インド最南端カニャークマリから爆北し続けて早1週間。ちょうどインドど真ん中あたりのアウランガーバードまでやって来ましたよ。
言語もヒンディー語に戻ったようで、列車内の水の売り子が「パニパニ〜パニッパニ〜」と可愛いです。※パニ=水
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▼徘徊メモ
・行き先:ムンバイ Mumbai
→アウランガーバード Autangabad
・手段:列車
列車番号 11401
列車名称 Nandigram Express
・料金:630ルピー≒1008円
・時間:7.5時間
16:35発(定刻通り)
24:00頃着(30分遅延)
↓移動図
↓アウランガーバード地図マップ
(英表記はMaps.me上の表記)
<二大遺跡位置関係>
<アウランガーバード周辺>
・下のオレンジ:アウランガーバード駅
・上のオレンジ:アウランガーバード バススタンド
・赤:ビービー・カ・マクバラー Bibi Ka Maqbara
↓アジャンター遺跡マップ
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さて、本日から二日間、インドきっての大遺跡をハシゴです。
まずは本日、断崖絶壁に刻まれた仏教寺院群、アジャンター遺跡に参ります。
朝6:30。
宿から30分以上歩いてアウランガーバードのバススタンドにやってきました。
そしてなぜこんな早くから赴いたかというと、アジャンター遺跡がアウランガーバードから意外と遠く片道三時間掛かるようで、歩き方先生が「7:00までのバスに乗れば日帰りでも余裕が持てる」と書いてあったからです。
余裕、持ちたいじゃないですか。ねえ?
なので朝早くにまだ寝てる宿のスタッフ起こしてまでこのバススタンドまでひいこらやって来たというのに、
おっさん「バスは8:30からだよ!」
先生。
とはいえまあ私の手元の歩き方先生は3年前のものですからね。事情が変わったのかもしれません。
と思ってよく見ると
先生。
バス8:30からって書いてあるじゃないですか。
※なお7:00発の云々のくだりはその下にあります。
どうしたんですか先生。
これは校正ミスですか。
それとも私の頭が悪いのですか。
これじゃ地球を歩けません。
って事で、
チャイ。
いえ、本来は朝ごはんを食べたくてバススタンドにある大きなキッチンを持つ広いレストランに入ったのですが、「チャイ以外は無い」と言われまして。
であれば速やかにレストランの看板をしまってください。
8:30。
バスが来ました。

なんだか周りのバスがボッロボロの赤いバスなのに対して、このバス青くて綺麗です。
大勢のインド人が乗り込もうとしてはスタッフに止められてます。外国人専用なのでしょうか。
てかアウランガーバードのインド人は今のところ大変元気です。
路線バスが来たらわぁーーっと群がるし、
正規の乗車口じゃなくて窓から乗り込んじゃうし、バスがついた途端に荷物を窓から放り込んで席取っちゃうし、運転席のドア開けて運転席横切って乗り込む輩はいるし。
なんなんですかテーマパークですかここ。
そんなアウランガーバードのインド人をバス内から見下ろす。
あれよあれよという間に私の隣にはイスラエル出身のマダム、台湾ボーイ、日本人の方など増えていき、バスは出発。
そしたらこれ、ツアーバスという往復送迎の豪華バスでした。
お値段なんと700ルピー!!(往復)
これはやられましたね。
てか見るからにローカルバスでは無いしエアコン効いてた時点で異常を察知すべきでした。私の進むべき道にエアコンなどあってはいけないのです。
いや、もうしょうがないです。
こうなったら全力でこの快適バスを楽しんでやります。
ツアーバスはローカルバスと全然違います。
これ多分かなりハイクラス車両ですよ。
インド国家が道だと思い込んでいる、
道では無いレベルの道を難なくスイスイ走っていきますからね。
お陰様で片道三時間、爆睡でした。
そしてローカルバスはアジャンタ遺跡の手前で降ろされそこから遺跡の入り口までシャトルバスに乗り換えるという一手間がありますが、ツアーバスは入り口に横付けです。
。。。
えっと、まあ、白旗です。
早いとこ本題に移りましょうかね。
到着。
このバスは往復セットになっており、帰りは14:30にここでピックアップだそうです。
入場料金表。
やはりここはインド。
入場料はさらに値上がりし600ルピーでした。不真面目な値上げのように感じさせるのがインドの悪い癖です。
アジャンタ石窟群の全体図。
Uの字型に流れるワーグラー渓谷の断崖絶壁に沿って、30もの石窟が並ぶ仏教寺院群です。
その石窟壁画は大変に素晴らしく、中央アジアや中国、そして日本の古代仏教絵画の源流と言われています。
作られたのは紀元前1世紀頃と紀元5世紀頃。大半が後者だそうですが、当時日本は古墳作りまくってた時代ですからね。その頃に後述する石窟群が作られたことを念頭において進めていきたいと存じます。
初っ端に強気な石段を登らされ
るといきなり目の前に現れます。
断崖絶壁が。
そしていきなりですが、もう石窟が始まります。
ちょっと唐突ですね。
第1窟。
いきなりですがここがアジャンター遺跡のハイライトなんですって。

内部。


広い。。
まるで宮殿の一室のようです。
これを5世紀に作った。。もちろん手で掘ってるんですよねこれ。
仏像は奥の間にどっしり。


柱が多数ありますがこれも後で差し込んだのではなく、柱の形に彫り残したものだそうです。




そしてこちらがくだんの壁画。





室内が大変暗く、その中でのみっちりぎっしりな壁画なので写真ではよく分かりませんね。。
が、
以下は必見です。
なぜなら歩き方先生が「アジャンター壁画の最高傑作。半眼で静かにうつむくその顔立ちは、法隆寺金堂に描かれた菩薩像の遠いルーツとして
あまりにも有名。」と言ってますから。
▼蓮華手菩薩


地球の歩き方先生の言葉を借りると
「あまりにも有名」らしいですが、
皆さまご存知でしたか?
奇遇ですね、私もです。
とはいえ確かにステキな雰囲気ですね。
余談ですが私の前職の同期に超絶仏像好きがいまして、mixiでとある仏像コミュニティで数万人のコミュ数を誇るキング・オブ・仏像な人がいます。
彼に言わせると「仏像ほどセクシーなものは無い」ということですが、この蓮華手菩薩さんなんかは如何なのでしょうか。
そんな彼は昔、こないだの週末に何してた〜?と軽く聞いた時の答えが「●●寺の●●菩薩に色々な角度からペンライトを当てて楽しんでた(爽)」と言ってました。
第2窟。
こちらもアジャンター遺跡の見どころTOP3だそうです。TOP1,2を最初に持ってくるあたり、やはりインドですね。
こちらは規模は第1窟には劣りますが、壁画の状態が良いのと、ズルい具合にライトアップされているので雰囲気が良く、インド人観光客で溢れてます。
※むしろ第1窟の人気が無さすぎる。
まずご本尊の仏陀さんは例のごとく最深部にずっしりと彫り込まれ、


柱の彫刻もきめ細やかに掘りあげられ、
周囲には壁画がわぁーーっと。




この四枚目の壁画は誕生したばかりのゴウタマ・シッダールタ王子(後の釈迦さん)を抱えるブラーフマー神とインドラ神、そして我が子を見つめるマーヤー王妃だそうです。
。。分かりませんね。
いや、実物見てても分かりませんでした。
なおインドラさんがわたしの中で初登場だったので調べてみましたが歴史がとても古く時代により立ち位置が変わりまくりで難解だったので今日限りで忘れます。すみませんインドラさん。
全ては好き勝手に神さまのキャラ設定変えまくるインド人が悪いのです。
これにてアジャンター遺跡のトップツーを見終えました。
日本が馬鹿でかい古墳をわんさかこしらえてた時代に、こんな断崖絶壁に手作業でこんな石窟寺院をしこしこ掘りまくってた古代インド人。
大変にクレイジーですね。いい意味で。
現代インド人のルーツを感じます。いい意味で。
内部が思った以上に暗いのと、流石に壁画前には柵があり1.5mくらい離れて見るしかないので細部まで目が届かないというのは残念ですが、十分に面白いです。
ここでご高齢の日本人を連れたインド人ガイドが「このアジャンタはね、1窟と2窟と17窟だけ見ればオッケーね」などと言って通り過ぎて行きました。お前。
そんなインド人ガイドの説明に聞き耳を立てる品性なぞない私です。それによると、

第2窟の入り口の天井に青い彩色が。
これラピスラズリですって。
この色はインドでは作れなかったらしく、トルコだかイランだかなんだかの方から持ってきた絵材だとか言ってました。
さて、
まだまだ石窟続きますよ。
の前に朝ごはん。
いえね、結局バススタンドでチャイしか頂けていないのでアジャンタ遺跡チケットオフィス脇のレストランでパラタをお弁当っぽくアルミホイルで包んでもらったんですよ。
そしたらなんかこの「アルミホイルで包まれてるお弁当感」がなんだか楽しみになりすぎてしまってちょっと正直第2窟の見学は心ここにあらず状態だったので、もう食べることにしました。

リスが来たので、差し上げたら両手で持ってかじり始めました。
おいそれマサラだぞ。
※リスは元気にお代わりを求めて来ました。
さては貴様、インド人だな。
第6窟は
一見普通なのですが、
なんと二階建てでした。
二階建ての寺院を岩の中に掘り込む。
狂気です。
まあ二階も普通でしたけどもね。

こんな風に入れない窟もあります。
第9窟。
ここはこれまでと様子が違いますね。
これはチャイティヤ(塔院)という、ストゥーパ(仏塔)を祀る場所です。そしてここは紀元前1世紀の完成らしいです。



崩れかけではあるものの2100年前のものと思うと感服でございます。
何よりこの入り口ね。
素晴らしい迫力です。
という感動を軽く吹き飛ばしてくるのがこの第10窟。

こちらも第9窟と同じく紀元前1世紀のチャイティヤです。
壁画はこちらの方が綺麗に残っています。




中では僧侶の方と共にお祈りする観光客の姿が。
お祈り後、この僧侶さんがストゥーパの上にバナナやら何やらを並べ、「ここにお気持ちを」とこの観光客にお賽銭を出させ、バナナごと懐に入れてました。
ここで歩き方先生のご指導を読むと以下記述がございます。
「ここで注目すべきは、右13番柱の高さ3mくらいの位置に残された落書きだ。John Smith 28th Cavalry, 18 th April 1819。発見者のものである。」
ということで小生探してみたのですが、

無いです。
これだと思うんですけど13番柱。
インド人がうっかり上書きしちゃったのでしょうか。
このイギリス士官のジョンスミスさん、
虎狩りに出掛けて逆に返り討ちに遭い、この渓谷に逃げ込んだ際にこの第10窟の馬蹄形の窓を発見したんですって。
そしてそこで自分の名前をドヤって刻んじゃうあたり、彼ももうインドに毒されていたんでしょうね。きっとセルフィーまでやったんでしょうね。
猿。
欧米人の栗のお菓子を奪い取ってました。
第11〜15窟のどれか。




アジャンター石窟群の模型があったり
石窟内に業務用デスクがあったり
仏陀さんにお触りできちゃう石窟があったり
だんだん緩くなって来ました。
象の門をくぐり階段を上る


第16窟



下の壁画はナンダ出家物語ですって。
ちょっとよく分かりませんね、壁画も題名も。
ちょっとここで休憩。
ちょうどこの辺りが渓谷の真ん中になるでしょうか。
目の前には丘が見えます。
登れそうです。
おし、行きましょう。
続いては先ほどの元も子もない系のインド人ガイドの推しメン第17窟です。








確かにここ凄いです。
壁画は仏陀の前世を綴ったジャータカ物語ということで、豪華な宮廷生活があちこちに書かれているそうです。
見た感じ、ごちゃっとした感じなので「ああインドっぽい」くらいにしか思えないのですが、賑やか感は伝わります。
あと
この質感まで伝わってくる壁画がやはり美しいなと思います。
2000年前も今も人間の感性は変わらないと思うとあゝ浪漫。
第19窟。
こちらもチャイティヤ窟です。
ただこれは先ほどの紀元前1世紀に掘られた9,10と違い、紀元5世紀のもの。
ということもあってか、




彫刻レリーフがヤバしです。
たまにイラッとさせるレリーフもあったりします。インド人の自画像でしょうか。
第20〜23窟あたり
質素な石窟が続きますが、ところどころに眼を見張るレリーフがあったり、叩くと音がするミュージックストーンがあったり(ガイドの説明を立ち聞き)、どことなく個性があります。




第24窟。
ここは未完成のまま放棄された場所です。
逆にいうと、こんな風に石窟を掘り上げていくんだなというのが分かります。


まあそりゃそうなんでしょうけど、こんな風に掘っていくんですね。
なおこの石窟はオレンジっぽい光でライトアップされていたのですが、
その光にすぐに群がりセルフィーするインド人x2。
ちなみにこの直前には二人してクシで御髪(おぐし)を整えてました。
第26窟。
最も大きなチャイティヤ窟です。
SUGEEEE。。。
壁には圧巻のレリーフ。

このレリーフたちは仏伝の降魔成道の浮き彫りだそうです。
最後の画像は菩提樹の下で思惟する仏陀さんを誘惑する魔王の娘たちだそうです。
仏陀さんが娘を侍らせてるようにしか見えませんが。
ストゥーパにも容赦なくレリーフがあつらわれ、
そして
7-8mの大きな涅槃像がひっそりと左壁の隅に隠れていました。
これで見学可能な石窟は全てです。
最後にこの渓谷の中心にある丘に登ってみます。
このアジャンター遺跡は石段の上り下りがとても多いのですが、

駕籠屋がいました。
乗るともれなくインド人たちの好奇の目と共にセルフィーのフレーム内に収められてしまいますが。
渓谷を流れる川を渡り、

着きました丘の上。
モサンビジュースと共に、
渓谷の景色をいただきます。
第1〜2窟あたり
第10窟あたり
ジョンスミスさんはこんな感じで発見したんでしょうかね。
第26窟。
人がたくさん。
滝も見えました。
素晴らしい景色です。
昔の人はこの険しい自然の中にひっそりとこの石窟寺院を掘り上げ、祈りを捧げたのですね。
まさか2000年後にこんなに大勢の人が来てわーぎゃーするとは思わなんだでしょうね。
そんなアジャンター遺跡でした。
帰路はバスの席が隣のイスラエルマダムにユダヤ人の歴史とパレスチナ問題を力説されている間に私爆睡してて大変気まずい思いでした。
さて、明日は二大遺跡ハシゴ二軒目、エローラ遺跡へ参りまーす。
ダンニャバードでした!
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