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#302 アムリトサル大虐殺。inインド(71) 2018.10.11


って皆さんご存知でしたか。


私はいつも通り知らずにこのアムリトサルの街に来ました。

そして映画「ガンジー」でその場面を見、昨日シク教ミュージアムでその様子の絵を目の当たりにし、


そして本日はその事件の舞台となった場所を訪れる次第です。

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▼徘徊メモ
・行き先:アムリトサル周辺
・手段:徒歩
・料金:ー
・時間:ー


↓アムリトサル地図マップ
(英表記はMapsme表記)

20181012034638296.jpeg 


・左上オレンジ:アムリトサル駅
・右上オレンジ:バススタンド
・青:宿 Bacpackers Nest ドミ一泊400Rs
・左下紫:黄金寺院 
     Golden Temple
・その上の赤:中央スィク博物館 
     Central Sikh Museum
・右の赤:ジャリヤーン・ワーラー庭園
     Jallianwala Bagh
・ピンク:大きな像  参道の中心地?
・その上の赤:Partition Museum


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アムリトサル大虐殺とは。
Wiki先生お願いしますmm。


アムリットサル事件(アムリットサルじけん、Amritsar Massacre)は、1919年4月13日インドパンジャーブ地方アムリットサルシク教の聖地)で非武装のインド人市民に対して、グルカ族およびイスラム教徒からなるインド軍部隊が無差別射撃した事件。市民はスワデーシー(自分の国の意で国産品愛用)の要求と、ローラット法発布に対する抗議のために集まっていた。アムリットサル虐殺事件、事件の起きた市内の地名をとってジャリヤーンワーラー・バーグ事件(Jallianwala Bagh massacre)とも呼ばれる。

当時インドはご存知の通りイギリス帝国の一部となっており、戦後には自治の約束をしておきながら形式的なものにとどまっていた中で、マハトマガンジーさんの非暴力不服従運動を契機として独立への機運が高まり始めていた時代でした。


ローラット法とは破壊活動容疑者を令状なしで逮捕できるとしたもの。当然インド人は猛反発です。そしてアムリトサルでは暴動が発生し、治安部隊が投入され集会禁止令が発令されていました。

そんな中で集まった12000人の一般市民。
非暴力の信念をもった人々は当然非武装です。

そんな一般市民に対し、イギリスのダイヤー将軍は、事前警告も無しに約15分もの間、機銃掃射を命令。
率いられたグルカ兵(ネパール兵士)はなんの躊躇もなく1650発も撃ち続け、3079名が死亡したそうです。※数字は諸説あり。


その事件現場がここ。

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狭い路地の先に広がる広場です。

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中央には石碑が。

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実際に行ってみて気づきましたが、この広場、結構広いのですが、出口が無いのです。

いや、あるにはあるのですが、狭い路地になっています。


事件当時から変わっているかもしれませんが、映画の中では逃げ惑う人々は路地の門に阻まれ、乗り越えようとしたところを容赦なく銃撃され、門の前は夥しい死体の山になっていました。



井戸です。

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広場にあったこの井戸に、人々は次々飛び込んだのだそうです。

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当時井戸がどれほどの深さだったかわかりませんが、この中で溺死ないしは圧死した人も相当数いたそうです。



広場の壁にはかなりの数の銃痕が。

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何度も繰り返しますが、この広場は結構広いです。
そんな広場の南側の壁には西端から東端まで隙間なく、銃痕が残っていました。隙間なくね。



広場の入り口。
先ほど見落としていましたが、こんなものが



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ここに兵士が二列に並び、機銃掃射を開始したそうです。


広場の中心まで結構な距離ありますよ。

それでいて3000名が亡くなるって、相当な殺意を持って引き金を引かないと為し得ないと思うんです。



広場の隅にはギャラリーが。

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アムリトサル大虐殺の絵がありました。

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射撃を命じる将軍と射撃する兵士たち。

20181012035011643.jpeg 



左上は門の前に積み上がる死体、
左は井戸に積み上がる死体。

20181012035016b06.jpeg 


なんという凄惨な光景でしょうか。
言葉になりません。




もちろんこうした事件はこのインドに限らずどの国も持ち合わせている悲しい歴史なんだと思います。


ただ、映画ガンジーを見て、独立に向けて無数の苦悩があり、そして現在ヒンドゥー教・イスラム教・はたまたシク教ゾロアスター教チベット仏教キリスト教ユダヤ教と言った様々な宗教を信じる人たちが一緒になって日々を笑顔に生きているこの国で、実は過去にそうした歴史があった事は大変に胸が焼かれる思いです。



なんでもありのクレイジーインド。
ただそのなんでもありの背景には、過去に負った深い悲しみを乗り越えてのものなのかな、と思うのでした。








うーむ。
これは朝からだいぶ重たい気持ちになってしまったぞよ。


でも良かった。見れて良かったです。私の中に、なんというか、また違った感情が生まれてる気がします。


そして一方で、

日本についての理解不足を一刻も早く埋めたい。再勉強したいです。




広場でひたむきに花開いていた向日葵。

大変に美しく感じられました。


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本日のクルチャ。

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今日も黄金寺院にご飯を食べに参拝しにいこうと思っていましたが、ちょっとそういう気分にはなれなかったので、クルチャで手を打ちました。うまかー。


はい。
アムリトサルに別れを告げ、

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向かいますはダラムサラです。
標高1457m。

また山の上に戻ります。



マナリ 2000m 気温5度
デリー 200m 気温35度
ラダック 3650m 気温ー5度
シュリナーガル 1585m 気温10度
アムリトサル 200m 気温35度
ダラムサラ 1457m 気温10度

高低差ありすぎて耳キーンなるやつです。
そりゃ体調も崩れますわな。


でも致し方ないです。

インド出国に向けて最短ルートを結んでいくとこうなるんです。


バスの車窓はTHEインドの喧騒から、

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徐々に緑が増え始め、

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途中パタンコートで休憩を挟み、

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 20181012035106efa.jpeg

 (一個でいいと言ったのに二個くれやがった)


その後グイグイ標高が上がり


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ついにこんな景色に。

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これ写真じゃ分かりづらいですが、

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ここ雪山です。
この山の向こうの向こうがラダックになります。

ラダックでは4000mの高さから6000m級の山々を見てましたが、今ここでは1500mの高さから6000m級の山を拝見してるわけで、その凄まじさたるや圧巻です。
写真じゃ伝わらないけど。。



はいダラムサラ着。

時刻18:30。真っ暗です。

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さらにここから旅行客が集まる村、マクロードガンジまでバス。

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バスはすでにバススタンドにいて15分ほどで出発。バススタンドの表示を見る限り5分に一本くらいありそうな感じでしたが、夕方〜夜は便数減るのかな。



マクロードガンジまでは30分くらい。

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到着場所はもはや闇の中でした。
バス停車場っぽいですが、暗すぎてわからん。



ちょっと歩くと明るい場所に出ました。


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そして


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チベット料理!!


ええ。

ここダラムサラはチベット文化圏になりまして。チベット料理屋多数なのです。


そしてこの店はなんとブータン料理があったのでトライしました。2枚目の写真がそれです。エマ ダツェ?(Ema Datse)

えっとですね、
めっちゃ辛いですぅぅぅぃぃぃぇぇぇ。
ブータンでは唐辛子がもはや辛味ではなく普通の野菜扱いらしく、わっさわっさ入れるんですって。見た目はクリーミーですが舌は大火災です。
大人しくトゥクパにすべきだった。。

あとなぜこの店来たかって、いつも参考にしてるブロガーさんがここで空芯菜の炒め物を食べてらしたからです。


空芯菜!!!

私大好き!!!

一時期農家さんのオンライン販売で箱買いしてしまい同僚に譲りまくりながらも毎日空芯菜炒めを食べまくり歯がおかしくなった時期がありました。


ただ空芯菜を英語で何というか分からず、

わざわざ


2018101203513313b.jpeg 


こんな画像までキャプって準備したというのに、

品切れでした。




ブータン料理の唐辛子効果で燃えるような心持ちで徒歩30分。

さらに山奥のエリアに進み、本日の宿


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最近できた宿らしく看板がなくて泣きそうでしたが、宿に電話したら迎えに来てくれました。

Triangle Folks。
他宿が一泊800-1000ルピーの中、ここは280ルピーでした神。

いや欧米人バックパッカーがしこたま沈没するらしくこのマクロードガンジなのでもっと安い宿たくさんあるんでしょうが、Booking.comはそんな感じです。


夜に浮かぶマクロードガンジの街。

201810120351331e7.jpeg 


そしてなんか


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この街の野犬たちは

20181012035133eea.jpeg 


足が短い♡
ヤバい明日は本日の野犬日和かしらはぬぅ!!

という事で明日は明日の風でいきます。

いい加減喉の激痛治ってほしい。

ダンニャバード!!
でした。


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コメント

No title

こんにちは。

15年ぐらい前、ボクもここに行ったことがあるので、今回の記事を興味深く読みました。

「射撃を命じる将軍と射撃する兵士たち。」の写真で、ダイヤー将軍の顔が削られていましたね。
ボクが見た時は、目を潰されているだけでした。
ついに顔全体が消されていて驚きました。
今でも憎んでいるのでしょうね。

一言いうとアムリッツァ虐殺のときは、ガンディーの非暴力不服従運動は始まっていませんでした。
この事件を知ったガンディーは暴力で独立達成は不可能と悟って、非暴力不服従を展開します。

ボクがインド人に「植民地時代にイギリスがやった悪いことは?」と聞くと、大体分割統治とこの事件を言います。

Re: No title

>古今東西さん
コメントありがとうございます!
なんと。ダイヤー将軍の顔にそんな変化があったとは。
大変生々しいですね。。

そして当事件の時はまだ運動は始まってなかったのですね。うろ覚えながら映画では広場に現れた兵士を見た集会のリーダーが非暴力云々と言っていたような気がしてまして。ガンジー精神を持つ人々の集まりなんだと思ってました。
インド人に聞いてみた、の件は古今東西さんのブログにもありましたね。
イギリス統治には悪い面だけでなく良い面もあり、学びが多いなぁと思います。

No title

すみません。
早とちりしてしまったようです。

あの場にいた民衆が、ガンディー主義とは関係なく非暴力を主張していてもおかしくありません。
武装していなかったことはたしかですしね。

ではこれからもブログ更新を楽しみにしてます。

Re: No title

>古今東西さん
いえ、私が見てるのも映画上の話ですし、そもそもうろ覚えですし。。!
いずれにせよ悲しい事件であります。。

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MAEDAKプロフィール

Maedak

Author:Maedak
ろくに英語もできないまま地球を東方面へ徘徊しはじめた158cmです。
なにを目指したブログかいまいち模索中ですが、関係各位への生存報告を兼ねて日々更新していきます。記事中の情報はあくまで英語力不十分な私が個人的に体験した限りのことを記載しているまでですので、あくまでご参考程度によろしくお願いいたします。

★2019年5月に無事帰国しました!
 これまで応援いただいた皆々様本当にありがとうございました。
 お陰様でこのブログは2018年11月頃よりブログ村世界一周カテゴリで
 しばらくの間、1位をいただくことができました。
 このブログは記念に残しておきますのでどうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
 また皆さまが旅に出れる日が来ることを心から願っております。


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