#303 チベット亡命政府の街、ダラムサラ。inインド(71) 2018.10.12
- 2018/10/16
- 07:00
そうなんです。
昨日触れませんでしたが、ダラムサラとはそういう街です。
今日、私は分かったようで分かっていなかったチベット問題をちょっとだけ知ることになります。
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▼徘徊メモ
・行き先:アムリトサル→ダラムサラ
・手段:バス ・料金:300ルピー≒480円
・時間:6.5時間 12:10発、18:30着
↓これの一つ目に乗りました。
HRTC(ヒマーチャル・プラデーシュ州公営バス)のサイトから確認できます。
↓ダラムサラ
↓移動図
↓ダラムサラ地図マップ(広域)
(英表記はMapsme表記)
・中央下のオレンジ:ダラムサラ バススタンド
Dharamshala ISBT Bus Stand
・左上赤:ダル湖
Dal Lake
・その隣の赤:チベット難民の学校
Tibetan Childrens Village School
・右上の赤:トリウンドの丘
Triund Hill
↓枠線内拡大図
・オレンジ:マクロードガンジ バススタンド
McLeod Ganji
・青:宿 Triangle Folks ドミ一泊280ルピー
Mapsme上に地図なし
・左下紫:ダライ・ラマ僧院
Dalai Lama temple
・被ってる赤:チベットミュージアム
The Tibet Museum
・緑の左:ブータン料理食べれるTibet kitchen
・すぐ右の緑:ベーカリー有名カフェ Hotel Tibet
・右下緑:日本食レストラン 風の馬
・右上の赤:バグス村の滝
Bhagsu Waterfall
・その近くの紫:バグス村の寺
Bhagsu Nag Mandir
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宿の朝。
昨日は暗い中訪れたので全容を掴めてませんでしたが、なかなかな絶景です。
陽射しはやや暑いくらい。
ちょうどいいです。
もう、ぬこタソが立ったまま寝てまうレベルでつお。
さあ出掛けましょう。
本日はマクロードガンジ周辺をぶらっとしてみます。
周辺はヨガスタジオ?が沢山です。
インド発祥のヨガ。
こんな綺麗な場所でヨガできたらさぞかし楽しいんでしょうね。
さて、 本日まずはマクロードガンジのお隣村、バグス村にある滝を見に行こうと思っていたのですが、まさかの今私が滞在してる場所が実はバグス村だということに先ほど気づきまして。
徒歩5分圏内っぽいです。
まず見えてきたのはお寺。
なぜかプールがあり、
なぜかインド人がすでに入水してました。
寒かろうに。
水があるとつい入っちゃんでしょうね沐浴のしすぎなんじゃないですか。
滝が見えてきました。
結構遠いな!
にしても良い天気です。
明日はトレッキングしようと思ってます。
天気持てばいいけど。
この辺り、 川がめっちゃ綺麗です。
なんならラダックより綺麗です。
そんな水を存分に浴びるジュースたち。
カーッっと飲み干したいですが得てしてインドのジュースは瓶自体が汚いので遠慮。
ヤギ共を追い越してやってきましたは、
滝ー!!
なかなか綺麗じゃないですか!?
インド旅の中でカコイチ綺麗な気がしますよ。
ラダックの川も綺麗そうなのですが地質の問題か濁ってるんですよね。
滝の上にはタルチョ。
良い色はためかせてくれてます。
朝ごはん。
昨日のバス移動の残りです。
バス移動、変なもん食って下痢ると危ないので最近もっぱらポテチです。 いくつか種類ありますが、私はこれが一番好き。
滝からの眺め。
コピペされてた帰り道のヤギ。
ダライ・ラマのウォールアート。
えっと、瀬戸内寂聴さんじゃなかったでしょうか。
途中の山道から見るマクロードガンジの街。
たぶんこの辺がダライ・ラマ邸。
そうなんです。
チベット亡命政府はここダラムサラにあるんですよ。
途中通りかかった、有名なベーカリー。
ホテルチベット併設カフェで、コスパ最高!と幾多のブロガーさんがおっしゃっており。 これ30ルピーのブラウニー。
確かに見た目と裏腹にくどすぎず美味い。
だが量が多い。。。
しばらくこれを片手に歩いてたらインド人共に「ソレナニ!?ドコデカッタノ!?」と群がられました。
すべて無視しました。
いやあのですね、トラベル中のインド人はまじんこウザ男なんです。
皆さんも来れば分かります。
なおマクロードガンジの中心地はベーカリーが沢山です。
巨大ブラウニー片手の今はこれ以上はもう沢山ですが。
露店たち。
これ食べる辣油!?!?
ついつい財布の紐が緩みそうになりましたが、買ったらもう肥え過ぎて日本に帰れなくなる絵が容易に想像ついたので泣く泣く諦めました。
マクロードガンジの様子。
かなり賑わってます。
欧米人の沈没地というだけあって欧米人も多いです。
彼らはこの地で沈没してチベット仏教を学んだり、仏画や瞑想やヨガやマッサージに明け暮れるんですって。
なかなかハードなハードロックカフェ。
どう見てもただのチャイスタンドですが、公認なのでしょうか。
そして唐突ですが、
髪を切りに来ました。
いや有名な日本食レストランが12:00オープンらしいのですが今11:45でして。 暇つぶしです
サイド0.5cm、トップ1.5cm、とゴアと同じオーダーしたら、
ねえどういうこと?
いや、止めなかった私もいけないのですが。
ちょっとどうなるか見てみたくて。
ふふ。ひとり旅の気軽なところです。
さて、
このイケメン美容師。
凄いんです。
なんと2006年にチベットからヒマラヤを超えてこの地に逃げて来たんですって。。
一ヶ月半も要したそうです。
後述しますがチベットエリアは中国政府による弾圧が物凄く、毎年数千もの人がヒマラヤを超えてインドに亡命してくるそうです。
もちろん中国警察が国境では銃を構えてますから国境越えは警備が薄くなる厳冬を狙うんですって。
そのため道中は大変厳しく、凍傷で手足を失ったり、警察に見つかり連行されたり射殺されたりするんですって。
そんな中を乗り越えてきた彼は、
私の髪型を見て
It's cooふっw と
絶対にcmとmmを間違えたのは確信犯だろうという悪戯な笑顔で仕上げてくれました。
ここダラムサラで生活しているチベット人一人一人に、きっと彼のようなエピソードがあるんだと思うんです。
私はもうすでに、胸が一杯です。
日本食レストラン。ルンタレストラン。
Mapsme上は「風の馬」。
メニューはもちろん、店員さんも日本語が通じる素敵仕様。
そして。。!!
揃いも揃った地球の歩き方大教授陣と、
漫画のヤマー!!
こりゃすごい。。
プリーサンタナに次ぐ蔵書量です。 (プリーサンタナは圧倒的No1)
ってことで
早速中国について。
いやもう私心すでに中国です。
チベットについてのわだかまりを抱えつつも、やはりあの麻婆豆腐をレンゲでカッカッカって(以下略
頂きますは
かき揚げ丼たまごとじです。
え?
美味くないわけがなくないでしょうが堪らないですコンチクショー!
しかもこれ130ルピーですから。
バラナシの日本食レストランだったら400ルピーしますから。
こりゃあかんて!
宿越してまうわ!!
幸いこの日はご飯の炊き具合がイマイチだったので宿越しは抑えられましたが、そうでなかったらもう逝ってましたねー。
書棚には
チベット絡みの本は持ち論、ブッダの教えなど多数の書籍が充実しており、沈没にはうってつけです。
私はこれ以上インドで長居はしないと決めているので後ろ髪引かれますが(0.5mmしかないけど)おいとまします。
街中にはラダック以上に曼荼羅の絵やFree Tibetグッズが多数。
チベットを愛するノイミカさんへの贈り物としたいですが、中国入国時に詰問される可能性がありそうなので、我慢します。
街の南外れに来ました。
あの辺がダライ・ラマ邸だと思われます。
ここには僧院があるので見学。
Mapsmeではダライ・ラマ寺院となってますが正式名称はナムギャル僧院かな?
僧院の様子。
ツクラカン堂
カーラチャクラ堂
金色の釈迦牟尼像、
グル・リンポチェ像(チベットに仏教をもたらした方。チベット語で?パドマサンバヴァともいう)、
千手観音像、曼荼羅壁画、等々、
現役の僧院ということでやや派手さには欠けながらも礼拝するのに十分なスペースと落ち着きのある寺院でした。
寺院の外庭ではチベット僧の皆様が各種各様に説法してます。
いや、調べると、説法というか、教義問答ですって。
足を踏みならし手を叩きながら行うんだそうな。
ラダックではそんな光景目にしなかったけど、地域や宗派の違いでしょうか。
寺院の正面がダライ・ラマ邸です。
入り口には当然ゴッツイSPがいらっしゃるので遠目からパシャりしました。
やってきました。
チベットミュージアム。
うーん、 どうしようか迷いましたが、
折角の機会なのでチベットについて、みんな大好きWiki先生に一鞭いただいてみようとおもいます。
私も分かったようで、全然分かってなかったチベットの歴史と現状です。
以下、参考:Wikipedia「チベット問題」 ※この手の内容はWiki先生の講義が1000スクロールしても足りないくらい長いので、他のサイト等々も参考にしつつ私の勉強メモとして以下まとめてます。
▼チベット国旗
▼チベットエリア地図
▼概要
チベット問題は、チベット地域に対する中華人民共和国の支配・統治にともなって生じる各種の問題である。
▼チベット問題 近代史
・チベットはかつて、ひとつの独立国家だった。
・しかし「もともとは中国だった」という強引な理屈と、軍事力の脅しによって、中国による1949年にチベット侵攻が開始される。
・1951年、かつてのチベット政府は、中国の軍事的脅威のもとで中国政府と「17条協定」を締結→中華人民共和国によるチベットの併合を「祖国大家庭への復帰」「解放」であるとし、チベットの全土を「中国の地方」とし、従来のチベット政府は「地方政府」である、と位置づける内容。
・その後中国はチベットの95%以上の僧院を破壊し、多くの僧侶を還俗させ、経典を焼き、仏像を破壊。
・さらに僧院を中心とした社会の仕組みを壊し、チベット人の土地を勝手に分配し(「民主改革」)、遊牧民から放牧地を取り上げて定住させようとした。
・結果、反中国の抵抗運動が、中国に近い東チベットで起こり、全チベットに広まったが、中国は武力で圧倒。
・1959年にはチベットの都ラサで市民による大規模な反乱(チベット動乱)が起こるも中国軍に鎮圧。ダライ・ラマ14世は、これ以上の戦いを避けるため、インドへ亡命。
・ダライ・ラマ14世がチベットを去った後、中国は中央チベットに「チベット自治区」を成立させる。チベット人の中国への抵抗は根強かったが、中国に従わない者は容赦なく投獄及び殺害。
・もともとそれほど多くの人間を養うような肥沃な土地の少ないチベットに軍人などが急に流れ込んだために食糧事情が悪化し、大量の餓死者も発生。1989年の中国社会科学院の調査では、飢饉で死亡した数は1,500万人とされる。
・60年代から70年代にかけては「文化大革命」によりチベット風の伝統はすべて否定され、残っていたわずかな僧院も破壊。
・文化大革命の後には弾圧が多少軟化し、チベット仏教が認められ僧院の再建やチベット語の学校建設などが進む。ただしその後チベット地区の人々が反中国ないしはチベット独立を訴え始めると1989年に中国はラサに戒厳令を敷くなど弾圧がつよまっていく。
▼現代の状況
・僧院などの宗教施設は形だけは復活したが、僧侶の数に制限が設けられ、共産党のチームが駐屯して「愛国教育」と称する講習を行なっている。そこでは、チベット人の指導者であるダライ・ラマ法王をののしることが強制され、嫌がる者は僧籍を剥奪されて追い出されたり「分離主義者」として投獄されて拷問を受ける。
・ラサでは、96年頃から寺院を含む公の場所でダライ・ラマ14世の写真を掲げることが禁止された。
・長い中国支配の下でチベット語を教える教師が減り、中国語しか話せないチベット人が増えている。
・多くの役所や職場を牛耳っているのは中国人なので中国語ができないと就職もままならない。
・「ダライ・ラマ万歳」「チベットに自由を」などとスローガンを叫んだだけで、裁判もなしに過酷な環境の刑務所に投獄され、労働矯正キャンプに送られ、拷問を受け、死刑になる人もいる。
・人口が希薄なチベットに、人口過密な中国本土から大量の人口を故意に移動させる動きも盛ん。移住者は税金面で優遇を受け、高い給料を受け取る一方、地元のチベット人から仕事を奪う。
・移住してきた中国人が食べる小麦や野菜をつくるために、遊牧民の土地が奪われ、急激に人口が増えたために、生態系が破壊される。
・チベット人には産児制限を押しつけ、避妊や中絶を強制しているという報告も。1997年にチベットの女性に対する強制手術や人工流産の数は883件と分かっており、その結果、1人が死亡し、3名の女性が死産。その他、たくさんのチベット人女性が妊娠したため罰金を科された(情報の真偽性は不明)。
・党局に認可されたチベット人シンガーの楽曲でないものは禁止処分され、公安の検問所ではチベット人の携帯電話の非合法曲や着メロの検閲を行っている。
▼チベット亡命政府(ダライ・ラマ)の主張
宗教的な最高指導者であるダライラマ14世は1987年に「チベットに関する五項目和平案」を次のように提案。
・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し回復させ、チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する
さらに、1988年に「ストラスブール提案」において「チベット人による高度な自治が認められれば、独立は求めない。」とまで譲歩・主張。
▼チベット問題に関連する犠牲者の数
チベット亡命政府や西側諸国政府による調査の結果、チベット動乱前後(1950〜1976)の中国によるチベット侵攻および併合政策の過程で、チベット全域で120万人にのぼる犠牲者が出たとしている。
* 173,221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。
* 156,758人が処刑死。
* 342,970人が餓死。
* 432,705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。
* 92,731人が拷問死。
* 9,002人が自殺。
以上、合計120万7387人。
なおここには1980年代以降の犠牲者数は含まれない。
▼中国側の資料
・これに対し、中華人民共和国はチベットや西側政府の調査について否定しているが、地方ごとの個別事例として、兵士や一般民衆に対して相当規模の殺害を認知している。
・また、統治権を主張する中国の立場からすると、一連のチベット人による動乱は「反乱」であり、「虐殺」は反乱分子の「平定」とされる。
▼中国がチベットにこだわる理由(俗説)
・レアメタルなどの鉱物資源
・核廃棄物など産業ゴミの廃棄場
・対インド政策の戦略拠点
いかがでしょうか。
「まとめようのない感じ」が伝わりますでしょうか。
この手の話、イスラエル問題も同様ですがそれぞれにそれぞれのの正義があり、正解を得ることは困難を極めるのだとおもいます。
前回イスラエル訪問時にも同様のことを書いた気がするですが、まずはこのチベットで何が起きていると「主張されているのか」を知ること。
出来る限り、幅広い立場の見解を知ること。
まずはそこだけでも、という想いで上記、箇条書きにしてみました。
なおWikipedia「チベット問題」の項目だけでも上記には挙げられなかった手元が震えるような記述が山ほど出てきます。
そんな前段を踏まえて、
長くなりすぎましたが、チベットミュージアムです。
ミュージアムは無料。
二階の映像フィルムは10ルピーです。
チベットエリアの説明と共に、
チベット侵攻についての説明から始まります
侵攻の様子、家族や家を失った人々、
そして破壊されてしまった信仰の対象。
※閲覧注意※
焼身自殺を図る人、
右に見えているのは焼身自殺を図った方々の生前のお写真です。
紹介されていた彼らの最後の言葉を抜粋。
「神さま、チベット人として生きていくのはあまりにも難しい」
ヒマラヤを歩いて超えてインドへ亡命してくる人々。
中国警察に見つかり射殺されてしまった方。
これみてたらさっきの床屋の兄ちゃんの笑顔がもう焼き付いて離れんですよ。
映像フィルムは11時と15時に開催。
土曜月曜はお休みのようです。
Story of Tragedy。
訳すと「悲劇のストーリー」です。
映像は全編英語で内容は理解しきれませんが、チベット侵攻そして破壊されていくチベット人たちの様子が紹介されていました。
もう言葉にならない映像です。
多少脚色はあるのでしょうが、にしても。
今日の今日まで、
チベット問題について、なんとなく知った風でいて、全然分かってなかった私でした。
Wikipediaやその他様々な方の見解や主張を(ネットだけですけど)見ても、まだまだ理解しきれない部分も多いです。
チベット社会やチベット仏教、中国社会や中国近現代史を理解しないと、公正に理解することは難しそうです。
私は今、チベット側の見解を見知りました。
さて。中国側の見解を見知ることは出来るでしょうか。
下手すると中国当局タイーホでしょうからなかなか難しいのだとは思いますが。
過去から学び、
いまを楽しみ、
未来を創る。
前職の上司の言葉です(ちょっと違ったかも)。
それはとてもとても難しいことなんだと思いますが、未来を創る一端を担う者として、先人たちの歴史に紐付く現代世界をもっともっと学びたいと思う所存です。
チベットミュージアム前のダラムサラ犬たち。
いまを楽しんでいらっしゃる。
超絶痒かったらしい。
明後日朝、
ダラムサラから次の街に行きます。
リシュケシュに行きたいのですが、一旦途中にあるチャンディーガルに立ち寄ろうと思っています。
デリー行きのバスに乗り途中下車することになるのですが、朝早くからありますね。
うん問題なさそう。
と言いながらこれマクロードガンジ発と書いてますが行ってみたら「ダラムサラ発だよ!」とか「今日はバスは無い!」とか言うんでしょう?
ひとまずBooking counterと書いてあった窓口で明後日の切符を購入。
おっさん、発券後、切符内容を読み上げる「オッケー!じゃあ、チャンディーガルまで、300なんたらルピー、朝8:00、13日ね」ちょっと待ったぁー!!
すかさず渡してた500ルピー札を奪い取った私の反射神経に拍手。
明後日は13日ではなく14日です。
私「デイアフタートゥモロー!!」
おっさん「ふぇ?トゥモロー?」
会話にならなかったので一旦引き上げました。
まあバスはたくさんありそうなんで予約なしで行きましょう。
なお列車だと一度発券されてしまうと内容が間違ってても(たとえおっさんの入力ミスでも)、再度キャンセル手続きの申請が必要で、かつキャンセル手数料を取られると言うインクレディブル・インディアなので、さっさと取り返した500ルピー札をもってトンズラしました。
って事で
名前を忘れた酢豚っぽい中華メニューをいただきながら、
チベット問題に関する湧き出る想いをKINGFISHER STRONGで煽るように頭の中は散らかるのでした。
宿前のダラムサラ犬たちがコピペされていた。
そんな一日です。
明日はちょっとチベット問題を忘れてトリウンドと言われるトレッキングルートを行ってみます。
こんな時は山です、山。
ダンニャバード!
でした!!
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