#188 中東イン。2日間で睡眠時間5時間。inヨルダン(1) 2018.6.19
- 2018/06/21
- 13:00
中東へのフライトは、
6/18 ジョージア・トビリシを朝5:15発(空港泊)、
6/18 ギリシャ・アテネに朝7:15着、
そのままアテネぶらぶらして
6/18 ギリシャ・アテネを23:55発、
6/19 ヨルダン・アンマンに2:30着。
結果、この二日間で正味5時間しか寝れてません。
念願の中東インは爆裂な眠さでスタートです。
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▼徘徊メモ
①
・行き先:ギリシャ・アテネ
→ヨルダン・アンマン
・手段:飛行機(AEGEAN社)
・料金:21,179円
・時間:約2.5時間 23:55発、02:30着
↓移動図
↓アンマン地図マップ
(英表記はMaps.me上の表記)
・上のオレンジ:北バスターミナル ムジャンマ・シャマーリー
Queen Alai Airport express station
・左のオレンジ:JETTバス社オフィス&バス発着場所
JETT Bus Station Amman
・下のオレンジ:南バスターミナル ムジャンマ・ジャヌーブ
Wihdat Bus Station
・青 友人泊の宿 アラブタワーホテル
・すぐ近くのピンク:有名な石鹸屋 the soap house
・すぐ近くの緑たち:安食堂各種
・左上の紫:キング アブダッラー モスク
King Abdullah I Mosque
②
・行き先:アンマン→ワディムーサ
・手段:路線バス
・料金:7ディナール
・時間:約4.5時間 15:30発、20:00着
↓移動図
↓ワディムーサ地図マップ
・中心の黄色:アンマンからの路線バス発着所
・青 宿バレンタイン イン
・左の赤:ペトラ遺跡入り口
・左の黄色:アンマンからのJETTバス発着所
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ヨルダンはクイーン・アリア国際空港で迎える空港泊の朝。
USBジャックの充電スタンドがあります。
ここで充電をしつつ、
水500ml=1ディナール≒155円の衝撃価格な水を頂きつつ、
椅子固すぎて寝心地ジーザスですが、
ひとまずアンマン市内に向かいます。
本日の目標は、
私よりも数時間先にアンマン空港に着き、おホテルのおシャトルバスでなんたらおホテルにてぐっすりご就寝されている友人と合流し、ペトラ遺跡のある街ワディムーサまで向かう、がゴールです。
空港を出ると目の前にエアポートバスのチケット窓口。
このちょっと左手にエアポートタクシーの窓口がありタクシータクシーうっさいのを無視してこっちの窓口へ。
そして私にとって第一アラブ人となるこの窓口の兄ちゃんの態度が悪いこと悪いこと。
・まず寝てる、
・起こして値段聞いても英語ぽいがむにゃむにゃで何言ってるかわからない、そしてまた寝る、
・10ディナール渡そうとしたら釣りがないと言う、そしてまた寝る
・出発時間も何言ってるか分からん、そして寝る
・なんども起こしてるうちにそのうちキレ出す、
と言う無敵ぶりです。
空港内の売店で事情を説明し両替してもらい、
※銀行もあるのですが夜中営業してたのに朝は閉店するようでもう現金を金庫に入れてしまって無いと言われました。
無事バスチケットGet。
本日のシャトルバス。
チケット窓口の目の前と、もう一つ奥との二つの道路があるのですが、奥の方の道路にバスは来ました。
Airport Bus!という表記が一切なくアラビア語ばっかなので分かりづらいです。
この標識がある方の道路です。
ということで、いざアンマン市街ー!
というところで毎度自己満で恐縮ですが、いや満足は全くしていないのですが、勉強中メモ残させて下さい。
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▪️国名:ヨルダン・ハシミテ王国
・英語表記:Hashemite Kingdom of Jordan
・アラビア語: المملكة الأردنيّة الهاشميّة
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▪️地理:
・北:シリア
・東:イラク
・南:サウジアラビア
・西:イスラエル、パレスチナ暫定自治区
▪️首都:アンマン
▪️人口:713万人 世界99位
※2017年IMF調べ
▪️国民:大半がアラブ人だが、パレスチナならびにシリアからの難民流入により人口増加率が非常に高い。
※wikipedia参照
▪️言語:アラビア語
こんにちは السلام عليكم
アッサラーム アレイクゥン
ありがとう ﺷﻜﺮﺍﹰ جزيلا
シュクラン ジャジラン
▪️宗教:イスラム教(スンニ派)90%
※wikipedia参照
▪️通貨:ヨルダン・ディナール(JOD)
1ディナール≒156円 ※本日時点
▪️物価:水500ml ≒約70円
ジュース1リットル ≒約271円
牛乳1リットル≒約209円
パン1斤≒約224円
パスタ500g≒約155円
卵10個≒不明
※アンマン市内スーパー
Stop&shop調査
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▪️歴史
・ヨルダンの国土は約50万年前の旧石器時代から人類が存在し、紀元前8000年紀には人類最古級の農業の営みがあったとされる。
・紀元前13世紀頃にエドム人が住み、アンマンには旧約聖書にも登場するアンモン人の国があった。
・紀元前1世紀頃には南部にペトラ遺跡を残したナバテア王国が発展するが、2世紀にはローマ帝国へ併合となり、ヨルダン一帯もローマ帝国(東ローマ帝国)の支配下となる。
・7世紀にはアラブ人のイスラム帝国の支配下に入り、アラビア語とイスラム教が浸透。
・11世紀頃には十字軍の遠征でキリスト教色が強まるも、エジプトのマムルーク朝の支配を経て16-19世紀はオスマントルコ帝国の支配下となる。
・第一次世界大戦ではオスマントルコ帝国はドイツ側についてイギリス・フランスと交戦。この際にイギリスはアラブ人に対してオスマン帝国との戦いに協力すればアラブ人の独立に協力すると約束。
・一方でイギリスはフランスとの密約で、シリアとレバノンはフランス領に、ヨルダンとパレスチナ周辺(現在のイスラエル)をイギリス領にするという取り決めを交わす。
・大戦後、上記の密約によりヨルダンは1919年にイギリス委任統治領パレスチナへ組み入れられ、1923年にトランスヨルダン王国として成立する。
・第二次世界大戦後、同国はイギリスから独立して1949年にヨルダ・ハシミテ王国に名称を変更。
・一方で1948年にイスラエルが建国されると第一次中東戦争が開始。ヨルダンやエジプトなどアラブ国連盟はイスラエルに侵攻するも敗北。結果、エルサレムを含む当時のパレスチナの80%がイスラエルに占領され、多くのパレスチナ人がヨルダンへ逃げ込んだ。
▪️経済
・GDP:404億ドル 世界90位
・一人当たりGDP:5,677ドル 世界94位
・経済成長率:2.3% 世界132位
・失業率:情報なし
※2017年IMF調べ
・産油国が多い中東の中では珍しく産油量が無いため、経済力は小さい。
・経済はリン鉱石と天然ガスに支えられている。リン鉱石は世界3位の埋蔵量を持つ。
・農業では果実、畜産業では牛乳、卵など。
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バスは荒涼とした砂漠の近いエリアを抜けていきます。中東感が高まる高まる。
辿り着いたはアンマン北ターミナル「ムジャンマ・シャマーリー」。Maps.me上は「Queen Alai Airport express station」。
アンマン中心地、皆がダウンタウンと呼称するエリアよりだいぶ離れた場所です。
そしてここからダウンタウンへはタクシーしか無さそうという事前情報だったのでバスがないか探そうとしたのですが、一切英語が通じない雰囲気だったのですぐさま諦めました。
シェアタクシー。
タクシー探していたらいかにもなオッさんが4ディナールを提示して来たのですが、別のタクシーに東南アジア系の夫婦が乗り込もうとしてるところに便乗し、3ディナールで中心地行きが決定。
妥当な金額かどうかは不明です。
※この後本日数回タクシーに乗りますが、3ディナール/台が妥当な気がします。
アンマンの街は思った以上に起伏があり、迫力があります。
友人のホテル着。
ダウンタウンど真ん中の、シティホテルです。
10:00集合でしたがちょっと早く着いてしまったのでwifi借りてアンマンの情報収集。
みんな通過してしまう待ちのようであまり情報がありません。。
ひとまずヨルダンのお金が難しい件。
お札
数字読めません。。
ただお札は裏側に
数字の記載があるのですが、問題は小銭。
数字の記載がアラビア語でしかなく。
ええい、もう小銭は適当に先方に取ってもらうようにします。
ということで友人とも無事合流し、
ダウンタウンを歩いてみます。
街の中心地ということもあってか、ごちゃごちゃはしてますが想像以上に小綺麗です。
マネキンのお顔が斬新。
ヨルダン民族衣装でしょうか?
なんだか違うような。でもこのようなお召し物のお店が複数ありました。
友人が行ってみたいと提案くれた石鹸屋さんを探して小高い丘まで上がってきました。
のですが、かなりキツイ階段をなんども上がって来てますが、肝心のお店が見当たらず。
近くの観光案内所兼レストラン兼お土産屋のようなシャレオツスポット(このお店はWild Jordan center)で一旦休憩。
向こうに見えてる遺跡みたいのは通称シタデル、ガイドブックではアンマン城と言われる場所です。
国旗も見えてますが、あれ掲揚棒の高さ126m、国旗は30mx60mもあるんですって。
そしてここの店員のお姉さんに、お目当のお店について尋ねると、快く方向を教えてくれました。
どうやらもう1ブロック丘の上のようです。
ということで階段上がってしばし進む、、、も、それでも見当たりません。
諦めムード漂う中で近くにいたビジネスマン風のアラブ人三人組にお店の名前を出すと、あーそこの角を曲がって云々、とこれまた快く教えてくれる。
ヨルダンの人たちほんとに優しい。
そして、
ほんとにありました。。。!
The soap house というお店です。
様々なオシャンティソープや死海の塩や泥のビューティーアイテムを取り揃えております。とても有名なのだそうです。
Maps.meもGooglemapもお店がある路地が表示されないのですが、上記のような感じで路地があるのでその先です。
さて、その後も街歩きを続けまして。
朝から何も食べていないので、24時間営業の地元民の人気店に来てみました。
Hashem restaurantです。
なんだか不思議な注文スタイルで、店員が次々持ってくる小皿料理を首を縦に振るか横に振る、というスタイルです。
おそらく1皿1ディナールではないかと思われます。
そしてそのシステムをよく分からず、店員が来るたびにニコニコウンウンしてた我々は
宴状態になりました。
こちらまで。
一つ目の写真はナンを薄くしたようなパン「ホブズ」につけて頂くディップソース?スープ?たち。「ホンモス」という料理のようですが、ちょっと合ってるか自信ないです。
二つ目はひよこ豆のコロッケ「ファラフェル」。中東地域定番メニューです。
そしてひとさら1ディナールにしては
うっま!!!
まずこのホブズというパンが美味い。
そしてそのパンが食べ放題な訳ですからもうI❤︎Jordan秒読みです。
炭水化物は悪!という昨日の決意はもう知ったこっちゃありません。
このお店は良いですね、コスパ最強です。
ただ店員さんが持って来た小皿は上記プラス、フライドポテトと紅茶(チャイではなくシャーイという)くらいだったので、メニューは限られているのかもしれません。
お会計の用紙はもう何が何だか。
その後にやって来たのはスーパー。
別の国でもみたことある気がするので外資系スーパーだと思うのですが、ひとまず物価見ておきましょう。
なのですが。
この店ほとんど商品に値札がないです。
値札の見方を誤っているのかもですが、いちいち店員に聞きながら、、、
パン1斤≒約224円
パスタ500g≒約155円
めちゃクソ高いのはスーパー側の問題でしょうか。
もうちょっと庶民派っぽいスーパーも見かけたらチャレンジしてみようと思います。
というところで二人ともガソリンが底を尽きたので、
タークシーです。
これが意外に悪くなく、タクシーはメーター制で、15分くらい走って1ディナール≒155円でした。アンマンはタクシーが安そうです。
やって来たのはキング・アブダッラー・モスク。アンマンで一番大きなモスクです。
この門に近づくと、警備員が、
「モスク!(右に行って!というジェスチャー)」
と聞いてもないのに教えてくれました。
右。
モスクに入るにはこのお土産屋を通ります。
ちょっと露骨にしたたかすぎませんか。アッラーさんに怒られますよ。
ただこのお土産屋さんの品揃えが幅広く面白く、そして店員さんたちも積極的な接客がありつつもみんな優しい。ほっこりします。
※女性は黒い羽織ものが必須らしく、下のお土産屋で貸し出されます。私はハーフパンツでも大丈夫でした。
モスク内観。
結構に大きいです。
お祈りの時間つい先ほど終わったばかりということで、のんびり寝てる人、世間話に夢中な人、スマホ熱中な人、などなど沢山の人がいます。
そしてみんなして絨毯に座ってor寝っ転がってる姿はなかなか可愛げあり、そして時間の流れがゆっくりです。
時間があったらもう今すぐここで昼寝したい。
という時間も残念ながら今はなくワディムーサという街に行くべく出発です。
もちろん宿までタクシー。
運賃分割できるのは二人旅の強みですね。
宿にて預けていた荷物を拾い、いざアンマン南バスターミナル「ムジャンマ・ジャヌーブ」へ。
タクシーを拾うつもりでしたが、宿のお兄さんがUBERでタクシー呼んでくれました。
呼んでくれている。
16匹を産んだばかりのビッグママですが、現在も妊娠していました。女王です。
タクシー待ちの間振る舞われるジュース。
何がすごいって、友人はさておき私、泊まってませんからねこの宿に。
荷物預かってくれてるだけで凄いのに。
そんなお兄さんに感謝&お別れし、タクシーで向かうは南バスターミナル。
ダウンタウン中心からUBERで3ディナール≒165円でした。
さあ、バスはあるでしょうか。
先達ブロガーさん達はこの路線バスではないJETTバスというバスを使うか、路線バスでも朝一に向かってる人が多く、ただいま時刻15:00でバスがあるかどうかが不確かなのです。
期待していたタクシー下車直後のワディムーサコールはありません。
近くにいた客引きに声を掛けられ、ワディムーサ?と問うと「ノー」と言って立ち去られます。
ありゃ。こりゃ嫌な予感だぞ、
と思っていると立ち去ったお兄さんは立ち去ったのではなく、ワディムーサ行きのバスの場所を示そうとしてくれてました。なんなんだこのアンマン市民の優しさたちはひれ伏せヨーロッパ人!
とでも言いたくなるほどです。
この辺にバスが止まってました。
バスはすでに8割方埋まっており、15:30くらいには出発でした。これまたラッキーです。※人が集まり次第の順次出発。
バスの車窓から。
途中の休憩
景色は思った以上に砂漠です。
途中検問が数回。
日本人(に見えてるか不明ですが)の我々はパスポートチェックすらされず。
そして出発から4時間以上が経過したあたりで唐突に、丘に白い家々がへばりついた街に入ってきました。
ここがペトラ遺跡を擁する街、ワディムーサです。
そしてバスを降りるとすぐに我々の泊まる予定の宿、バレンタイン インのバンから声がかかりました。
助かるー。
バレンタイン インはこのバス停で客引きをしており、宿まで送ってくれると事前に聞いてましたが、その通りでした。
ということで宿着。
写真は翌朝撮ったものですが。
久々のベッドです。
この日の夕食は宿が提供するものにして、ちょっと荷物整理などを開始。
そして友人から受け取ったは
救援物資!!
我が御父様から友人に託して頂きました品々です。
NYのロストバゲッジで失われたグネグネ三脚、液体ムヒ、そして無印良品のシャキシャキボディタオルです。
MUJIのこのボディタオルが最強なんです。
ここ1ヶ月はイタリアの百均みたいなとこで買ったスポンジで身体を洗ってましたが、なかなか汚れが落ちてなかったみたいでどっかの宿で提供された白いタオルで身体拭いてたらちょっとショッキングなことになったんですよね。
なのでこれで思いっきり清潔な旅人になろうと思います。
20:00、お宿提供のディナーとやらへ。
!
!!
衝撃の豪華ディナーに衝撃。
お値段7ディナール≒1050円なのでそもそもお高いのですが、久々のこうした「テーブルを埋め尽くす」感じがちょっと堪らんです。
アラブのパン「ホブズ」と「ホンモス」、そしていろどりみどりの野菜たちと煮物といためもの。ナスとズッキーニを多用してます。どっちも好きなのでもはや天国です。
味はまずまず。死ぬほど美味い!とかではないですが、全然充分です。
こんな夕焼けがディナーに華を添えます。
後の夜景。
楽器を奏で、唄を歌い、のんびり過ごす。
そんな感じでバレンタイン インの夜は更けていきました。
明日はペトラ遺跡です。
シュクラーン!!
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