#301 黄金寺院-シク教聖地へ。inインド(70) 2018.10.10
- 2018/10/14
- 07:00
昨日は流れでワガ国境でインド人に揉まれ危うく「インド万歳!」だなんて一瞬でも思うたことを末恐ろしく思う私ですが、本日は清く正しく美しく、シク教徒の聖地、黄金寺院へ参りますよ。
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▼徘徊メモ
・行き先:アムリトサル周辺
・手段:徒歩
・料金:ー
・時間:ー
↓アムリトサル地図マップ
(英表記はMapsme表記)
・左上オレンジ:アムリトサル駅
・右上オレンジ:バススタンド
・青:宿 Bacpackers Nest ドミ一泊400Rs
・左下紫:黄金寺院
Golden Temple
・その上の赤:中央スィク博物館
Central Sikh Museum
・右の赤:ジャリヤーン・ワーラー庭園
Jallianwala Bagh
・ピンク:大きな像 参道の中心地?
・その上の赤:Partition Museum
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黄金寺院周辺の参道は街並みが整えられているだけでなく車も入って来ず、大変に居心地が良いです。
そりゃそうなるよね、な本日のアムリトサル犬。
そりゃそうしたいさ、な本日のアムリトサル犬②。
おそらくシク教のパリピーガールズの像も、
セルフィーインド人に囲まれ大変に平和な雰囲気です。
あれ、どこかでお見かけしたような。
街中のターバンコレクション
写真はこのくらいで飽きましたが、実際何十色ものターバンで街は彩られており、華やかです。
寺院に入るのに髪を隠す必要があるのですが、私の旅先コレクションのマグネット代わりにしました。
本日のクルチャ。
安定のバターです。
堪らんです。
クルチャ本体ももちろん美味いですし、溶け出すバターは発狂もんですし、付け合わせのダールカレーがこれまた実に美味いです。
ここパンジャブ地方の「パンジャブ」とはペルシャ語で「五つの水」を意味するそうで、インダス川とその支流に恵まれたこの地域は大きな穀倉地帯なんだそうです。
だからでしょうかね。
この後も度々いただくダールカレーがとても美味い。
周囲のお土産屋にはシク教アイテムがズラリ。
それすなわち、
・ケース=長い髪。髪を切ってはいけないという掟があり、その長い髪を覆うのがこのターバン。
・カラー=腕輪。力強さと結束の象徴。
・カンガー=櫛。身を整えるために携行。
・クーリパン=短剣。自己防衛と不正に対する闘争の象徴。
・カッチャ=短袴。ゆったり半ズボン。
この五つなのですが、
普通に短剣が売られています。
この短剣、
シク教徒の必携アイテムであるが故にこのご時世のセキュリティチェックにどうしても引っかかってしまうとかなんとかで、シク教徒のみ短剣の携行を認める法改正をしたとかなんとかどっかで見たような。
うろ覚えベースで恐縮ですが、真ならばとても素晴らしい話です。素晴らしいと思う理由は後ほど。
めっちゃ工事中ですがこれは外郭。
内部はきっと黄金です。
周囲ががっちりターバニストな中でバンダナ姿でペロッと入場するのは気が引けますが、他宗教者も等しく受け入れるスタンスのシク教寺院ならではとも言える光景です。
アムリトサル黄金寺院です。
こちらが世界中のシク教徒が祈り願う聖地、
アムリトサルの黄金寺院であります。
何という開放感。。
異教徒の入場を一切許さないバラナシのヒンドゥー黄金寺院とは偉い違いです。
真っ正面には寺院に通じる通路があるのですが、参拝される方がとんでもない列をなしていたので遠慮しました。
そんなシク教。
ここらで思い切ってまとめてみます。
毎度恐縮wikipedia先生と西遊記行さん&世界史の窓さんから勉強させて頂いております。
▼シク教とは
・16世紀初め、パンジャーブ地方のラホールを拠点として、イスラーム教の影響を受けてヒンドゥー教の改革を掲げ、一神教信仰、偶像崇拝の否定、カーストの否認などを説いたナーナクが創始した宗教。
・シクとは弟子の意味で、ナーナクを師(グル)として、その弟子(シク)として忠実に教えを守ることからシク教(またはスィク教)といわれた。
▼教義
・シク教の根本的な原理はパンジャーブ語で「サト・ナーム」と略称される、〝唯一なるもの〟が存在し、そこから宇宙が形成されあらゆるものが存在するという〝絶対真理〟を信じることである。その点では一神教的なキリスト教やイスラーム教に近いが、創造された自分たちの姿をモデルとした神や、天を支配する絶対者としての神を具象化することはない。
・シク教は、霊性を与えられたと信じられている初代のグルであるナーナクからはじまり、9人のグルが続き、10人のグルの言葉は『グル=グランド』に収められ、聖典とされている
・この書は最高の尊敬を込めて取り扱われる。
・信者の信仰形態は、
・唯一なる〝絶対真理〟を崇拝し、それを読誦し、祈りを捧げる。
・いかなる職業にも軽蔑されず精一杯働くことがよりよい来世につながる善行とされる。
・〝神聖なるもの〟はすべての人に存在するのだから、すべての人は平等である。
・〝唯一なるもの〟に奉仕するため、信者は共同体を作り助け合う。 などとなって現れる。
・従ってシク教徒の考えではカーストや人種、貴賤、男女の差は否定される。実際その信者には、元々下層のカーストとされた商工業者に多かったが、次第に農村の小領主層にも広がっていった。
▼歴史
・16世紀、ナーナクはヒンドゥー教とイスラーム教の統合を説き、平和主義と平等主義をかかげる宗教改革者としてに登場した。キリスト教世界でのルターの宗教改革と時期もその意味も同じである。そのため、既存教団や国家からは厳しい宗教的迫害を受けた。グルのなかには第5代のグル=アルジュンがムガル帝国のジャハンギール帝によって、第9代のテーグ=バハードゥルがアウラングゼーブ帝によってそれぞれ処刑された。 ・特に17世紀にアウラングゼーブ帝のイスラーム教強制政策が始まると、シク教徒は自己防衛のために武装を開始した。1699年に第10代のグル=ゴービンド=シングは信者を一種の戦闘集団であるカールサー(清浄なる者たちの意味)を組織し、その構成員たちにシク教徒以外の者との違いを明確にするために5つのシンボルを与えた。
・ケーシャ 髪を切らず長く伸ばさなければならない。髪も髭も伸ばしたままにする。
・カンガー 身を整えるために櫛を携行する。
・カラー 右腕に鋼鉄製の腕輪をつける。力強さと揺るぎない結束を象徴する。
・カッチャー ゆったりした半ズボン状のズボン下を着用する。
・キルバーン 剣―自己防衛と不正に対する闘争を象徴する―を常に携行する。 この外的な標識は「5つのK」として知られ、現在でもシク教徒が守らなければならないこととされている。
・パンジャーブ地方を中心にしたシク教の信者集団は、17世紀にムガル帝国のアウラングゼーブ帝のイスラーム教強制政策による圧迫を受けたことによって大きく変貌した。第10代のグル=ゴービンド=シングは一種の宗教改革をおこない、ナーナクの平和主義を転換させ、戦闘的で強固な教団組織に変貌させた。信徒はつねに武器を携行しカールサーといわれる共同体に属して教団を守った。その多くは農民や職人などの下層カーストに属する人々だった。彼らは北西インドにおける反ムガル勢力として、たびたびムガル帝国と戦った。アウラングゼーブ帝の死後はパンジャーブ地方にシク教徒の小王国が多数自立した。
・ラホール(現パキスタン)を拠点としていた王ランジット=シングは、急速に周辺の小王国を統合し、1799年にシク王国を築いた。ランジット=シングは、ムガル帝国との戦いや、18世紀中頃のアフガニスタン人の侵入によって荒廃したパンジャーブ地方の復興につとめ、農業や商業を保護し、外国人技師を登用して近代的な銃や大砲、騎兵で武装した軍事国家を作り上げていった。
・しかし、1839年にランジト=シングが死去すると内紛が生じ、そこをイギリスにつけ込まれることとなって、1845~48年にシク戦争となった。シク王国は激しく抵抗したが敗れ、パンジャーブはイギリスの直轄領とされた。
▼現代のシク教徒
・シク教徒は宗教教団としてはその後も続き、パキスタンとインドにまたがるパンジャーブ地方には現在約一千万人の信者がいる。
・さらにイスラーム国家であるパキスタンを嫌ってイギリス、アメリカ、カナダ、東アフリカ、香港などに移住したシク教徒も多く、パンジャーブ以外の世界中では約一千二百万人のシク教徒がいる。
・インドでは全体の人口の約2%にすぎないが、シク教徒はその勤勉さや勇敢さから実業界や軍人として成功した人が多く、社会的には高い地位にあると言っていい。スポーツ界で活躍しているにとも多い。
かなり長くなりましたが、ヒンドゥー教とイスラム教を批判的に融合した、より現実的な宗教観なんだろうなと私は理解しています。
強い迫害を受け、さらにそれらに対抗した経緯もあり、とても血生臭い歴史がありますが、度々触れる機会のあるシク教徒の方はとても温和です。
まあ昨日の運転手のような人もいますけども。
無料です。
シク教迫害の様子がいきなり初っ端でした。
もうこのタイトルだけでちょっと目の前が真っ暗になります。
Piecesて。
当然これを書いたのはシク教徒さんでしょうから多少エキセントリックな表現なんだとは思いますが、にしても、だとしても。
ミュージアム内部は絵画が中心ですが、
歴史上の偉人(グル。。?)の方と、
過去の迫害の様子が、
ごちゃ混ぜに掲げられ、
息つく暇の無い展示が続きました。
そしてこちら。
インド独立史における歴史的な大事件、
アムリトサルの大虐殺の絵です。
明日この現場に行く予定なので、詳しい話はそちらにて。
その後はしばし池のほとりで休憩。
ちょっと展示内容がハード過ぎました。。。
食堂です。
シク教徒の寺院(グルドワラという)では食事が無料で振舞われるのだそうです。
これはヒンドゥー教の階級差別への批判でもあるそうな。
せっかくなので私も頂いてみることにしました。
お皿とお椀とスプーンを受け取り、
食堂で一列に並んで待ちます。
するとデッカいバケツを抱えた人たちがやってきて
ドシャッ!
ってカレーを注いでくれます。
もはや食べかけですが、
最終的にチャパティ、ダールカレー、ベジカレー、ミルク粥の四品を施し頂きました。
そしてお代わり自由、というか、次々と注がれます。
この食堂、おそらく2000人くらいはゆうに入りそうです。そこに入れ替わり立ち替わり食事を求めて人がやってくるわけで。
これ果たして1日あたりどのくらいのコストなのでしょうか。
厨房はどんな様子なのでしょうか。
そこまでして食事を振る舞うシク教徒の方々に大変に頭が下がりました。
そしてお味の方は、とても美味しいです。
ダールカレーは既述の通りパンジャブの恵みの味であり、さらに今回、このミルク粥の美味さが筆舌堪え難しでした。
お代わりしてしまいたいのですが、食べ終わった人から順次立ち上がり片付けに行くので食い意地張ってる人は晒し者になるという恣意的か非恣意的か分からない上手い仕組みとなっており、かくいう私もその仕組みに負けすごすご退散したのでした。
ご馳走さまでした!
片付けは出口で係の人にお皿を渡すのですが、この係の人はボランティアらしいのですね。
で、人手が大変余ってるんでしょう、20人くらいがバケツリレー形式で食器を洗い場まで運ぶという面白い絵になってました。
そこら中で皿が落ちてカンカラカッシャーン!となっている様子を動画で撮ってたら気さくなシク教徒の方に絡まれ4秒で終わる動画。でも雰囲気は伝わるかと。
なお、お食事代の寄付として50ルピー差し入れました。足りてないかな。。?
外国人も泊まれるようで、ドミトリールームがあるそうです。
無料(寄付制)なのは心惹かれますが、ここには黄金寺院に参拝しにやってくる方が泊まるべきだよなとも思われ、今回は遠慮しました。
宿の外にはチケット手配屋があり、バスチケットは持ち論、ワガ国境ツアーまで手配してました。イタレリーツクセリー。
位置関係はこんな感じ。
青が宿坊です。
さて。
その後はバススタンドまで行きまして次の街へのバス探し。
次の街はダラムサラ。
このEnquiryにenquireしてみたところ、
18:40のバスがあるとのことですがここでは予約は出来ず、HRTC(バス会社)のウェブサイトでのオンライン予約のみとのこと。
無駄足でした。
出発は明日。18:40はちょっと遅いなー、と思ってウェブサイト見てみたら、
昼出発のがありました。
色々寄り道するため到着まで6時間もかかりそうですが、18:40発のはまさかの深夜着になりそうなので、明日昼発ので行くことにします。
しばしマックで休憩。
黄金寺院参道にはマックだけでなくサブウェイもあります。
そして大変に今更ながらですが、ここで映画「ガンジー」を拝見しました。
インドに来て70日目にしてようやくです。
これまでガンジーさんについては非暴力不服従くらいしか知りませんでしたが、この映画のお陰で(多少脚色されてるのかもしれませんが)、インドが独立するまでの苦悩、ヒンドゥーとイスラムのすれ違い、ガンジーさんの苦しみ、そして唐突な暗殺までを、知ることが出来ました。
そこには「アムリトサルの大虐殺」の様子も出てきます。これを見た上で、明日その現場にいこうと思いまして。
もう速やかなる出国を願っている私が言える口ではありませんが、ガンジー、インドを旅するにあたって大変に重要な作品だと思います。ぜひ皆さまもご覧ください。
、、あ、すみません。
インドに行く前提で話をしてしまってましたね。
いずれにせよ日本人として、見ておいて良かったです。
日本が知らない、国として独立することの光と陰を教えてくれます。
またまたやって来ました黄金寺院。
ただ空が全体的にガスってまして。
あまり綺麗な夕焼けが拝めなさそうです。
想定通り残念な日の入り。
夕ご飯の施しを頂きに伺いました。
そもそも黄金寺院に来たのは夕日ではなくこれ目当てなんて事はなく、参拝のついでにご飯を頂きに来たのですよ誰も信じなかろうが!!
安定のミルク粥を一番大きなスペースに入れてもらえて幸せです。
ただ今回私は端っこの席になったのですが、周辺の人が早々に立ち上がり片付けに行ってしまったので私も急ぎ足で頂きすぐさま席を立ちました。
ああ。
お代わりできなかった。。。
34歳MaedaK、大人気なく二週目です。
いえ、募金はお昼の2倍=100ルピーを致しましたよっ。
いや額の問題ではないのは、はい、仰る通りでござまう。。
なお大変恐縮ながら二週目は周りの人たちも大変なお代わりっぷりにつきついつい私も便乗してチャパティ6枚も頂いてしまいました。なので150ルピーは募金すべきでしたごめんなさい。
そんな邪な私の心を二フラムのように消し去るが如き
ななななんなんでしょうかこのコンジキ。。!
これぞ黄金です。畏敬です。光臨です。
周囲の人々も一様に跪いてこうべを垂れて、、、て今これお祈りタイムなんですね!
もうこんな神々しい姿を見せられている私はなんの戸惑いも躊躇いもなく、金色に輝く黄金寺院に祈りを捧げたのでした。
「ご馳走様でした」と。
よく考えたらこの祈りの時間もフル回転してる食堂は凄いし、あの時間にいた人たちは信仰心の薄い食い意地張ったやつばっかだったんだろうな。
私のような。
その後しばらく光り輝く黄金寺院周辺を彷徨う。
そして昼間に並ぶことを諦めた黄金寺院参拝は夜20:00になってもその行列が絶え間無かったため早々に諦めたのでした。
夜も自由なアムリトサル犬たち
そんな黄金寺院尽くしの1日でした。
さて、
明日はアムリトサル大虐殺の庭を見学。
その後ダラムサラという街へ移動します。
ダンニャバード!
でした。
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