#338 シルクロード編、始めます。inイラン(1) 2018.11.16
- 2018/11/20
- 07:00
そうなんですー。
ちょっとこれからしばらく大陸ロマンを味わって参りたいと思いますよ。
てことでまずはイランです。
ほんとはインドより先にイラン行こうと思ってたのですが諸事情で後回しになってました。
もうほんとね、なかなかクセのある国ですが、思いきって楽しんで行きたいと思いますよ。
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▼徘徊メモ
・行き先:オマーン→イラン・テヘラン
・手段:飛行機
・料金:23,922円
※元々クウェート航空のクウェート経由だったが急遽キャンセル。オマーン航空での直通便となった。
・時間:2時間 1:30発、4:00着(時差+30分)
↓移動図
↓テヘラン地図マップ
(英語表記はMapsmeでの表示名)
・枠線下のオレンジ:南バスターミナル
テルミナーレ・ジョヌーブ
South Terminal
イスファハーン、シーラーズなどはここから。
・枠線左のオレンジ:西バスターミナル
テルミナーレ・ガルブ
West Terminal
テルミナーレ・ガリブ
アルメニア、アゼルバイジャン行きはこちら。
・すぐ隣の赤:アーザーディー・タワー
Azadi Tower
・枠線左上の赤:ミラドタワー
Milad Tower
・右上のピンク(黄色に近い方)トルクメニスタン大使館
Embassy of Turkmenistan
・その近くの黄色:地下鉄タジュリーシュ駅
Tajlish
・右上のピンク(緑に近い方):ウズベキスタン大使館
Uzbekistan Embassy
↓枠線内
・青:宿 Hotel Mashhad 一泊3ドル 激安。
・左上ピンク:ツーリストポリス
Immigration and Passport Police of Tehran
・下の黄色:地下鉄イマーム・ホメイニー駅
テヘランの中心駅 構内にSIM屋もある
Emam Khomeini
・真ん中の黄色:地下鉄フェルドウスィー駅
両替屋が多数集積しているエリア
Ferdowsi
・右上の赤:旧アメリカ大使館
Former U.S. Embassy
・中央四つある赤の左下:イラン考古学博物館
National Museum of Iran
・中央四つある赤の左上:陶器博物館(正式和訳不明)
Glassware and Ceramic Museum of Iran
・中央四つある赤の右上:宝石博物館
National jewellery museum
・中央四つある赤の右下:エブラット博物館
シャー独裁時代の黒歴史が見られるらしい
Ebrat Museum
・下の赤:ゴレスターン宮殿
Golestan Palace
・一番下の緑:この辺り一帯が巨大なバザール
・下から二番目の緑:何かと話題の特盛レストラン
Moslem Restaurant
・宿すぐ右の緑:カラーコピー屋
詳しくは11/17の日記にて
↓メトロ路線図
Line6(ピンク),7(紫)は未開業のようです。
Line8(国際空港)は開業済み。詳細は11/16日記にて。
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Welcome to Iranーー!!!
的なオブジェがまったく見あたらず、
あれよあれよと言う間にアライバルビザ の流れ作業に乗り、
ここアライバルロビーです。
そしてこの風景、
こいつら全員両替商です。
なんなんですかコイツら。
インドだったらインド人共が大軍で「チェンジチェンジチェンジ!」叫んでるのをひと塊りにして一撃で黙らせることが出来るのですが、
ここの奴らはスッと脇に入り込んできてはヒソヒソと「チェンジ?」と来やがる。それが代わる代わる断続的に続くんです。
これがウザイラン人ね。
後で説明しますがこやつら闇レート両替商なので大手を振って大声は出せないのでしょう。
こんなに屯して声かけまくってるわけです
完全に取り締まられてるわけじゃないだろうけどね。
さて、
話を戻しまして。
イランは何がややこしいって、ざっと以下です。
1.ビザ面倒
2.ATMが使えない
3.お金の単位が数十万級
4.お金の単位が二種類ある
5.闇レートが公然と存在する
6.衣服規制がある
7.祝日と暦が他国と違う
8.ネット閲覧規制がかかる Facebook, FC2など
9.Booking.comに宿が載ってない
10.インドより英語が通じない
ひとまず1。
ただ今回私は必殺「大金叩いてアライバルビザ」なので難なくクリアですが、みんなジョージアやらキルギスやらで苦労して取るんですよね。
一応2018年11月時点の私のケースは以下でした。
特に直近での大きな変化は無さそうですよ。
(追記:赤字部分が他の人と違いました。今後みんなこうなのかな!?)
1.パスポートコントロールの部屋の左手にVISAと書かれた案内があり、それに従い部屋へ。
2.気さくな兄さんに「コニチワー!」といわれ(深夜4:00。深夜便でも問題ないのでしょう。)、まずは奥のカウンターで保険料を支払い。ドル16$かユーロ14€。
ユーロのレート悪いですね。
3.気さくなお兄さんにビザ申請カードを渡されるので記入。名前・パスポート番号などに加え、滞在先宿の名称・住所・電話番号が必要。私、宿名はHotel Mashadと決めてたのですが手元にメモなくて、お兄さんに『向こう行けばWi-Fi繋がるから!』言われたもののWi-Fi繋がらず、お兄さん調べてよ、とか駄々捏ねてたら奥のカウンターの保険証発行してくれたお姉さんたちがネットでググってくれました。
4.保険証とビザ申請カードを持って部屋内の銀行窓口へ。60ユーロを請求されたのでそのまま支払い。なぜユーロご指名?(ドルでも払えるはず)
5.しばらく待つと、気さくなお兄さんにパスポートを返され、パスポートコントロールへ進んでOk!と言われる。
んでもってパスポートコントロールは1分足らずで終了。
。。。あれ、
スタンプもないしビザっぽいものも無いけど良いんでしょうか。
パスポートのICかなんかに記録されてるのかな。
(後日ツーリストポリスに聞きに行ったら「これは電子ビザだから問題ない」と言われました。私がでもみんな紙のビザを貰ってる!私にもくれ!」とゴネたらパスポートの最後のページにバーコード付きのシールを貼られ、「これがお前のビザナンバーだ」と言われました。出国時にこれを見せずに出国可能か検証してみます。上記やりとりの詳細は明日の日記にて)
なんでも良いからそれっぽいの撮っておけばよかった。。
アライバルロビー目の前にSIM屋がありますが、大混雑してます。
同じコンコースの反対側にもSIM屋があり、全然並んでませんでしたが、
「イラン初入国時の初日は機械がパスポートを読み込めないので無理」と言うことで買えませんでした。
5GBが5ドル、11GBが7ドル。。。だったかな。
さてここで先述の問題2,3,4,5。
まずイランはATMで外国のカードが使えません。
なので両替で行かねばなのです。
このために私はギリシャで800ユーロを下ろし、大量の現金とともにここまで来ました。
気がつけば440ユーロまで目減りしてますが、ドルを随所で調達し450ドルあるのでまあ大丈夫でしょう。
そして再三再四の通り、そこら中に両替商のフリした男共がたくさんうろついてますが、二階(出発ロビー)に両替屋があります。
そして次の問題。
闇レートが存在し、かつ公定レートと闇レートに大きな差がある点。
まず上記の両替屋で20ユーロを両替しました。
為替アプリ(公定レート)だと959608リヤルです。
はいもうお気付きの通り次の問題点3です。
桁がデカすぎる。
公定レートでは10,000リヤルが27円くらいです。水一本買うのに10,000リヤルを持ち出すのです。
ただご安心ください。
500,000札とかあるので余裕です。
話戻しまして。
公定レートでは20ユーロが約96万リヤルなんですが、
この両替屋ではなんと250万リヤルになりました。
すでに公定レートを大きく無視されてます。
え!?
これ大儲け!?!?
なんて騙されんぞ私は。どんだけインドで人間不信力を鍛えてきたと思っとるねん。
ここは空港です。
ぼったくらない、わけがない。
幸い空港のWi-Fiが1時間だけ使えるので闇レートについて色々調査。
さすると正確性は謎ですが、どうやらこのサイトの表示がおおよその闇レート?だとか。
https://www.bonbast.com
なおこのサイト、イランではVPN接続しないとネット規制引っかかって閲覧出来ません。
これが問題点8。
もーー。いちいちイラン節効かせてくる。
さて、
このサイトを鵜呑みにしてみると、
1ユーロ=141,450リヤルです。
20ユーロ=2,829,000リヤルです。
※このサイトの表示単位は「リヤル」じゃなく「トマン」です。これ問題点4です。桁表示が二種類存在。1トマンは10リヤルです。
私の両替は2,500,000だったので、
そのまま計算すると329,000リヤル手数料持ってかれてます。
。。。329,000リヤルって何円分ですか泣
もうわけワカメです。カオス過ぎます。
なお今日一日、この辺の金銭感覚は一切馴染めませんでした。
ひとまずオマーン空港で買ったパンで腹ごしらえ。0.3OMR≒90円です。
急に、お金の価値が定義されていることの大事さを痛感するのでした。
ここはイラン・イスラム共和国。
当然お祈りルームもありますよ。ムスリムの皆さまへの吉報でした。
さて、
この辺でまた尺を頂きまして私的イランメモをペタッとさせてください。
毎度すません。
イランは私の旅路的にミッシングピースなのでいつもより長めです。
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▪️国名:イラン・イスラム共和国
英語表記:Islamic republic of Iran
ペルシア語: جمهوری اسلامی ایران
イラン人自身は古くから国の名を「アーリア人の国」を意味する「イラン」と呼んできたが、西洋では古代よりファールス州の古名「パールス」にちなみ「ペルシア」として知られていた。1979年のイラン・イスラーム革命によって国名はイランと定められた。
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▪️地理:
・北:カスピ海
・北西:アゼルバイジャン、アルメニア
・北東:トルクメニスタン
・東:アフガニスタン、パキスタン
・西:トルコ、イラク
・南:ペルシャ湾
◾️首都:テヘラン
▪️人口:8,142万人 世界18位
(日本は1億2675万人で世界10位)
※2017年IMF調べ
▪️国民:ペルシア人51%、アゼルバイジャン人25%、クルド人7%。
※wikipedia参照
▪️言語:ペルシア語
こんにちは سَلام۔ サラーム
ありがとう مرسی メルスィー
▪️宗教:イスラム教シーア派90%、イスラム教スンナ派9%
※wikipedia参照
▪️通貨:イラン・リヤル(IRR)
1IRR≒0.0027円
10,000IRR≒27円
当サイトでは以後1万リヤル≒27円
ではなく空港両替レート1万リヤル≒10円で記載します。
▪️物価:水500ml 20円くらい?
紙パックジュース1リットル 150円くらい?
※テヘラン内、街の売店調査
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▪️歴史
<古代>
・紀元前3000年 メソポタミア文明興る
・紀元前2000年 古バビロニア王国建国
・紀元前11世紀 エラム王国繁栄
・紀元前8世紀 アッシリア帝国がメソポタミア統一
・紀元前7世紀 ゾロアスター教成立
・紀元前550年、アケメネス朝のキュロス大王がペルシア帝国を建国、紀元前539年にバビロン捕囚にあったユダヤ人を解放するなど各地で善政を敷き、またゾロアスター教をその統治の理念とした。
・紀元前6世紀 ベルセポリス造営
・アケメネス朝はマケドニア王国のアレクサンドロス大王率いるギリシャ遠征軍によって紀元前330年に滅ぼされたが、まもなく大王が死去して始まった後継ぎ戦争=ディアドコイ戦争の後、セレウコス朝シリア(紀元前312年 - 紀元前63年)の支配下に入った。
・セレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトとが争ったシリア戦争中の紀元前247年にペルシア帝国を受け継ぐアルシャク朝パルティアが成立し、ローマ・シリア戦争でセレウコス朝が敗れるとパルティアは離反した。
・パルティア滅亡後は226年に建国されたサーサーン朝ペルシアが続いた。サーサーン朝は度々ローマ帝国と軍事衝突し、259年/260年にシャープール1世は親征してきたウァレリアヌス帝をエデッサの戦いで打ち破る。
・イスラーム期に先立つアケメネス朝以降のこれらの帝国はオリエントの大帝国として独自の文明を発展させ、ローマ帝国やイスラム帝国に文化・政治体制などの面で影響を与えた。
<イスラーム化>
・7世紀に入るとサーサーン朝は東ローマ帝国のヘラクレイオス帝との紛争やメソポタミアの大洪水による国力低下を経てイスラーム勢力に敗北を重ね、651年に滅亡した。
・イランの中世はこのイスラームの征服に始まる幾多の重要な出来事により特色付けられた。873年に成立したイラン系のサーマーン朝下ではペルシア文学が栄え、10世紀に成立したイラン系のブワイフ朝はシーア派イスラームの十二イマーム派を国教とした最初の王朝となった。
・11世紀から12世紀にかけて発達したガズナ朝やセルジューク朝やホラズムシャー朝などのトルコ系王朝は文官としてペルシア人官僚を雇用し、ペルシア語を外交や行政の公用語としたため、この時代にはペルシア文学の散文が栄えた。
・1220年に始まるモンゴル帝国の征服によりイランは荒廃し、その後14世紀から15世紀にかけてイラン高原はティムール朝の支配下に置かれた。
・1501年にイスマーイール1世がサファヴィー朝を開いた。シーア派イスラームの十二イマーム派を国教に採用し、遊牧民のクズルバシュ軍団を率いて各地を征服し、シーア派教学を体系化したことによりサファヴィー朝治下の人々の十二イマーム派への改宗が進んだ。
・サファヴィー朝第5代シャー(=ペルシア語で「王」)アッバース1世の時代に最盛期となり、イスファハーンへ遷都、シーア派国家としてスンナ派のオスマン帝国と対抗した。
・1629年にアッバース1世が亡くなると急速にサファヴィー朝は弱体化し、1638年にオスマン帝国の反撃で現在のイラク領域を失う。サファヴィー朝は1736年に滅亡し、その後政治的混乱が続いた。
<西欧列強との戦い>
・19世紀ガージャール朝の時代に、ペルシアはイギリス、ロシアなど列強の勢力争奪の草刈り場の様相を呈することになった。
・第一次ロシア・ペルシア戦争にてロシア帝国に敗北。ロシアに対しグルジアやアゼルバイジャン北半(バクーなど)を割譲。
・1826年 第二次ロシア・ペルシア戦争でも敗北後。ロシアに対しアルメニアを割譲、多額の賠償金と不平等条約を締結。
・その後も英国からの圧力や内政の混乱が続く中、1905年に日露戦争にて日本がロシアに勝利すると、この日本の勝利は議会制と大日本帝国憲法を有する立憲国家の勝利だとイラン人には受け止められ、ガージャール朝の専制に対する憲法の導入が国民的な熱望の象徴となりイラン立憲革命が始まった。イラン人は国王に対して議会の開設を求め、1906年8月5日に議会開設の勅令が発され、9月9日に選挙法が公布、10月7日にイラン初の国民議会が召集されたが、1911年にロシア帝国軍の直接介入によって議会は立憲政府自らによって解散させられた。
・1914年の第一次世界大戦勃発を迎えると、既にイギリス軍とロシア軍の勢力範囲に分割占領されていたイランに対し、大戦中には更にオスマン帝国が侵攻。イラン国内ではドイツ帝国の工作員が暗躍し、国内では戦乱に加えて凶作やチフスによる死者が続出した。
・1917年ロシア革命に乗じてロシアの支配が弱まるとイギリスは単独でのイラン支配を目指して1919年「英国・イラン協定」を結びイランの保護国化を図った。
・この協定に激怒したイランの人々は急進的に革命化。1921年4月にイギリス軍が、10月にソビエト赤軍がそれぞれイランから撤退。その後実権を握ったレザー・ハーンは自らが皇帝に即位し、パフラヴィー朝が成立した。
・パフラヴィー朝は不平等条約破棄、軍備増強、民法、刑法、商法の西欧化、財政再建、近代的教育制度の導入、鉄道敷設、公衆衛生の拡充などの事業を進めたが、その後に独裁化を強め、反イスラーム的な統治を行った。
・1935年 国号をペルシアからイランへと変更。
・第二次世界大戦では連合国によってイラン進駐を被り敗北。イギリスとソ連によって領土を分割された。
<近代化>
・1940年代に国民戦線を結成したモハンマド・モサッデク議員は、国民の圧倒的支持を集めて1951年4月に首相に就任したがその後失脚。これによりパフラヴィー朝の皇帝レザー・パフラヴィーは自らへの権力集中に成功。白色革命の名の下、米英の強い支持を受けてイラン産業の近代化を推進し、大地主の勢力を削ぐために1962年に農地改革令を発。特に1970年代後期には独裁の色合いを強めた。
<イラン・イスラーム共和国>
・パフラヴィー朝の独裁的統治は1979年のイラン・イスラーム革命に繋がり、パフラヴィー朝の帝政は倒れ、新たにアーヤトッラー・ホメイニーの下でイスラム共和制を採用するイラン・イスラーム共和国が樹立された。
・新たなイスラーム政治制度は、先例のないウラマー(イスラーム法学者)による直接統治のシステムを導入するとともに、伝統的イスラームに基づく社会改革が行われた。
・革命による混乱が続く1980年には隣国イラクのサッダーム・フセイン大統領がイラン南部に侵攻し、イラン・イラク戦争が勃発、1988年まで続いた。
・国政上の改革派と保守派の争いは、選挙を通じて今日まで続くものである。2005年は保守派候補マフムード・アフマディーネジャードが勝利し、2013年は保守穏健派のハサン・ロウハーニーが勝利して第7代大統領に就任した。
▪️国際関係
・サウジアラビア:近年ではイラク戦争やアラブの春の混乱で、イラク、シリア、エジプトなどの中東の有力国が国力を落とす中、相対的に中東におけるイランとサウジアラビアの影響力が拡大し、それぞれシーア派とスンナ派の盟主として対立が強まっている。シリアやイエメンの内戦では異なる勢力を支援し事実上の代理戦争の様相を呈している他、両国の外交官の追放など対立が表面化している。
・ロシア:中央アジアにおけるアメリカ合衆国の政治的影響力の拡大を抑制することに共通の利害を持つ。貿易量も大きいが、カスピ海を巡る論争などもあり決して友好的ではない。
・シリア:他のアラブ諸国と異なり非スンナ派政権である事に加え、イラン・イラク戦争ではイランを支持した背景があり、イランとは現在でも事実上の盟邦関係を継続中。反米・反イスラエル、反スンニ派イスラム主義、国際的孤立化にあるなど利害が一致する点が多い。近年ではシリア内戦でイランがアサド政権を支援するなど、政治面の他、経済・軍事面でも一体化を強めつつある。
・アメリカ: 1953年 - 1978年のイラン・パフラヴィー政権時代は政権が事実上アメリカの傀儡であったため、アメリカとの関係は質量ともに重大だったが、1979年4月のイスラム革命でパフラヴィー政権が倒された際、革命政権が反アメリカ姿勢を取り、1979年11月にアメリカ大使館を占拠し大使館員を人質に取る事件を起こし、アメリカ・カーター大統領は1980年4月にイランに対する国交断絶と経済制裁を実施。また1984年にレーガン大統領がイランをテロ支援国家と指定し、2008年現在まで指定を継続している。
1953年 - 1978年のパフラヴィー政権時代は政権が事実上アメリカの傀儡であったため、アメリカとの関係は質量ともに重大だった。1979年4月のイスラム革命時に、革命政権がアメリカ政府に対して、パフラヴィー政権時代の不平等な関係を平等互恵の関係に変更し、パフラヴィーが私物化した財産をイランに返還し、パフラヴィー元皇帝の身柄をイランに引き渡すことを要求したが、カーター大統領はその要求を拒否して、イランの在米資産を接収した。革命運動勢力はアメリカ政府の姿勢に対する反発で、1979年11月にアメリカ大使館を占拠し大使館員を人質にアメリカ政府に対する要求を継続した。カーター大統領は1980年4月にイランに対する国交断絶と経済制裁を実施した[38]。イスラム革命時以後の歴代のアメリカ議会・政府は、イランを反米国家と認識し、イランに対する国交断絶・経済制裁・敵視政策を継続している。アメリカ政府は1984年にレーガン大統領がイランをテロ支援国家と指定し、2008年現在まで指定を継続している。
・日本:イランは日本にとって、サウジアラビアとアラブ首長国連邦に続ぐ三番目に重要な石油供給国である。また、日本とイランはアフガニスタン再建やイスラエル=パレスチナ紛争などの中東の地域的な外交関係において協調している。日本とイランの貿易収支はイランに重大な比重があり、日本は自動車や電気製品、重要な石油製品や石油化学製品を輸出している。
▪️経済
・名目GDP:4,307億ドル 世界27位
(日本は4兆8,721億ドルで世界3位)
・一人当たりGDP:5,289ドル 世界97位
(日本は38,439ドルで世界25位)
・経済成長率:3.732% 世界83位
(日本は1.713%で世界150位)
・失業率:11.81% 世界20位
(日本は2.88%で世界99位)
※数値は2017年IMF調べ
・イランの経済は中央統制の国営イラン石油会社や国有大企業と、農村部の農業および小規模な商業、ベンチャーによるサービス業などの私有企業からなる混合経済である。
・政府は以前から引き続いて市場化改革を行い、石油に依存するイラン経済の多角化を図っており、収益を自動車産業、航空宇宙産業、家電製造業、石油化学工業、核技術など他の部門に振り分け投資している。
・現代イランの中産階級の層は厚く堅実で経済は成長を続けているが、一方で高インフレ、高失業率が問題である。
・財政赤字は慢性的問題で、これは食品、ガソリンなどを中心とする年総計約72億5000万ドルにものぼる莫大な政府補助金が原因の一つとなっている。
・OPEC第2位の石油生産国で、2016年現在の生産量は200万バレル/日である。確認されている世界石油埋蔵量の10%を占める。また天然ガス埋蔵量でもロシアに続き世界第2位である。原油の輸出は貴重な外貨獲得手段である。
・農業については国家投資、生産自由化による活発化が目指され、外国に対する売り込み、マーケティングなどで輸出市場を開発し、全般的に改善された。ナツメヤシ、ピスタチオ、花卉など輸出用農業生産物の拡大、大規模灌漑計画により1990年代のイラン農業は、経済諸部門のなかでも最も早い成長のあった分野である。
・バイオテクノロジーと医薬品製造などにも力を入れている。
・主要貿易国はフランス、ドイツ、日本、イタリア、スペイン、ロシア、韓国、中国などである。1990年代後半からはシリア、インド、キューバ、ベネズエラ、南アフリカなど発展途上国との経済協力も進めている。また域内でもトルコとパキスタンとの通商を拡大させており、西アジア、中央アジアの市場統合のビジョンを共有している。
+++++++++++++++++++++++++++
トルコ、中東、インド、と見てきた歴史の流れがこのイランによって埋まった感があります。
でもあれですね。やっぱ覚えてないもんですね。セルジューク朝とか何だっけ?て。
こうして調べ直しながら点を線にしていきたいです。
はい、
話を戻しまして。
さっきっからジロジロ白い目で見られてる原因と思われる短パンを長ズボンへ履き替えます。まだまだ続く問題点、今度は服装規制ね。観光客にも例外なく適用されるんですと。この点では中東よりも厳しい感じ。
なおトイレは全て和式でした。しかも便器小さい。イラン人みんな背が高いですがみんなどうしてるんでしょう。
さて。市内へ。
ここ数年で空港から市内へメトロが接続されたそうなので使ってみますよ。
アライバルロビーに
「Train ■ (←エレベーターマーク)」と
あったのでエレベーターで地下に降りたら駐車場でした。
正解は2Fでした。
上か下か書いておいてくださいませんか。
メトロ時刻表。
1時間半に一本しかないんですよねー。不便すぎる。
チケット窓口で宿の近くの大きな駅Emam Khomeini(エマム ホメイニー)と言うと「8」と言われました。
50万リヤル札を打ち込んだら42万リヤル返ってきました。
8万リヤルだそうです。
ああもうこれ日本円でいくらなのよ。。
(しかも後日気づきましたが市内はメトロ一乗車1万リヤルです。ボラれた!?)
と思ったらこれトークンじゃなくてお釣りの小銭でした大・混・乱!
もうこの小銭が何リヤルなのかもはや謎です。
列車は6:45くらいにホームイン。
たっぷり30分くらい乗車。
乗客全員爆睡してました。まあみんな徹夜フライトでしょうからね。
路線図発見。
この左下のLine8てのが最近できた空港行きの路線らしいです。
(後日追記:Line6(ピンク)とLine7(紫)は未開業です。)
数駅(だけど30分くらいかかる)で到着する終点、Shahedと言う駅でLine1のTajrih方面に向かう列車へ乗り換えです。
雨!!
久々に雨を見ました。
そしてさむっ!!!
後で調べたら気温7度ですって!!
なにこれこんな寒いのテヘラン!?
はいやってきましたテヘラン着いたらみんなここ泊まるらしいマシュハドホテル。
イランてオンライン宿予約がほぼ出来ないのでどうしても飛び込みになりますが、空いてました。むしろガラガラです。寒い季節になってくるからかな。
さてチェックイン。
ここで私、問題に気づきます。
オーナー「ビザは?」
私「へ?」
悟る私。
ああ、
空港のパスポートコントロールの職員、ヘマしたな?
聞けばちょうど宿泊してた日本人の彼は3週間前にアライバルビザ でインしてちゃんとビザの用紙もらってるんだそうです。
えーなにこれ!
いや、たしかに今の状態、私って「イランに入国した証」がないんですよねー。
やっぱ問題っすよね。
どうしよう。
ひとまずそんなことよりも、
なんなんですかこの天使タソ共。
にゃあにゃあ泣きまくって可愛すグル。
凄いの。もう一挙手一投足ごとににゃあにゃあ言うの。
ヤバイの。マジでヤバイの。
まさかの先生登場。。。
本棚にありました。
まさか出会えると思ってなかったので、ひとまず今日はビザも無いし(よくわかんないし)、のんびりしながら先生の講義を浴びることにしました。
ただちょっと腹減ったので、そこら辺を散歩がてら飯探し。
そして、
そういえば金曜日でした。
本日はイスラム教の礼拝日。
ご覧の通り街はシャッター街です。
なぜか宿周辺は車のパーツ屋が立ち並んでおり、そして彼らは元気に営業中です。
ケバブ屋発見!
値段を聞くと150!と言うのですが単位が分かりません。
150リヤル≒4円な訳ないし。
150トマン≒40円かな?
安いな。
美味ー!!
超美味いじゃないか。
これは今後のイラン、期待できる。
お会計は150,000リヤル≒公定レート405円でした。
いえ、この時も150,000リヤルがいくら分なのか分からないし、そもそも150!と言われた桁数が分からないしで、
ひとまずお札見せて持ってかれたのが150,000だったと言う話です。
お金の価値がよく分かってないまま美味そうなジューススタンドでマンゴージュース。80,000リヤル。
宿のおっさんがぬこと戯れてました。
いいな。
さて。
ここでイランリヤルと睨み合い。
イランリヤルの価値をどう定義しよう。
手元の家計簿アプリは公定レートで自動計算するし、かといって手元のイランリヤルは公定レートで手にしてないし。
うむ。。。
こうします!
私が空港で手に入れたレートで考えていこうと思います。
このブログ、ただの日記ではありますが、結果的にはこれから旅行に行く人の参考になったらいいな、と思って書いているのと、空港の両替レートは言うほど悪くないと言う意見も多々あったので。
なのでこれからイランに行く人が実際に一度は出会うだろう空港レートで今後記載していこうと思います。
20ユーロ→2,500,000リヤルだったので、
10,000リヤル≒0.08ユーロ≒10円。
分かりやすい!!
となると先ほど食べたケバブは
公定レート400円でしたが
空港両替レート150円です。
おお!
半額以下!!
えっと、、
急にイランが楽しい。
という事で、
お出かけします。
その前に、
実質徹夜明けで眠すぎるので昼寝し、
二時ごろに起きてのそのそと周辺散歩へ。
郵便局前のオブジェ。
郵便博物館って、
時折大都市で見かけるのですが、なにを展示してるのでしょうかね。
やってきましたはイラン考古学博物館。
入場料は300,000リヤルでした。空港両替レートで300円。
併設のIsramic Art Museumかな?は200,000でした。
なんだかよく分かりませんがちょっと神とか書いてあったので撮りました。
これ古代の書簡的なやつだったと思うのですがどうでしたかね。ルーブル美術館だか大英博物館だかで見たキュロス大王の書簡みたいなのがこんな形をしていたような。
見学は階段上がって二階からスタート。
冒頭はイラン前史時代。
メソポタミア文明の世界です。
実のところあまり古代古代した世界は違いが分からずピンと来ません。
イラン全図。
こうしてみると西と北がかなり山々しいのですね。
ちなみにこちらGoogle map衛星写真ですが、テヘランはかなりの山の麓にあるのが分かります。
館内を進んでいくとちょっとずつ時代が進み、文明レベルが上がって来ました。
紀元前5000年前とかの世界です。
うーむ。
全然ピンとこない。。
ここでフロアが移動。
私ここまで写真数枚ですが、館内の1/2が終了しています。かなり古代に力が入った博物館です。
子どもによって書いてる対象がまちまち(と思われる)ので何が何だかですが、
将来のピカソ的な子も。
続いて一階。
もうすでにこの博物館に来たことをちょっと後悔。
まだ古代が続くんですね。。
ちょっとずつ文明レベルが進んでいるのは分かるのですが。
おお、↑金が登場。
時代的に紀元前10-5世紀あたりです。
ベルセポリスはアケメネス朝時代のペルシア帝国の都です。写真はベルセポリスの出土品、「謁見図」。
ミュージアムショップでやたらとミニチュア版が販売されていた半身だけの像、
↓足元の鏡に映る肉球
など、
ベルセポリスを名前しか分かってない私にはなかなか「?」な展示でした。
ベルセポリスファンには堪らない逸品たちなんでしょうけど。
これなんでしょう。
ヒエログリフっぽい象形文字でペルシア周辺の国が紹介されてます。
どうやらこれもベルセポリスのもので、「アパダーナ 東階段のレリーフ」に描かれている『ペルシャ王に贈り物を献上する属国の使者の様子』の各属国の説明でした。
凄いですね。
インドやエチオピアまでもその支配下だったのですね。カッパドキアやアルメニアとかこの当時から一国として扱われてるのも興味深い。
これはまた別の階段のレリーフだそうです。
これはアケメネス朝建築によく見られる様式の柱だそうです。
これはミニチュアだとか書いてありました。
実際どのくらい大きいのか分かりませんが、今から2500年も前にどうやってこさえたのでしょうかね。。
そして思うのです。
こんなにたくさん(というほど展示品は無いですが)持ってきちゃってベルセポリス現地に遺跡は残っているのでしょうか。
いえね、ちょくちょくあるんですよ遺跡に行くと、肝心の重要遺物が「○○博物館にて展示中」みたいなことがね。エジプト・ルクソールの王家の墓のツタンカーメン王墓なんかまさにそれです。ツタンカーメンの黄金マスクはカイロ博物館に展示されてて王家の墓で入場料払ってもなんもありませんからね。
バルティア時代の遺品。
ラピスラズリの牛。
紀元前3世紀頃です。
文明が進み、鉱物使い出したりしちゃって徐々に色気付いてきてますよ。
なぜミイラ。
1993年に塩抗で見つかったSALT MANと言われるミイラだそうです。
サーサーン朝時代のモザイク画。
ヨーロッパっぽくなりましたね。
サーサーン朝は紀元3世紀。
すでにアレクサンダー大王大暴れ後な訳で、ペルシアにもヨーロッパ文明が流れ込んできているのでしょうね。
。。。ってところで博物館終了です。
え!!
ここからが面白くなりそうなのに!!
ペルシア文明とヨーロッパ文明が混じり合って、イスラム文化が破壊的に混じり合って、ねえ?
そのためにこの博物館行く前にイラン史をちょっとかじってみたと言うのに。
と言う悔しい心は博物館目の前にあった屋台たちであっという間に消し飛びました。
これこれ。
こう言う雰囲気欲しかったの。
ってみんなガツガツ屋台飯食ってますが、
礼拝とかしないんでしょうか。
今日金曜日ですよー。
ただだんだん感じ始めてたのですが、
イランはイスラムの教えに超厳格!!と言う先入観はちょっと行き過ぎてたようです。
女性たちはヒジャブ(頭を覆うスカーフ)を耳上らへんまでしか掛けてない人が多くなんなら金髪の前髪をワイルドにファッサー!してる方もいるし、タバコ平気で吸うし(ポイ捨て付き)。
オマーンでは街中にほとんど女性がいないレベルだったのに。
なんとなくイランの人はトルコっぽい自由さ、いや制約への抗いでしょうか?を感じます。
一方で、外見は(もちろん人によりますが)なんとなくロシア圏・東欧圏を感じさせる、目鼻立ちがかなりくっきりした人が多いです。これがアーリア人でしょうか。
お隣のインド人とは明らかに雰囲気が異なります。
なんとなくアラブ人やインド人に近しい雰囲気を想定してたので不思議です。インド中東を巡ってきた私にとっては、なんとなく「緊張感」が湧いてます。
そしてみんな背が高い。
私が背が低いとか関係ないですよ。普通に背が高いんですってば。
このまま街をぶらぶら。
バザール方面へ歩いてみるとどんどん街が賑わってきました。
巨大なビーツ。
注文すると目の前でサクサクとカットしてくれました。フルーツか。
美味ー!
ビーツ好きには堪らんですね。
50,000リヤル≒空港両替レート50円(公定レート135円)です。安い。
※この後丸一日、おトイレがド紫になりました。大だけでなく小も。
この辺りはスーツエリアなのでしょうか。
信じられない数のスーツ屋が。
アジアの市場って同業他社が一箇所に集中しますよね。生鮮品はまだ分かりますがなぜスーツが集中?
別のイラン人おっさんが頭を手で撫でようとしたらシャー!と引っ掻かれそうになってました。
足蹴にされたいのね。
バザールは明日の楽しみにして今日は宿に戻ります。
いえね、例の「ビザがない問題」が地味に怖くて。結構街中にポリスがいるんですよ。
警官「パスポート見せてくれ」
私「(ギクっ)」
警官「あれ?ビザは」
私「空港の人がくれなくて」
警官「んなわけあるか!タイーホ!」
なんて笑えないじゃないですか。
宿のおっちゃんに相談したら、ツーリストポリスに相談してみては?とのこと。
場所をかなりざっくり教えてもらい、分からなかったらこれをその辺の人に見せて!とペルシャ語のメモを書いてもらいました。
おっちゃん機転効くぅ。
明日8時から開くそうなので行ってみます。
ということで今夜の晩餐。
といっても礼拝日でお店あんまし開いてないので昼と同じケバブ通り(勝手に命名)に来ました。
これこの巨大っぷりで
150,000リヤル≒空港両替レート約150円(公定レート約405円)。
コスパ◎。
ハシゴしました。
いやマッシュルームがクッソ美味そうでして。
あ、
これやっバイ。
これ、シイタケですね。味。
シイタケ串焼きオン・ザ・塩。
お察しくださいこの美味さ!
日本のシイタケより肉汁が凄いんです。
ああ幸せ。
そんな一日でした。
よし、
明日はツーリストポリス行ってビザなし問題をクリアにしてきたいと思います。
そして明後日には難関のトルクメニスタンビザ申請まで行きつきたい。。!!
私のシルクロード旅、
本日より始まりました。
引き続きのご応援、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
メルシー!!でした。
(ペルシア語で「ありがとう」)
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