いてたのですが、気がつけば出口に出てしまい、あれれと思って入り口(出口の隣)の係員マダムに、ロンギヌスどこですか?(で通じた)と聞くと地図を渡され「No.7の部屋よ」と言われNo7の部屋に行くもそこはどう見てもジュエリーコレクションであり、まさかロンギヌスの槍はジュエリー扱い!?と逆にときめいたもののやはり見当たらず近くの別の係員マダムにロンギヌスの槍を見たいと申して連れていかれてようやく出逢えた、という次第です。
ここまで長かったです。
歩いた距離も、文章も。
ペラっぺラやで!!w
さすが神聖ローマ帝国のトップに君臨し続けたハプスブルク家でございました。
なお歴史家によると、この槍は捏造されたものだとか。
良いんです。私程度はこれでも十分高まるのですから。
そしてここ以外にも、
これこそが聖槍ロンギヌス!と主張して展示しているところもあるそうです。
行きますよ。私程度はそれでも十分高まるのですから。
何度も高まれるだなんて幸せです。
宝物殿を後にし、国立図書館に行ってみます。
もう何回目だよと思うのですが「世界で一番美しい図書館」ですって。
入場料8€。
階段
を上って行くと、
!!!
確かにこれはすごい。
世界地図
天球図?
満足です。
このホーフブルク宮殿には他にも新王宮や旧王宮など色々あるのですが、一旦この辺にしておきます。
王宮から歩いてすぐにオペラ座の裏手が見えてきました。
その向かいの元祖ザッハトルテを提供しているホテル・ザッハー。
きっときっとゼッタイヤッバイお高いんでしょうが、行ってみます折角ですし。
幸い並ばずに入れそうですし。
あ、私入って大丈夫でしたでしょうか。
半パンです。
もうメ、メヌーの置き方からしてオサレであります。
吊るされてますよ、ゆらゆら優雅に漂ってますよ。
もうめくったら直ぐにお店の歴史が出てくるあたり、
尋常じゃないです。
私の愛する日高屋にはそんなオシャレ要素はありません。
!!!!!!!!!!!!!!!!!
ザッハトルテ16.3€ーーーー!!!!!
さすが元祖ザッハトルテ。
チョコレートケーキの女王。
もうここまで来たら引き返せません。
高いなら、やってしまおうザッハトルテです。
ついでにコーヒーもキィィィェェェェエエエエエ!!5.8€!!
アメイジング!!
サプライジング!!
エブリリトルシング!!
全然Dear my friendなお値段ではありません。
これからはエブリリトルシングを節約していこうと思います。
着丼
お味の方は、それはそれはお上品な、私のような賎民には1億と2000光年早い世界でした。
そろそろ真面目に書くと、
チョコはややビター目でより一層アプリコットの甘さが際立ちます。
チョコは良い食感を残しながら今にも溶けてしまいそうな状態。
付け合わせのホイップクリームがビターなチョコレートにちょうど良く溶け込みます。
コーヒーはウインナ・コーヒーです。
ここでの名称はウインナ・メレンゲ。
皆さまウインナ・コーヒーにウインナーが入っていないのはご存知だと思いますが、じゃあ何? と聞かれて答えられますかな。
私は知っています。
なぜならば、いまググったからです。
ウイーンスタイルのコーヒーだからなんですね!存じ上げませんでした。ただウィーンには「ウインナ・コーヒー」というのは無いそうで、あいげんなんたらとかこの店のウインナ・メレンゲのように別の名前です。
なぜかって?
知りません。ググってみたらいかがですか。
失礼致しました。
この日記は3割はコピペで出来ているようなものですが、スマホだとコピペって結構大変なんですよ。
あ、あと16.3€はなんらかのセットだったようで、ザッハトルテ単品は7€でした。
高いことに変わりはないがな。
さて、優雅な心持ちを小脇に抱えてこのまま向かうはオペラ座であります。
世界を代表する音楽の街ウィーンのオペラ座。
中に入るにはオペラを鑑賞するかガイドツアーに参加するかなのですが、今回は入れませんでした。
この翌日に行こうと思っていたのですが、この日記をその翌日夜書いているいま、すっかり忘れてたことに気づきました。しまった。
すぐ近くに楽友協会があります。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の拠点であり、のだめカンタービレのロケ地にもなった場所です。
この横断歩道とかまさにのだめが渡った場所では。
建物の前にラブリーパンダ。
建物の周りには著名な音楽家の名前も。
※これウィーンの色々なところにあるようです。
シューベルト氏。
学友協会です。
今夜ここでコンサートを見るので、ドレスコードや開場時間、並ぶ場所を確認しておきました。
そしていつも通りマックで時間を潰し、
コンサートは19:30開演。
現在18:00。
1時間半前から並ぶと最前列ゲット出来るとありましたのでこの時間に来ましたが、やはり並んでる人ゼロです。
まだ入り口は開門していません。
時間を潰していると徐々に人が増えてきました。
が、行列ができるわけでもないのでそのまま待ちます。
途中ロシアのご婦人が話しかけてきました。
松島の生まれだそうで、日本がお好きなようです。
お互い片言な英語ながら、楽しい時間でした。
ロシアから旅に出てる人ってとても気さくで和やかです。
18:30、開門。
入ったら直ぐ左右に二階へ続く階段があり、その前が立ち見席班の行列場所です。
そのことを知っていたので、ここで私並び順一番となりました。
そしてしばらく待っていると、
日本人の方ですかと声を掛けられ振り返るとなんと、
ポーランド・クラクフの宿で一瞬被ったけどユーロを両替したので記憶に残っている方が。。!
あれから2週間経つのにこの別の国で再開する奇跡w
こんなこともあるんですね。
流れで立ち見席までご一緒することに。
立ち見席は会場最後列のスペースで、奥行き3mくらいある意外と広めのスペースでした。
そしてこちらが会場。
黄金のホール Goldener Saal です。
凄い、、、
ステージ遠いですが、まあ6€ですしね。
と思っていると、
係員がトントンと肩を叩いてきて、チケットをくれました。
なんと空席があるようで、そこを割り当ててくれるらしい!!!
凄い!
そしてその席がなんと
最前列ーーー!!!
の一番右っw
こりゃ首痛くなる微妙な席だわ。
とはいえものすごい貴重な経験です。
座席の目線。
どんだけ距離近いんだ。
座席が出来たので心置きなく会場内をウロウロできます。
ステージ
天井
会場後方
19:30、開演です。
公演中は写真NGなので悪しからず。
さてなぜ本日こんなVIP待遇できたかというと、思うに本日のプログラムが
ブラームスだからだと思います。
すみません、私もブラームスは全くわからないです。
ズーーーーンと重たい感じ、というぐらい。
なのですみません、オーケストラの曲はよくわからなかったのですが、もう手の届くところで皆さん演奏されているのでそりゃもう迫力満点でした。
バイオリン奏者ってすごく動くじゃないですか。
曲が静かになるところは凄く繊細だし、盛大になるところは一気に動き出す、この躍動が物凄くてですね。
譜面をめくる音もしっかり耳に届いてきます。
それを見ているだけで圧倒されてしまいました。
大満足です。
※ホームページにプログラムがあったのですがこの日記を書くときにはもう消えてました。。
さて。
先ほどの日本人の方とはお別れし、
ちょっと夜景を探しに行ってみます。
国立歌劇場オペラ座。
なんだかソプラノが聞こえてくるなと思ったら、、、
なんとオペラ座のオペラ生ライブ!!
こんな路上で無料で観れちゃうんですね!
さすがウィーン。
こうして音楽の街の人々は感性が磨かれて行くのですね。
道中のスワロフスキー。
キラキラでした。
シュテファン大聖堂。
やはり全景収まらず。
以上ウィーン1日目でした。
この後は宿に戻って就寝です。
明日はモーツァルトです!
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