#201 武装兵だらけのカイロ。inエジプト(6) 2018.7.2
- 2018/07/04
- 19:00
ダハブからカイロに向けて、外務省危険度レベル3のシナイ半島を夜行バスは爆走。
夜通し爆発あり銃撃ありの不謹慎すぎる映画をガンガンぶちかまされながら、無事カイロに着いたところから、本日の始まりです。
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▼徘徊メモ
・行き先:ダハブ →カイロ
・手段:長距離バス
・料金:225ポンド≒1,350円
・時間:9時間 21:30発、6:30着
↓移動図
↓カイロ地図マップ
(英表記はMaps.me上の表記)
・左のオレンジ:Gobusステーション
ダハブからここに到着
・中央オレンジ:Turgoman Bus Station
アスワン行きなど長距離バスはココ
・右のオレンジ:ラムセス駅
列車派はコチラ。Ramses Station
・青:宿 New marina hostel 一泊700円弱
赤を左から順に
・カイロタワー Cairo Tower
・カイロ考古学博物館 Egyptian Museum
・タハリール広場
・アブディーン宮殿 Abdin Palace
・(右下)城壁 Salah El Din Citadel
・(右)ハーン・ハリーリ市場 Khan Kahhal
紫=宗教施設。左から順に
・コプト教会 Coptic Church
・スルタン・ハッサン・モスク Sultan Hassan Mosque
・ムハンマド・アリーモスク Mohamed Ali Mosque
緑=レストラン。左から順に
・Taboula
・(上)Felfela コスパ良いちょい洒落レストラン
・(下)El Tahrir 24時間営業のピザ屋
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カイロの中心、タハリール広場。
兎にも角にもやっかましい街です。
どうしたらそんなにクラクション鳴らせるのですか。
クラクションボタンをハックしてシナプス繋いでるとしか思えません。
そしてみんなよくそんなところを斜め横断するよね。
南米は現地人の斜め横断に合わせて便乗すれば斜め横断できましたがカイロは無理です。
現地人の動きがパントマイムかのような巧みな動きすぎて着いていけず既に3回轢かれかけてます。
これが世界三大ウザい国、エジプトです。
さて、
もうだいぶ今さらですが、エジプトの事前メモです。ダハブはTHEリゾートにつきエジプトであってエジプトではないのでね。
嘘です。ただ単に失念してました。
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▪️国名:エジプト・アラブ共和国
・英語表記:Arab Republic of Egypt
・アラビア語:
جمهورية مصر العربية
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▪️地理:
・北:ー
・東:北東にイスラエル
・南:スーダン
・西:リビア
▪️首都:カイロ
▪️人口:9,480万人 世界13位
※2017年IMF調べ
▪️国民:アラブ人が大半を占める
※wikipedia参照
▪️言語:アラビア語
こんにちは السلام عليكم
アッサラーム アレイクゥン
ありがとう ﺷﻜﺮﺍﹰ جزيلا
シュクラン ジャジラン
▪️宗教:イスラム教約90%
キリスト教コプト教会約10%
※wikipedia参照
▪️通貨:エジプトポンド(EGP)
1EGP≒6.2円 ※本日時点
▪️物価:水500ml=3LE〜≒18円
ジュース1リットル=15LE〜≒90円
牛乳1リットル=?
パン1斤=?
パスタ500g=?
卵10個=?
※カイロ街中の売店調査
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▪️歴史
・古代より、エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられ古代エジプト文明を発展させてきた。エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させた。
・紀元前525年にペルシア王国アケメネス朝に支配される。
・紀元前332年にマケドニア王国アレクサンドロス大王に征服される。その後ギリシア系のプトレマイオス朝が成立し、ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えた。
・紀元前30年にプトレマイオス朝が滅ぼされ、ローマ帝国の属州となりアエギュプトゥスと呼ばれた。ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、コプト教会が生まれた。ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属し、豊かな穀物生産でその繁栄を支えた。
・639年にイスラム帝国によって征服され、ウマイヤ朝およびアッバース朝の一部となった。
・969年に現在のチュニジアで興ったファーティマ朝によって征服された。これ以来、アイユーブ朝、マムルーク朝とエジプトを本拠地としてシリア地方まで版図に組み入れたイスラム王朝が500年以上に渡って続く。とくに250年間続いたマムルーク朝のもとで中央アジアやカフカスなどアラブ世界の外からやってきたマムルーク(奴隷軍人)による支配体制が確立した。
・1517年にオスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼしてエジプトを属州とした。オスマン帝国支配下でもマムルーク支配は温存された。
・1798年、フランスのナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征をきっかけにエジプトは近代国家形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、混乱を収拾して権力を掌握したのは軍人、ムハンマド・アリー。彼はマムルークを打倒して総督による中央集権化を打ち立て、経済・軍事の近代化を進めて、エジプトをオスマン帝国から半ば独立させることに成功、ムハンマド・アリー朝を打ち立てた。しかし、当時の世界に勢力を広げたヨーロッパ列強はエジプトの独立を認めず、また、ムハンマド・アリー朝の急速な近代化政策による社会矛盾は結局、エジプトを列強に経済的に従属させることになった。
・1882年にエジプトはイギリスの保護国となる。
・1914年には、第一次世界大戦によってイギリスがエジプトの支配国であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国から切り離された後、反英独立運動たる1919年エジプト革命が勃発し、1922年2月28日にエジプト王国が成立し、翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。
・エジプト王国は立憲君主制を布いて議会を設置し、緩やかな近代化を目指すが、第二次世界大戦前後からパレスチナ問題の深刻化や、1948年から1949年の第一次中東戦争でのイスラエルへの敗北、経済状況の悪化、ムスリム同胞団など政治のイスラム化(イスラム主義)を唱える社会勢力の台頭などにより国内情勢は不安定となる。
・1952年、軍内部組織がクーデターを起こし(エジプト革命)ムハンマド・アリー朝を打倒。エジプト共和国が成立する。
・その後の中東戦争での敗北後は幾度の政権交替を通してイスラエルとの融和や経済改革を推進。1971年に国号をエジプト・アラブ共和国へ変更。
・90年代に大統領となったムバラク政権は独裁政権的になりつつも経済改革を推進。
・2011年、チュニジアで民主化革命が起きるとエジプトにも波及し独裁型だったムバラクは辞任に追い込まれる。その後は政情不安定期がありながらも現在はアッ=シーシー政権が経済改革を推し進めている。
▪️国際関係
・アラブ世界のリーダー的存在である。
・第二次世界大戦後は親ソか親米へ転化し、イスラエルとも国交を回復した結果アラブ各国との関係が悪化。今では概ね回復したが、シリアやリビアといった国とは現在も国交がない。
・日本はエジプトをこの地域における「外交上不可欠な国」と定義している
▪️経済
・GDP:2,370億ドル 世界45位
・一人当たりGDP:2,500ドル 世界134位
・経済成長率:4.23% 世界57位
・失業率:12.25% 世界14位
※2017年IMF調べ
・アフリカでは屈指の経済規模でありBRICsの次に経済発展が期待できると言われているNEXT11の一国にも数えられている。
・スエズ運河収入と観光産業収入に依存するところが大きく、政情に左右されやすい。
・1990年代から、IMFの支援を受け経済成長率5%を達成するが、社会福祉政策の低所得者向け補助の増大及び失業率10%前後と支出の増大に加え、資源に乏しく食料も輸入に頼るため、2004年には物価上昇率10%に達するなどの構造的問題を抱えている。
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さてそんなカイロですが、ここ最近はどうか知りませんが、ググるとカイロ爆弾マップなんてものが出て来ます。
ほんの数年前まで数日に一回ペースで爆弾テロが起きていた時期があり、私の行動エリアにも元気に爆弾マークが付いてます。
街中は防護服&防護盾を構えた兵士がそこら中にいます。
カメラ構えて歩いてると兵士にNoPhoto!とか言われて怖いです。
そんな彼らは常に携帯ゲームやってるのですが。
エジプト、なかなか物騒なとこです。
ひとまず宿に荷物を置き、ちょっとカイロを恐る恐る歩いてみます。
有名らしいピザ屋「El Tahrir」に来てみました。
Maps.meの地図の場所にはなくちょっとズレてます。人に聞きながらここまで到着。
おっさんがテレビ見ながらピザを焼き、出てきたチーズピザ。
うん、これは美味し。
50ポンド≒300円とダハブよりやや高ですが、良い出だしです。
ここからカイロの中心タフリール広場を通り、向かいましたはこの立派な橋。
ナイル川ー!!
ここが世界最長の世界最長の川、
エジプトはナイルの賜物と言われるナイル川です。
ナイル川を渡ってみました。
うん。満足です。
ここにあるのが
カイロタワー!
高さ180mちょっと、とそんなに高くないのですが、カイロでは一番高いのでおけまるです。
入場料180ポンド≒1,080円。
さすが首都。観光価格が一気に跳ね上がりました。
タワーはエレベーターで上がれるのですが、エレベーターホールのモザイク画がエジプトっぽくてイカしてます。
いざ上へ。
このエレベーターが「手動かっ」と言いたくなるくらい遅い。
ということでこちらがカイロの景色ですー。
旧市街方面。東方面です。
私の宿も、市場も、たくさんのモスクもこっち側。
ナイル川方面。南方面です。
この川を上っていくとエジプト文明の歴史に繋がります。
南西方面。
。。。!!!
見えますかこれ!!!
ピラミッドですー!!
ピラミッドってめっちゃ沢山あるんですが、有名なクフ王のピラミッドはナイル川を挟んだ西側のギザ市にあり、ここからちょっとだけ遠いのです。
北側。
こちらはよくある首都って感じですが、プールがあったり緑があったり、思ってた以上に水が豊かなんだなと気付かされます。
手元の地図と見比べながらニヤニヤしたりニタニタしたりしながら長らく滞在し、下界へ。
時刻12:00。
ひとまず宿へ。
チェックインだけ済ませてまた街へ。
荷物がロビーにそのまま置きっぱ状態だったのでちょっと不安だったのです。
続いてやってきたのはカイロ考古学博物館。
ここも、
①博物館があるエリアに入る
②博物館の敷地に入る
③博物館に入る
の三回、手荷物検査がありました。
約20万点ものエジプト文明の収蔵品を持つ巨大博物館です。
これからナイル川に沿って南下をしていくにあたり、この博物館で色々学ぼうと思っておるのです、
が、
音声ガイドがありませんでした。。
流石にあるだろうと思っていたのですが。。
ということで、残念ながらまた指をくわえてほぇーとか言いながらぶらぶらすることになりました。
エジプト文明の展示品はデカさが違いますね。ただただ圧倒される。
この博物館、老朽化が進んでいて、ギザに建設する(建設済み?)の大エジプト博物館に約10万点の品を引き継ぐんだそうです。
そんなこんなで
なんだか雑多な雰囲気がちらほら。
展示なんだか放置なんだか分からない様相も多々。
ルーブル美術館や大英博物館のエジプト文明コーナーに行く度になんでこれエジプト で展示しないのだろうと思っていましたが、やはり現地では保存の面で懸念があるのでしょうかね。
個人的にはおフランスでエジプト見せられても身も心もおフランスなので「エジプト!」という気分になりきれなかったのが残念だったのです。
色々と展示が続きます。
ツタンカーメン王の母だか祖母だか。TIYE嬢。
装飾がものすごい。
彼は若くして王位に着いたそうですが、どんな心持ちでこの王座に座ったのでしょうねぇ。
解説文が英語、アラビア語、そしてヒエログリフでした。誰向け?
ちょっとガチなミイラも。
上記写真の茶色いの、ガチミイラです。
もう崩れてて何が何だかですが。
これはミイラにするときに遺体から取り出した内臓を入れるツボ。
可愛い顔してなかなか仕事はハードです。
っとここで何やら人だかりを発見。
ツタンカーメン王の黄金のマスクがあるじゃないですか!!
既述のギザに作った大エジプト博物館に移転したんだと思ってました。
※追記:大エジプト博物館は2019年1-3月に完成予定とのこと。
ラッキー。
ただし写真はNG。
ツタンカーメン王の黄金のマスクはこれまで見かけてきた黄金のマスク達とは比べ物にならないくらい鮮やかな黄金色で、質感もゴツゴツ感は一切なく、ツルッツルでした。
ご参考までにWikipedia先生からキャプチャ拝借しときます。
下から覗くこともできますが、裏面もゴールドでした。
なお「ツタンカーメン マスク」と検索したら推測ワードで「ツタンカーメン マスク 値段」と出てきました。検索主はビルゲイツでしょうか。
なお適当なウェブメディアたちの論としてはマスクのお値段は300兆〜1000兆らしいです。ありがとうございます。
王の内臓を収蔵していた入れ物。そうは見えませんが。
二階の南東角の階段脇です。
ここ別料金と聞いてましたがお値段なんと150ポンド≒900円。博物館の入場料より高いです。
そして写真もNG。
なかなか覚悟がいりますが、入りました私。
ここが何かと言うと、
王家のミイラがそのまんま展示されております。
ラムセス2世様のミイラも安置されております。
これは、、、なかなか。。。インパクト大。
ラムセスさんが云々以前に、生ミイラという意味で。
ラムセス2世は保存状態が良いのですがそれはそれで今にも目を見開きそうですし、他の顔が一部崩れてたりしてるミイラはただそれだけでなかなかです。
なおこのラムセス2世さん、修復作業を受けるためにフランスへ移送される際、エジプト 政府によってパスポートが支給され、職業「ファラオ」とされたそうです。
扱い上は今でもご存命ということですね。
ガラスケースにぶち込まれてますけども。
ご参考:ラムセス2世のミイラ Wikipedia先生より。
なお後日調べですが、
ツタンカーメン王とラムセス王の時代関係はこんな感じだそうです。
(一部異説あり)
アメンホテプ4世(イクナートン)
紀元前1362〜1333頃
ツタンカーメン
紀元前1333〜1324頃
ラムセス1世
紀元前1295〜1294頃
ラムセス2世
紀元前1279〜1212頃
・
・
お恥ずかしながらツタンカーメンとは王に対する呼称であり、ラムセスさんもツタンカーメンなんだと思ってました。
なおTHE ROYAL MUMMIES ROOMは南西側にもあり、そちらはラムセス3、4、5、9世のミイラと、王妃やお母様のミイラなどがありました。
その後も博物館内をふんわりとウロウロ。
博物館を出ました。
あーー音声ガイドあったらなぁ。。!
ちょっとまだエジプト文明の理解が穴だらけです。
その後はダウンタウンエリアをてくてく。
なんというのでしょう、決しておしゃれではない服屋がたくさんです。そして相変わらず往来はプーーーの嵐です。アクセル踏むと勝手にプーとでもなるんだろうか。
マック発見。
Wi-Fi電話番号必要ーー!!!泣
これは痛い。。。
ただでさえ宿のWi-Fi弱いのに。
そして
エジプトっぽいバーガーもないのでこのよくわからんポテトにピクルス乗せてチーズぶっかけたの食べて出ました。
水二本あるのは、セルフっぽい冷蔵庫から水をとってレジに行き、これとポテト(上述)をくださいと言ったら、渡されたトレイにさらに水があったのです。
まあ返しませんでしたけども。
Turgoman Bus Stationというバスターミナルにやって来ました。
建物にはGATEWAY PLAZA HALLと書かれてますが、ここで正解でした。
入り口の手荷物検査のおっさんに、行き先を告げると2番だよ、っと。
無事買えましたー。
もうオールアラビア語なので人に聞かないとまったく分かりません。
行き先はアスワンです。
エジプト最南端の街。220ポンド≒1,320円でした。
17:00発、翌7:00着。
列車の方が王道のようなのですが、安さ重視です。
スーパーみたいの発見。
数字がアラビア語で分かりません。
そして品揃えも微妙。
ここカイロではTHEスーパーマーケットを見かけません。値札もないような小さな商店と、八百屋と、パン屋ばっかりです。
きっとどこかにはあるのでしょうけど。。。
ひとまずざっくりですが、水500mlで18円、ジュース1Lで90円と言ったところです。
FELFELAというトリップアドバイザーでも上位のコスパ良さげなレストランに来てみました。
良い雰囲気。
もう暑くて暑くてクッタクタだったところにこの神聖っぽい名前のビールがヤバし。
モロヘイヤスープ。
メニューにないが美味いと聞いて注文してみましたがめっちゃ美味いです。
にんにく効いてます。
Stuffed vegitablesとメニューにはありましたが、中にはリゾットみたいなコメが入っている野菜の米詰みたいなやーつ。
うん、ぼちぼち美味いかな。
お会計150ポンド≒900円くらい。
エジプトにしてはお高いですが、ひとまずこれでカイロ上位のレストランデビュー完了です。
ほんとは肉も行きたかったのですが、さっきマックで食ったポテトの件もあってお腹いっぱいです。
ということで本日はここまで。
明日はカイロ東エリアを攻めた後に夜行バスでアスワンです。
気温43度ですって。。。
しゅくらん、、、。
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