#391 西安、秦始皇帝の陵墓へ。in中国(19) 2019.1.8
- 2019/01/13
- 07:00
さて、
本日は秦始皇帝ゆかりの場所へ行ってみたいと思います。
秦始皇帝って、
名前くらいは覚えてますが、
そもそも誰だっけ?って感じですよね。
Wikipedia先生!
始皇帝(しこうてい、紀元前259年 - 紀元前210年)は、中国戦国時代の秦王(在位紀元前246年 - 紀元前221年)。
姓は嬴(えい)、氏は趙(ちょう)、諱は政(せい)。〜中略〜紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。
紀元前3世紀。。!!
そんなに昔の人だったんでしたっけ。
まあ私の知識などそんなレベルです。
漫画「キングダム」読まれてる方います?
私は読んでないのですが、あれって秦の始皇帝の物語なんですね。
帰国したら読破したいものがまた一つ増えました。
では参りましょう、
「秦」というだけでなんだかウキウキしてる愚者が参るぞそこをお通し!
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▼徘徊メモ
・行き先:秦始皇帝兵馬俑
・手段:バス
・料金:8元
・時間:1時間ちょい
<名称>
・秦始皇帝兵馬俑博物館
英:Terra-cotta museum
中:秦始皇兵马俑博物馆
・華清宮
英:?
中:华清宮
↓バス乗り場
Mapsme表示「To Terracotta Museum (306, 914, 915)」
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おはようございますぬこタソさま。
今日は朝も早よから調べ物というテイでぬこタソはぬーんタイムです。
が、
宿の人が首輪を外した途端すごい勢いで私の手元から駆け出して行きました。
諸行無常。
飛び去る際に爪がギィッとなってギャーでした。
本日の目的地は秦始皇帝の墓陵。
といってもメインはその東にある秦始皇帝兵馬俑。
まずはそこを目指します。
駅からバスが出てるらしい。
ということで駅へ。
牛肉泡馍。
これもまた西安名物だそうです。
覚えてますか昨日私が食べた馍。
パンと餅の中間みたいなやつなのですが、
それが細かく千切られてスープに浮かんでます。この中にツルツル麺と牛肉が入ってます。
うん、面白いですねこれ。
馍はスープを吸うと結構ガチモチな食感となります。腹にたまる。
なおこの泡馍、
ローカルピーポーは自ら千切るのだそうです。井戸端会議しながらチビチビとこれを千切りながら酒をやり、しばらく千切ってから箸を進めるのだそうです。
素敵な食文化ですね。
完飲。
。。。あれ、
秦始皇帝兵馬俑行きのバスはここじゃないみたいです。
バスは駅に向かって右側のバス溜まりにありました。
Mapsmeだとここです。
「To Terracotta Museum (306, 914, 915)」
いきなりおばちゃんに「早よ早よ!!」
と急かされたので飛び乗りましたが、バスは306,914,915とあり、かついずれも本数乱れ打ちなので全然焦る必要ないです。
306は西安駅→華清宮→秦始皇帝兵馬俑→秦始皇帝陵墓→華清宮→西安駅、と循環してます。
(914,915は循環してるかどうかは不明ですが、駅と秦始皇帝兵馬俑間は結んでます。
なお秦始皇帝兵馬俑まで8元でした。
バスは8:00-19:00の間に運行されてるようです。
バス降りてからここまで、
駐車場がでかすぎて結構歩く。
入場料120元。
うむ、まあ中国どころか世界を代表する観光地だからな。
地図。
今これ地図の左下の★のとこにいるのですが、中国って現在地を書いてくれてない地図が多すぎる。
現在地がわかってる前提で書きますが、入り口から各見学スポットまでがこれまた歩きます。
そんなこと分かってない私はこの何もない道を一人歩きただただ不安になる。
Wechat(中国でいうLINE)
のQRコードだ。
えっとですね、
私中国の電話番号ゲットしたのでWechat登録したんですよ。いろんなところで使えそうなので。
で、ここでは看板に、Wechatで色々お得な情報ゲット!的な雰囲気の宣伝があったのでQRコード読み込んだら、
私のWechatの最初の友達が秦始皇帝になりました。
あざっす。
スタンプ送って良いですか?
ちょっとここでそもそも「秦始皇帝兵馬俑」ってなんだっけ?を
Wikipedia先生に問うておきましょう。
桶じゃなくて俑ですよ。
私この日記を最初全部「桶」って書いてて慌てて修正したくらい、私もよう分かっとらんかったです。
秦の始皇帝は中国史初の皇帝であったが、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てた。これが秦始皇帝陵である。1974年に発見された。
兵馬俑坑は、この陵を取り巻くように配置されており、その規模は2万m2余におよぶ、きわめて大きなもので、3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくあり、みな東を向いている。
この兵馬俑の発見は特に、中国史の研究上、当時の衣服や武器・馬具等の様相や構成、また、始皇帝の思想などを知る上できわめて貴重なものである。
兵馬俑坑は、現在発掘調査がなされ公開されている箇所だけでなく、その周囲にも広大な未発掘箇所をともなうが、発掘と同時に兵馬俑の表面に塗られた色彩が消える可能性があることなどの理由から、調査がなされていない。
ですって。
なお俑とは、中国において死者と一緒に埋葬した人形を指します。
兵馬俑とはそういう意味のようです。
ちょっとテキストだけだとピンと来ませんよね、でもきっとどこかでこの写真、見たことあると思うんです、
ご覧あれ、こちらが秦始皇帝の墓陵を守る兵馬たちの姿です。。!!
なんなんでしょうかこれは。
ズラッと感。
しかもこれ写真じゃ分かりづらいですが、「等身大サイズ」なんです。
そして何度も繰り返して恐縮ですが、
これ2200年以上前のもの、です。
すごくないですか。
さらに拡大すると、
一人一人、顔の表情や服装まで異なります。
ちょっと戻って入り口の説明書き。
秦始皇帝兵馬俑は1〜3の3つの坑があり、
その中でもこの第1坑が最も大きいそうです。
奥行230mx幅62m。
先ほどの写真は東側から見ています。
兵馬俑は皆東を向いているのです。
なお、この秦始皇帝兵馬俑坑って
英語表記でTerra-cotta pits 言うんですよね。調べたらTerra cottaってイタリア語で焼いた土という意味だそうです。
なぜイタリア語が登場するのか謎ですが。
こちらは中にあった解説たち。
このズラッと並べられた兵馬俑たちは、戦いの隊列のようですね。始皇帝を敵からお守りする配陣なのでしょうか。
兵士たちはみんな銅製の武器を持っていたそうです。
で、その銅製武器にはなんとメッキ処理済み。そんな昔からメッキ技術があったんですね。
等身大サイズの兵士たちはこの地の土で作られ、窯で焼いているそうですよ。よくもまあ。そんなでかい窯があったってのも凄いです。
兵士たちの前衛を横から見る。
ピシィッ!!
としてます。
いや、そのように後から並べられたのでしょうけれども。
拡大。
各々が異なる表情をしていますが、髪型はみんなにてますね。お団子頭です。
当時の流行でしょうか、それともそういうルール?
ここに、
地元民が井戸を掘ろうとしてこの兵馬俑たちを見つけちゃったみたいです。
こんなリアルな人間たちが地中から出てきたら即座に逃げますよ私だったら。
ちょっと奥の方に進むと、
まだ発掘途中なのかビニールが被せられてます。
なかなか派手にぶっ壊れてますね。。
まあそりゃそうですよね。
この2200年もの間、大地震とかあったでしょうし。
まもなく復元完了しそうな彼も、身体中にヒビが残ってます。
この辺りはもう復元完了していそうです。
まもなく先ほどの隊列に仲間入りするのでしょうか。
いえ、
2200年前から馬の尻はプリッとしておるぞ、という姿をお見せしたくて。
兵馬俑たちが全然いません。
別の場所で修復作業中なのでしょうか。
これ、
車輪が見えます。
戦車だそうですよ。
ちょっと当時の戦車のイメージがピンと来ませんが、まさか大砲なんてないでしょうし。
第2抗はほぼ兵馬俑はなく、
まさに発掘継続中という感じでした。
が、
抗内には出土品の展示スペースがありました。
これ、
「跪射俑」。
ひざまずいて弓を射る兵士の像です。
この像は復元作業なしでこの状態だったそうです。
背面にやや色が残ってます。
実はこの兵馬俑たち、もともと色があったんですって。
外気に触れてしまったことで色は落ちてしまったそうですが。
数千体もの等身大の人形に色付けまでするって、なかなかクレイジーだと思うのです。
しかもこの、
髪の毛の線まで。
すっごいなー。。
やり過ぎでしょう。
それほど秦始皇帝の当時の力は凄かったってことですよね。
こちらは上級官僚のようです。
先ほどの兵士とはお召し物の様子が違います。この人のスタイルが所謂、秦セレブってやつですね。
馬連れてる人もいました。
ここで説明されてたのですが、メッキが実用化されたのって1937年のドイツが最初だったそうです。2200年前のこの武器に施されてたメッキって、本当にメッキなのでしょうかね。凄いですね。
これはパネル展示ですが、
色ありで出土した兵馬俑の様子です。
VRで当時の姿が再現されるシロモノ。
凄いなこれ。
博物館とVRって良い組み合わせですね。
日本でも普及してほしい。
第3抗。
一部は惨劇のようになってましたけども。
博物館もありました。
色々な企画展示がありましたが(なぜかエジプト展なども)、
先ほどの二号抗で残骸だけ見た「戦車」が展示されてました。
これが戦車か。
えっっと、、
馬車って事で良いでしょうかね。
こんな風に出土したみたいですよ。
まあそうなるよねー。
一体あたり199元とかでした。
買ってないですけども。
もう中国の観光地はみんなそうなんでしょうけども、可愛いらしい擬人化マスコット立ててみんなそれっぽいグッズになっちゃうんですよね。
この写真は始皇帝さんです。
ちょっと可愛くし過ぎでしょう。
なんかスケボーとかあるし。
お土産グッズに全然心弾まないまま見学終了。
兵馬俑が立ち並んでる場所が一部しかなかったのが残念でした。
もっと時間が経てば修復も進み、ズラッと感が増強されるのでしょうか。
なお、現在の技術では風化してしまう色を留めることが出来ないようで、発掘を止めている箇所もあるそうです。
さて。
秦始皇帝兵馬俑を出ると、
急にスタバが現れるこの策略。
なぜここにスタバ?
食べ歩きストリートになってました。
ここは街中なんかじゃないですよ。秦始皇帝兵馬俑を訪れて出口から出た人しか通らない場所です。
そこにこんな大量に店を出店しちゃって。
採算取れるんでしょうか。
と言いながら買い食う私。
これ蘭州あたりからよく見かけてたお菓子。
カステラ?と思ったらこれ米でした。
やや無味。
なんだったんだろう。
これが秦始皇帝兵馬俑博物館全体図です。
右上黄色がバス停。
そこから左の緑の場所でチケットを買い、
青マークついてる緑ピンで入場して
赤マークが1-3号。
で
Starbacksと書かれたあたりが出口です。
そう、
食べ歩きエリアは博物館敷地の2/3を占めるという大変な仕掛けです。
大胆不敵にもほどがある。
今回は名前忘れましたがシンプル目なやつにしてみました。
よりビアンビアンな麺と向き合うことになる一品でしたが、麺はモチモチで大変美味しかったです。
さて、
大体の方はこれでもう観光終わりなのですが、私はもう一箇所行きます。
この秦始皇帝兵馬俑って、
始皇帝の陵墓の東に建てられてて、あの大勢の兵士たちが始皇帝を守っているんですよ。
で、
見学中に思ったんです。
「その始皇帝の陵墓って、どこ?」
Mapsmeをちょっと引きで見てみたらそれっぽいのが西にありましたよ。
(左のピンク)
先ほど乗ってきたバスがそこに行くのかどうかいまいち分からなかったので(正解:行きます)、
徒歩です。
全然人もいないので、
爆音iPodキャラオキタイムを大いに楽しむこと30分。
また博物館出てきました。
さっきのと何が違うんだろう。
チケット80元。
もちろん入ってません。
思うにさっきの秦始皇帝兵馬俑内の博物館は、兵馬俑がメインで、こっちの博物館は秦始皇帝の陵墓からの出土品がメインなのかな?
陵墓はこの先です。
そうです。
陵墓エリアに入るのにもお金掛かるようなので、「外から遠巻きに眺める」の計です。
そして、
なんか、
入れちゃいました。タダで。
いえね、
一応値段だけ聞いておこうかな。
と思ってウロウロしたのですがチケットオフィスが見当たらず、警備員に聞いたら英語通じず面倒臭そうな感じで「もう入っちゃえよ!」とあしらわれたのですが。
ラッキーラッキー!
(みんなゲートスルーして入ってたので多分ほんとうに無料。冬季限定?謎。)
まあ、
分かっちゃいたけど、
マジで山、ね。
この山の中に始皇帝さん埋葬されておるそうです。
えっと、、
そのぐらいです。
ちょっと寒すぎるのもあってあまり長居してられなかったです。
さてここからどうやって帰ったものかあ、
と思ってたら
ないと思ってたバスがありました。
秦始皇帝兵馬俑博物館の次に普通にここに立ち寄るようです。
悔しいですがまあいいです。
良いキャラオケタイムでした。
そしてバスは西安までの途中で
華清宮(かせいきゅう)という場所に立ち寄るので降りてみました。
中国語では华清宮と書くようです。
ここ、温泉が湧くんだそうです。
で、かつての歴代の王朝の離宮があったそうで、その中でも有名なのが唐の時代の「華清宮」。
かの楊貴妃も入浴していたとかなんとか。
それで、
楊貴妃の美にあやかりたい皆様がドッと押し寄せる観光スポットなのだそうです。
まあ、
私は遠慮しておきますがね。
入場料120元て。
兵馬俑と同じじゃんかさ。
って事で、
周辺をぶらぶらしてそれっぽい雰囲気を味わうのみとしました。
かなりの楊貴妃さん推しです。
楊貴妃さんは唐の時代の人です。
当時の皇帝玄宗さんが寵愛していて、白居易の長恨歌に楊貴妃の湯浴みが歌われているとかなんとか。
だそうで、
そこらの石碑にはそれっぽい記述がいくつかありました。
まあちょっと、
三国無双派な私はそれ以外の要素にはあまり深入りせずに参ろうと思います。もう頭が追いつかない。
なお華清宮は背後に風光明媚な山があり、
ロープウェイも見えました。
今日は曇天かつ霧がちですが、
天気も良い日にはさぞかし良い眺めなのではないかと。
その後は西安に戻り、
昨日見れなかった夜景を探しに。
大雁塔に来ましたよ。
なんかしゅんごいんでしゅけど。
なんなんでしょうかあの後光のレーザー照射は。
周囲もなかなかド派手なライトアップです。
すごいですねぇこれ。
昨日の白昼の閑散が嘘のようです。
大雁塔の北の池で20:30から噴水ショーがあるというので、
すみません、
噴水ショーは大したことありませんでした。
以上で西安観光終了です。
かつての都として2200年の歴史を持つ西安。もうちょっと感じるものがあるかなぁと思っていたのですが、なんだか普通の観光となってしまった。
まあそんなものなんでしょうね。
京都もお寺以外は昔の都は残っていないですし。
都はすぐ焼き払われちゃうのが定石ですし。
なんて言いながら
明日向かうは洛陽です。
こちらも西安(かつての長安)と並んで多々の王朝の都となった街。
曹操の魏国の都でもあります。
西安以上に観光スポットは少なそうですが、まあ空気を感じに行きましょうかね。
谢谢でした!
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