#167 聖母マリアと聖ヨハネが余生を過ごしたエフェソスとその遺跡 inトルコ(4) 2018.5.29
- 2018/05/31
- 18:05
私旅史上ベスト3に入りそうなイスタンブールを離れ、
夜行バスで向かうはセルチュクという街。
古代にエフェソスという都市があった場所です。
本日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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▼徘徊メモ
・行き先:イスタンブール→セルチュク Serçuk
・手段:長距離バス(AYDIN社)
・料金:90リラ≒2,070円
・時間:9時間
22:30発予定が23:00発、イズミル6:30着
イズミル7:00発、セルチュク7:45着
↓移動図
↓セルチュク&エフェス遺跡 地図マップ
(広域)
・左下ポツンとある赤ピン:聖母マリアの家
Virgin Mary (Meryem Ana)
・左のピンク:エフェス遺跡 入り口(シャトルバスが止まるほう)
※入り口詳細図は記事内に。
(詳細)
・中央のオレンジ:セルチュク長距離バスターミナル
・右上のオレンジ:セルチュク駅
・左の赤:アルテミス神殿
Temple of Artemis (Artemisio)
・上の赤:聖ヨハネ教会跡
Basilica of St. John
・中央赤:エフェソス考古学博物館
Ephesus Archaeological Museum
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久々の快晴です。
バスは6:30くらいにイズミルに着きました。
すると何やらバススタッフのトルコ人がこっちこっち、と手招きしてます。
嫌な予感です。
嫌な予感に従って荷物を持ってバスを降ります。
スタスタ歩いて行くスタッフ。
もう予感は確信になってます。
はい来たー。
本日のバス(話がちがーう)。
昨日の日記の通り、私はセルチュクダイレクトかどうか念押しで確認してチケットを購入したのですが、やはりダイレクトではありませんでした。
まあどうせそうだろうと思っていたので別に良いです。
先ほどのバススタッフのトルコ人は、
次に乗るバススタッフのトルコ人に、
20リラを手渡しして事情を説明してる感じ。
次に乗るバスは空席ありましたが、これ空席なかったらどうなってたんでしょうか。
ひとまずバスは7:00に出発したので結果良しです。
7:45頃にセルチュクに着きましたー。
目的地です。
そして早速ですが本日中に次の街デニズリに行くので、バス会社に時間と料金を聞いてまわります。そして徒歩10分の場所に駅もあるので鉄道の料金も確認。
結果こんな感じ
①バス PAMUKKALE社
9:30 金額未確認、
11:45 35リラ
14:30 43リラ
②バス ↑の左隣の青い会社
19:30しかないので金額未確認
③もうちょい左にある青いなんたらtur
9:00、9:30、11:00、12:00、5
④鉄道 17リラ
9:10、10:25、12:50、16:53、17:55、19:40
料金は抜群に鉄道なのですが、荷物を預かってくれるところがないそうで、だったらそこまで高いわけじゃないので、と①にしました。
バス会社は大抵荷物を事務所内に置かせてもらえるので。
ということで駅から①まで戻って来ました。
バス会社のおっさんに、14:30のでー、と伝えると、「フル!」と。
先に言えよ。
ここで逡巡していると、おっさん、私がこれから行く遺跡は2.5時間あれば充分だから11:45ので間に合うよ、と言う。
※いま8:30。
このおっさん、英語も喋れるし、嘘はつかなそうなので、ひとまず信じて11:45のバスチケットを購入しました。
そして想定通り、荷物は置かせてもらえました。
ここ。結構大手っぽい。
さて、本日このセルチュクという街に来たのは、エフェス遺跡を見るためです。
ご存知でしょうか、エフェソス。
私はエフェソスという名で小さい頃触れていた聖書でその存在を知ったのですが、聖母マリアと聖ヨハネが最後の時を過ごしたこのエフェソスの大地を見ておきたかった次第です。
世界七不思議と言われるアルテミス神殿もござい。
3時間しかいれませんけど、多分充分です。
セルチュクのバスターミナルからエフェス遺跡(遺跡名はエフェソスではなくエフェス)までは3kmらしいですが、シャトルが3リラ≒69円で出てたので乗りました。
遺跡まで10分弱でした。
バスはエフェス遺跡後にビーチまで行くらしい。
セルチュクはビーチも近いのです。
の入場ゲートはまだ先のようです。
ゲート周辺はお店が並んでおり、まだ時間が早いこともあって静かですが、きっとここがトルコ人共の手により後ほど騒がしくなるのでしょう。
そのお店通りを抜けると入場ゲートです。
入場料40リラ=920円。
左奥にいるお婆さんはゲートをスルーで通過していきました。
もしやエフェソス人でしょうか。
この遺跡に御在住、、?
と思いきや
ガイドいらんかねー!
と大声出し始めました。※英語
公式ガイドのようです。
もうね、かつてのローマのフォロ・ロマーノやアテネのアクロポリスのように、早速そこら中に大理石の石柱や石片が散らかってます。
そして上記写真にも映り込んでますが、大円形劇場でございます。
最大収容人数は24,000人だそうです。
ここも誰もいません。
一人独占状態です。
ステージの上にも行けそうです。
行けました。逆光ですが。
アテネもポンペイもあまり円形劇場の内部までは入ることができなかったので、ちょっと嬉しい。
遺跡は続きます。
そしてようやく観光客の姿が。
どうやらあれですね、ここエフェス遺跡は私が入った入り口とは逆側にも入り口があり、ツアー客はそっちから来るようです。
そっちの入り口が丘の上にあり、そっちからスタートすると下り道だからだと思います。
そのツアー団体でごった返すのがここ。
エフェス遺跡の中でもかなり良い状態で残されている図書館、ケルスス図書館の入り口です。
12,000冊の蔵書があったようです。
知・美徳・学問・運命を表す四体の女神が門を彩ります。
昔のイメージ。
にしてもぬこだらけ。
きゃつらは大理石の上に居座り、観光客に猫撫で声でけしかけて来ます。
手を伸ばそうものなら
引っ掻かれました。
中国人が差し出したみかんはしっかり食らいつきました。
そういうことでしたか。
ハドリアヌス神殿跡。
エフェスの街はローマ帝王のハドリアヌス帝のお気に入りだったそうです。
そしてハドリアヌスがこの街にやってくるちょっと前にこの地で大地震があり、ハドリアヌス氏はエフェス被災民の救援活動を行なったとか。
これはその感謝の気持ちを形にした神殿なのだそうです。
もはやここがなんだか分かりませんが、モザイク画も。
「当時の入浴料はワイン一杯より安かったらしいです。」と某サイトにありましたが、当時のワインの値段が分からず安かったのかどうかが不明です。
もう遺跡を見にきたのか、遺跡の猫を見にきたのか分かりませんが、そんな感じでした。
今これを書きながら色々調べていると、他にも、仲良く並んで用を足せる公衆トイレや、娼館の場所を示す変わった広告、周防りの女神ニケのレリーフなどなどあったようです。
まぁ、ひとまず満足です。
さてここで衝撃の事実。
歩いていってみようと思っていた聖母マリアの家。
マリアが余生を過ごした場所。
私、場所を勘違いしており、なんとここから12kmも離れているのだそうです。
ひとまずエフェス遺跡をシャトルバスが来た方のゲートから出て、近くにいたタクシー運転手に聞いてみます(聖母マリアの家はVirgin Maryというらしい)。
が、まさかの往復140リラ≒3,220円。
馬鹿か!エフェス 遺跡入場料の3倍以上です。デス!Death!
一瞬で諦める決意ができました。
その場を立ち去ると後ろから
ヘイマイフレンド!120リラ!
など聞こえて来ます。
20リラなら行ってやってもよいのだが。
というのも私、お恥ずかしながらいま現金40リラしか無いのです。
うっかりしてました。
なのでもう聖母マリアの家は諦め、アルテミス神殿へ向かいます。
このアルテミス神殿も、エフェス遺跡内ではなく、むしろバスターミナルの近くにあります。
なのでまずはバスターミナルへ。
往路でバスを降りた場所の近く、
この辺りにバス停があります。
(ピンクがチケットゲート)
一見では分かりづらいですがベンチがあります。
こちら時刻表。
近くにバス会社の人っぽいおっさんがいて、セルチュク行きのバスが来ると教えてくれます。
あ、料金は往路も復路も片道3リラです。
バスターミナルから徒歩でアルテミス神殿跡へ向かいます。
徒歩15分くらい。
こんな道を歩くのですが、これ桑の木かな、
足元一面に潰れた実が広がりベッタベッタです。
はい、アルテミス神殿です。
世界七不思議の。
そうなんです、現存してないんですよね。
この右奥の一本の柱しか。
分かります?
柱の上。
ピーチクパーチクしております。
当時の図。
世界初の総大理石の神殿で高さ19mの円柱が127本も並んでいたそうです。
アテネのパルテノン神殿がすっぽり収まるくらいデカかったそうですよ。
なおアルテミス神殿は「歴史に名を残したい」と思い立った羊飼いが放火して陥落したそうです。そんなで良いんですか狩猟の女神アルテミス様。
紀元前7世紀の世界の大建築は現在野ざらしでございます。
先ほどのアルテミス神殿一枚目の写真の背後に写り込んでいた丘、
そこにヨハネの墓があるらしいので行ってみます。
繰り返しの補足ですが、ここエフェソスは聖母マリアと聖ヨハネの最期の地なのであります。
到着しましたは聖ヨハネ教会跡。
入場料10リラ≒230円。
いざ
そしてこの奥にあるのが、
ここにあのヨハネが。。。
ちょっと感慨深い。
ヨハネについて語ると長くなるので割愛。
興味ある方はおぐぐり下さい。
パッと出てきた「おググりください」。
これ良いですね。我ながら。
この教会跡は高い丘の上にあるので、
エフェソスの大地が見渡せます。
さらに高い丘の上には要塞。城。なんらか。
その後はバスの時間までケバブで暇つぶし、
無事11:45のバスに乗りました。
本日のバス③
※到着時の写真
バスは安定のお菓子サービス&コンセント。
さて、デニズリです。
セルチュクより3時間ほど東にバスを走ったところです。
バタバタと騒がしいですが、ここから次の目的地はバスで30分。
そしてこの次の街はこのバスターミナルから出発するのでここでバスチケットを買います。
次の街はギョレメです。
各社に聞いたところこんな感じ。
①Nevšehirliler社 23:00 65リラ
②KAMILKOC社 20:30、22:00、22:30 80リラ
③社名不明 22:00 75リラ
ということで①にしました。
60リラのとこもあったのですが、写真忘れました。
夕方は18:30のしかなく、そうするとギョレメに朝4:30とかに着きそうなのでやめました。
なんだか行き先の名称が多すぎてわけわからんですが、こんな感じです。
・セルチュク→エフェス 遺跡
・デニズリ→パムッカレ石灰棚
・ギョレメ→カッパドキア
そうです。
もうネタバラシですが、今日明日はパムッカレ石灰棚、
それ以降はカッパドキアしますよ!!
ということで今はデニズリ。
ここからパムッカレの街までバスで向かいます。
ギョレメ行きのバスを買った兄さんに聞くと、地下に降りて右にあるプラットホームのうち76番からバスが出るとのこと。
なんだか勝手がよく分かりませんが、たしかにバスがありました。
スタッフの人にホテル名を聞かれ、最安宿「カレ ホテル」の名を告げる。
本日のバス④ パムッカレまで4リラ。
ここでバスは停車。
そしてそこで待ち構えていた車の兄さんに私だけ呼ばれ、
カレ ホテル!と言われる。
なんだなんだこの展開。
アイハブノーマネー!
伝えると、
イッツフリーだという。
ここから宿まではまだ距離があるので、
一旦車に乗り換え、上記の青ピンのカレ ホテル近くの建物に到着。
お兄さん、カム! とか言って入ってった先、
ツアー会社ー笑
早速パムッカレのツアーや聞いてもないカッパドキアのツアーの説明を始める彼。
ノーセンキュー、バイマイセルフ。
を返答するも凄いですねトルコ人。
全然人の話を聞いてない。
バーイ、
と言って無理やり席を立ちました。
車のトランクに私の荷物がモノ質になっていたのですが、意外とすぐ出してくれました。
実害はないが、疲れるなぁこれ。。
本日の宿。
アイアムジャパニーズクックだそうですw
可愛らしい。
せっかくなのでメニュー拝見。
流れでTAMAGO GAGEGOHANとYASAI ITMEを注文してみました。
スペルが違うよ、と注文を受けたおじいちゃんの方に行ってみましたが、イエスイエスとしか言わないので諦めました。
着丼。
卵かけご飯はイマイチでした。
ご飯がどうしてもね。これはしょうがない。
そして醤油は、なんだか醤油ではないけれども逆に美味しい謎ソースでした。
野菜炒めは正解がない料理ですが、これは美味いです。
ってかなぜ卵かけご飯頼んでるのに野菜炒めに米を盛った!
愛嬌あるおばあちゃんです。
時刻17:00。
いきなり豪雨です。
ここ最近夕立が毎日続いてるんですって。
21:00になり断食後のパーリィタイム≒イフタールも始まった頃、
雨が上がったので夕日を見に行ってみました。
まあそうなりますよね。
ついでに村をぶらぶらしてみましたが、
アジアンレストランの多いこと多いこと。
やめときなさいて。
ここちょっときになる。
そんなこんなで宿戻り。
この後夜景も見に行ってみましたが、やはりパムッカレの景色を見た上でないと感慨深さがないですね。
ということで明日はパムッカレの石灰棚に行きますー。
晴れると良いな。。。
明日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
テシェッキュル エデリム!!
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