さあ参りましょう、
砂漠の大画廊とも言われる中国敦煌は莫高窟へ!!
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▼徘徊メモ
・行き先:莫高窟(ばっこうくつ)
中国語読みは「Ma gao ku」
・手段:敦煌市内からバスあり
・料金:3元≒48円
・時間:20分
☆莫高窟チケットについて
・莫高窟は一日6000人の入場制限をしており、事前予約が必須。予約手段は以下。
①莫高窟HPから予約(中国クレカ必須)
②旅行会社やホテルに手配を依頼
③敦煌市内の予約センターで予約
・莫高窟見学は「莫高窟数字展示中心」というビジターセンターが出発地となる。ここで映像資料を2点見学後、シャトルバスで莫高窟へ向かう。
・莫高窟見学は9:30、11:30、14:30の三組
・11/1〜(いつまでかは不明)のオフシーズンは③の予約センターが閉鎖しており莫高窟数字展示中心で直接チケット購入する流れになっていた。
↓③のチケット予約センターとバス停の位置
(二行目はMapsme表記)

・オレンジ:バスターミナル
Dunhuang Bus Stop
・緑:莫高窟 チケット予約センター
Mogao Grottoes Reservation and Ticket Center
※2016-17年地球の歩き方が示す場所から移転しているので注意。
・ピンク:インフォメーションセンター
Mapmesme上に表示なし
・黄色:駅⇄莫高窟数字展示中心との間のバス。一乗車3元。
↓莫高窟数字展示中心の位置
敦煌莫高窟数字展示中心の
Mapsme表示は「Mogao Caves Ticket Office」。
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莫高窟とは。
Wikipedia先生からの講釈です。
莫高窟(ばっこうくつ、拼音: Mògāo kū)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の近郊にある仏教遺跡。4世紀から約千年間、元代に至るまで彫り続けられた。大小492の石窟に彩色塑像と壁画が保存されており、仏教美術として世界最大の規模を誇る。(中略)作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年とされる。仏教僧・楽僔(らくそん)が彫り始めたのが最初であり、その次に法良、その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。
ここで唐突ですが
中国の歴代国年表をWikipedia先生からお借りしておきます。複数王朝乱立時代のあたりとか一部端折ってます。
前771〜前206:秦
前206〜8:漢(前漢)
8〜23:新
25〜220:漢(後漢)
220〜280:三国(魏呉蜀)
265〜420:晋(西晋/東晋/十六国)
439〜589:南北朝(北魏/宋/斉/梁/陳)
581〜618:隋
618〜907:唐
907〜960:五代十国
960〜1279:宋(北宋/南宋/西夏)
1271〜1635:元
1368〜1644:明
1616〜1912:清
1912〜1949:中華民国
1949〜:中華人民共和国
この赤い文字あたりが莫高窟の時代です。
そんな莫高窟は冒頭の通り、
1日6000人までしか見学出来ないらしく、事前予約必須となってます。
が、11/1以降のオフシーズンは現地となる「莫高窟数字展示中心」に行けばチケットが買えるということで、
不安を抱えながらバス停まで来ましたよ。
時刻7:30。
莫高窟見学ツアー第一陣は9:30開始なのですが、ちょっと早すぎる時間に来たのは他の方のブログで「バスは人が集まらねば出発しない」「1時間待った」なんて記事を目にしたので早めに来ました。
あ、
バスすぐ出発してもうた。
(乗客4名)
結果、
8:00から開門8:30までの30分、
凍てつく闇の中でただただ待つという苦行でした。スマホいじることは不可能です。5秒で手の細胞に不具合が生じます。
苦行に耐え、
8:30、無事に莫高窟数字展示中心へ。
そしたらチケット販売開始は9:00ですって。
ただ建物の中で待たせてもらえたので助かりました。
9:00。
チケット売り場オープン。
この頃にはどんどん人が増えてました。
意外と若い人が大半。
チケットゲットー!!
(パスポートたぶん必須です)
110元でした。
他の方のブログは220元とかそんなだったのですがオフシーズン価格でしょうかね?
オフシーズン価格だなんて素晴らしい!
見習えトルファンの遺跡共。
9:30。
映像資料を見学するシアターへ移動。
大軍についていきます。
と、
ここで私だけ呼び止められ、ヘッドホンを渡されました。02番が日本語ですよ、とのこと。
「シアター見学の後、日本語ガイドが案内します」的なこと言われ、おお凄いと思いつつ、「どこでガイドと待ち合わせるのですか」と聞いたら英語があまり通じず分からずじまい。
そして日本語ガイドが付くならこのヘッドホンいらなくない?
シアター。
これ何人収容できるんでしょうか。
すごい人数がいます。
映像は撮影禁止でしたが、
この地に莫高窟が出来るまでのストーリーをやや派手めに描いたものでした。
とても見応えあるのですが、オール中国語。
そして第2シアター。
360度シアターです。
これは後ろの方に席取った方が良く見えますね。
こちらの内容は、莫高窟の内部についての紹介でした。私は莫高窟の外観の写真しか知らず内部についてはそもそも関心が無かったのですが、莫高窟って内部こそがものすごいんですね。詳細は後ほど。
で、
シアター終了したらヘッドホン回収されました。
あ、
このヘッドホンはシアター用だったんですね。
大変もったいないことをしました。
てかちゃんと説明してよお姉さん。。!!!
シアター終了後はバスで莫高窟まで移動です。4台くらいのバスでシアター観覧客を運んでいきます。
バス車内。
からちょっとだけ見える外の風景は砂漠です。
しばらく走ると小高い丘が見えてきます。
到着。
ここからしばし歩いて入場口まで向かいます。
で、
入場口にズラッと並ばされ、ここでまたヘッドホンが配られてきたので、パスポート見せて「我是日本人〜」と主張したら列から出され、しばし待て、のジェスチャー。
10分くらいでガイドが来ました。
ガイドの方は日本語が喋れました。
有難い。
ということでいざ莫高窟へ。
ものすごい数の石窟が並んでいるのが分かります。
現在の外観は清の時代?に外付けしたものだそうです。
さて、
莫高窟の見学はこのガイドさんに案内される形で進んでいきます。
多数の石窟がありますが、どの石窟に入るかはガイドさん次第みたいです。
ガイドさんは「見るとこはそれぞれですけど内容は大体一緒デス」言うてました。
あと石窟内部は撮影禁止です。
が、各石窟の入り口にQRコードがあり、読み取るとwebサイトで画像が観れると言う中国らしい仕掛けもあります。
ということで以下、
その画像たち等々を少しだけ織り交ぜてお送りします。
まず最初に入ったのは第328窟。
唐の時代の石窟だそうです。
この保存状態、凄くないですか。
色が鮮やかに残ってるのがすごい。
いや、そうは思わないかも知れませんが、以前訪れたインドのアジャンター遺跡やエローラ遺跡と比べると断然綺麗です。
この石窟は八体の塑像が並んでいました。
元々九体だったそうですが、左手前はアメリカの探検家ウォーナーさんが持ち去ってしまったそうです。
これウォーナーさんと言われてもピンと来ませんでしたが、後の博物館でフルネームを知って驚き。ラングドン・ウォーナーさんだそうです。ラ、ラングドン教授。。!!
現実世界でもやんちゃなんですね。
中央の坐仏。
ヒゲが生えているのは「西方の影響」とガイドさん言ってました。最初中央アジアのことを言ってるのかと思いましたが、今思うともしやチベットでしょうかね。唐の時代はチベット(吐蕃/とばん)がこの地域を支配していた時期もあったそうなのです(7世紀前半〜9世紀)。
そしてラダックで見学した寺院ではヒゲありの像もいくつかあったのです。なんの像かは忘れましたが。
釈迦の右脇の迦葉の像。
釈迦のお弟子さんだそうです。
釈迦の弟子の中でも特に優れた人を十弟子と言うそうですが、迦葉はその中でも「苦行の人」だそうで、このように痩せこけた姿で表現されることが多いそうです。
釈迦の左脇は阿難の像。
こちらも釈迦のお弟子さんです。
釈迦の世話をし、その言葉を全て記憶していたとか。経伝もこの人が手書きしたそうです。聞き間違いじゃなければ。
、、、と言う感じでですね、
ガイドさんの説明がめっちゃ細かいんです。
私ちょっとだけインドのラダックで仏教を軽くさらったのでなんとなく5%くらいは理解出来ましたが、これもったいないですね、もうちょっと仏教を勉強してくればよかった。。!
ガイドの方はやや片言の日本語ながら
「ミロクボサツ」とか「ネハン」とか「カルマ」とか難しい言葉をあびせかけてくるのでなんだか不思議です。
なお、こちらは壁画。
砂漠の大画廊と言われる意味がよくよく理解できます。
続いて第16&17石窟。
晩唐(唐の後期)の造営だそうです。
写真は写真集より。
ここは莫高窟が世界的に有名になるきっかけとなった場所だそうです。
と言うのが、
1900年に第16窟(写真左奥)の通路(写真右手前)から偶然発見された小窟に5万点にのぼる経典などの古文書が、発見者の王圓籙さんによってここを訪れた世界の探検家に売却され、大英博物館などで展示されるようになったんだそうです。
日本の探検家もここを訪れてはお買い上げし、日本の博物館にも展示されているようです。どこだか忘れましたけど。
この石窟の前には小さな展示館があり、経典のレプリカや、古文書を買い付けた各国の探検家たちの紹介がされています。
ところで古文書は当時の中国語だけでなく、
サンスクリット語(古代インド語)、ヘブライ語(ユダヤ人の言葉)、ペルシャ語、ウイグル語、チベット語なぞもあったそうです。
ちょっと凄くないですか。
シルクロードを行き交う人々の幅広さが伺えます。
第420窟。
写真集より。
隋の時代に作られたもの。
この時代の特色は三世仏(過去・現在・未来)スタイルだったらしいです。
正面に現在、釈迦の像、
左に過去、名前忘れた。
右に未来、弥勒菩薩。
弥勒菩薩って未来仏、つまり釈迦の次にブッダになることが約束された存在なんですね。
Wikipedia先生曰く、
ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。
だそうですよ。
ついでに過去仏について聞いてみました。
過去七仏(かこしちぶつ)とは釈迦仏までに(釈迦を含めて)登場した7人の仏陀をいう。古い順から 毘婆尸仏 尸棄仏 毘舎浮仏 倶留孫仏 倶那含牟尼仏 迦葉仏 釈迦仏 の7仏。
だそうです。
てかここまで話が細かくなるともう分かりません。あと見るサイトによって説明が異なったり、そもそも国や地域で定義が違ったり。
引き続きなんとなくで参りたいと存じます。
なおここだったかな。。
隋の時代の石窟の説明で、ガイドさんが「連珠紋」について教えてくれました。真珠が連なったような模様で、壁の装飾や仏が纏う衣服に描かれてます。
ペルシャから伝わった模様らしく、当時の流行だったそうです。
シルクロードを伝ってきたんですかね。
第427窟。
こちらも隋の時代の石窟です。
入り口に木造の扉が増設されたことで保存状態良く残されているとのこと。


なるほど確かに。
手前の力士像がかなりのインパクトでした。
ここまでの石窟は穏やかな方々ばかりだったもので。
そして壁にぎっしり書かれた千仏が四種類の色があり、一段ごとにずらしてカラーリングされているので斜めのラインに色が走っているように見えました。伝わりづらいですねこれ。
428窟。
北周(557-580)時代の造営だそうです。
石窟の中心に大きな柱があり、そこに塑像が置かれています。
その周囲をぐるっと壁画が囲んでいます。
天井が屋根のひさしのようになっているのは当時の木造建築の建物を意識したデザインなんだとか。
拡大すると横の壁の下部にこれまたびっしり千仏が描かれており、その横に名前の欄があります。
名前はもう消えてしまってますが、これはこの石窟を造営するにあたり寄付をした1280名分の仏の絵と名前が描かれていたそうです。
あと壁画はこんな感じで
目鼻立ちが白線で強調されてるのはインド式の影響だそうです。
インドでそんなんあったっけかな。
なお仏像の背後の炎は強い青色でした。
アフガニスタン産のラピスラズリだそうです。
あと、
空を舞う小さな天使、飛天が天井を駆け巡っていた。。。のもここだったかな。108人の天女が描かれてました。
第259窟。
北魏時代の造営。
釈迦さんと多宝さんが対話する二仏並存スタイル。
初めてみた形式です。
で、この石窟のメインが
脇の壁にひっそりと佇むこちら。
「東洋のモナリザ」と言われる、
美しい微笑みをたたえた像。
ちょっとお顔が痛んでしまっていますが、
それが尚更に、この微笑みを強調させます。
第257窟。
ここも中心柱がある石窟でした。
奥の壁に描かれた「鹿王本生」の物語が切り出されて展示されてました。
エピソード詳細はご興味ある方ググって頂くとして、
この物語は1980年代に中国国内でアニメ化されたそうです。
第246窟。
北魏時代の造営。
こちらも石窟の中心に柱があるパターン。
天井の模様、蓮の花が大変に雅で美しいでございます。
第237窟。
晚唐(唐の後期)の造営。
塑像は忘れましたがどちらかというと壁画の解説に熱が入ってました。
極楽浄土を示した大きく色あざやかな壁画の中で、反弾琵琶、という琵琶を背中に回して弾くパフォーマンスで民衆を沸かせている絵がありました。もう写真はヒッチャカメッチャカですが、中央一番下の舞台のもう一個上の舞台です。
反弾琵琶は敦煌の街の中心にも大きな石像になってました。
そしてガイドさんからここで阿弥陀さん薬師寺さん云々と次々と聞いたことあるけどよくわかってない方々が説明されもはや頭パーン!でした。
第96窟。
ここが唯一私が知っている莫高窟のイメージです。
てか莫高窟はこれが全てだと思っていた。お恥ずかしながら。
砂漠に突如現れる丘と
この楼閣。
大変に神々しい。
で、
この中はなんと大仏さまでした。
35.5mだったかな。
世界で三番目に大きいそうです。
中に入ると大仏デカすぎてもう全容が掴めません。
↓こんな感じ。
なおこの大仏は当時、女性にして唐の皇帝となった則天武后が造らせたもので、まさに則天武后の姿として造られたそうです。
衣服には龍が描かれてました。当時は龍=皇帝を意味したのだそうです。
なお年に一度、みんなでこの大仏の周囲を歩いて祈祷する機会があるそうですよ。4月だったかな。裏も歩けるんですね。
第148窟。
盛唐(唐の前期)時代の造営だそうです。
ここには大きな涅槃仏がありました。
ちょっと目元が違和感。
何度も修復を繰り返して今の姿になったそうです。
そして涅槃仏の後ろには大勢の弟子たちが。
72体と言ってたかな??
周囲の壁画もものすごいです。
こちらは側壁。

奥壁の壁画ものすごいです凄かったのですが画像が見つからず。
そんな莫高窟見学でした。
いやー、
もっとメモ取っとけば良かった!!
あとでネットで調べよーっと、
とか気楽に考えてましたが、そもそもガイドによって見る石窟は違うわけだし、全然情報がヒットしませんでした。
総じて言えるのは、
どの石窟も仏像そして壁画共に保存状態が素晴らしく、石窟一面に描かれた鮮やかな色彩の世界と今にも動き出しそうな躍動感ある像たちがシルクロードを行き交った文化の片鱗を見せてくれる、そんな素敵な砂漠の大画廊でございました。
なおバスを降りた駐車場の奥に博物館があります。
そこでは莫高窟の保存・復元作業に関する展示と、いくつかの石窟の再現室があります。
そこは撮影自由、と聞いていたのですが、なんと再現石窟も撮影禁止になってました。残念。
その後は街に戻り、
昨夜砂鍋を食べた敦煌夜市のお店で
敦煌なんたら野菜炒めを注文。
なんでしょうこれ。
豆、、っぽいです。枝豆のような。
食感はややふかふか。塩味効いてて美味しい。
48元≒768円もしました。大変な高級食材だと思われます。
で、
豆だけじゃ物足りなかったので、
蘭州拉麺やらせてもらいました。
7元≒112円やすいじゃん!!
と思ったら牛肉なしでした。
一滴も残さず食べたけどね。
で、
ちょっと宿で時間潰して、
駅に向かいました。
駅に向かう途中で「敦煌餃子」なるものに目が止まり、ちょっとこれ行っとかないとダメじゃね、なんて入店して注文しようとしたら『大皿88元(≒1408円)しかないが良いか』と聞かれすかさずNoと申したら、だったら○×△◽︎にしなさいよと言われウンウンうなづいて出てきたのがコレ。
すんごいインパクト。
もはやワンタンみたいな平べったい麺のまぜそばみたいのでてきました。
メニューには○×△◽︎餅と書いてありました。
これなんだったんだろう。
具は大盤鶏に近いものがありました。
これ私、このあと夜行列車なのですが腹大丈夫だろうか。
なーーんて満腹でバス停に来たら、
バスが終わってました。
ああ私の大馬鹿。
結果タクシーで駅に向かうという、
大変に出費の多い一日でした。
(駅まで25元。メーター制。)
敦煌駅。
列車。
今回の列車も寝台にしました。
結果250元≒4000円。高すぎる。
そしてベッドは
上段でした。
中国列車の上段、高すぎる。
登るの大変です。
これおじいちゃんとか絶対無理だと思います。
さ。
明日の朝には蘭州につきます。
ひとまずこの街で年越しです。
ほんとは年末年始は北京まで行こうと思ってたんですけどね。タクラマカン砂漠でちょっと旅程を遭難しましたね。
でもね、蘭州で年越しって、実はちょっと最高なんじゃないんかな説。
そう、
蘭州ラーメンーー!!
明日の大晦日は年越し蘭州ラーメン日和でお届けしたいと存じます。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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