#435 ベトナム山岳の村、サパへ。inベトナム(1) 2019.2.21
- 2019/02/24
- 06:00
祝!!
かの国脱出しましたよ!
って先に書いちゃいましたけど、
ノービザ滞在期間16日目でしたが無事出国できました。
って事で早速ですが
THEベトナムの風景を見ずして一旦山へ向かいました。
サパという山岳民族の方々が暮らす村がツーリスティックになりすぎて今や欧米人だらけ、という話題の場所です。
わーい。
ピザ食べようーっと!
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▼徘徊メモ
・行き先:昆明→サパ Sapa
①中国/昆明→中国/河口北
・手段:列車
・料金:54.5元≒872円
・時間:7時間 22:55発、翌6:00頃着
②中国/河口北駅→中国/河口国境
・手段:路線バス
・料金:2元≒32円
・時間:20分くらい
※駅を出たらバスが並んで待ってました。タクシーやバイタクも多数。バスは言うても路線バスであり乗れる人数限られるので列車降りたら早めにバスに向かった方が良さそう。なお朝6:00でしたがバスは3台いました。
※バスは中国国境の目の前に停車します。ここ↓
③中国/河口国境→ベトナム/ラオカイ国境
・手段:徒歩
もはや橋を渡るだけです。
街中の国境なので、両国側ともにATMやレストランあります。ベトナム側を出たら両替商がウヨウヨしてます。
↓ラオカイ国境周辺地図
④ベトナム/ラオカイ→サパ
・手段:バス
・料金:30,000ドン≒150円
・時間:約1時間強
※バスは駅前から出てます。以下時刻表。上がToサパ、下がToラオカイ 。
・オレンジ:ラオカイ 間のバス発着所
Mapsme表示無し。噴水「Cong Vien Trung Tam」の南側
・青:宿
Venus Sapa Hostel
ドミ一泊92000ドン≒460円
・黄色:ファンシーパン山に向かう高山鉄道駅
Funicular ticket booth
・ピンク:ツーリストインフォメーションセンター
Tourist Information Center
・右の赤:サパマーケット
Sapa Market
・右下の赤:ハムロンの丘
HamRong mountain
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日記は列車が中国の河口北駅に到着したところから始めます。
時刻6:00。
ここまで7時間ですが、途中、運転手の仮眠タイムか2時間くらい途中停車してた気がします。
この列車、昆明⇄河口北間という、もはやベトナム行く人しか乗らないような列車なので乗客にための時間調整就寝タイムだと思うのですが。であれば電気消して欲しいです。防犯対策かな?
この河口北駅から国境まではちょっと離れており、バスで行かねばなりません。
ひとまず駅前の飯屋で時間を潰そうかな、っと思っていたのですがここ、飯屋どころかなんもありません。
ただバスがすでに3台並んでおり、「ユエナン(越南=ベトナム)?」と聞いたらウンウンうなづいてくれたのでひとまず乗車です。
ところでベトナムって中国では越南と言うんですね。分かりやすいネーミング。
で、
バスは国境ボーダーまで行ってくれました。
みんなここで降りて続々と国境へ。
かたやの私は、
中国最後の飯です。
※中国最後の飯を誤って消してもうた。
もはやこの食堂はメニューすらなく、
麺を指差しで決め、続いて入れて欲しい具材を指差しで決める、という素晴らしいシステムでした。
まあ何を選んでも最近さんざん食べてる米線に変わりはないのですけど。
で、
ここで10:00まで、中国SIMカードを使い倒してベトナムの下調べやらベトナム語やら調べてました。
ではいざ参りましょうか。
出入国管理所、いわゆるイミグレです。
バスを降りるとこんな感じで建物の横に降ります。
で、
建物入り口から正々堂々とエントリーしたらそこはベトナムからの入国者口=出口でした。分かりづらいわ!
大々的な出口の奥にこっそり「出境」と書いてます。
まずはドキドキの中国出国。
私の懸案は香港からの入国日2/6から16日目であるという事。
中国ノービザ滞在可能期間は15日ですが、その15日とは「入国してから経過した日数、つまり2/7がカウント1となる、つまりつまり16日目まで滞在出来る、という噂を聞きまして。
まあ実際トライしてみたところ掲題の通り問題ありませんでしたけども。
ただここはかの国ですからね。
いちいち突っかかってきますよ。
これ、
中国入国スタンプがあるページです。
そして対象国はドバイのUAEです。
入国審査官が一目見て質問してきました。
なんかもう、その立ち振る舞いが短慮としか思えない。
どこの国か分かって聞いてんのかな。貴国とも仲の良いUAEですけども。
アラビア語だったから=イスラム=要注意、とか?いや、係員の立ち振る舞いを見てるとただ単に聞いてみようみたいな感じ。
その後もうひとりの係員が来て二人でパスポートのスタンプ見ながらニヤニヤ。
あー腹たつ。
えっと、
なんかみんなキャッキャして写真撮ってますけども。
ちょっと便乗して私も撮ってますが、自己責任です。
この橋の向こうがベトナム。
これまで幾多の国境を越えてきましたが、こうして徒歩でマイペースに越えれる国境ってなかなか珍しいです。大概が囲われた通路とか車両で強制移動とかです。
中国入境を楽しむfromベトナムの人たち。
これから中国行くのにそのノリマズイって。
振り返って、
さらば中国。
次回私が訪れるまでには所構わずの痰吐き、大声、食べ物くちゃくちゃ、のいずれか一つの民度改善を望みます。
ベトナムさん、
あっさりスタンプ行けるかな、って思ったらちょっと時間掛かりました。
係員がずっと困った感じしてて、しばらくの後にやってきた別の係員が「ノービザ、15Days、and 一回出国したら30日経たないと再入国出来ないよ」って教えてくれて、スタンプバスンでした。
そうなのです。
ベトナムってノービザ滞在15日までしか出来ないのです。
なので私、ベトナム入国タイミングを神経質に見計らってたのですよ。
ということで、
55カ国目、ベトナム!!
Welcome to Vietnamー!!!
っぽいのを探す前に両替商との戦を開戦させてしまったので探すのすっかり忘れてました。
136元を両替=2242円相当=469775ベトナムドンを450000ベトナムドンへ両替。手数料93円。国境両替にしてはなかなか悪くないレートで勝ち取りました。
※10,000ベトナムドン≒約48円≒以後50円で計算します。
というのも、
中国国境があまりにも近すぎて中国SIM電波がガッツリ入ってくるので、両替商の目の前で為替アプリ使って交渉出来たのです。
ありがとうございます。
そういう意味では中国/香港国境は同じくらい距離近いのに国境超えた瞬間にピタッと電波止まったのはきっとガッツリ電波管理してるんでしょうね。
さて、
ここはベトナムはラオカイという街です。
そして駅前からサパという村に行くバスが出るので駅まで向かうのです
が、
その前に!!
マエダさん、
かの国お疲れ様っした!!!
染みるぅー。。。
いぬ共と戯れながら酒宴です。
と思ったら数秒でいぬ共は逃げて行きました。無情。
そしてまだベトナムドンの感覚が掴めてませんで、この缶ビール15000ドンでした。
安!!
思いましたが実際75円です。
中国昆明50円でした。
こっちのほうが高ぇじゃねーか!
ベトナム革命家でありベトナム民主共和国初代主席のホーチミンさんがすべてのお札に降臨してます。凄いです。
で、
実はビール飲みたくてわざわざこんなことしてるわけじゃ無いんです。いや無いこたないけども。
実はですね、
私ベトナムのSIMを持ってるんです。
ネパールはポカラで宿が一緒になった兄貴さん(一年前にネパールで出逢った女性に一目惚れして結婚するべく日本からやってきたスーパー兄貴)から、『もう俺はベトナム行くことはねーし』と頂いたのです。
凄いタイムリー !!
このSIMカードは2019/2/28まで使えるようです。ちょっと運命感じました。
いざ、実装!!
iPhone「圏外」
兄貴、、、
ダメじゃ無いっすか。
説明書にちゃんと書いてましたよ。
「使用開始から10日以内まで」って。
兄貴、これ使用済みだったんですね。
なお兄貴はその後、挙式寸前まで展開したものの御破談となったと風の噂で聞きました。
兄貴の今後の人生に幸を何卒。
さて、
SIMカードは上記の通りですが、案ぜられよ、プランBがあります。
なぜ私が中国側で10:00まで時間を潰してたか。
それはこの事態を見越してラオカイ の街のSIMカード屋が開く時間を見計らってたのですよ。
出来たよー!
てかJCB対応までしてました。
東南アジアは日本に優しくて助かります。
ただ手数料3%取られました。
2,000,000ドン≒10,000円分下ろしたので300円です。高いなー!
そう考えると手数料が無かった中国って凄いわ。
はいやって来ましたよ、
事前に調べてあったのですラオカイのSIMカード屋、黄色が目印のVIenthongA!
私「SIMカードありますか?」
店員さん「、、、Sorry。。。」
向かいの赤いお店もスマホ屋でして、
表にいろんな表示がありすぎてどれが店名か分かりませんが「FPT shop.com.vn」で良いのかな?
私「SIMカードありますか?」
店員さん「(胸に手を当てて)イエッサー。」
やだ可愛い。
なにこの子、超可愛いんですけど。
※男の子です。
いや、
これが中国だと「あぁ!?」という聞き返しから始まりまずイライラするんですよ、それがここベトナムではまずそもそもネクタイした小綺麗なボーイ君が入り口のドアを開けてくれるところから始まりそして上記のくだりです。
もうおじさんキュンキュンしちゃうよね!!
それはさておき、
本当に真摯な姿勢で対応してくれ、
その場で開通しました。
ヤバい。
ベトナム、好き。
180,000ドン≒900円で1ヶ月、9GBですって。丁度いい!
店を出たら目の前をサパ行きのバスが通ったので乗れちゃいました。
ベトナム、好き!!
※赤いSIM屋はMapsme表示ありませんが同じ場所にある「MT Mart」というのがMapsme表示あります。
※バスは復路でもここを通りました。
バスはラオカイ の街を抜けて行き、
あ、
早速ガソリンタイムね。
給油機に対して正面につけるんですね。
いやこのバスだけかもしれんけど。
道が蛇行し始めてるのにスピード上がってくとか意味がよく分かりません。
ねえ、
どうしていまヘアピンカーブで追い越したの?
シートベルトなどという利器はありません。
いやー、
アジア感ありますねー!!
分かりますか、棚田。
いや、私ですら分かんないなこれ。
サパの村はあれなんです。
ねえ?Wiki先生。
サパ:
ベトナムの北西部に位置するホアンリエン ソン山脈の山間にある町です。トレッキングの拠点として人気があり、町からムオンホア渓谷に広がる棚田を一望できます。また町の近くには標高 3,143 m のファンシーパン山がそびえています。山頂への登山は、ガイド付きで急斜面を歩いて数日かかります。町の人口はモン族、タイー族、ザオ族といった山岳民族が大半を占めます。
なんです。
「棚田」「山岳民族」の村です。サマると。
超ツーリスティック
まあ、そうなりますよね。
インドのダージリン、スリランカのエッラ 、そんな雰囲気です。
欧米人だらけです。
素晴らしい。
Mapsme見ながら辿り着けるって最高。
ここ最近マンション一室宿ばっかりで3次元迷子ばっかしでしたもので。
ひとまず荷物を置き、
サパの村をお散歩しに行きます。
ここサパは既述の通り、谷間に広がる棚田の美景と山岳民族の皆様の文化と生活を愛でるというのが定番の楽しみ方なのですが、それには近郊の村へのトレッキングが必要だそうで、それは明日の楽しみにして、今日は気楽に歩いていける隣村、カットカット村へ行ってみます。
え、なにしてんの?
撮影?
結局よくわかりませんが、この一味はどうせかの国の人民です。
すんませんついHGに。
ベトナムのフォーですよベトナムのフォー!
現地で食べれる日が来るとは。。
なお私が社会人時代の炭水化物ダイエット没頭期にハマってたカップ麺のフォーと変わらない味でした。
そして200円しました。
一食100円以下で飯が食えると思ってたベトナムでこれは痛手です。
さすがド観光地。欧米人が集まる場所は大抵こうです。
道端で回されてる豚さん。
フランスに翻弄された近代ベトナム。
教会が街の中心に普通にあります。
なおラオカイからのバスはこの近くに停車しました。
駅だそうです。
ファンシーパンというベトナム最高峰の山がサパのすぐ近くにあり、あそこから高山鉄道が出てるそうですよ。
広場の階段では子どもらが滑り台して遊んでました。マジでずっとずぅっと滑り続けてました。好きなのね。
冒頭で「ピザ食べよキャぴん」みたいなこと書きましたが普通に700-800円とかするのでピザ食べよと思ったらきゃぴんじゃなくてギャフン状態です。
アンニュイな看板犬。
奇遇ですね、私もです。
予想外だったのは、カットカット村はサパから降って行くんですね。
てっきり山道を登っていくんだと思ってましたよ。
わー凄い。
カットカット村は谷間にあるようで、道中は比較的早々に大パノラマが広がります。
ファンシーパン高山鉄道のレール。
まっすぐいくとカットカット村。
左に行くと定番トレッキングコース方面です。
見えてきましたカットカット村。
カットカット村は黒を基調とした服を着るモン族=黒モン族の方々が住む村だそうですが、売られてる衣装は煌びやかです。いろんな民族の衣装が売られてるのかな。
なお黒モン族以外にもベトナム山岳地帯には白モン族や花モン族など色々な色の民族の村があるらしいですよ。
村の入り口。
カットカット村の入り口は村の上にあり、村の道(ほぼ一本道)はどんどん階段を降りていく感じです。
すれ違う民族衣装の女性たちが明らかに現地人ではなさそうです。階段一段一段にヒィヒイ言うてます。
これどうやら先ほどの民族衣装屋で衣装レンタルしてる観光客たちですね。
男女共にレンタル出来るようです。
お陰で村民と観光客がごっちゃ混ぜです。
まあ村民は大概こんな感じで
村の階段を降りていく合間合間にステキな景色がご覧に入れます。
本日のぶた1
ところどころにTRADITIONAL HOUSEと題されたお宅があります。
なかは観光客向けの展示館となったお宅で、工芸品であるインディゴ染めや、その他生活道具などが展示されてます。
黒い衣装はインディゴで染めるのでしょうか?皆さん着てはる服は相当な黒ですけども。
その他の生活臭。
これ、階段です。凄い。
数々のお宅がTRADITONAL HOUSEやLINEN HOUSEの名で観光客向けに解放されてます。なかでは普通に村民が織物してたり縫物してたり、はたまた普通にご飯タイムだったりしてなかなかの臨場感です。
本日のいぬ3とぶた2
二人とも影の中ですけども。
相変わらず階段をずんずん降りているのですが、
とうとう谷間の川に到達してしまいました。
帰りが大変だこりゃ。
この川辺はお店も集まり、水車や橋などそれっぽい村文化的な演出も多々用意されて観光客で賑わってます。
その奥に、
ローカルダンスショーと書かれた建物が。
どうやらここで無料で見学出来るようです。
今13:00なので、次は14:00の回ですね。
おやつタイム。
川と橋と水車とハンモックと欧米人が見える景色のカフェでマンゴースムージーをやる。
超絶良い景色ですがいかんせん闇の飲み物のように逆光です。
と思ったらこいつら民族衣装着た観光客でした。自由だな。
日本や中国の舞踊のようなテイストに、ややバレエちっくな雰囲気も合わさった不思議な舞踊でした。
動画があれば良かったのですが私の隣にギャーギャーうっさいベトナム観光客親父共がおりまして。あれ営業妨害レベルだと思うのですけども。
引き続きカットカット村風景。
竹かごを編む人。
屋内には大量にトウモロコシが干されてますが、何に使うのだろう。食用?
観光コースの終着点、吊り橋まで来ました。
ここからカットカット村の入り口ならびにサパまでひたすら登り坂で戻るわけですが、大勢のバイタクたちが首を洗って待っていらっしゃるので簡単に帰れます。
私は徒歩ですけども。
中国生活で肥えた身体に鞭を打つのです。
・中央ピンク:カットカット村入り口
Ticket cat cat village and waterfall (70k)
・左ピンク:カットカット村入り口(出口)
Cat Cat Ticket
・右の赤:HAVEN SAPA
Heaven Sapa ※綴りが実際と違う
上記以外はMapsmeに表示無しです。
本日のいぬ7891011
えっと、
いぬが多い。
久々ですこの感じ。
インド以来いぬが全然いなくて本日の野犬コーナーを開催できておりませんでしたもので。
とはいえ東南アジアの野犬は噛まれてる人も多いので気をつけます。
写真分かりづらいですがバイク2ケツで颯爽と坂を登っていく黒モン族ガールズ。カッコいい。
サパとカットカット村の道中にある、絶景で有名なHAVEN SAPAに立ち寄りました。
崖っぷちにあるカフェです。
でかいので否が応でも分かります。
しゅんごい。
カットカット村の棚田が一望できます。
モヒート。
コーヒー高いしジュースはさっき飲んだしなので。
しばし強風でモヒート倒れやしないかヒヤヒヤしながら景色を眺めつつ、
しばらくすると徐々に夕陽タイム。
。。あんま変わらないかな?
南西方面にファンシーパンというベトナム最高峰の山があり、太陽は早々に沈んでしまいます。
ただ稜線から漏れる陽の光はとても幻想的でした。
レインコート購入。
山の天気は変わりやすい言うのでね。
20000ドン≒100円。
フライドヌードル。
インスタント麺でしたがなかなか美味いです。
てかサパ、
どこもレストランツーリスティック過ぎてて困る。
高い。
一食500-1000円なんですけども。
上記のフライドヌードルはしばらく歩き回ってようやく見つけた250円です。
恐るべしサパ。
色々ググるとやはり先人も同様の課題を感じているようです。
だれかサパでコスパの良い飯屋知りませんかー。
さて、
明日は絶景らしいトレッキングに出掛けますよ。
基本は15-25ドルほどのツアーに参加するのが一般的らしいですが、時間はたんまりあるので一人歩いて行ってみようと思います。
カームオン!でしたー。
(ベトナム語で「ありがとう」)
以下、毎度恐縮私的なベトナム勉強メモ。
+++++++++++++++++++++++++++
▪️国名:ベトナム社会主義共和国
・英語表記:Socialist Republic of Vietnam
・ベトナム語:Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam
+++++++++++++++++++++++++++
▪️地理:
・北:中国
・東:南シナ海
・南西:カンボジア
・西:ラオス
▪️首都:ハノイ
(最大都市はホーチミン)
▪️人口:9364万人 世界14位
(日本は1億2675万人で世界10位)
※2017年IMF調べ
▪️国民:キン族 85-90%。
ベトナム政府が公認しているだけでも54の民族がいる。キン族以外の少数民族としてホア族(華人)、タイ系のタイー族・ターイ族・ヌン族、クメール族、ムオン族、モン族(ミャオ族)、ザオ族などがある。少数民族のうち、ホア族とクメール族以外の大半は山地に住む。
※wikipedia参照
▪️言語:ベトナム語
こんにちは Xin chào シン チャオ
ありがとう Cảm ơn nhieu カム オン 二エウ
・その他にも華語(主に広東語、閩南語、北京語)、クメール語なども使われている。
・フランス領インドシナ時代の影響から、少数のエリート層や高齢者の間ではフランス語が理解できる人もいる。
・ソ連とのつながりがあったため、ロシア語を理解できる人もいる。
・ただし、最近の若年者の教育は英語教育が一般的になり、町の看板などを見渡してもベトナム語以外では、欧米人観光客向けに英語が目立つのが、現在の状況である。
▪️宗教:仏教(大乗仏教)が大半を占める。
・その他は道教、カトリック教会など。
・中部(旧チャンパ王国の領域)ではイスラム教やヒンドゥー教、南部にはホアハオ教や、混淆宗教としてのカオダイ教が教勢を保っている。
・公的に認められた宗教は、仏教、カトリック、プロテスタント、イスラム教、カオダイ教、ホアハオ教の六つ。
・このうち後ろの二つは、ベトナムで生まれたベトナム独自の宗教である。
※wikipedia参照
▪️通貨:ベトナムドン(VND)
10,000VND≒47.8ドン
+++++++++++++++++++++++++++
▪️歴史
ベトナムの歴史と文化には地域によって異なり、北部ベトナム(トンキン地方)、中部ベトナム(アンナン地方)、南部ベトナム(コーチシナ地方)に分けることができる。
・紀元前5世紀頃には北部ベトナムの紅河流域に東南アジア最古の青銅器文化として知られる東山(ドンソン)文化が広がる。
・その後この地域は秦の始皇帝によって象郡が置かれ支配を受けた。
・紀元前207年に南越国が成立し独立するも漢の武帝が再び制圧、第一次北属期(紀元前111〜紀元39年)となる。
・40年にチュン姉妹が蜂起したチュン姉妹の反乱が起こるが、後漢に制圧され、第二次北属期(43〜544年)
・6世紀の終わりごろ隋が中国を統一しベトナムに「交州総督府」を設けた。
・544年に李賁が前李朝を興し独立するが、602年の隋李戦争で隋が前李朝に侵攻し、第三次北属期(602〜938年)に入り、そして次代の唐 (618-907) に引き継がれ「安南都護府」となる(安南という呼称のはじまり)。
・755年に唐で安史の乱が起こると支配は動揺し始め、南詔がハノイの安南都護府を占領した(862年 - 866年)。
・一方、中部では192年、オーストロネシア語族系統の古チャム人(後のチャム族)が日南郡でインド化されたチャンパ王国を形成して後漢から独立。19世紀頃まで続く。
・南部では扶南国(1世紀 - 6世紀)、続いて真臘(6世紀 - 8世紀)、そしてクメール王朝(9世紀〜15世紀)が興る。いずれもカンボジアを中心とした国家であり、南ベトナムの地域は現カンボジアに属していた。
・北部では唐末五代の混乱で中国の支配が後退すると939年の白藤江の戦いで最初の民族王朝呉朝が成立(北属期終る)。
・965年に十二使君の乱が起こり、966年に丁朝が成立。
・980年に黎桓が前黎朝を興し、981年の白藤江の戦いで宋軍を追い返すことに成功。1001年に李朝の成立。宋は「安南国」を朝貢国として承認した。
・1054年国号を大越(ダイベト)とし、昇竜(タンロン、後のハノイ)に遷都。※19世紀に至るまで中国はベトナムを「安南」と呼んだ。
・以後越人の王朝「大越」は南のチャンパと抗争を繰り返した。
・1225年、李朝との婚姻から陳太宗へ譲位させることに成功し、陳朝が成立。
・13世紀に元のクビライは3度に渡るベトナム侵攻(元越戦争)を行った。最終的に1288年の白藤江の戦いで敗北した元軍は敗走した。
・14世紀には陳朝に代わった胡朝が中部のチャンパ王国へ侵攻すると、チャンパは明の永楽帝に援軍を求め明胡戦争が起こり、1407年に胡朝は滅亡。第四次北属期(1407年-1427年)となった。
・その後に黎利(レ・ロイ)が藍山蜂起で明軍を追い出し後黎朝が起こる(1428〜1788年)。後黎朝は中部のチャンパ王国の主要二地域のうちの一つヴィジャヤを滅ぼした。
・黎朝が衰えると権臣の莫登庸による莫朝が権力を掌握。黎朝復興勢力と莫朝が紅河を挟んで向き合う南北朝時代の戦乱を経て後黎朝は復興したが、北部は帝室を牛耳る東京鄭氏が支配し、中部には広南阮氏による半独立政権が成立し、両者の間で鄭阮戦争が起こった。※このころ日本は広南阮氏と交易し、ホイアンに日本人町ができ来遠橋などが建てられた。
・鄭阮戦争の難民が南部ベトナムへ流出すると、当時の王朝でクメール王朝の次の王朝だったカンボジア王国のチェイ・チェッタ2世は、プレイノコール(現ホーチミン市)に難民を受け入れ及び徴税のために税関事務所を建設することを許可した。これによって広南阮氏の南部への影響範囲は強まり、1693年に広南阮氏が中部と南部の狭間にあるパーンドゥランガ地域を征服した。
・1708年、南部ベトナム最南端に位置する鄚玖の半独立国「港口国」がカンボジア王を裏切り広南阮氏に朝貢するようになる。結果、広南阮氏はカンボジア領であったクメール人居住領域の併合に成功する。
・1771年に西山阮氏による西山党の乱が起こり1777年に広南阮氏を滅ぼした。
・1785年にシャム(≒現タイ)の支援を受けた広南阮氏の残党・阮福暎がベトナム南部に攻め込んだが(ラックガム=ソアイムットの戦い)、阮恵(グエン・フエ)率いる西山阮氏はこれを撃退した。
・阮恵は軍を北に向け鄭氏もまた滅ぼし、西山朝が成立した。
・西山朝に内紛の兆しがみえると、阮福暎が1802年に西山朝を滅ぼし、阮朝(1802〜1945年)を興こした。
・1830年代には港口国が阮朝の支配下に入り、チャンパ遺臣の自治領も完全に阮朝に吸収され、現在の統一国家ベトナムの形がほぼ完成する。
・1847年、フランス軍艦がダナンを砲撃し、フランスの侵略が始まる。
・1858年、フランス・スペイン連合艦隊、ダナンに進行(コーチシナ戦争)。
・1862年、第1次サイゴン条約でフランスに南部3省を割譲。
・1867年、フランス領コーチシナ成立。
・1874年、第2次サイゴン条約でフランスに紅河通商権を割譲。
・1882年、フランス、ハノイ占領。
・1883年、トンキン戦争の結果、中部のアンナンと北部のトンキンがフランスの保護領となる。
・1884年、清仏戦争が勃発し、1885年の天津条約で清はベトナムに対する宗主権を放棄。
・1887年10月、フランス領インドシナ連邦(トンキン保護領、アンナン保護領、コーチシナ直轄植民地に分割統治、カンボジア保護国と併合、1889年4月にはラオス保護国を併合)の成立。フランスによる植民地化の完成。
・北部を中心にフランスに対する反乱が相次ぐ。
・1940年にはフランス本国のドイツによる占領と日本軍のベトナム北部への侵攻(仏印進駐)が発生。そして1941年、タイ王国とフランスが交戦し日本政府が仲裁するなど、フランスの弱体化が見え始める。
・直後に南部仏印進駐から日英米開戦、太平洋戦争勃発。
・1945年3月11日、保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助(明号作戦)下でベトナム帝国の独立を宣言。
・1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾した旨声明。
・8月17日、ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命)。9月2日、ベトナム民主共和国の樹立を宣言、ホー・チ・ミンが初代国家主席兼首相に就任。同日、日本が降伏文書に署名した。
・1946年11月、ハイフォン(海防)でのフランス軍との衝突から、フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争、1946年 - 1954年)が始まる。
・1949年、フランスはサイゴンにバオダイを復位させベトナム国として独立を認める。一方で中国とソ連は、ベトナム民主共和国を承認。
・1954年5月、ディエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、7月ジュネーヴ協定を結び、ベトナムから撤退、独立戦争が終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。
・10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ディン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にし、1960年12月には南ベトナム解放民族戦線結成。
・1962年2月、アメリカ合衆国はサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入によるベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
・1968年1月、南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢により、アメリカは大打撃を受ける。
・1969年1月20日、ニクソン政権が誕生し、南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる。
・1973年1月、南北ベトナム政府および臨時革命政府ならびにアメリカの4者が、パリ和平協定に調印する。
・1973年、日本との国交が樹立される。
・1975年4月30日、北ベトナムと解放戦線が春の大攻勢を行うと、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏する。サイゴンは陥落し、ベトナム共和国は崩壊に至る。南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握し、ベトナム戦争は終結。
・1976年4月、南ベトナム消滅による南北統一、初の南北統一選挙が行われた。1976年7月2日、ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。1976年12月、ベトナム労働党第4回全国代表者大会をハノイで開き、旧名称であるベトナム共産党を再度採用した。
・カンボジアによる多くの国境侵犯やバチュク村の虐殺などにより、1978年12月にカンボジア・ベトナム戦争でカンボジアへの侵攻を開始。
・1979年、侵攻を非難する中華人民共和国がベトナムを攻撃し、中越戦争が開始される。
・世界各国が援助を停止したためベトナムは孤立するが、戦争期に中ソから支援されまたアメリカや南ベトナムから鹵獲・接収した多種多様な近代兵器と実戦経験豊富な古参兵を擁するベトナムは、文化大革命で混乱・疲弊した中共軍を相手に善戦し、アメリカに続き国際連合五大国の一角である中国を一度は退けた。
・1986年7月、レ・ズアンが死去。12月、第6回全国代表者大会以降、チュオン・チン国家評議会議長体制は、社会主義型市場経済を目指す『ドイモイ(刷新)政策』を開始し、改革・開放路線に踏み出す。
・1989年9月、国内経済が疲弊したベトナムは、カンボジアから完全撤兵し、カンボジア・ベトナム戦争が終結。1991年に越中関係も正常化。
・1993年2月、ベトナムとフランスが和解。
・1995年7月、クリントン・アメリカ大統領が、ベトナムの国家の承認と外交関係樹立を発表。
・1995年7月、東南アジア諸国連合(ASEAN) は、ベトナムの加盟(7番目の加盟国)を認める。
・1998年、アジア太平洋経済協力 (APEC) 参加。
・2007年1月11日、世界貿易機関 (WTO) に正式加盟した。
・2007年10月16日、国連総会で安全保障理事会の非常任理事国に初選出された。
◾️国際関係
<中国>
・中華人民共和国とは陸続きのため、最大の貿易相手国であり、中国製品も多く流通しているが、ベトナムでは華人(主に漢民族)が急増し、不法滞在・不法就労も多発していることから、過去の侵略された歴史を含めて、反中感情を抱く者は非常に多い。
・最近では南シナ海にある南沙諸島(ベトナム語名チュオンサ諸島)・西沙諸島(ベトナム語名ホアンサ諸島)の領有権問題がある。
南沙諸島の領有権問題で、普段は禁止されているデモも2007年12月に公安(警察)の取り締まりもなく、半ば公然と行われた。
・ベトナム政府は経済、外交などで対米接近を基本政策としており、ブッシュ大統領の来訪も大歓迎している。米軍に侵攻され、多大な被害を受けたにもかかわらず、政府・国民とも親米的な珍しい例である。
・現在,日越関係は「アジアにおける平和と繁栄のための広範な戦略的パートナーシップ」の下,政治,経済,安全保障,文化・人的交流など幅広い分野で緊密に連携している。日越間の交流の増加を受けて,1997年の在大阪ベトナム総領事館開設に続き,2009年に在福岡ベトナム総領事館,2010年に在釧路ベトナム名誉領事館と在名古屋ベトナム名誉領事館が開設された。
・ODAは日本が最大の支援国であり、日本のODAによってタンソンニャット国際空港やカントー橋、ハイヴァントンネルやノイバイ国際空港やニャッタン橋など、ベトナムの基幹インフラを建設・支援をしている。
・かつてベトナム国内ではホンダのバイクが大いに普及した。本田技研工業の想定範囲や先進国の安全常識では到底考えられない異常な酷使、過積載(「100kg 単位」での重貨物搭載や、子供まで含めての3人乗り、4人乗り)にも耐える高い信頼性によって、オートバイを生活の道具として重要視するベトナムのユーザーから強い支持を得たからである。オートバイが(一般名詞として)「ホンダ」と呼ばれていた過去がある。
▪️経済
・名目GDP:2,200億ドル 世界46位
・一人当たりGDP:2,353ドル 世界136位
(日本は38,439ドルで世界25位)
・経済成長率:6.812% 世界20位
(日本は1.713%で世界150位)
・失業率:2.20% 世界104位
(日本は2.88%で世界99位)
※2017年IMF調べ
・1986年、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、中国の改革開放と同様に市場経済路線へと転換した。ドイモイ政策の導入以降ベトナムの貧困率は大幅に改善され、1993年の58.1%から2015年には5%以下となった。
・労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲得源となっている。
・中国では人件費が上昇基調にあることから、新たな投資先として注目が集まっている。
・主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物。特にコメについては、タイに次ぐ世界第二位の輸出国であったが、現在は輸出制限措置をとっている。
・コメのほかコーヒー、茶、ゴム、魚製品の輸出も多い。しかし、農業のGDPに占める割合は他の産業が成長したため20%(2006年)に低下した。
・カシューナッツと黒胡椒の生産は世界の1/3を占め1位。コーヒーの生産はブラジルに次ぐ世界2位。原油生産は東南アジアで第3位である。
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