ペルシア帝国の首都ペルセポリスへ。inイラン(14) 2018.12.1
- 2018/12/05
- 07:00
満を持して向かいますは、
紀元前4-5世紀にかけてこのイランを中心に西はエジプト・トルコ、東はインドまで、広大な地域を征服したアケメネス朝ペルシア大帝国の首都、ペルセポリスでございます。
(ペルシア帝国はいくつかの王朝があり、あくまでペルセポリスはアケメネス朝時代の首都です。タイトルが語弊あってすみません。)
アレクサンダー大王に滅ぼされるまでの僅か約200年に渡り栄華を誇ったこの大都市遺跡。
今は「瓦礫の山」「ガッカリスポット」などと聞いてます。
なので私、この日に向けてしっかりと(昨夜)予習してきましたよ。
ということで
私の頭の中はペルシア大帝国がいつでも降臨いただけます。
ああ楽しみ!!
ということですみません。
今日の日記は、私にとっては「豪華絢爛ペルシア帝国」ですが皆さまにとっては「瓦礫の山」となる事でしょう。
どうぞご容赦!
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▼徘徊メモ
・行き先:シーラーズ⇄ペルセポリス Persepolis
①シーラーズ→マルヴダシュト Marvdasht
・手段:ミニバス
・料金:40,000リヤル≒40円
・時間:1時間ちょい 12:30発、13:30着
②マルヴダシュト→ペルセポリス Persepolis
・手段:乗合タクシー
・料金:?
・時間:20分弱
※私はたまたま通りかかったペルセポリス職員に乗せてもらった。
※乗合タクシーは見当たらなかったが声を掛けてきたプライベートタクシーは100,000リヤル≒100円と言ってた。
↓マルヴダシュト地図
このBasij Squareのラウンドアバウトでバス下車。タクシーもこの周辺に屯
・緑色:チケット売り場
左がチケット売場、右がゲート。
・茶色:クセルクセス門(万国の門)
The Gate of All Nations
・黄色:アパダーナ(謁見の間)
Apadana
・赤色:タチャラ(ダレイオス1世の宮殿)
Palace of Darius I.
※現地地図では「Tachara」と表記
・青色:百柱の間(玉座の間)
Hall of 100 Columns
・紫色:ペルセポリス博物館
Museum of Persepolis
・ピンク:売店・軽食スタンド・土産屋
※当記事のイランリヤルの円換算レートは私がテヘラン国際空港で両替した1ユーロ≒125円≒125,000リヤルにて換算記載しております。
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ということでやって来ましたよ、
まずはマルヴダシュトという街へ行くためのバス乗り場です。
いきなりマルヴダシュト行きのバスがありました。まあ見ての通り時刻表などなさそうなバス。人が集まったら出発しました。
道中は荒れた山々を脇目に北へ。
なかなかオツですが、私が車窓の写真を撮ると車内から「おおっ」だの「わお」だの歓声が上がるのでちょっとやりづらいです。
バスは1時間ちょいでマルヴダシュトの街の南にある大きなラウンドアバウト、BasijSquareに到着。
ここが終点のようです。
運賃40,000リヤル≒40円でした。
さて、
バスを降りると待ってましたと言わんばかりにタクシー運ちゃんが寄ってたかってきます。
シェアタクシーっぽいタクシーは見当たらず、
今回のバスは観光客が私だけだったのですが、もし観光客がいたらバス内の時点でいっしょにタクシーしましょ、って言うのが良いでしょうね。
私の場合は
なんと逆ヒッチハイクです。
付いてくるタクシー運転手を振り払いながら道を歩き始めたらすぐナイスミドルが車をキィっと私の前に止め、「乗りな!ノーマネーオッケー!アイムワーキンフォーペルセポリス!」と差し込まれちょっとクラっとドキムネでライドオンしました。
このおっちゃんは上記の通りですがペルセポリスで働いているそうで、ついでに私を拾ってくれたそうです。
。。。ペルセポリスで働いてるとか言いながら今時刻13:30ですよ。この人本当に従業員?まさかこのままペルセポリスの前の絨毯屋に連れ込まれてそのまま私のVISAカードがスススッと。。!
なんて人間不信になってしまうのはインド人のせいです。
おっちゃんに「なんの仕事をしているの?」とややカマかけてみたところナチュラルに『ブックショップさ、今日は午後番なんだ!』と屈託無い笑顔を返された私は自らを恥じ、そして怒りの矛先をインド人に向けるのでした。
ちなみにおっちゃんにどの国からの観光客が多いか聞いてみたところ、フランス、ドイツ、スイス、中国、日本と言う順だとのこと。
ちなみにアメリカは少ないけどゼロではないと言ってました。
なおイランはほんとにフランス人観光客が多いです。
メルスィーの件(先日の日記参照)と言い、フランス側から見てもイランは身近な国なのかもしれませんね。
おっちゃん曰く「従業員スペシャルエントランス」からサラッと入ってしまいましたが(=ただの穴の空いた金網)、流石に私は一旦チケット窓口へ。
入場料なんと200,000リヤル≒200円。
イランの観光地はこの価格で統一っぽいですね。チケットのフォーマットも一緒ですし。
チケット窓口はインフォメーション窓口も兼ねてました。
チケット購入後にお姉さんに誘われるがままに分厚いパンフレットの営業を受ける私。
このパンフレットがスンバラしくて!!
あ、すみませんいきなり熱が。
でも本当に素晴らしくて。
ペルシア帝国ペルセポリスの当時の誇り高き栄華の姿と、現在の遺跡の姿がクリアシートで見比べ出来る(伝わります?)んですよ。
クリアシート被せると当時の姿、
めくると現在の遺跡、みたいな。
この当時の姿がメチャメチャカッコいいんですよ!!
って、
すみませんいきなり画像無しのとこで私だけ盛り上がるんですけども。
どうカッコいいのかはこの後説明しますね。
なおパンフのページがお姉さんの手でめくられる度に私が「ふんふん」だの「おぉぉお」だの言うのがお姉さん方にはかなりツボだったようで面白がって何度も何度もページをめくってくれました。
まるでペットのようですね。
私もパンフ見たさに「ぬわんとぉ!」「ハイ喜んでぇ!」などと喜んで尻尾振りました。
ご参考までに
このパンフレットはDVD付きで50ドル。
DVDだけなら5ドル。
本だけなら40ドル。
(リヤルでも買えるそうです)
上記の通り、バラ売りの値段を聞いちゃうくらい本気で購入を検討しました。
てかセット売りの方が高くなっちゃってるじゃん。いや、バラ売りのほうを私のリアクション芸に免じて安くしてくれたのかも。
さて。
いまここはペルセポリス敷地内ですが、都市自体はまだこの先です。
都市の手前のこのエリアには売店や軽食スタンド、そして先ほど送ってくれたおっちゃんの本屋があります。
おっちゃんの写真は忘れちゃいましたが、ぜひここでMAPを買ってあげてください皆さま。
すみません私は買ってないんですけども。
手元に歩き方先生のガイドマップ写メがありまして。いやほんとごめんよおっちゃん。
さて、
先ほどのパンフですっかり昂ぶっ私はこれ以降の今日のこの日を「戦」と再定義致しまして。
バーガーしかなかった。
200円。入場料と同じやん。
さ、いざ参りますよペルシアンワールド。
あ、為念にて皆さま向けに再掲しますね。
あくまでもペルセポリスは「遺跡」です。
皆さまの目には瓦礫の山にしか見えないであろうことをご承知おきくださいね。
まずペルセポリスは高さ14mの高台の上に造営されてます。
これもういきなりそれだけでゴイスーでございます。紀元前6世紀の話ですからね。
彼の国で仏陀先生が脇の下からポロんと生まれ落ちて歩き出し天上天下唯我独尊!」とか叫んじゃったのと同じ頃合いです。
左右二手に構築された111段の大階段。
途中で折り返し段上で合流します。
一段一段が低いのは馬に乗りながらの入城をしやすくするためだそうです。
そして階段を登りきると目の前に立ちはだかるのがこちらのクセルクセス門。
万国の門とも称されたのだとか。
さて、
私の頭の中には今眼前に巨大な宮殿と巨大な雄牛の像が立ちはだかっており高揚感を隠せないのですが、
やっぱりはたから見たらこれ、
ただの石の瓦礫にしか見えませんよね。
この辺がガッカリスポットと言われる所以でしょうか。
いえ、私も否定しません。
私は今回ちょっとした予習と先ほどのパンフがあってこそのこの胸の高鳴りであって、そういった事前情報がなかったヒエロポリス(トルコ)やエフェソス(トルコ)はマジで「ガレキしかねーなぁ」としか正直思えてなかったですから。
一方で私はさらに強力な助っ人をゲットしてしまいました。
これ、まさかのVRゴーグルです。
そう、これで遺跡を覗くと当時の姿がVRで観れるとか言うマジ一歩先行くテクノロジーです。
GPS搭載してるみたいで、遺跡内18カ所でこれを覗くと、当時のペルセポリスの様子が360度閲覧できる(=後ろ向くと後ろの景色、空を見上げると空の風景が観れる)というシロモノです。
300,000リヤル≒300円。
即レンタルしました。
きゃーー!!!
なにこれ超楽しいぃぃぃ!!!!
あ、
すみません。
いえね、私も皆さまのために努力しましたよ。
ゴーグル部分にiPhoneカメラ密着させてみたりとかね。
ただきっとそう言う対策もズバリ済みなんでしょうね、じぇんじぇんカメラには撮れませんでした。
なのでちょっと心苦しいですが、
ここだけ借り物画像にて再現画像を併記していきたいと存じます。
VRではこの雄牛がもっと黒光りして
閉じられた門は赤く輝き大変に迫力があります。
(あくまで再現なんですけどね。)
雄牛を下から見上げる。
かなりの迫力。
石柱からはみ出る筋骨隆々の身体。
今にも飛び出してきそうじゃないですか。
石柱は高さ10m。
VRはこの門の中の様子も覗けます。
石柱は全て黒く塗られ(黒大理石?)、床は赤いタイル(そう言う石かも)、天井は木造りでこれまた真紅に染まっていました。
石柱上部には双頭の雄牛?がデザインされラピスラズリ色(か知らんが)の挿し色が施され大変に煌びやです。
2500年前の人たちが現代の我々と変わらぬ色彩感覚を持っていたと思うと高まります。
王に謁見するためにやってきた各属国から来た使者はこの広間に控えたそうです。
クセルクセス門から東に伸びる道が儀仗兵の通路。英表記はArmy Road。
この状況からは「道があったんだろうなぁ」くらいしかわかりませんが、VRではしっかりとした屋根が存在し、回廊のようになってました。
※儀仗(ぎじょう):儀礼のために用いられる武器/武具。これを携えて高位者に従ずる兵士が儀仗兵。純軍事目的のそれを兵仗と言うそうです。
このすぐ脇にッポポーンと放られてるのが双頭鷲像。
この双頭の間のスペースに梁を乗せて屋根を支えたのだそうです。
この通路を抜けた先が、百柱の広間。
ペルセポリスで最も広い建物だそうです。
その名の通り、
100本もの黒塗りの大理石の柱が並ぶ広大な広間です。4600平方メートルだとか。
帝国を支える100人の指揮官はここで一堂に会し、王への忠誠を誓ったそうです。
ここから通じるのがこれまた巨大な建物アパダーナ、訳して「謁見の間」です。
属国からの使者との謁見や祭儀のために使われた宮殿です。
ペルセポリスのハイライトに当たると思われます。
入り口にあたる東階段は大逆光。
さらに保存用の屋根がつけられちゃってます。
いくつかの列柱を残してあとはもう無残な姿ではあります。。
VRではここも漆黒の列柱36本に支えられた真紅の天井と赤い床、それを中和する白い壁と緑のレリーフが広がる大変にセンスある空間でした。
この広間に玉座があったそうです。
謁見の間いうくらいですしね。
そんなアパダーナが当遺跡のハイライトと言われる所以がこちら。
ズラッと人が並んでいます。
これ、ただの行列ではござんせん。
ペルシア帝国の属国28国からの使者とその献上物を描いたレリーフなのだそうです。
西はリビア、エジプト、トルコ、南はアラビア、東はインド、北はロシアの一部までがペルシア帝国の属国だったそうです。
これ現代だったらば、と想像するととんでもない大国だなと思わされます。石油独り占めですよ。
エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明をその手中にしていたペルシア帝国。先ほどのクセルクセス門がどことなくエジプトっぽかったの
もこの一帯で文化が混じり合っているからなのでしょうか。
なんて考えていくだけで胸がパチパチするほど騒ぐ私の浪漫ゲージです。
レリーフは各属国ごとに描かれており、
杉の木のレリーフで区分けされてました。
リビア。
馬車や動物を引き連れての行進。
てかリビアから徒歩て!
インド。
裸の男がいるくらいです。
もっとインドらしさを出して欲しいです。
カレーとか。詐欺師とか。
エジプト。
ここだけ激しく損傷してます。
何かあったのだろうか。
アッシリア(現シリア〜イラク)。
編み上げブーツを履いている。
バビロニア(現イラク)。
コブ牛。被り物がちょっと小人っぽい。
アルメニア。
グリフォンをかたどった器。
エラム(イランのペルシャ湾沿岸)。
ライオン連れてはる。
よく見ると後ろの人たちは小ライオンを抱えてる。
これ行列の後ろから順に追ってきましたが、前に行くほど重要ないしは親密な属国だったのでしょうかね。
もうちょっと献上物に各国の個性があって欲しかったですが、言うても2500年も前ですし、さしてや大王への献上物ですから、そりゃまあ家畜か器か布ってなりますよね。
にしても凄いです。
当時のペルシア帝国の広大さと力強さを今に伝えるレリーフでした。
なおこのレリーフはアパダーナ東階段の左側。
右側にはちっちゃなおっさん達の大行列となってます。
なんだか和気あいあいとしています。
ペルシア帝国はその支配下となった国の民族と文化を寛容に受け入れたのだそうです。バビロニアでユダヤ人の奴隷解放を行なったのも有名な話だそうで(たしか大英博物館に当時のキュロス大王の声明分の遺物がありました)。
人間が作った国際的自由都市の先駆けと言えるみたいです。
そんな自由闊達な世界がこのレリーフに表れているんだそうですよ。
ダレイオス1世の宮殿。
タチャラともいうそうで、その訳は「冬の宮殿」だそうです。ペルセポリスの中ではもっとも保存状態が良かったです。
当時は建材として使っていた黒大理石が光り輝いていたのでしょう、「鏡の間」と言われていたそうです。
歩き方先生は「実際、南側のゲートの側面などは今でもピカピカに黒光りしていて建設当時の様子を思い起こさせる」と仰っておりますが、
一切黒光っておりません。
先生2014年版ですがこの三年余りで色あせてしまったのでしょうか。
ただ見ての通り、レリーフはくっきりと残っていました。
なおこのレリーフ。
子鹿?
が可愛らしいです。
きっと今夜はご馳走ですね。
続いてクセルクセス一世の宮殿。
ダレイオス1世宮殿の向かいにあります。
※写真忘れてました。
ハデューシュともいうそうで、訳は「居住宮殿」だそうです。
さて、
そろそろこの辺で人名をまとめときましょう。私もよく分かってないので。
・紀元前550年 アケメネス朝ペルシア建国
・初代:キュロス2世
・二代:カンビュセス2世
・三代:ダレイオス1世
・四代:クセルクセス1世
・五代:アルタクセルクセス1世
・六代:クセルクセス2世
・七代:ソグディアノス
・八代:ダレイオス2世
・九代:アルタクセルクセス2世
・十代:アルタクセルクセス3世
・十一代:アルセス
・十二代:ダレイオス3世
・紀元前330年 アレクサンダー大王に滅ぼされる
思ったより時系列な情報がなく、よく分かりませんでした。。上記代数は正確じゃないと思いますのでご容赦を。
ひとまず太字にした王の名が、この遺跡に名前が残っている王です。
クセルクセス1世宮殿の背後は数メートル低くなってます。かつてのハラム、王妃達の後宮だそうで、今ではペルセポリスミュージアムになってます。
入場料200,000リヤル≒200円とまさかのペルセポリスと同額です。
アパダーナ東階段のレリーフに関する説明展示と、遺跡出土品の展示です。
銀貨。
当時ペルセポリスでは貨幣が流通していたそうです。
凄いですね。2500年も昔なのに。
このデカさ。
どんだけお宝蓄えたのでしょうか。
テヘランの博物館にもあった、王への謁見の様子を描いたものです。
なおこのお隣の階段を上がると百柱の間に戻ってきます。
百柱の間の入り口の門のレリーフを見落としていたので覗きに来ました。
西の門。
ちょっと見づらいですが、
王が獅子の刃を突き立ててます。悪に対する王の力を誇示するものだそうです。
南の門。
こちらも同様に見づらいですが、3層構造になっていて、
最下部は各属国を表す14名の人間が、
(反対側の柱と合わせて28名)
その王の上には翼の生えた太陽が君臨しています。
この翼ある日輪はゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダです。
知ってましたか、ペルシア帝国の宗教はゾロアスター教だったんですって。今では少数宗教ですが、この時代から存在するゾロアスター教、大変に歴史ある宗教なんですね。
次に行く街ヤズドはゾロアスター教の聖地なので詳しくはまたそこで。
ペルセポリス遺跡はだいたいこんな感じです。
そして遺跡の裏手の丘の上に二つの王墓があるというので行ってみます。
遺跡見学中もチラチラと見えてました。
まずは遺跡を背にして右側、
アルタクセルクセス3世の王墓。
ちょっと王墓にしてはオフロード過ぎやしませんか。
そしてなぜに絶世期ではない(と思われる)時の王の墓がここに?
キュロス2世ダレイオス1世、クセルクセス1世の墓ではなく。
こちらもしっかり属国28人衆が王座を支え、翼ある日輪がはためいておりました。
そして衝撃。
ここもVRポイントなのですが、構えると、王墓の中が見れました。
いえ、ただの岩窟なんですが、
まさか内部見せられるとは思わなんだでして。
比較対象がないので大きさは分かりませんが、大きな横穴と、その脇にやや広めの空間がありました。
棺?と財宝が葬られていたのでしょうか。
王墓からの眺望。
大変に良い眺めです。
ちょっと端っこの方にあるのでペルセポリスは眺められませんが。
アルタクセルクセス2世の王墓。
双頭雄牛の柱頭レリーフもありました。
そしてここでもVRゴーグルはお墓内部を見せつけてくれました。なんか墓荒らししてる気分。
さてこちらの王墓。
ペルセポリスのすぐ裏手にあたるため、
この通りペルセポリスを一望です。
もうこのまま夕陽タイムにしけこむこととしました。
2500年前も、
こうしてこの荒野に沈んでいく夕陽を眺めていたのでしょうかね。
なおこのポイントからのVRゴーグルは、丘の上から見下ろす当時のペルセポリスを見せてくれました。
荒野にそびえる白亜の建物。
木々が立ち、人々が列をなすその様子は当時の栄華を十二分に感じさせてくれました。
以上、
大変に満足です(私は)。
帰り際、
謁見の間の列柱たちと西の空。
今も昔も変わらずの光景です。
はい帰り道です。
もう閉園時間間近だったっぽいので大勢の人がタクシーに乗ろうとしておる、これはシェアタクシーのチャンスか?と思いきやタクシー運転手共が結託してプライベートタクシー200,000リヤル≒200円というので無視して歩き出してみました。
後ろからミスター100,000リヤルOK!という声が聞こえてきたのでタクシー派はそちらにて。
私はというと、
かんぱーい!!!
みたいなことになっております。※チャイ
イラン人の若者に拾われ車内でパーリィです。
なんじゃこれ。
いえね、
ミスター100,000OK!
と聞こえてきたのでヨシヨシと振り返ったら
もうこの若者たちがLet's GoGo!!と拾ってくれたのです。
またもや逆ヒッチ。
しかも彼らだけでなく三台くらいの車が私を拾おうとしてくれてました。
これみなさんもペルセポリスお越しの際はぜひお試しを。
モテ期到来ですよ。
って事で、
Japanからの貧者をライブ配信してくれちゃったり、
タバコふかふか
シーシャもくもく
爆音ブチ上げ
窓開けワーキャー
と大変に賑やかに、
まさかのシーラーズまで来てしまったのであります。
35歳のおじさん、全力で彼らの期待に応えたつもりですが、もう関節が痛いです。
そんな彼らは25歳。
イラン男子は2年間の兵役があるそうで、そこで出会った4人だそうです。
英語を喋れるのは1人だけ。そんな彼もカタコトで(私もですが)、何度も「英語が拙くてゴメン」と言われました。
この国の未来はイ○ドの1億倍明るいと思いました。
シーラーズに到着後、しばし共に街ブラ。
あ、君たち街ブラにシーシャ持ち歩くのね。
イラニアンミュージックの弾き語り。
じんわり来るのが、さっきまであんなに重低音ぶち上げてた彼らが、このおっさんの弾き語りに足を止め、手を叩いて歌い出したこと。
彼らだけじゃないです。
子どもも、※左手前
みんなで口ずさんでいるのです。
みんなこのイランの伝統音楽が大好きなんでしょう。
イランには4大詩人というのがあって、演奏されてるのはその方々の音楽だそうです。
日本で言うところの、、いや例えられませんけど、まあ演歌みたいなものなんでしょうか。ないしは童謡?
いずれにせよ、老若男女が、同じ音楽に心弾ませ笑顔がほころぶこの光景は、この国の素晴らしさ以外のなにものでもないと思うのです。
帰りは私の宿まで送ってくれました。
なんていい奴らなんだ。
でもお願いだから街中に掲示されてるホメイニーさん(イラン革命遂行者)の肖像画にFxxkin'とか言わないでね。
すぐそこにPOLICEいたからね。
私までタイーホされちゃうから。
よく聞く話ですが、
イランの人たちは反米主義政治に対する不満が非常に強いと言う話。
彼らはテロリスト国家指定されていることを大変に嘆いています。
「私たちはテロリストじゃないよ!」
って何度も言われます。
って事で反米主義に舵を切ったイラン革命のホメイニー師をボロクソに言う人は多いのですが、TPOどうぞ宜しくね。
ということで、
本日はペルシア帝国の文字通りの広さと、懐の広さと、イランの人々の優しさに触れた一日でした。
(左上から時計回りに、アリ、これまたアリ、オーメッド、ムハンマド。)
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