#39 マチュ・ピチュ遺跡。inペルー(7) 2018.1.20
- 2018/01/21
- 09:39
いよいよこの日がやってきました。
昨日の私の渾身の祈祷は実を結ぶのでしょうか。
ウェザーニュースアプリによると大雨です。
ウェザーニュースアプリを削除してやろうかと思っています。
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▼徘徊メモ
マチュ・ピチュ遺跡マップ(公式サイト抜粋)

マチュ・ピチュ公式サイト http://www.machupicchu.gob.pe/
└こちらでオンラインチケット予約が可能。
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自他共に認める朝方な私は朝5:00に華麗に起き、
ささっと準備してマチュ・ピチュ行きバスターミナルに向かいます。
さぞ呑気な欧米人達は今頃夢の中。

と思いきや
大行列!
すみません、失礼致しました。
行列はすでに200mはあるでしょうか。
ひとまず最後尾に並ぶと目の前の白人が「オー!ケイー!」
オーケイということですね。
と知らん振りしていると、私を指差すではないですか。
どうしたどうした、新手のスリか、と思っていると、
あれ、なんかみたことあるかも、
から、きっとみたことある、
そして、いや絶対会っているこの人と、
そうだ、この人達、ナスカのツアーで一緒だったアルゼンティーナだ!
↓これです ※写真左の二人

凄くないですかこの奇跡。
とはいえ言葉がわからないので盛り上がるだけ盛り上がってその後はシュンとしちゃうのですが。
時刻5:15AM。
いまのところマチュ・ピチュ山だと私が勝手に決めつけている山方面は晴れています。

時刻5:30AM。
バスが動き出します。
いまのところマチュ・ピチュ山だと私が勝手に決めつけている山方面は晴れています。

いよいよバス乗車です。
片道12ドル、所要時間30分、観光都市ならではのお値段です。

バスのバックサイドのマチュ・ピチュマークが、何かを彷彿させる。
ニッポンの世界遺産と良い勝負をしているように感じてしまいます。
Cまわりは大丈夫でしょうか。

なおバスに乗る前にマチュ・ピチュ遺跡の人っぽい人が
バス乗車待機列でバス乗車券とマチュ・ピチュ遺跡入場券にスタンプを押していきます。
が、私はスタンプもらい忘れました。
そして、入れました。
のでスタンプは気にしなくていいかと。
マチュ・ピチュ村からマチュ・ピチュ遺跡まではこんな感じです。

この地図中央のギャグみたいなつづら折りの道をガンガン飛ばしていきます。
絶景なんだけど見た目の感覚は崖の外。
もうこんなんばっか。

歩いて行く人もいるようで(片道2時間弱)、途中どんどんニンゲンを追い越していきます。
途中野犬も多数います。
道中キャインキャインという声も聞こえましたが大丈夫でしょうか。
頂上に到着。
すぐそこがマチュ・ピチュ遺跡入り口になっており、
このごった煮です。

マチュ・ピチュ遺跡はペルー文化庁のお達しでガイド同伴必須になった、
と随所に書かれていますが、現在時点ではガイドなしでも入れました。
ただいつガイド必須が100%実行されるかわからないのでお気をつけください。
一番確実なのはひとまずガイド雇わずにクスコかマチュ・ピチュ村まで行き、
マチュ・ピチュ遺跡帰りの人に聞いてみるのが一番かと。
なおガイドはマチュ・ピチュ村や遺跡前で必死に勧誘してくるので、その場でも雇うことはできると思います。
入場ゲート(写真忘れた)を通過。
いよいよです。

いったんここで毎度恒例のwiki先生にありがたいお話を頂戴しましょう。
マチュ・ピチュ・・略・・は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある。当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置する。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約千メートル高い場所にその首都があった。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産(文化遺産)である(1983年に登録された)。なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡したが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。
ということです。
好奇心をそそるキャラ設定ですね。
話をもどして、
眼前の川と山(マチュ・ピチュ方面ではないほう)は一旦視界まずまずです。

石造りの都市が見えてきました。

ひとまずくぐります。

ということで・・・
こちら、マチュ・ピチュ遺跡さんでございます。
※すみません毎度画質が悪くて。

なんか、こう、みなさんのイメージとちょっと違うと思うのですよね。
それもそのはず、マチュ・ピチュ遺跡はその向こう側に切り立つワイナピチュ山がセットになっての絶景なのですが、
ワイナピチュ山はというと、

霧!!
晴れてはいるが、そう来たか。。
これが晴れていると、こうなります。

まぁ、山の天気は変わりやすいよね、
と気を持ち直して進みましょう。
リャマとアルカパ(どっちがどっちか不明)がそこらじゅうでボケっとしてます。

見上げても見下げても圧倒的な段々畑に圧倒されます(上記地図15)。


段々畑を上がっていくと、途中でガイド率いる一行がいました。
残念ながら日本語ではないので割愛します。
(日本語ガイドがいたらこっそりついていこうと思ったのですが、この日は見当たりませんでした)

ワイナピチュ方面、どんどん仕上がってきています。

ここで日本人の集団に遭遇。
なんとクスコの宿で一緒だった人たちでした。
その中にカンクンの宿でトイレットペーパーを恵んでもらった方もいました。
すごいですね、こういうことってあるんですね。
ただすみません、私は一人で奔放に行きたいので引き続き奔放に行きます。
市街地(住居エリア・上記地図1)入り口です。


突如目の前にリャマかアルカパのどちらかが現れました。
迫りくるかと思いきや、草を食い始めました。
欲しがりやさんなやつです。


住居エリアでひとまず迷子。



上下水道もしっかり整っていたそうです。

たまたま太陽の神殿(上記地図3)へ到着しました。

こんなでっかい岩どうやってもってきたのでしょう。
そして何年掛けてこの斜めにスパッと削り上げたのでしょう。
その上の曲線もすごくきれいです。石組みなのに。
マチュ・ピチュ遺跡はいまのところ直線的な建造物だらけですが、ここだけ曲線です。
きっと大変に特別なのでしょう。
wiki先生によると
窓が二つあり、東の窓は冬至の朝、南の窓は夏至の朝に太陽が正確に差し込むといわれています。そのため、暦に関する建築物だったのではないかとも考えられています。
だそうです。
神殿のふもとに陵墓。


ガイド御一行に紛れ込んで説明を聞いてみる。
聴き込んでいると料金取られるかもなので英語わからないふりしながら聞いてみる。

マチュ・ピチュ内は一方通行が多いです。
狭い通路を大量の観光客が土足で踏み込むので渋滞を防ぐためには致しかたない対応かと。

皇帝の部屋とやらにきました(地図上6)
せめてもうちょっとだけそれっぽく復元の手を入れてもよいのではと。
一般居住区のど真ん中に唐突にあるし。これでは校長先生の部屋以下です。



石切場です(地図には印が無いが7の左側)。
ここから石を切り出したんですね。

ちなみになぜ私こんなに日本語で場所名を書けているかというと
手元にるるぶのマップ写メがあるからです。ふふ。
これを頼りにかつてのインカ都市を徘徊しています。
それでも迷子になりますこの遺跡は。
3つの窓の部屋(地図上7)。
じゃないかもしれないこの写真。窓が4つあるし。

主神殿(地図上8)。



ここが神殿かぁ、、、と厳かな気持ちに浸っていると
かの国の人々が自撮り棒もってギャーギャー騒ぎながら入ってきたので
ここはもう神殿ではないと割り切って退室しました。
インティワタナ(地図上9)

からのワイナピチュはやっぱり霧の中。

とこれを書きながらインティワタナってそもそもなに?
と思ってwiki先生に問うと、衝撃の事実。
インティワタナは、インカの公用語ケチュア語で「インティ」が「太陽」、「ワタナ」が「結ぶ、つなぐ」という意味で、合わせて「太陽をつなぎとめる場所」という意味になります。マチュ・ピチュの都市遺跡の中で最も高い位置に置かれた花崗岩で、その高さは1.8mあります。上に35㎝ほど突き出ている石柱の四つの角は、東西南北にすべて対応しており、対角線上を冬至の太陽が通過するそうです。インティワタナがなぜ造られたのか、何に使用されているのかということに関しては諸説あります。インカの大都市に多く見られた太陽の観測に関わる石で、太陽暦を決める日時計と言われてもいますし、生贄の儀式が行われた場所であるとも言われています。
たぶん私インティワタナを勘違いしていますね。
花崗岩なんてあったかな。
多分通過しました。
だれも人がいなかったもので。
あ、いま写真見てると、一つ目の写真の左側にあるのが、それですねw
すみません、インカ帝国様、私、見向きもしませんでした!!
ちなみにマチュ・ピチュ遺跡には6:10頃に入ったのですが、
その10分後にはガイド率いる大量の人がどんどん入ってきました。

この大量の人たちはガイドの説明を聞きながら移動するので大渋滞します。
ニンゲンのいない景色を奔放に歩きまわりたい人は早めの入場を推奨します。
着きました、ワイナピチュ入山受付です。

7:00に着きましたがすでに50人くらい並んでいました。
このワイナピチュは、
先程の借り物絶景画像でいうところの

ここです。
この険しい山を登頂してマチュ・ピチュ遺跡の景色を拝む、というのが私のGOALです。
かなり険しい山だそうで、入山制限があります。
朝7:00-8:00の回と、10:00-11:00の回の2回、それぞれ200人ずつのみです。
このためかなり予約が取れない状況になっています。
(10:00-11:00の回のほうが人気で、むこう1週間は埋まっていました。
7:00-8:00はむこう3,4日は埋まっている感じです)
受付にトレッキングマップがあります。
命にかかわるのでしっかり写メ。

受付で入山記録をします。
帰ってこない人がいないかをチェックするんでしょうね。
(これは帰ってきたときの写真です。入るときは撮り忘れました。)


私#51です。
いま写真で改めて見ると、年齢33って書いてますね。正しくは34です。
もう自分の年齢ってとっさに出てこなくないですか。
いざ。


そして覚悟はしていますが、現在のワイナピチュさんは、、、

押忍。
進みましょう。
登ったり、降りたり、切り立った石をすり抜けたり、くぐったり。



To ワイナピチュ。

ちょっとずつ笑えない感じになってきます。
道を踏み外せば即ち死です。



途中何人もの人が腰を下ろして絶望的な表情で下を向いていました。
これとか(写真右の細かい階段)もう四つん這いです。
四つん這いと言っても天を仰いで奇声を上げバシャーとかないのでご安心ください(最近こればっかですね)

上りきりました・・・。
これ階段にて上から下を見てます。
人工的な色がポツポツ見えますが、ニンゲンです。

7:15くらいに入山し、時刻8:15、ようやくワイナピチュ頂上まで来ました!
振り返ると眼前に迫る絶景は・・・・

乙!
ひとまず登頂したぞっと。

上を見上げると、もうちょっと上まで上がれそうです。

岩山のてっぺんはまさに岩山のてっぺんで、
切り立った岩に大勢の人がすがりつくようにして腰を下ろしていました。

最先端の猛者。

私も真似して景色が見えそうなギリギリラインかつ転がり落ちても死なない安全な場所を探し陣取ります。

山の景色は変わりやすいって、いうからね。
と未だにサンタクロースを待っている子供のように待っていると、
ガイドっぽい人が現れ、スペイン語で何やら言っています。
すると大勢の人が立ち上がり、立ち去っていくではないですか。
私スペイン語わからないので、立ち去らずにさらなる良ポジションに移動します。
えいっ

まだかねぇまだかねぇと、なにもみえない真っ白な世界に意識を投じること15分、
再度ガイドが現れ、コンニチハー、コンニチハー、ココハゴフンデオワリデス、と
必殺の日本語繰り出されました。
かの国の装いで「あっ?」と切り返す勇気はなく、
仕方ないので立ち去ります。
が、立ち去った先にも切り立った崖が複数あったので、
そのうちひとつに陣取ってしばらく待ちます。
お察しかと思いますが、いま大雨です。
朝のバス待ち中に買ったレインコートに袖を通し、
ビニール特有の匂いに包まれガタガタ震えながら真っ白い世界に意識を投じます。

山の天気は変わりやすいというように、
ものすごい勢いで霧は流れているのですよ。
ただ、次から次へと霧が登場し、
時折完全真っ白な世界になったかと思いきや、
ちょっとだけマチュ・ピチュ遺跡がポロリしたりと完全にツンデレな様相です。





Goproで撮ってみても当然状況は変わらず。




つまりそういうことです。
せっかくここまで来ましたが、ワイナピチュからのマチュ・ピチュは拝めませんでした無念。
本来ならば、この場所が、

こんな感じです(借り物画像)。

こんな写真の男性のような浮かれたことはするつもりはありませんでしたが。
写真奥がマチュ・ピチュ遺跡、左側のくねくねがギャグ坂道です。
いやほんとに、もうちょっと霧が晴れたら見えたんですけどねー。
ただなんでしょう。
不思議と満足感があります。
ここまで何十時間もの時間を掛け、
そして大変な道を歩き歩いてここに来たというその事実だけで
私の精神はきっと満足しているのでしょう。
あざっす。自分、助かるーっ。
ということで、下山です。
ワイナピチュ山頂付近は1周するようなルートになっており、
登山ルートの途中までは別ルートで進みます。
なお普通に下山するのではなく、月の神殿のほうへ向かうルート(Total2時間?)も
あるそうですが、本日は閉鎖されておりました。
とはいえワイナピチュ登山以上に過激な道中らしく、
この大雨なので行っていたらもう二度と帰ってこなかったでしょう。
唐突に洞窟登場。


想定以上にかなり激狭です。
1年前の私だったらここに詰まって御臨終だったでしょう。

途中、ワイナピチュ山を振り返る(やはり未練あり)

ワイナピチュ山の下山後はまたルートに沿ってマチュ・ピチュ遺跡見学の続きです。
実は下山時、派手に足をくじき、左足が結構なことになっています。
凍傷も完治して無く、私はどうなってしまうのでしょう。
それはさておき、遺跡です。
技術者の居住区(地図12)。


ワイナピチュ下山後と思われる人たちで溢れているのですが、
みな一様にどんよりした顔つきがお見事です。
3つの入口の家(地図上無いが12の上の方)

ここは手工芸やキープ(※)の読み方を教えた、学校のような場所だったと言われているそうです。
※インカ文明は文字を持たない文明なのですが、キープとは縄を使った文字の代わりで、縄の太さや色、結び目の数や形を駆使して、情報の伝達を行っていたそうです。
2階建ての家(地図上無いが12の下の方)。


天体観測の石(これも地図上無いが14の下の方)。

なにがどう天体観測なのかわからず、ガイドの背後に迫り聞き耳立てましたが
スペイン語ガイドにつき諦めました。
ルート上に足を踏み入れるやいなやみんなのアイドル(リャマかアルカパのどちらか)。

時折、高いところから失礼なやつ(リャマかアルカパのどちらか)。

白い方もいます(リャマかアルカパのどちらか)

ルートを誤ったのか、コンドル神殿に行けず。
遠目から望遠撮影。

これも公式サイトの地図には無いな。
もしや、るるぶの捏造か。


ここで衝撃。
なんと電話しながら歩いている奴がいます。

この聖なるマチュ・ピチュ遺跡も電波の前には秘境感かなわないのですね。

もっかいワイナピチュを振り返る(未練)
ということでマチュ・ピチュ遺跡でした!
出口は入り口よりも一段低いところにあり、
目の前にバス発着場があります。
特にすることもないのでこのままバスにIN。

お疲れ様でしたー!!
ということでいったん得意のメルカドBKです。


bisteck montado。
牛ステーキ?にポテトと目玉焼きをオンした大変BKなBKです。
montadoってググっても出てこないのですがこれなんなんでしょう?
15ソル=525円、と(このメルカドにしては)結構な値段でした。
そして宿に戻り、カップ麺を食い(AJINOMOTOではなくAJINOMEN。色々大丈夫でしょうか。)

明日の徒歩+バスを止めて鉄道にする決意をして駅で切符を買い、
またもあの日本人集団と遭遇し(でも私は奔放に行きます)、
くじいた左足を引き釣りながら明日以降の予定を考えているのが今です。
このマチュ・ピチュでは絶景を見るまでは滞在しよう、と思い
このマチュ・ピチュの滞在期間は可変的に計画していたのですね。
ところが結局のところ向こう一週間は
このあたりの天気はぐずぐずのようなので
もう明日でマチュ・ピチュを離れようと思います。
なので此処から先は、宿もバスも取っていないのです。
そして南米の最終目的地までの日程としては
4日分の余裕が設けられているので、
どこかでぷらぷらしてみようと思っています。
明日はセレブリティが集うペルーレイルでオリャンタンタイボまで行きます。
クスコからマチュ・ピチュ村まで来るときに通過した村です。
ここはここで面白そうなのでぷらぷらしてみながら
バスでクスコへ戻り、次の目的地への準備をします。
次の目的地は、ラパスです。
ボリビアの首都です。
標高3,640mです。
クスコより高いです。
そもそもボリビアINです。
そしてバックパッカーがこぞって強盗ないしは盗難に会う街です。
不安だらけですが、ちょっとスペイン語も慣れてきたので、楽しんでいきたいと思います。
ということで、
マチュ・ピチュ絶景は借り物画像でご容赦いただきつつ、
引き続き今後ともMAEDAKをどうぞよろしくお願いいたします。
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