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#190 イスラエル入国! inイスラエル(1) 2018.6.21


ヨルダンをペトラ遺跡だけで終え、とうとう本日はイスラエル入国にトライです。


かつて世界一厳しい入国審査と揶揄されたそうですが、ここ最近はそうでもない様子。


何か面白いことあると良無事に通過できると良いですが。




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▼徘徊メモ



・行き先:ワディムーサ→アンマン南バスターミナル(ムジャンマ・ジャヌーブ)
・手段:バス
・料金:10ディナール≒1,550円
・時間:3.5時間   6:00発、9:30


↓地図マップ
(英表記はMaps.me上の表記)

2018062203290953b.jpeg 


・行き先:ヨルダン・アンマン
             →イスラエル・エルサレム
1)アンマン南バスターミナル(ムジャンマ・ジャヌーブ)から国境まで
・手段:タクシー
・料金:35ディナール≒5,425円
・時間:1時間ちょい 9:30頃発、10:45頃着
※ぼったくられてると思います。

↓移動図

20180622032909b42.jpeg 




2)ヨルダン国境ゲートからイスラエル国境ゲート
・手段:国境バス
・料金:乗車賃7ディナール≒1,085円
              荷物代一個1.5ディナール≒232円
・時間:1.5時間くらい  12:00発、13:30
※イスラエル入国関連手続き自体は1時間ほど




3)イスラエル国境ゲートからエルサレムまで
・手段:バス
・料金:47シェケル≒1,410円
       ※15€、15$でもok
・時間:1時間くらい 14:30発、15:20


↓移動図

201806220329156c8.jpeg 


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ワディムーサからアンマンまでのバスは、宿バレンタイン インに手配してもらいました。


往路は自力でバスに乗り7ディナールでしたが、バレンタイン イン価格は10ディナールです。ちょっとお高いですが、楽なので宿手配にしました。



朝6:00。本日のバス。

2018062203211399f.jpeg 


この辺りの宿で乗客をピックアップしてそのままアンマンに向かうようです。
てっきりワディムーサのバスターミナルまで送迎してもらいそっからは往路と同じバスだと思ってました。




バスは途中で売店に立ち寄り。

20180622032133c38.jpeg 

ここで朝ごはんにパンを買いたかったのですが、どこの店に行ってもアラブのパン、ホブズって売ってないんですね。専門店があるのかな。

致し方なく朝ごはんはお菓子です。



アンマン南バスターミナル(ムジャンマ・ジャヌーブ)に到着。


道中でバスの運ちゃんにこの後どこに行くのか聞かれ、イスラエル国境のキングスフセイン橋と返答していたのですが、このターミナル到着時にバスの運転手が個別にタクシーを手配してくれており、もうバスの前にタクシーが止まっていて荷物も移し替えられているという逃げ道のなさ。



料金35ディナールとこれ絶対に高いですが、流れに流され乗車。

2018062203214527a.jpeg 




運転手に、何か食べたい、と伝えるとサンドイッチ屋さんに連れてってくれました。

2018062203212792b.jpeg 



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ひよこ豆コロッケのファラフェルが入ったサンドです。これで約100円。
昨今のヨルダン物価からはだいぶ安いです。


助かるー。



運転手さんが片言の英語で教えてくれたことによると、彼はエルサレム出身のようで、グッドシティー!とずっと言ってました。


こんにちはは「シャローム」、ありがとうは「シュクラン」だそうです。
シュクランはアラビア語であってヘブライ語のありがとうはトダラバだと思っているのですが、ユダヤ人(ヘブライ語)とアラブ人(アラビア語)で使い分けが必要なのですかねえ。


途中車を止めて写真タイムをくれました。
白い砂と岩の世界です。

20180622032149331.jpeg 



20180622032159166.jpeg 



20180622032154b1a.jpeg 


そんなこんなで国境手前のヨルダン側チェックポイント到着。
タクシー運ちゃんはとても人が良かったのですが、この広そうな敷地のどこに行ったらいいかを教えてくれないまま行っちゃいました。


なんとなく敷地内をふらふら。

20180622032155170.jpeg 



みんな良い人で指差してくれるので方角はわかるのですが、どの入り口に入れば良いかわかりません。

とりあえず

20180622032153e71.jpeg 

ここに入って入り口で手荷物検査を受けて奥に進んだのですが、ここ入国チェックでした。

いや、ARRIVALってめっちゃ書いてあるの分かってたんですが、入り口のおっさんにイスラエル!言うたらおいでおいでされたもので。



その隣にバスが止まってる建物がありました。きっとこれですね。

20180622032206d50.jpeg 



正解のようです。
上記は入ってすぐの
内部。

この奥に進むと背後にカウンターがずらっと並んでおり(カウンターが入り口に対して背を向けている)、入り口方面に対して一番左がTOURISMのようです。

こちら

201806220322097c3.jpeg 



右側の窓口でパスポートを預け、
左の窓口で出国税10ディナール≒1,550円を支払います。
そしてしばし座って待つように、と。


ここから国境まではまだ距離があり、バスで向かうようです。そのバスを待ってるようです。

1時間くらい待ち、ようやくバスが来ました。おっさんが英語でバスが来たことと、パスポートはバス内で返却されるとアナウンスしてました。

バス

201806220322038af.jpeg


 20180622032202bc5.jpeg 


パスポートも返って来ました。
事前情報通り、パスポートにではなく別紙にスタンプが押されています。

20180622032727444.jpeg 


バスは2回くらいゲートのようなところで止まり結構な時間を要しましたが、ようやくキングフセイン橋を通過です。

20180622032720308.jpeg 



20180622032722374.jpeg 



20180622032722799.jpeg

 



イスラエル一旦入国です。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。


そして橋を越えるとすぐにイスラエル入国ゲートの建物が。

20180622032734e06.jpeg 



バスはここで止まりました。

そして自分の荷物をチェックインカウンターへ持っていき、空港のようにバゲッジクレームを発行してもらってコンベアの上に乗せます。

パスポートにも勝手にこんなん貼られます。

やめてくれー(剥がせます。ペタつき残りますが)。


20180622032734a9b.jpeg 




そしてセキュリティチェックへ。
流れは空港と同じです。


20180622032742195.jpeg 



そして入国審査。

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厳しい厳しいと聞いてましたが、



20180622032747a23.jpeg

 


、、、あっという間に完了しました。


・滞在目的
・滞在期間
くらいです、聞かれたのは。


あとは友人氏と滞在日数が異なる理由を聞かれたのみ。
別室送りで個別質問の応酬を期待想定していたので拍子抜けです。

ただ我々の前のヒッピーっぽいよく喋るイギリス人は父親の名前などいろいろ聞かれてました。いかにも胡散臭い奴でしたが。


ということで無事イスラエル入りましたー!!

201806220327353ea.jpeg 



つきましては毎度恐縮ながらの現時点メモです。

すみませんね、中東のキー国ということもあって歴史はちょっと細かめに書いてます。


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▪️国名:イスラエル国
・英語表記:State of Israel
・ヘブライ語:מְדִינַת יִשְׂרָאֵל

201806220329114c4.png 

イスラエルとはアブラハムの孫にあたるヤコブの別名イスラエルに由来する。ヤコブは古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にはユダヤ人の祖先と考えられている。


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▪️地理:
北:レバノン、シリア
東:ヨルダン
南:エジプト
西:ー

20180622032925f92.jpeg 

▪️首都:エルサレム
        イスラエルは自国の首都をエルサレムと主張しているが、国連はテルアビブを首都とみなしている。


▪️人口:871万人   世界92位

              ※2017年IMF調べ


▪️国民:ユダヤ人75%、アラブ人20%

               ※wikipedia参照


▪️言語:ヘブライ語、アラブ語

(以下ヘブライ語)
        こんにちは  שלום  シャローム
        ありがとう  תודה רבה  トダ ラバ


▪️宗教:ユダヤ教徒76%
               イスラム教徒16%
               キリスト教徒2%
               ※wikipedia参照


▪️通貨:シェケル(ILS)

             1シェケル≒30円 ※本日現在


▪️物価:水500ml ≒90-150円

               ジュース1リットル≒200-300円
               牛乳1リットル≒170円
               パン1斤≒240-600円
               パスタ500g≒300円
               ※ダマスクス門周辺アラブ人街スーパー&新市街ユダヤ人街スーパー調査。値段が高い方がユダヤ人地区価格


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▪️歴史
・古代にはこの地はカナン人を始め様々な民族が住んでおり、そこにユダヤ人の祖先であるヘブライ人も移住して来たが、彼らはエジプトに移住しエジプト人の奴隷となっていった。
・その後エジプトを脱したヘブライ人はこの地を征服し紀元前11世紀にイスラエル王国を成立させた。
・紀元前10世紀に同国は北=イスラエル王国、南=ユダ王国、に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前722年にアッシリア(現在の北イラク)に滅ぼされ、南のユダ王国は新バビロニア(現在の南イラク)に滅ぼされた。さらに新バビロニアはペルシア帝国に滅ぼされ、ペルシア帝国はアレクサンダー大王率いるマケドニア王国に滅ぼされる。
・アレクサンダー没後はマケドニアは分裂。この地(パレスチナと呼称)はシリア王国の支配下に入るが、マカバイ戦争を経てユダヤ人の王朝であるハスモン朝が成立し、独立する。
・紀元前1世紀にハスモン朝はローマ帝国の属州となる。その後なんどか独立をすべく反乱を起こすも幾たびも鎮圧されてしまう。この頃から離散ユダヤ人(ディアスポラと言う)が発生した。
・636年に東ローマ帝国がオスマン帝国により滅亡。その後はイスラム帝国の支配下となる。
・1099年第一回十字軍がエルサレムを奪還しキリスト教国であるエルサレム王国が成立するも、1187年ヒッティーンの戦いでイスラム帝国アイユーブ朝がこの地を再占領。エルサレム王国の支配地域は地中海沿いのみとなったが1291年イスラム帝国マムルーク朝により完全に滅亡する。そしてその後1517年にはオスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼしこの地を制圧した。
・1862年、ドイツの社会主義者モーゼス・ヘスが反ユダヤ主義への解決策としてユダヤ人の民族主義を復興してユダヤ人の国家を築くべきだと訴えた(シオニズム運動と呼ばれる)。
1882年に第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意)が始まる。東ヨーロッパから2万5千人〜3万5千人のユダヤ人がオスマン帝国支配下のこの地に移住した。
1914年第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国はドイツオーストリア=ハンガリー帝国三国同盟側で参戦。イギリスは戦争を有利に進めるため、「三枚舌外交」と呼ばれる以下の密約を結んだ。
ユダヤ人との「バルフォア宣言」=オスマン帝国との戦争に協力したらパレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、支援をするというもの。
アラブ人との「フサイン=マクマホン協定」=オスマン帝国との戦争に協力したらアラブ人居住地の独立を支持するというもの。
フランス・ロシアとの「サイクス・ピコ協定」=オスマン帝国との戦争勝利後、同帝国の領土について、フランスはシリアとトルコ南部、シリア南部とイラクをイギリス、黒海南東、ボスポラス海峡などをロシアが獲得することを取り決めたもの。
上記の①と②は定義を厳密にみていくと大きな矛盾はない内容だそうだが現在のパレスチナ問題の遠因となっている。
・1918年オスマン帝国降伏後、この地はイギリスによる委任統治領である「イギリス委任統治領パレスチナ」となる。その施政を担当する高官にユダヤ人が就き、さらに委任統治決議文書にバルフォア宣言の再確認文言があったことなどからアラブ人はこれに反発。
・1929年嘆きの壁事件発生。アラブ人によりユダヤ人が襲撃され133名のユダヤ人が死傷した。これ以降、その報復やさらなる報復が両民族の間で繰り返されていく。
・1939年イギリスはこの事態を収拾すべく、ユダヤ人への抑圧策として、パレスチナの移民受入と土地購入に関する制限を設けるマクドナルド白書を決議する。これに対してイギリスを不信するアラブ人はこれを拒否、ユダヤ人は当然に拒否、しかしイギリスはこの方針を変えなかった。この間、ユダヤ人は自らの防衛力強化として武力強化を図る。
・第二次世界大戦でホロコーストが始まるとヨーロッパのユダヤ人にとってパレスチナへの避難は急を要したが、イギリスは移民受入制限の方針を変えなかったのでユダヤ人過激派の反英闘争が激化する。
・1948年にイギリスはパレスチナ委任統治を諦め国連に今後を委ねる。国連調査委員会はユダヤ人国家とアラブ人国家を分割する案を提示した。なおイギリス委任統治終了後はユダヤ人とアラブ人の闘争が激化し、双方ともに数百名の死者を出す襲撃事件が続発する。
・1948年5月14日、ユダヤ人はイスラエル独立宣言を行う。これに対しアラブ諸国がアラブ人(パレスチナ人)を支援するため軍隊を動員し第一次中東戦争が始まる。国連の停戦呼びかけに応じて4週間で停戦となる。この時期にイスラエルは軍力強化を行い3万人だった軍力は11万人にもなった。
・1949年、イスラエルは国連に加盟。
・1956年エジプトがスエズ運河国有化を宣言したのに対して英仏とイスラエルが侵攻、第二次中東戦争が始まるも、この侵攻に対してアメリカの反発もあり1週間強で停戦となる。
1967年5月にエジプトがティラン海峡を封鎖したのに対しイスラエルは6月5日奇襲攻撃を仕掛け第三次中東戦争となるが、軍力強化したイスラエルの圧倒的勝利となる。イスラエルはエジプトからシナイ半島ガザ地区を、そして同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンからエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸を奪い取り、その領土は戦前の3.5倍にもなった。
・この頃アラブ諸国主導でパレスチナ解放機構(PLO)が組織され、過激派グループとなっていった。
・1973年エジプトとシリアがイスラエルに奇襲を仕掛け第四次中東戦争が始まるが2週間後には国連安保理決議により停戦。
1987年12月、イスラエル軍の車両が、アラブ人の労働者を乗せた2台の車と衝突し4人が死亡したことをきっかけに、民衆蜂起(インティファーダ)が起こった。民衆はバリケードを築き、投石を行い、火炎瓶を投げた。イスラエル当局はこれを鎮圧し、死傷者も出たが、インティファーダは全占領地に広がった。インティファーダには大人だけでなく子供も参加した。武装した兵士に立ち向かう少年の映像が報道され、国際的な非難がイスラエルに集まった。国連安保理は1987年12月22日イスラエルを非難する決議を採択。
・1988年7月、ヨルダンはヨルダン川西岸地区の主権を放棄し、それに伴い1988年11月、PLO(パレスチナ解放機構)はエルサエムを首都とするパレスチナ国の樹立を宣言した。
・ノルウェーの仲介により、パレスチナとの交渉が進められ、1993年9月13日に「PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエルもまたPLOをパレスチナ人の代表として認め、パレスチナ人の暫定的な自治を認める」というオスロ合意成されたが、イスラエル・パレスチナの双方過激派はこれを認めず、襲撃やテロが繰り返されるようになる。
2002年に、テロリストの侵入を阻むために分離壁の建設を開始。
2008年12月27日、パレスチナ過激派組織ハマース掃討のためパレスチナ自治区ガザ地区に大規模な空爆を実行、翌年1月には地上からの侵攻も開始。
2016年12月23日、国連安保理でイスラエルのパレスチナ占領地への入植活動を「法的な正当性がなく国際法に違反する」とし「東エルサレムを含む占領地でのすべての入植活動を迅速かつ完全に中止するよう求める」決議が採択される。

▪️国際関係
・イスラエルは建国直後の1949年に国際連合へ加盟。2011年時点で、イスラエルは157の国連加盟国外交関係を有しているが、残りの国連加盟35か国のうち、サウジアラビアシリア等のイスラム圏を中心とする26か国パレスチナ問題を理由として建国以来一度もイスラエルを国家承認していない。また、イランキューバ等は一時期イスラエルと外交関係を有していたが2011年までに関係が断絶している。イスラエルと国交のない35か国はいずれもパレスチナ国を国家承認している。
欧米諸国とは欧州連合の研究機関への参加など、良好な関係を保っている。フランスは第三次中東戦争までは最大の兵器供給国であり、核開発の協力もなされていた。
・ドイツとはホロコーストの記憶もあり外交関係は冷え切っていたが、ドイツの補償金と軍事支援を受け入れ、当時の西ドイツと1965年に国交を樹立している。ただし、補償金の受け取りについては反対派がデモを起こし、国会を襲撃するなど受け取りの是非について激しい論争を呼んだ。


▪️経済
・GDP:3,506億ドル  世界32位
・一人当たりGDP:40,258ドル  世界22位
・経済成長率:3.321%  世界89位
・失業率:4.24%   世界80位
※2017年IMF調べ


・建国当時は産業基盤もない上に周辺アラブ諸国との戦争状態にあるという悪条件であったが、ドイツの補償金やアメリカのユダヤ人社会から送られる寄付金など海外からの多額の資金援助を受けて経済を発展させていった。
・農業、灌漑、そして様々なハイテク及び電子ベンチャー産業において最先端の技術力を持つ。
中東のシリコンバレーとも呼ばれインテルマイクロソフトなどの世界的に有名な企業の研究所が軒を連ねる。
大企業は少ないがベンチャー企業は多いことでも知られ、失敗を恐れない起業家精神に富んだイスラエルの国民性が影響していると考えられている。
農業技術は先進的で、国土のほとんどが砂漠または半砂漠で降雨量も少ないといった農業には厳しい環境ながら食糧のほとんどを自給でき、農産物の輸出も行う農業大国である。
・海水淡水化にも優れた技術を持つ。2005年以降、地中海沿いに相次ぎ淡水化プラントを設置し、2017年時点ではイスラエルで消費される飲料水の8割が海水から作られている。
ダイヤモンド産業はイスラエル経済を語る上で重要な位置を占める。イスラエルはダイヤモンドの流通拠点として世界的に有名であり、研磨ダイヤモンドの輸出額はイスラエルの総輸出額のうち約四分の一を占めている。
・経済格差は深刻で、イスラエルの全人口のうち、およそ177万人が貧困状態にあり、うち85万人は子供であるという。貧困状態にある世帯の約75%は日々の食料にも事欠いているとされ、極めて深刻な実態となっている。

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長くなりましてすみません。


話を戻しまして。
イスラエル入国審査の建物を出る時に出口の脇にこの両替所があります。

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ここでイスラエルの通貨シェケルをGet。
事前に外のバスチケット窓口でバス2名で47シェケルと聞いたので、余ったヨルダンディナールだけ両替。

20180622032737e94.jpeg 


バスチケット窓口は外に出て正面にあります。

20180622032747f82.jpeg 


TAXIと書いてますが、乗り合いバンです。

そしてやられました。47シェケルって一人分の料金で、42シェケルが乗車賃、5シェケルが荷物代でした。

先ほどの写真の通り手元に40シェケルしかないです。


なんかもう両替も面倒なので、ユーロ使えるか聞いたら15ユーロとのこと。

面倒なのでもうそれで良いやと思い20ユーロ札を払い、上記の通り無事バスチケットゲットですぅうううっわ!!!
お釣りもらってないことに今気づきました。。



そして友人氏も私の偽情報によりシェケルが足りず、ドルで支払ったのですが15ドルで良かったそうです。


15ドルと15ユーロて!
しかも5ユーロ損したし!




出だしからなかなかです。



失意の乗り合いバン。
(この時はその事実に気づいてませんが)


201806220327489ed.jpeg 



いざエルサレムへ。
窓の向こうにうっすらVON VOYAGEと書かれてます。

201806220327490b0.jpeg




しばらくは荒野を走りましたが、

20180622032751968.jpeg 



20180622032815c62.jpeg 



1時間ほどでエルサレムの街に来てました。

20180622032820262.jpeg 20180622032820262.jpeg 

寝てたので寝耳に水ですが。



ということで、

ここが

2018062203282037f.jpeg 


エルサレムでございます。



本旅で最も来てみたかった場所の一つです。
理由は後日記します。

バスは旧市街の入り口ダマスクス門の近くに停車。そこから予約していた「Palm Hostel」へ。


201806220328235dd.jpeg 



ダマスクス門のど真ん前です。

一階は八百屋。

20180622032824a80.jpeg


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 20180622032827ec6.jpeg

 

農業自給率の高い国、と先ほどありましたが、八百屋に並ぶ野菜の種類が豊富で驚きました。




そしてそのあとはエルサレムに翻弄されました。


まずATMが近所にない。

あってもカードが使えない。
別のATMは徒歩20分くらい、とこの炎天下は無理です。


そしてビックリしました。

こんな物価高いんですか?


ジュース1.5リットル10シェケル≒300円、

ケバブ屋の一品料理30-50シェケル≒900-1500円、
泣きそうになってスーパーでパン買ったら一個2.5シェケル≒45円でようやくパンに落ち着きました。

マズイです。
エルサレム、物価高すぎてなんかもう息苦しいです。

この街でしばらく滞在を予定していますが、久々の自炊ライフとなるかもしれません。。

安食堂情報もあまりないし。。。
どなたかエルサレム経験者の方、コスパの良い食堂ないでしょうか。。涙


明日は金曜です。
イスラム教そしてユダヤ教の皆さんにとってお休みにあたるので街が機能しなくなる見込みです。


ので明日は地味に街歩きしながら、金曜にしかみられない旧市街の景色を探しに行こうと思っております。


明日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
トダ ラバ(ヘブライ語:ありがとう)でした!
  
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MAEDAKプロフィール

Maedak

Author:Maedak
ろくに英語もできないまま地球を東方面へ徘徊しはじめた158cmです。
なにを目指したブログかいまいち模索中ですが、関係各位への生存報告を兼ねて日々更新していきます。記事中の情報はあくまで英語力不十分な私が個人的に体験した限りのことを記載しているまでですので、あくまでご参考程度によろしくお願いいたします。

★2019年5月に無事帰国しました!
 これまで応援いただいた皆々様本当にありがとうございました。
 お陰様でこのブログは2018年11月頃よりブログ村世界一周カテゴリで
 しばらくの間、1位をいただくことができました。
 このブログは記念に残しておきますのでどうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
 また皆さまが旅に出れる日が来ることを心から願っております。


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