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お尻は大丈夫?
Re: お尻は大丈夫?
私も尻との付き合いはなかなか長いので上手いことやらせていただいていますのでご安心ください。紙を使わずに美しく仕上げております。
158cm(♂)が今日も元気に地球徘徊やらしてもらっています。
エジ下痢リスト、私です。
幸い胃痛や腹痛はないのでただただトイレとのフレンドシップを温めるだけで済んでおるのでメンタル面は今のところオッケーです。
懸案事項は尻の拭きすぎによる痔の悪化です。
胃に優しく尻に優しく今日も張り切って参りたいと思いますどうぞ宜しくお願い申し上げです。
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▼徘徊メモ
・行き先:アスワン→ルクソール
・手段:列車
・料金:57ポンド≒342円
・時間:3時間 7:30発、10:45着
↓移動図
↓ルクソール東側地図マップ
(英表記はMaps.me上の表記)
・オレンジ:Gobusオフィス
・ピンが無いがそのすぐ下にルクソール列車駅
・青:宿 oasishotel
・左の赤:ルクソール神殿
Luxor Temple
・右上の赤:カルナック神殿
Karnak Temple
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昨日のうちに駅で列車の時刻をヒアリング。
窓口はエジプト人共でぐっちゃぐちゃだったので、セキュリティチェックしてる兵士に聞いてみました。カタコト英語は出来るようです。
モーニングのトレインを聞いたところ、スリー、フォー、ファイブ、とのこと。
これ多分午後ですね。
もっかいモーニング!と申すと、セブン!
とのことでした。
なるほど。。
やはり以下の
この見方がよく分からない時刻表がなんとなく正しそうです。
上なのか下なのかはやっぱりよくわかりませんが。
とある最近のブログで「1時間に一本はある」と書かれていたので、
当初は「適当な時間に駅に行こう」と舐めてたのですが、これは慎重に6:30に駅に行くことにしました。
なおヨーロッパで散々列車批判をしてきた私がバスではなく列車に甘んじるのは、
・アスワンは長距離バスターミナルが遠い
・長距離バスターミナル内はどこになんのバスがあるか謎だった
・アスワン列車駅は始発っぽいので遅延が無さそう
という理由からです。
ということで6:30に駅に来ましたよ。
げ
すでにチケット窓口はエジプト人共でぐっちゃぐちゃです。
チケット買うだけなのになぜ揉めている。
そしてなぜ行列ではなく人だかりみたいになっている。
固まっていた私を察したのか、セキュリティチェックしてた兵士にチケットは列車内で買えるぞ、と進言いただきました。
お気遣いありがとうございます。さては貴方、エジプト人ではありませんね。
入場ゲート。
自由にホームへ行けます。
小銃引っさげてる兵士に写真OK?と確認しての撮影です。
(駅って写真NGなとこ多いようなので)
もうすでに列車が止まってます。
このⅡがきっと二等車です。
この二等車がずーーっと続き、
右奥二車両が一等車でした。
一等車も二等車も値段は大して変わらないとか聞いた気がするのですが、ひとまず二等車を見学。
写真忘れましたが、二等車なりのまあまあオンボロな感じです。
ちょっと広いです。
あとエアコンが極寒で効いてます。
そして二等車はすでにエジプト人がわんさかいたので、今の私の精神衛生上は一等車で即決です。
列車は7:30に出発しました。
これが定刻のようです。
ビバ始発駅。
列車が走り出して結構なスピードになっている中でかけ乗ってくる若者たち。
出発してまもなく、車掌っぽい人がやってきて、その場でチケットを買えました。
57ポンド≒342円。安い!!
比較対象はないですが、列車にして良かったです。
列車はアスワンの街を抜けていき、
ナイルの賜物な穀倉地帯を横目に
ナイル川沿いを北上していきます。
ナイル川の東側を列車は通るのでナイル川が朝日を浴びてます。
ルクソールが近づいてきました。
緑に赤い花が混じり始めています。
到着!
ルクソール駅を出たその瞬間からエジプト人共によるタクシータクシー祭りが始まると聞いていましたが、
もはや列車を降りた瞬間からそれが始まりました。
奴らホームにまで溢れてます。動画撮ってやろうと思ってたのに先制されました。
駅構内。アスワン駅と同じ感じ。
さあいざ駅を出ましょう。
タクシータクシーどんな感じでしょうか。
思ったほどタクシーコールを浴びれませんでした。
もっと激しいのを想像していたのですが。
耳をすますとフレームの外でおっさんが「タクシー?イエス?オッケーカムヒア!」と自主提案&空受注しています。これは斬新です。
「空受注」とか新卒時代の私の同期を思い出します。
ルクソールの街。
アスワンより街の密度が高いようには思いますが、まだなんとも。
宿はoasis hotelという日本人評判の良いところにしてみたのですが、
Maps.meの場所より手前にoasis hotelと書かれた場所が。
謎の男に手招きされて今ここに座ってますが、ほんとにここoasis hotel?
と訝しんでいると、男が台帳を見せてきて「イッツユー?」と、そこに私の名前がありました。
※Booking.comで予約してた。
どうやらここで正解のようです。
男の名はHassan。
ここのオーナーのようです。
Hassan氏がルクソールの見どころや宿が提供できるツアーについて色々説明してくれます。
Hassanは大事な日本語がちょっとだけ分かるようで、
しんでん
やすい
たかい
(エジプト人は)うるさい
わかる?
とおい
という単語だけ日本語でした。
うん、悪い人ではなさそう。
その後まだチェックインタイムではないですが部屋に通してくれました。
エジプト流に担がれる荷物。
この後この人に「何かプレゼントをくれ」と言われ固まる。
さて。
ルクソールの街は、ナイル川を挟んで東西に分けられます。
西が死のエリアと言われ、王家の墓があり、
東が生のエリアと言われ、神殿があります。駅や宿もこっち側です。
今日は東エリアをチャリでのんびり行ってみようと思います。
というのがHassanのオススメだったので。
「ウォークイズトゥーファー、、ホースとタクシーはエジプト人がうるさい&トリッキーだからバイシクルがマイリコメンデーション。わかる?」
そんなようなことを言ってました。
いやマジで。
本日の相棒。40ポンド≒240円。ダハブでは200ポンドだったので安いもんです。サドルのカバーがエジプトらしい。
まずはカイロに戻るチケットを探しに。
鉄道駅。
ではなく
列車のルクソール駅は始発ではないので遅延が凄いらしいのとやっぱりバスで行けるならバスで行きたいなと。
三社の窓口がありました。
BEST BUS 21時&23時など 150ポンド
GO BUS 21時&23時45分など 220ポンド前後
GOLDEN BUS 20時&23時など 195ポンド一律
が、スタッフがいつまでも電話やめないのでブチ切れてGobusにしてしまいました。
早く誰か私に清潔な牛乳を。
ゲット。
ルクソール神殿に来ましたよ。
ただなんだか神殿前の広場で大勢の男が集まり、屋外放送?では爆音で激しめの講演がぶっ放されているので今は入るのやめておきました。
よく考えたら今日は金曜日。
イスラム教の礼拝日でした。
どおりでそこらじゅうのお店が閉まってると思った。
先ほどの講演もコーランの読み上げだったかもしれません。
灼熱のアスファルトを走り抜け、
向こうの丘が王家の墓のはず。
明日行きますよ。
今目指しているのはカルナック神殿。
ルクソールの街の北にあります。
ただ、場所は分かるのですが、入口がよくわからないのですよね。巨大な古代遺跡あるあるです。
到着。
ここでしたよ。
敷地の入り口にカルナック神殿と書いてないので分かりづらい。
まあこんな自力で来るやつなんざ少ないんでしょうけど。
ビジターセンター。この奥でチケット買います。
→訂正:この模型が一般公開されている部分であり、この模型の外側には一般公開されていない神域がまだあるそうです。
チケット売場。
120ポンド。
↑100枚分までの料金が張り出されてるんですが、従量割引なさそうです。わざわざ張り出さんでも。
チケット。
いざ参りましょう、カルナック神殿。
カルナック神殿。
もともとこの地域は古代エジプト時代に首都テーベとして栄えた地域で、カルナック神殿は最初はこの地域の地方神を祀る小さな祠だったそうですが歴代の王=ファラオたちがどんどん改築を続けて大神殿になっちゃったという成り立ちです。
一般に公開されているのはアメン大神殿というごく一部の箇所(先ほどの模型の部分)で、他のムトの神域やモンチュの神域はMaps.meにはありますが中には入れません。
厨二病患者的には火のクリスタルですね。
大丈夫でしょうか、クリスタルが暴走して神殿が爆発したりしませんでしょうか。脱出前にデスクローとか出てこられてもこちとらエジ下痢中につき即LRですよ。
とりま参りましょう。
全体マップ発見。
最初の第一塔門の手前、
出だしからこのスフィンクスたちがお出迎えです。
これツタンカーメンのスフィンクスですって。実際の王がスフィンクスになっちゃうのって、プラスの意図なんでしょうか。
アブシンベル神殿ではラムセス二世様祭りでしたが、ラムセス三世もこじんまりながら「俺祭り」したかったんでしょうね。
奥の部屋には当時の色合いをかすかに感じられる壁画が残っています。
この巨像、綺麗に残されている数少ない像です。
門の両脇にもしっかりとレリーフ。
この3人いるうちの真ん中がアメン神だそうです。
さて第二塔門を超えると、、
大列柱室。
134本の巨大な柱が立ち並ぶ場所です。
こりゃすごい。。。
上記写真でその大きさを人間と比べてもらえればと。
歩いてみるとこんな感じ。
こんなんを今から3000年以上も前に作っちゃってるんだから大変なことですよこれは。
最初セティ1世が着手し、その後息子のラムセス二世が完成させたそうです。セティ1世様、貴方なんですね。息子さんをオレオレに育てたのは。
第三塔門を抜け次の間へ。
オベリスクが二本見えてますが、左は次の間のが見えてるだけでここでの主役は右のオベリスク、トトメス1世のオベリスク。
高さ19.5m、重さ150トンですって。
続いて第四塔門を抜けると、
先ほど左側に見えていたオベリスク、ハトシェプスト女王のオベリスクです。
ヒエログリフがかなりくっきりと残されてます。
こちらは高さ29.56m、重さ323トンですって。
途中見かけたレリーフ。
兵士?敵の捕虜?すんごいたくさんいる。
祠。
ここがカルナック神殿の一番最初の地方神を祀った場所だそうです。カルナック神殿全体の1/10000くらいしかないのでは。
ここの壁画が保存状態良いです。
なんらかの表もあります。
記号の意味の説明書きかな?
またまた見つけた面白いレリーフ。
最初シーシャ吸ってんのかと。
トトメス三世祝祭殿。
ここの壁画は色味が残ってました。
当時はどのような色調だったのでしょう。
現時点でも青・赤・黄の三原色が残ってるくらいなので極彩色だったのかしら。。。
なんと聖母マリアです。
この地がローマ帝国の支配下となりローマ帝王コンスタンティヌス1世がキリスト教の信仰を認めた際、この神殿は異教とみなされて放棄され、この場所にキリスト教会が設けられたそうで、その際の名残のようです。
わ、笑い男。。。
ドラえもん恐竜編でこんなんあったよね。
これ自販機に入れると食材が手に入ったような。あ、すみません嘘ですファラオ様。
神殿最奥部は緑と巨石の残骸。
この3000年前の遺構が緑に侵食されている雰囲気もちょっとロマン度ヤバし。
トルコにはいなかった新手です。
ざっくりいきまっせ。
聖池。
雰囲気ある緑色を湛えています。
魚いる。
最奥まで来ましたが、冒頭マップの通りここまで西→東にひたすら来ました。
南北の軸もあるのでそちら方面へ行くべくちょっと戻ります。
トトメス三世祝祭殿からアメン大神殿方面を臨む。
聖池の西側に出ました。
これはハトシェプスト女王のオベリスクの折れてしまったものの先端だそうです。一番先っちょのレリーフで座っているのがアメン神、その前にいるのがハトシェプスト女王だそうな。
なんでフンコロガシなんでしょう。
Wiki先生にご教示頂きました。
古代エジプトでは糞塊を転がして大きな球体を作るスカラベの習性を神秘的なものと考え、その球体を太陽に見立て、スカラベを太陽の運行を司る神である太陽神ケプリと同一視した[1]。太陽は再生や復活の象徴でもあり、スカラベは聖なる甲虫として崇拝され、スカラベをかたどった石や印章なども作られている。また、スカラベはオスしか存在しない昆虫で、自分の精液を糞の玉の中へ注ぎスカラベが繁殖すると解釈していた。
。。。お、おす!
幾何学から天文学までを嗜んだ古代エジプト人が、フンコロガシを見て「か、、神ってる!!」と発狂する様子、想像出来ませんね。
なお最後の一文が過去形なのはなんなんでしょうか。実際はどうなんでしょうか。投げっぱなしなんじゃないですかWiki先生。
近くには復元中?の神殿。
こうしてみると本当にブロック一つ一つの積み上げなんですね。。。
南北の軸は立ち入ることができない場所が多く、これにて見学終了です。
ここ、終始屋外なので日差しヤバイです。
柱や壁が高い場所が多く日陰があるにはあるので、休み休み行かないとガチで熱中症になるでしょう。
私も下痢止め飲んであるので容赦なく水をガバガバ飲んでます。そしてそろそろ下痢止めも限界っぽいので茶屋を探したい。
ほんと心苦しいのですがウルトラマンの敵に
あ、スカラベ様。
※スッキリ後。@茶屋
調子に乗ってパスタ頼みました。
ここは観光客向けのやや高レストランなので大丈夫だとは思いますが念のためエジプト油が少なそうなものをチョイス。
。。をしたのに優しいエジプト人がその辺のナツメヤシの木から採ったばかりのデーツをくれるじゃ無いですか。そんな嬉しそうにくれたら断れないじゃないですか。その洗った水は大丈夫な水ですか。
まあ食べましたけど。
私、初デーツでした。めっちゃくそ甘いですねその辺の木から採ってんのに。蒸してトロトロにしためっちゃ甘いサツマイモのような味でした。これオッケー?
もっかい最初のビジターセンターの模型に来ました。
というのも、最初の写真、あれ実際の見学ルートとは方向が違っていたことに途中で気づいたのです。
これが今回見学した方向です。手前が西。奥が東。
目線を下げるとこんな感じ。
大列柱室を北側から覗く。右の第二塔門凄いデカイです。
3、4、5塔門とトトメス1世とハトシェプスト女王のオベリスクたち。
トトメス三世祝祭殿を北から覗く。
良いですねー、実際に見学した後にこの模型見るのは構造物フェチ(私)には大変に堪まらんばい。
その後はナイル川沿いをサイクリング。
ルクソールにもキリスト教会がありました。
ルクソール神殿まで戻ってきましたよ。
このルクソール神殿は先ほどのカルナック神殿内のアメン大神殿の付属神殿としてアメンホテプ三世が主に建立したそうです。
これ外から結構見えちゃいますね。
これで満足しちゃいました。
すません。
、、、で終わらないですよ!
この後は宿に戻り便器とのフレンドシップをしばし温めたのち、もっかいこのルクソール神殿に来ました。
良さげです!
このまま中に入ってみますよ!
。。。入り口どこ。
神殿前は広場になっており、その奥に登り階段があるのですがどう見てもそれはモスクであり神殿では無いのです。
どこー。
ここでした。
なんと分かりづらい。。。
入場料100ポンド≒600円。
いざ参りましょう。
入るとすぐにルクソール神殿の素晴らしい門構えが見えているのですが、思い切って逆方面の写真から。
めーっちゃながいスフィンクス参道があるのです。
これがここから数km離れたカルナック神殿まで繋がっていたそうです。
何体あったんだスフィンクス。。
そして改めまして背後を仰ぎ見ると、、
ルクソール神殿でございます。
ライトアップでだいぶ色気付いてますけども。
見えているオベリスク、
もともと一対でもう一本あったのだそうです。
それはクレオパトラの針とも呼ばれていたもので、ナポレオンがフランスに持ち帰っちゃったんですって。
で今はパリのコンコルド広場にあるという。
。。。それって、
これのことですよね。
パリで夜な夜な極寒夜景狩りをした際に、五車線くらいあるラウンドアバウトの中心にこのでっかいオベリスクがあり命がけで接近したのを覚えてます。
さて、巨像たちに見守れながらいざ中へ。
最初の中庭がラムセス2世の中庭。
またもラムセス2世様だらけの場所です。
それもラムセス。
その先の回廊のこちらはツタンカーメンご夫妻だそうです。
この巨大な柱の列柱廊を抜けると。。
アメンホテプ三世の中庭です。
ここライトアップ綺麗です!
この次はローマ帝国支配下の時代の名残の場所のようです。
たしかにローマっぽい作りになってます。
半円アーチとか、丸みあるくぼみとか。
ローマ人の壁画があると聞いていましたが見当たらず。崩れちゃったのかな。下の写真はとかエジプトのレリーフの上に土を塗り固めて壁画を描いていたのが分かります。
その奥がアメン神殿です。
レリーフばっか撮ってて神殿っぽい写真が皆無ですが、一部色味の残るレリーフなんかもありました。
てかレリーフ見るなら昼に来なきゃですね。
その後は神殿を出て、敷地を大きく迂回してスフィンクス参道を正面から見ようと思ったのですが、道中の車とバスと馬車のカオスっぷりの断念。
マジビビるんですけど、なぜこの町の車たちはライトをつけない!?そしてよくその中をバスも馬車も人もチャリも縦横無尽に走り回る?てか藻前らどこから湧いてきた。昼はガランとしてたのに。
途中リタイアした時点のスフィンクス参道。
ルクソール神殿の上にあるモスク。
最初このモスクの下にルクソール神殿は埋まっており長らく発見されなかったんですって。なのでこんなに保存状態が良いのだそうです。
本日はここまでです。
明日は王家の谷に行きます。
ファラオたちが大集合しちゃうわけですね。
ちょっとここで、今更ですが、ここ数日の間にでて来たファラオ(古代エジプトの王を指す)について時系列を見てみました。
以下wikiの年表からこれまで出て来た名前の前後だけ抜粋。
カルナック神殿の増改築では後の王が前の王のレリーフを悪意を持って消したり善意を持って加筆したりといった増改築が多く、人の名前がちんぷんかんぷんになったので、前後関係だけ把握しておきたいなと思いまして。
▼第18王朝
・1551〜1514年 アメンへテプ1世
・1524〜1518年 トトメス1世
・1518〜1504年 トトメス2世
・1498〜1483年 ハトシェプスト女王
・1504〜1450年 トトメス3世
・1453〜1419年 アメンへテプ2世
・1419〜1386年 トトメス4世
・1386〜1349年 アメンへテプ3世
・1350〜1334年 アメンへテプ4世
・1334〜1324年 ツタンカーメン
・1325〜1321年 アイ
・1321〜1293年 ホルエムヘプ
▼第19王朝
・1293〜1291年 ラムセス1世
・1291〜1278年 セティ1世
・1279〜1212年 ラムセス2世
・1212〜1202年 メルエンプタハ
・1202〜1199年 アメンメセス
・1199〜1193年 セティ2世
・1193〜1187年 サプタハ
・1187〜1185年 タウセルト女王
▼第20王朝
・1185〜1182年 セトナクト
・1182〜1151年 ラムセス3世
・1151〜1145年 ラムセス4世
・1145〜1141年 ラムセス5世
・1141〜1133年 ラムセス6世
・1133〜1126年 ラムセス7世
・1133〜1126年 ラムセス8世
※年号被ってるのは謎。
・1126〜1108年 ラムセス9世
・1108〜1098年 ラムセス10世
・1098〜1070年 ラムセス11世
ここでラムセスメドレー終了。
よく名前が出てくるのは第18王朝のファラオたちなんですね。その前後の王たちはなぜ神殿に名前が出てこないのでしょうかね。
なお絶世の美女で有名なクレオパトラはいわゆるクレオパトラ7世らしく、上記のツタンカーメンやラムセス各位とは時代が全く異なる紀元前1世紀頃の登場人物だそうです。
エジプトがローマ帝国に敗北することとなった最後の王朝、プトレマイオス朝の最後のファラオ(王)なのだそうです。
なんだかちょっとクレオパトラ7世について掘り下げたいですが、ひとまず今日はここまで。
明日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
シュクランでした。
あっとととトイレ。
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