色々と寄り道を重ねましたが、いよいよ久々の大国、トルコです。
なんとなく来てみたかったけど実はよくわかっていない国です。
まずはヨーロッパとアジアの交差路、このイスタンブールを味わいたいと思います。
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▼徘徊メモ
・行き先:ブリガリア・カザンラク Kazanlak
→トルコ・イスタンブール Istanbul
・手段:長距離バス(RIKI-A / HUNTER)
↑名前は上記のどっちか、もしかしたら双方でセットで社名かも。
・料金:45BGL≒2970円
・時間:8時間 22:30発、6:00着。
↓移動図
↓イスタンブール地図マップ
広域
・ピンが集中しているのが旧市街。
・その右の大きな川みたいのがボスポラス海峡。
・左にポツンとあるオレンジがバスターミナル
詳細
・青:宿 Hanch Hostel 週末一泊9€
・紫:ブルーモスク
the Blue Mosque
・右上の赤の右:アヤソフィア
Ayasofya Museum
・右上の赤の左:地下宮殿
Basilica Cistern
・右上のピンク:トプカプ宮殿
Topkapı Palace
・二つある黄色の下:グランバザール
Grand Bazar
・二つある黄色の上:エジプシャンバザール
Egyptian (Spice) Bazaar
・橋の赤:ガラタ橋
・橋の上の赤:ガラタ塔
Galata tower
・右上の茶色:タクシム広場
Taksim square
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イスタンブール行きの夜行バスは22:30にカザンラクを出発。
23:30頃、唐突にコーヒーが振る舞われました。
これがトルコ流のおもてなしでしょうか。
いや、国境着くまで寝るんじゃねぇぞでしょうか。
まだトルコが掴めておりませんで恐縮です。
ぅわっちちち道がボコボコだからお湯がこぼれるってば
あ、え?何そう言うおもてなし?
一人勝手に盛り上がる魅惑のイスタンブール道中です。
25:00頃。
ブリガリア/トルコ国境に到着。
ブルガリア
出国審査は簡単でした。
そしてありがとうございます。
見事にp14、ポルトガル入国のスタンプに重ね打ちしてきました。
青がポルトガル(もう見えないけど)、
黄色がブルガリア。
ポルトガルさん、あんたんとこの入国担当のスタンプが薄いからブルガリアさんに上書きされてますよ。
ブルガリアさん、いいんですか、相手は国力でウン倍上の
バスはそのまま免税店へ直行。
25:30、闇夜に煌めくネオンにキャッキャしながら駆け込むトルコ在住のマダムたち。
ATMがあったので私も流れに乗りましたが、対応時間外とのことで引き出せませんでした。無念。
そして次のゲートにてトルコ入国審査。
全員、全荷物を持って建物へ。
車内アナウンスがトルコ語かブルガリア語のいずれかのため何が何だかわかりません。見よう見まねでついて行きます。
ドキドキです。
なんてったって、初ベリショ越境です。
このパスポートの写真はお前ではなぁぁぁいっつ!!
とか言って叩きつけられたりしないでしょうか。恐怖半分期待半分です。
なーーんってね♩
なんて思っていたら
「お前そこで五分待ってろ」
と言われる。
き、、、来た。
冗談が現実になり興醒める図。
でもここで同様しちゃいけません。
あくまでも純真無垢な旅人を装います。
目を丸くしてぼーっとしてみたり、
この次に控える手荷物検査の様子をキョロキョロしてみたり、
やや声量を意識してあくびをしてみたり、と忙しいです。
純真無垢に忙しいです。
この時私、パスポートにスタンプバスンってやる入国担当の真横でガラス越しにスタンプ押す様子を見ていたのですが、まじコイツ、スタンプ押されてるページ順とか全然見ずにエイヤで開いたページにバスンとスタンプしてるし、押される側も押される側で押されたページ見もしないんですね。
スタンプ押すページの順序とか気にしすぎでしょうか私。
まあどうせ気にして「このページに押してね」なんてメモ挟んでもメモ捨ててバスンしそうだし下手すりゃそのメモ用紙にバスンして渡すときにペラっと落ちてはいどうぞとかして来そうだなこの国民の血税に貪り沸く下賤な蛆共がっ、
と私のゴーストが囁いていました。
私自身はあくまでいま純真無垢のMaedakです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
その後に別担当が現れ、個別質問開始。
質問1「宿泊先と出国チケットを見せろ」
→宿泊先はBooking.comの宿泊先のページを見せてOK。
→出国チケットは正直に、無いbecause次の国にバスで行く予定だからと回答
質問2「電話番号を見せてくれ、携帯電話のプロフィール画面で」
→とガラケーみたいなこと言うので困惑。スマホで自分の番号ってどう見せるんだろう。口頭で言おうとしたらNoとのこと。
ここで担当がWhat's upかviberはやっているか(LINEのようなメッセンジャーアプリ)、と。viberがあったので見せるとそのプロフィール画面に電話番号があるとのこと、、、あった!!
それを見せると、宿泊先と電話番号をメモられて、無事解放されました。
旅慣れている方からしたら全然大したことないレベルの個別質問だとは思いますが、今後の国少なくともこれ以上の厳しい扱いを受けるのだなと覚悟ができました。
ただでさえ私のパスポートはスタンプグチャグチャですからね。
コイツなんかよくわかんないから一応個別確認しておこう、だと思います。
一切パスポートの写真と私の頭は見比べられていないのでベリショの件は不問だと思われます。
トルコさん、迎え入れてくれてありがとうございます。しっかりトルコ料理を頂いてなけなしの外貨を貴国に差し入れたいと思いまテメェp26に押すんじゃねぇ串刺してケバブにするぞゴルァっっっっt
P26
もう好き勝手押させることにします。
手元に時系列の入国先とパスポートのスタンプ押されてるページリストを用意しようと思います。
入国審査で私一人だけ20分くらい足止めされましたが、手荷物検査でトルコマダムたちが怒涛の詳細検査を受けていたため結果同列ゴールしたためバスに乗り遅れることはありませんでした。
写真右手前がトルコマダムたち。
彼女たちがいなかったらと思うと恐ろしい。
ということでバタバタしながらですがトルコ入国です。
まだこのボスポラス海峡より西側はヨーロッパ大陸です。イスタンブールを貫くボスポラス海峡を超えると、いよいよアジアです。
ひとまず不勉強は覚悟の上で今のところのメモを備忘として。
なおトルコはWikipediaが閲覧できないっぽいのでVPNで接続しました。
そしてなぜかトルコのWikipediaは情報が浅く色々なサイトを参照しました。
+++++++++++++++++++++++++++
▪️国名
トルコ共和国
英語表記:Republic of Turkey
トルコ語:Türkiye Cumhuriyeti
日本語名のトルコはポルトガル宣教師の影響でポルトガル語で「トルコの」を意味するTurcoに由来する。
+++++++++++++++++++++++++++
▪️地理:
▪️首都:アンカラ
▪️人口:8,081万人 世界19位
▪️国民:トルコ人約80%、クルド人約20%
→2009年OVTAデータ。精度低そう。
ほかに少数割合としてギリシャ人、アルメニア人など
▪️言語:
こんにちは Merhaba
→メルハバ
ありがとう Teşekkür ederim
→テシェッキュル エデリム
▪️宗教:イスラム教が99%
▪️通貨:トルコリラ(TRY) 1TRY≒23円
※為替レート
ここ数年で1/2になってます。。。
恐縮ですが、ありがとうございます。
▪️物価:水500ml ≒21円〜
ジュース1リットル ≒56円〜
牛乳1リットル ≒58円〜
パン1斤 ≒34.5円〜
パスタ500g ≒26.45円
卵15個 ≒136円〜
※イスタンブール旧市街 スーパー「SOK」調査
※数値データは2017年IMF調べ
+++++++++++++++++++++++++++
▪️歴史
・紀元前6500年頃より集落が発生
・紀元前6世紀にアナトリア一帯(トルコのアジア大陸部分の地域名)をペルシア帝国が支配。
・紀元前334年、マケドニアのアレキサンダー大王がペルシア帝国を滅ぼす。この際にギリシア世界とオリエント世界が触れ合いヘレニズム文化が生まれる。
・アレキサンダー大王亡き後は小国分立の後にローマ帝国の支配下に。4世紀始めにローマ帝国のコンスタンティヌス帝は帝国の首都をビザンチン(今のイスタンブール)におき、名称をコンスタンティノープルに改名。
・4世紀末にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルは東ローマ帝国の首都に(ビザンツ帝国とも呼ばれる)。同帝国は西ローマ帝国がノルマン民族に滅ぼされるのを横目にエジプト・シリア・イタリア南部やスペイン南部、と幅広く勢力を広げ、コンスタンティノープルにはギリシア正教の総本山が置かれた。
・一方で552年にトッキ王国を樹立した民族が8世紀頃にモンゴル高原から西進し、10世紀にイスラム教へ改宗の上で中央アジアからアナトリア地方まで勢力を拡大、1037年にセルジューク・トルコ王国を成立させる。これがトルコ民族の源流となる。
・13世紀後半に同国はモンゴル軍の侵攻に遭い弱体化。一方でオスマン(人名)率いる西アナトリアのオスマン・トルコが次第に力をつけ、1453年には十字軍の侵攻により弱体化していた東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させて東ローマ帝国を滅ぼす。
・オスマン・トルコ帝国は絶頂期を迎え、バルカン半島、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカまで拡大。
・18世紀、港を求めて国土拡大を図るロシアがトルコの地中海との接点を狙ってトルコとの露土戦争に突入し、オスマン帝国が敗退。
・この期に支配下のセルビア・モンテネグロ・ブルガリア・ギリシャがロシアの後ろ盾もあってバルカン同盟を結成し、第一次バルカン戦争が始まり、結果ギリシャやセルビアを始めとするバルカン半島各国がオスマン帝国から独立。
・第一世界大戦ではドイツ率いる同盟国側に着ロシアを襲撃するなどしたが敗北。シリア、パレスチナ、イラク、アラビア半島を失い、トルコの大部分を占めるアナトリア地方はギリシャ、イタリア、
フランス、ロシアに分配され領土の大半を失う。
・そんな中で陸軍将官ムスタファ・ケマルが立ち上がり、1919年トルコ独立戦争が始まる。トルコはギリシャ・イタリア・フランスなどの国々との戦闘に勝利し、オスマン・トルコが崩壊しトルコが国家として承認され、1923年に初代大統領をケマルとしてトルコ共和国が成立する。
▪️国際関係
・トルコ政府は自国をヨーロッパの国と主張しているが、国土の96%はアジアであり、首都アンカラもアジア。歴史的にはペルシャ(イラン)の影響が強い。日本はトルコを中東アジアの国として分類している。
・日本とはトルコ国籍船が和歌山沖で起こしたエルトゥールル号遭難事件で人道的救助活動をしたこともあり、友好関係が築かれている。
・隣国のギリシャとは歴史的に幾度も領土戦争をしてきているが、キプロス島の帰属が解決していない。
・隣国のアルメニアはトルコ南東部をアルメニア人の奪われた土地として主張、対立している。アルメニアがキリスト教国ということもあり宗教対立の側面もある。
▪️経済
・GDP:8,494億ドル 世界17位
・一人当たりGDP:10,512ドル 世界66位
・経済成長率:7.047% 世界12位
・失業率:11.01% 世界22位
・工業は軽工業が中心で繊維・衣類分野の輸出大国。世界大手自動車メーカーとの合弁事業も大きな柱。
・工業化が進んでいるのは北勢地域のみで、以外は農業が中心。
・石油は黒海に莫大な埋蔵量を有し、自給できる。
・輸出466億ドルに対し輸入656億ドルの貿易赤字。
+++++++++++++++++++++++++++
さて、その後バスは消灯せず、3:00にサービスエリアに入りトルコマダムが覚醒してキャッキャしはじめたためなかなか寝つき良く無いままイスタンブール到着。
パッと外を見たらなんだか高層マンション立ち並ぶエリアですげぇなと思って地図見たらまだ結構イスタンブールの郊外で、この街の大きさを思い知りました。
バスターミナル到着。
トルコではバスターミナルをオトガル(Otogar)と言うそうです。
そのオトガルは、ここだと思っていたら
ここでした。
青矢印が宿です。
こんなに遠いの。。。!!!
調べ不足でした。
そしてこのオトガルが本当に広い。
レストランなどがある中央の建物をバス会社カウンターがぐるっと囲んでいるのですがその数いくつあるんでしょう。
100は優に超えているのでは。
見てくださいこの地図の縮尺。
周囲の建物全部バス会社です。
ヤバないですか。
ひとまず中央の建物へ。
ATMがたくさん並んでいました。
2台目のATMで無事現金ゲット。
まさかトルコで昨夜のを合わせて二回連続でキャッシュカードが拒否されるとはおもわずちょと焦りました。
そしてここからどうやって宿に行こうかと歩き出したらすぐ地下鉄を発見しました。
Mapsmeの地図では見つからなかった。
その名もオトガル駅。
ただ券売機での切符の買い方が分からない。。。
日本語表示もできるのですが、翻訳がイマイチ。
なんとなく、スイカみたいなカードありきでチャージが出来る券売機であることが分かりました。そういやイスタンブールカードというスイカみたいのがあったような。
そこへヘイと声をかけられました。
トルコ人です(トルコ人かどうかは分かりませんが、以後トルコで声をかけてくるやつをトルコ人と仮定します)。
イスタンブールカード、こっちこっち。
と普通の売店に誘導され、そこで待ち受けていたトルコ人が満面の笑みでシュッと差し出すはイスタンブールカードっぽいカード。
10リラだよ!
というので、あなるほど。トルコもイタリアのバスのように売店で公共交通機関の切符を扱うんだね、と理解。
その後トルコ人が、チャージチャージといって誘導した券売機はイスタンブールカードが買える券売機でした。
私はそれに気づかず20リラ入れるて出てきた表示↓
14リラ分チャージしたカードを発行します。宜しいですか?m
おいトルコ人っつ!怒
イスタンブールカードは6リラで買えたようです。4リラをボラれました。
そうでした。もうここはヨーロッパでは無かった。いかにボるかの世界なのでした。
今回は油断していた私の負けです。
負けを認めます。
だがな。いつかボリ返すぞ。
改札&イスタンブールカード。
地下鉄。きれい。
車内も綺麗。
路線図。
イスタンブールはボスポラス海峡を間に挟んでヨーロッパ大陸側とアジア大陸側に分かれる街なのですが、間を気軽に行き来してるメトロは無さそうです。
1路線1路線が短く、なんだか使い勝手が悪いなぁ。。。
メトロで宿に一番近い駅、Yenikapi駅へ来ました。
ここから宿まで徒歩30分。
頼みのマックは開店前。7:30からでした。
※今時刻6:30。
土曜の早朝ということもあってか、街中には全然人がいません。
この辺りは旧市街で人も多そうな雰囲気なのですが。
途中見つけた綺麗目なカフェでパンとパイをうっかり注文し炭水化物に浸りながら時間を潰します。
イスタンブール街ブラ計画と、次の街への移動手段の検討、うっかり忘れてたトルコ語のインプットなどなど。
ありがとうがめっちゃむずい。。
テシェッキュル エデリム。
覚えられないから手の甲に書きましたよね。
そして時刻10:00を見計らって宿へ。
Hanch Hostel、土日一泊9ユーロ≒1188円です。
トルコ語の「入口」=GirišがGirlsに見え、Girl Entranceに見えてしまい最初引きました。
男女で入口が違うて。
宿は思った以上に大箱。
シャワー環境は良いですが、キッチンが小さくキャパオーバーな感じ。
チェックイン時間の14:00まで一旦荷物を置かせてもらい、いざイスタンブールの街へ出てみようじゃないですか。
今回イスタンブールは三日間滞在します。
本気出せば1日で観光できるのですが、世界三大料理のトルコ料理を一日4食とかせずゆっくり味わいたいなと思いまして。
、、、って知ってましたか。
世界三大料理って、フランス料理・中華料理・トルコ料理なんですよ。イタリア料理とばかり思ってました。
トルコ料理が世界三大料理である背景は、すみません、ggって下さい。
宿周辺は下町と観光宿街が混じったような感じで、ローカルなお店からお洒落なお店まで揃ってます。
宿前広場。
道中。
坂が多いです。
朝からトランプで盛り上がるおっさん達。
平和です。
そして早速、モスクのミナレット(尖塔)が見えてきていますよ。
と思ったらモスクより先にこちらに着きました。ヒポドゥロームという昔は戦車の競技場だったそうです。今はオベリスクが幾つかある広場。
隣にはこちら。
左手前に緑っぽいのあるの分かりますか。
折れちゃってます。
トルコ人が登ったのでしょうか。
改めまして奥のオベリスク。
テオドシウス1世のオベリスクだそうです。
エジプトからローマ皇帝の命で持ってきたそうです。
てか、もうみんなエジプトからオベリスク持ってきすぎじゃないですか、ルーブル美術館といい大英博物館といいパリのなんたら広場といいローマのなんたら広場といい。至る所でこういうの見るんですけど。
そしてこの広場の隣にあるのが、
ブルーモスクです。
前回のブルガリア・ソフィアで訪れたモスクよりも断然デカい、イスタンブールを代表するモスクです。
行ってみましょう。
近づくとデカすぎてフレームに収まりません。そして逆光なのでブルー感がとんでしまいます。
入場に際しての注意事項。
入場列。
みんな女性はストール巻いております。
ストールはすぐ近くに借りれる場所があるみたいです。足にストール巻いている男性もいました。
いざ。入場は無料です。
内部はですね、
とてもとても、
とても綺麗でした。

前回のブルガリアモスクと感想が被りますが、私モスクって内装はすごいシンプルだと思っていました。
偶像崇拝が禁止されているので真ん中にズドンと祭壇があるとかそういうのはないのですが、ただひたすらに美しい模様を見ていると心安らぎますね。
祭壇画のあれがどうとか、この像はうんぬんとか、そういった要素がないので、より自然体で向き合える気がします。私の場合はね。
これから向かう先モスクが沢山ありますが、一つ一つ体感していけたらなと。
ここを出たところの近くの売店で水を買うと、トルコ人のおっさんが、
「ジャパン?私日本大好き!マイフレンド!さあここに座って!」
ありがとうございます。結構です。
トルコの人はこれまでの国と違って親日の経緯があるためか、物売り&客引き日本語が上手な人が多いです。そして屈託無い笑顔でやってきます。
悪い人じゃないのだろうし、中には本当に礼節ある人もいるのでしょうが、すみません、私そんなにすぐにマイフレンドにはなれません。
ブルーモスクを出ると目の前にアヤソフィア。
こちらはブルーモスクと並んでイスタンブールを代表する建築物です。
もともとは東ローマ帝国時代の537年に作られたキリスト教の聖堂。ビザンチン建築の最高傑作とも言われているそうです。
そしてその後オスマン帝国の支配に変わってからはモスクとして改変され、礼拝自国を知らせるミナレット(尖塔)やミフラーブ(聖地メッカの方角を示すもの)が付け加えられ、壁画は漆喰で塗りつぶされました。
今は世界遺産としてミュージアムになっています。
チケット列。
イスタンブールを代表する入館モノはミュージアムパスというパスポートみたいのがあり、これがあると並ばずに各所入れます。
そしてミュージアムパスの金額は私が行こうと思っている各所の入場料合計額と同じらしいので、今回はミュージアムパスを購入。
上がアヤソフィア単体入場料。
下がミュージアムパス。5日間有効で125リラ。※各施設一回までの入場ができます。
X線検査を通り、ミュージアムパスにて入場でござい。
入口。
回廊。
いざ内部へ。
旧聖堂その後モスクその後ミュージアムなので、ここをなんと呼んだら良いのか不明です。ひとまず大広間とでも読んでおきます。


ちょっと派手に工事中なのが残念ですが、なんというんでしょうかここは。形容が難しいでありますな。
旧聖堂の面影ありつつ、モスク改変時に色々削ぎ落としたのであろう感もありつつ、とはいえ特定物が存在する以上、やはり聖堂の要素強めな感じがします。
幾つか見える円盤は現代の改修時に付け足したもので、アラビア語で、預言者ムハンマドやその後継者たちの名前が書かれているそうです。
モザイク画も多数ありますがこれは東ローマ帝国キリスト教時代のものと思われます。

!
!!!
毎度恐縮ですがぬこ!
しかも@聖堂(?)!!
さらにしかもホストサイドw!!!
不思議なコントラスト。。。

ちなみにこの奥に写っている扉みたいのが聖地メッカの方角を示すミフラーブ。
ついつい、ぬこメインの構図にしてしまいました。
警備員も一緒になって撫でちゃってます。
警備員曰く「He is my partner!」だそうです。男の子のようです。
このぬこがまたしっかり者で、
上手にも
下手にも
、と
ステージを駆け回り、
しっかりとパフォーマンスをお届けに上がっております。
わきまえてますね。
対価は無かろうに。
いや、対価なき献身これこそいややめておきましょう。素人があれこれ書くと怪我します。もう遅いけど。
上に上がれるようです。
なだらかだが石畳の凹凸激しいスロープ。
敵の侵入を阻害するためとのこと。
上からは内部を一望できます。

そしていくつか聖堂時代のモザイク壁画がありました。モスク時代は漆喰で塗りつぶされていたそうです。
これは上記壁画の脇にあった完全版の再現画。
石棺?
モザイク画ほかにも。

そんなアヤソフィアでした。
続いてアヤソフィアからすぐ近くの地下宮殿へ。映画インフェルノのラストシーンにもなった場所です。
入口。
やはり地下がメインなのですね。
地上のエントランス建物はとても小さく、一回通り過ぎました。
そしてトルコ人のおっさんに、
「こにちはー、イスタンブールどですかー、地下宮殿みないのー」
と言われ、エントランスに気づいた次第です。
トルコ人のおっさんはどうせ物売りなのでスルー。
入場料20リラ≒460円。
ミュージアムパス対象ではございません。
いざ。
階段降りたらいきなりもう地下宮殿でした。
大変に幻想的。



この場所は532年に当時の皇帝ユスティニアヌス1世の命で作られたビザンチン建築の地下貯水槽だそうです。柱は数百本あるそうです。
時折ライトのない空間もあります。
カメラ向けると当然こんな感じ。
この地下宮殿の奥にはちょっと変わった柱があります。
一つはこの「CRYING COLUMN」。
涙を流しているように柱は水滴を帯びてます。
もう一つがこのメドゥーサ。
一つは
逆さまに、
もう一つは
横向きに。
背景は不明だそうです。
映画ではここでウイルス入りの爆弾が仕掛けられて云々。
一人ワクワクしながらキョロキョロしました。
なお映画とは異なり水は貯められてはいませんでした。
なおここもしっかり観光地でして、場違いな貸し衣裳&撮影スポットがありました。
行列できてました。
地下宮殿を出ると早速先ほどのトルコ人が待ち構えてました。
「どうだったー?よかったー?僕はお店をやっているんだ。こっちだよー」
と手を引っ張ってきます。もうマイフレンドなんでしょうね。
彼らの爛漫な笑顔を見ていると心苦しいですが藪からスティックなマイフレンドはノーサンキューですゴメンネゴメンネー。
世界三大料理であるトルコ料理を味わうためにASLANという地元民向けレストランに来てみました。
「地元民で大賑わい!」とどっかのサイトに書かれてましたが、入り口ではおっさんが客引きしてました。
ひとまず入ってみるとお客さんはまだら。
そしておっさんが、ここから好きなものを選んでくれ!
とガラスケース内のめくるめくトルコ料理の品々を指します。
そうなんです。
ここは指差し注文できるレストランです。これをトルコではロカンタと呼ぶんだそうです。これなら安心して注文できる。
、、、のですが料金がわからない。
気になる料理を指差して、これハウマッチ?と聞くと、おっさんメニューを持ってきて「このケバブがサイコー!」と嬉しそうに聞いてもないことプッシュしてきます。
柔軟性のない私は、ノー、ハウマッチ、ディス、と申すと、おっさんから笑顔が消え、対象メニューの金額を指差し、もう次に来た客の対応を始めました。
うーん残念。
まあ大衆食堂ですし、接客に期待しちゃいかんでしょう。
次に来た客との会話を強引に遮り、あれとこれをくれ。と注文して席に行きます。もう適当なやつにはこちらも適当に行きます。
着丼。

一つ目のインゲン豆のトマト煮込みは「ターゼ・ファスリエ」というそうで大衆食堂の大定番なんだそうです。
二つ目は料理名不明ですが、ハンバーグとトマトとパプリカを串にしたもの。
このインゲン豆のトマト煮込みがめーーーーっちゃ美味いです。これは癒されます。家庭料理って感じ。
ハンバーグは普通です。
テーブルには500mlの水もありましたが飲んだら金取られるかもと警戒し手をつけず。
途中ご飯中に、どっかから街宣車みたいな音量で「ほんわ〜〜〜」みたいなのが大音量で聞こえてきます。
近くの別のおっさんがうっさそうに窓を閉めます。
トルコにもあるんですね街宣車。
その後もおっさんの態度が目に着いたので、そそくさと会計して店を出ました。
たぶんこのくらいの対応はトルコでは普通なのかもしれませんが、すみませんねまだトルコ慣れしてないもので。
このレストランのすぐ近くに
グランバザールがあります。
めちゃくそ広いですこのバザール。
イオン幕張、、、、よりは流石に小さいですが、正直どの店も同じような商品、同じような強引な客引きなので、迷子になります。
5,000店以上あり、64本の通りと21個の入り口があるそうです。
銀
金
皿
魔法のランプ
Tシャツ
●ッチとか●バンシーとか。
すみません、そうと決まったわけじゃないんですが、ついつい伏せ字に。
、、、これが噂の幾多の日本人がアラブ各国でやられてきた絨毯屋というやつですね。恐ろしや。
となんら購買意欲をそそられず、グランバザールを北に抜けます。
しばらく歩いてたどり着いたのがこちら。
エジプシャンバザール。
その名の通りエジプトエリアからの品々が並んでいます。
甘そうなお菓子
ドライフルーツ
スパイスとお茶
あ、そういえば、、、とここでヴェリコタルノヴォで出会った謎の超美味パウダーを思い出し、似たようなものが無いか探してみようと思い立ちました。
オゥマイフレンド!
第一声から友達呼ばわりするこのトルコ人のおっさんにちょっと接近してみます。
りんごっちゃあるよ飲んで
とリンゴ茶登場。なるほど、熱い茶を出して引き止める作戦だな。※写真忘れましたがリンゴ茶マジうまです。
スパイスの試食がしたいと言うとすぐにスプーンが出てきました。
シンクーパックアルヨ、スゴイネー。
と繰り返すおっさんを無視してスパイスを試食しまくっていると
発見。
これです。これがあのヴェリコタルノヴォ宿で出会った感動の味。
えっと品名は「Organic Salt」不特定ーー!!!
なにがどうOrganicか分かりません。これじゃ今後常用できないじゃ無いですか。
ひとまずこれを買います。
おっさんにこれくれい、というといきなり嬉しそうに真空パック用の袋にどっさり入れ始めたので(1kgで150リラ≒3450円)、
ノーノー、この1/4で良い!というとおっさんから急に笑顔が消え、無言で袋の中身を戻し、秤へ。
だからなんなんだ貴様のその振り幅!
結局150gくらいを500円くらいで買いました。
にしても高く付いてるなーこれ。
エジプシャンバザールを北に出るともうそこはボスポラス海峡を見渡す広場です。
もろこしを買い、海を眺めに行ってみます。
もろこし、無味。
そして、
ボ ス ボ ラ ス 海 峡ーーーー!!!!
ヨーロッパ大陸とアジア大陸との境目です。
といってもここは以下地図の通り、まだヨーロッパ大陸側。
この目の前の海の向こうはまだヨーロッパ大陸です。南岸から北岸を見ている感じ。
この船の向こうに小さく見えているのがアジア大陸。
無味のもろこしとともにしばし休憩。
次々出航する船。
ボスポラス海峡をクルーズする船のようです。
波も穏やかで落ち着きます。
もうちょっとアジア大陸を拝みたいので海沿いを東へ。
道中で見かけた途中のATMがまるで自販機のよう。
そして

ここにやって参りました。
これこそがアジア大陸を臨むボスポラス海峡の景色。
左がヨーロッパ大陸。
右がアジア大陸であります。
なんだか不思議です。
今私はヨーロッパとアジアの双方を視界に入れているのですが、極端にいうと普通の陸と陸です。大陸とか国境とか人間が勝手に決めたものであって実際はただの陸なんだなと。改めて思う訳です。
一方でそうした意味づけを持ってしてこそ人々は国民意識を持ちながら社会を築いて行く。そこを渡り歩くから人々も変われば文化も変わり、景観も変化する。
ありがとうございます。旅をしている楽しさはここのありますね。
アジア大陸、もう間も無くです。
ボスポラス海峡は黒海に通じ、そこにはクリミア半島といういま色々とウクライナとロシアで揉めている場所があります。
ロシアとしては地中海そして外界へに通ずる重要な要衝でした。
そしてロシアはこのボスポラス海峡を我が物にすべくトルコと何度も争ってきた、そんな歴史背景をかじっていると、こうして行き交う船たちにもなんだかロマンを感じます。
日々ヨーロッパ大陸とアジア大陸を眼下に収めている本日の野犬。
このまま海沿いを歩いて宿に戻ります。
向こうの丘の上に見えるはトプカプ宮殿。
今日はスキップして明日ゆっくり行きます。
今日行かなかったのは、明日日曜は至る所が閉館するので暇になるためです。
海岸線を走る列車。閑散。
道中猫だらけ。
なんかみんなすごい警戒している。
最後の猫は宿の猫。
ドアを開けて欲しいらしい。
宿に戻った後は自炊用の食材を買いに行きました。その帰り道の時刻17時過ぎ。
またも昼に聞いた「ほんわーー」が響き渡ります。
また街宣車か、、、と思って街宣車を探すも見当たりません。
よく見ると発信源が高いところにある塔のメガホンスピーカーであることに気づきます。
これは、、、公共放送?
そしてここで気付きます。
これもしかして礼拝時刻のお知らせ!?
でもみんな普通に街歩いてるし。。
とはいえトルコはイスラム教圏ながらかなり自由にやっているというし。。。
ひとまず未解決のままです。
その後は宿でトルコ料理やおススメレストランなどの情報収集をしていたのですが、調べれば調べるほど行きたくなってしまい、自炊食材ほっぽり出して19時、外出開始。
先ほどいたボスポラス海峡を眺めていた辺り(ガラタ橋付近)に良さげなシシケバブ屋があるようなので向かいます。
宿帰宅途中に見た列車がそこまでダイレクトに向かうようなので近くの駅にきてみました。
が、
ホームが閉鎖されていました。。。
やはりこの路線、廃止しているのかも。
仕方ないので徒歩です。
宿の位置からガラタ橋付近までは、坂道を上がって下がって、いわゆる丘越えが必要で結構大変。なお丘の上あたりにちょうどグランバザールが位置します。
グランバザール周辺はもう店じまいしており大閑散。これ暗くなったら危ないな。
歩くこと30分。
やってきましたはŞehzade Cağ Kebap。
大混雑。。。!!!
ダメ元で店員さんに聞いて見ると、
フル!ビコーズ、トゥデイ イズ ラマダン!!
え?
ラマダン???
ラマダンって、断食です。
ただ私ラマダンが断食であるということ以外、ラマダンについてまったく分かっていませんお恥ずかしながら。
、、、でもなぜラマダンでこんなにレストランが繁盛しているのでしょう。
ひとまずこのレストランは別日にリベンジします。
そしてどのお店も混んでます。
入れそうなお店を探していると、、、
指差し注文のできるロカンタがあったので即決。わっほいほい。
ただ店員が超急かす。
大勢並んでいるからでしょうか。
私:あの、これと、
ト:はいこれね!お会計はこっちこっち
私:いやあのそれだけじゃなくてこっちの
ト:早く早くお金は××リラ
私:エックッスッキューッズミー!!!、、、、これも欲しいのです。
ト:、、、(ショボン)、、オーケー、これね。
という疲れるやり取りの後、空いていた端っこの席で厨房を眺める位置の椅子に座りました。
戦利品。

右はジャガイモと肉とマッシュルームのトマト煮込み系、左はジャガイモと肉のグラタン。
うん美味い!!!
料理名わからないのは残念ですが、トルコ料理はハズレがないですね。
、、、にしてもなんなんでしょうか。
隣の青年は一向に食べ始めません。
友人でも待っているのでしょうか。
。。。と、ここで気づきました。
厨房の方を向いて座っているので店内の様子を見れていなかったのですが、食べてるの私だけです。
レジでは引き続きスタッフのトルコ人たちがやかましくギャーギャーやっているので気づきませんでした。
これ、、、もしかしてアレですかね。
そういえばラマダンって特定の期間が決まってて、でもその間中ずっと断食なんじゃなくて一日の特定の時間から食べることが許されてそこからはみんなお祭り騒ぎのように食べるっていう、いつかテレビで見たアレでしょうか。。。!?
といっても自信がないので、ひとまずそのまま平らげ、そそくさと店を出ます。
そして外に出て観察すると、、
やはりみんな食べる準備満タンにしてその刻を待っているように思います。。。
そして唐突に、あの昼間そして17時に聞いたのと同じ「ほんわーーーー」が流れ始めた20:34、みんな一斉に水を飲み、からのおお食事開始!!
や、やはりこれがラマダン期間中の夕食なのですね。。。!!!
後ほどの調べで、
・今年のラマダンは5/15-6/14であること、期間中は夜明けから日没までは水を含む一切の飲食が禁止されること(子供・病人・妊婦を除く)、
・日没後の食事タイム=イフタールはみんなで盛大に食すこと、
・その後夜明け前にも次の日に備えての食事=セヘリを取ること、結果みんな睡眠不足になること、
などラマダンに関する不足知識を大急ぎで仕入れました。
トルコはイスラム教圏ながら自由にやっているというイメージだったのでまさか自分がラマダンを経験するとは思いませんでした。
あーー恥ずかしいことをしましたねー私。
みんな早よ早よと願う中で一人メシ食ってたんですね。いかん。相当やなやつですね。
ここがトルコだからまだ良いものの、厳格なアラブ国では公共の場で飲食していると警察に連行される国もあるそうです。
気をつけねば。。
幸い6/14までは厳格なアラブ国に行く予定はないので多分大丈夫。。。なはず。
あと昼間のレストランASLANが空いてたのもラマダン期間中だからですね。納得です。
今しがたの店で相当急かされたのも、イフタールまでに一人でも多くの人に食事を提供するためなんですね。すみませんね大声出しちゃって。
ということでその後はしばし付近の繁華街をぶらぶらし、「本気で食事を楽しむ」レストランの風景を見学していました。
みんな本当に楽しそうです。こちらまで嬉しくなってきます。
その足で昼間にもやってきたボスポラス海峡を眺めにきました。
海峡大橋がライトアップされています。
実に良い景色です。
そそてここからトラムで宿方面に向かおう、と思ったらどうやら私、朝ボラれながら入手したイスタンブールカードを紛失したようで見当たりません。
仕方ないので徒歩で向かいます。
途中見かけた野犬たち。
今後野犬たちどんどん増えていくと思いますが、1カットでどれだけ多くの野犬を収めれるかを私の課題としていきたいと思います。
本件、3野犬。全員、沈黙。
アヤソフィアです。
ややライトアップは控えめ。
モスクって(アヤソフィアはミュージアムですが)ライトアップとかするんですかね?教会や聖堂は場所によっては眩いばかりに煌きますが、、
と振り返った先のブルーモスクは
嘘みたいにライトアップされかつライトアップメッセージまでありました。
そしてより驚かされたのは

薄暗い公園でピクニックしているの皆さん。
これもきっとイフタールですよね?
なんだか夜桜宴会みたいで楽しい(私が)!!
噴水もライトアップ。イフタールを盛り上げます。
テント張ってるガチ一家も。
やはり夜明け前まで食べ騒ぐのでしょうか。
昼間はどうしてるんでしょうか。
ヒポドゥロームも周辺も大変な騒ぎ。
マックも大繁盛大行列です。
実はですね、これ結構雨降ってるんですよ。
なので私はもう宿に帰りましたが、みんなずっと大騒ぎ。
窓を閉めて寝ました。
さーーあ明日はどうしよう。
行きたいレストラン幾つかピックしましたが、ラマダン期間中につきやってないお店も多そうです。
ひとまず場面で行ってみまーす。
明日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
テシェッキュル エデリム!(練習)
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