#442 もっかいハノイ街歩き。inベトナム(8) 2019.2.28
- 2019/03/03
- 06:00
ハロン湾からハノイに戻り、そのままフエに行こうとしたらバスが無かった昨夜。
フエへは13時間も掛かるので夜行バスで行きたく、
今日はハノイ街歩き後にフエへ向かいます。
ということで、
誠に恐縮ですが、またハノイです。
ベトナム滞在期間あと8日しかないのに。
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▼徘徊メモ
・行き先:ハノイ市内
・手段:徒歩&バス
・料金:ー
・時間:ー
↓ハノイ地図マップ
(二行目はMapsme表記)
・左のオレンジ:ミーディンバスターミナル
Bến xe khách Mỹ Đình
・その右の赤:ハノイ民族学博物館
Mapsme表示も同様
・右のオレンジ:ギアラム?バスターミナル
Hanoi Bus Station
・下のオレンジ:ジアプバト?バスターミナル
Giap Bat station
・さらに下のオレンジ:ヌオクンガム?バスターミナル
Bến xe Nước ngầm Hà Nội
※フエ行き公営バスはここ発と言われた
真相未確認
・右下の赤:バッチャン村
Bát Tràng
↓枠線内詳細
・上の方の青:宿 デイジー ホステル
Mapsme表示も同様
ドミ一泊4ドル
・右下の赤:オペラ座
Opera House
・その左上の赤:ホエンキエム湖
Mapsme表示も同様
・その上の赤:玉山祠
Mapsme表示も同様
・そのすぐ右上のシネママークの赤:タンロン水上人形劇
Thang Long Water Puppet Theatre
・その上の緑に埋もれた赤:旧家保存館
Mã Mây, 87
・ピンク:シンツーリスト本店
Mapsme表示なし
・その左上の赤:ドンスアン市場
Mapsme表示も同様
・左上の赤:鎮国寺
Tran Quoc Pagoda
・その下の赤:ホーチミンの家
Presidential Palace
・その下の赤:ホー・チ・ミン廟
Mapsme表示も同様
・その右の赤:タンロン遺跡
Imperial Citadel of Thang Long
・その下の赤:フラッグタワー
Flag Tower of Hanoi
・そこに被る赤:ベトナム軍事歴史博物館
Mapsm表示も同様
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はいフエ行きのバスチケットゲットー。
宿の目の前が旅行代理店シンツーリスト(本店)でして。秒速でゲットです。
219,000ドン≒1095円。
18:00発です。
同じ通りにざっと5件はあるシンツーリスト。
ここ以外はロゴも含めてそっくりそのままですが全て偽物です。
私は別に偽物でも本物でもなんでも良いのですが、本店のお兄さんは懇切丁寧にあれこれ説明してくれ、チケットを封筒にまで入れてくれて大変感激しました。やはりちゃんとしたお店のベトナム人は胸キュンするほどのサービス精神です。見習え人民共。
さて、
本日はひとまず焼き物で有名なバッチャン村なる場所へ行ってみます。
バスが旧市街の北のバス停から出てるらしく、まずはそこまで移動。
旧市街内を走る観光カート。
も、米朝カラーでした。
ハノイを訪れる外国人に対するアピールのようにも思えてきました。目的不明ですけども。
ハノイらしい本日の野犬。
ハノイらしい本日のおっさん。
旧市街には掃いて捨てるほどの飯屋が道端に溢れていますが、
どこも満席です。
ただよく考えたら客の数だけお風呂椅子を並べる街なのだから満席の店に普通に飛び込んだら良いのでは、と思い実行してみたら即席で席が設けられました。
私の周囲も満員御礼となりました。
なおここはすでにこの飯屋の敷地ではなく私の後ろではゴザ屋がゴザを編んでます。い草の良い香りがフォーに絡んできます。
バス停に来ました。
ドンスアン市場の北。
Mapsme表示名が凄いことになってます。
「Bến xe (bus) Long Biên 01 04 08 10 17 14 2224 31 36 41 47 50 5455 58 65 86 203 204」です。
Long Biênというバス停なんでしょうね。
バス停にはプラットフォーム的に番号が振られており、お目当ての47番バスはE3.2から乗車するようです。
まあ平日だからですかね、
雰囲気はこんな感じでちょっと寂しげです。
ちなみにWikipedia先生によると、
バッチャン村:
レンガ作りが盛んであったために今もレンガ工場が多いが、15世紀ごろから陶磁器作りが始まり、現在では約100軒の工場が軒を連ねる。白地に青の陶磁器が多いが、近年は海外の観光客の増加もあって、色とりどりの形も大きさも様々な陶磁器が作られるようになった。
バッチャン村で製造されるバッチャン焼と日本のかかわりは古く、16世紀にさかのぼる。当時よりこの村の陶磁器は日本に輸出され、多くの茶人たちに愛用されてきた。
だそうです。
そんなバッチャン村は先ほどの通りの両脇がもうすべて陶磁器屋さんです。
上記のような上品なものから、
なんとも言えないレベルまで、
さまざまな陶磁器であふれてました。
本日の野犬 ※バッチャン焼き
なおWikipedia先生が仰る古来のバッチャン焼きのデザインはこれでしょうかね。
日本でもよく見るデザインです。
どこかのサイトでは「日本の100均で一時期流行った」とありましたが、確かになんだかそんな気も。いや、そう言われるとちょっといきなりチープに見えてきてしまう。いかんいかん。
ちょっと歩いていると、表通りにすでに陶磁器屋が有り余っているというのにさらに陶磁器屋モールが現れました。
きっと週末に観光バスが乗り付けて観光客がドッと押し寄せた時に活況を呈するんでしょうね。
なおお値段ですが、
そもそも私に値段をチェックするという信念が皆無だったのでうろ覚えですが、お皿や茶器は数百円前後だったような。
湯飲みやコップは数十円。
いずれも日本よりも爆安でした。
ろくろ、手で回してましたけども、みんなそうなんでしょうか。
手間暇掛かってるようですね。
他にも多数の体験工房が、閑古鳥状態でした。きっと観光バスが乗り入れた際にツアーの一環として大勢の欧米人がここで大変個性的な逸品をこさえるのでしょう。
なんて歩いてたら30分もしないうちに街を一周してバス停まで戻って来てしまいました。
とても小さな村なんですね。
や、私が見どころを抑えられてないだけかもですが。
ひとまずバッチャン村は以上です。
せっかくだから昼飯でも食べよかなと思ってましたがバスが走ってくるのを見たら反射的に手を挙げて乗ってしまいました。
次のバスいつなんだろうと急に不安になりまして。
なお復路では10分に一回、往路にバスとすれ違いました。バスの頻度は心配しなくて良さそうです。
Long Biênバス停まで戻ってきました。
ここからまた旧市街を歩いて西へ。
ゴミゴミした景色を通り抜けて、
先日のハノイ滞在でうっかり食べ逃したバインミーの名店、BANH ME 25に立ち寄りました。
向かいにちゃんとイートインがあり、満席の客席のうち8割がまさかの日本人で鳥肌が立ったので即座にテイクアウトに変更。
嗚呼。日本社会がどんどん遠くなる。
なおバインミー25で注文したのはMix。全部入りみたいので30000ドン≒150円です。
素晴らしきコスパ。
ただ味は普通です。普通というか、普通に美味いです。ハノイのバインミーはどこも美味いのです。
ハノイの野犬はやはりバイクがお好き。
なんかもう私最近毎日昼ビールしてますね。
トルコ〜中国まで約9ヶ月、ほとんど酒なしを達成して「ビールなんて無くても大丈夫!」と思ってたのに。
ただこの店に引っかかったのはですね、
この看板犬が可愛すぎて。
ちょっとハーフなお顔立ちのこの子は見ての通りすげぇデケェのですが、とても大人しく良い子なのです。
ところでハノイではこのように道端で飲み食いしてると流しの売り子さんがツマミを売り込みに来ます。
これ普通に店に対する営業妨害だと思うのですが、それがまかり通る街、ハノイです。
別の店でフライドヌードルをハシゴしました。
いや、
そんなつもりは無かったのですが、
次に行く場所がお昼休み中だったので時間を持て余したのです。
ベトナム軍事歴史博物館。
社会派ブログとして外せないスポットを先日の私は見落としていたのです。うっかりうっかり。
まあ、ちょっとほろ酔い気分で見学するような場所じゃ無いですが、今日は大目に見てやってください。
入場料30000ドン、
カメラ持込料40000ドンですがスマホは対象外とのこと。
さて、
ここはかのベトナム戦争に関する博物館です。
1955年頃から約20年に渡り、ベトナムが南北に分かれて争ったベトナム統一戦争。
北=ベトナム民主共和国は社会主義国としてソ連・中国の支援を得、南=ベトナム共和国は資本主義国のアメリカの支援を得て争った、冷戦を背景として二極の代理戦争と言われてます。特にアメリカは積極介入して北ベトナムを空爆するなど激しい戦争だったそうです。
そして世界各国からの批判などもあって最終的にアメリカが兵を撤収し、北ベトナムの勝利に終わった、そんな戦争です。
つまり現ベトナムとしては「戦争に勝利した!」という記念館に当たるものと思われます。
ソ連製と書いてます。
ソ連から供給された兵器なのですね。
そして戦闘機ですが「国宝指定」されているようです。
そしてこちらの戦車もソ連製。
他にも射撃機のようなものなど、
入場早々から数々の兵器がこれ見よがしに讃えられていました。
こういうスタンスの戦争博物館って、私初めてだと思います。たぶん。
敷地内にはいくつかの建物があり、
なかではベトナム有史の戦いの経緯を交えながら、ベトナム戦争について説明されてました。
フラッグタワー。
ベトナム国旗を掲げるためのレンガ塔です。
どこかに書かれてましたが、
「ベトナムはアメリカに勝利した唯一の国!」と掲げられてました。
そうか、そうなるのか。
飛行機や戦車が並べられてます。
あとで知りましたがこれコクピットの中に入れるのもあるらしいです。
いや、この文脈ではちょっと入りづらいでしょう。。
そしてもっとも目立つモニュメントとしてこんなものが。
撃墜した米軍機やその他戦争の残骸を寄せ集めて作ったものだそうです。
↓残骸の一部
モニュメントの麓には撃墜した戦闘機の翼を引っ張るベトナム女性兵士の写真。
ベトナム戦争では女性も兵士として戦争に参加したそうです。
この巨大戦車。
ベトナム戦争の最後は、北ベトナム軍がサイゴン(現在のホーチミン市)に突入し、サイゴン陥落(北ベトナム軍にとってはサイゴン解放)となりました。
その先陣を切った戦車がこちらだそうです。
ベトナム統一、そして資本主義国(アメリカ)支配からの解放のシンボルとして讃えられていました。
これまで色々な国でこういった博物館を見てきていますが、ほんとにどの国もこうして多くの血を流して今の現代の景色があるんだということを忘れちゃいかんですね。
月並みな所感ですけども。
とはいえ現代に生きる我々が忘れがちな、ともすると知りもしない話です。
このベトナム軍事歴史博物館の北隣に、タンロン遺跡なるものがあると聞きましてやってきました。
タンロン=昇竜とはハノイの旧称です。
ここハノイは11世紀から18世紀までベトナム諸王朝が都を築いて来た場所。
李朝を起こした初代皇帝李公蘊さんが1009年にここタンロンに遷都して以来、陳朝、黎朝と、約800年に渡り歴史の舞台となった場所です。
なのに遺跡ってないんだなぁとか思ってましたがこんなとこにあったんですね。
なんなら前回ハノイ来た時にこの前を歩いてますし。
チケット30000ドン≒150円。
簡易な日本語パンフレットあり。
遺跡内はなかなか広く、
入った瞬間に、ああ、歩くのね、、という感じ。
ちょっとまあ、気だるいのはビールのせいですけど。
最初の見どころまでちょっと歩くのですが、道中のひまわりがみんなしょんぼりしてました。ずっと曇天ですしね。
皇帝の住む宮殿へ通じる門だそうです。
立派ではありますが、なんというか、普通ですね。
なお写真を拡大いただくと正面中央のベトナム人男子のポーズが大変にナウなことがご覧いただけます。
そしてさらに進み地味な建物があったことに気づかずしばらく進んだ後にマップ見て引き返して来た「展示館」。
なんなら名前も地味です。
めちゃめちゃカッコいいんですけどなんだこれ。解説が全然無かったのでよく分かりませんが、Roofなんたらというタイトルだったのでおそらく屋根上の装飾だったのではと思われます。
推定年代くらい書いててくれればいいのに。11世紀から18世紀だなんて幅が広すぎます。
いえ、東南アジア初めてなので「東南アジア感」なんて知りませんが、少なくとも中国やインドでは見なかったタイプです。
なんならちょっとこの悪魔感、南米中米っぽい。
↓これはPhenixとDragonというタイトルでした。
ベトナムでは鳳凰と龍の組み合わせが神聖なんですかね。ハロン湾のホンガイの寺でも見ましたし。
某サイトによるとベトナムの民間信仰には「龍、麒麟、亀、鳳凰」が四神とされ、特に龍は第一にあり『権力・繁栄・長寿の象徴』なのだそうです。
時代や立場によって見解も変わると思うのでこの時代がどうだったかわかりませんし、鳳凰との組み合わせに関する文献は見当たりませんでしたけども。
敬天殿の龍の階段。
中国っぽい。
北京の紫禁城でもこんなんありましたね。
中国の支配から脱却してのベトナム王朝ですが、文化は色濃く残るんですね。
その階段の先にかつての宮殿があったそうですが、現存してなく、今建てられてるのはフランスが植民地時代に建てた軍司令部だそうです。
次に現れた建物、D67。
沖縄出身でしょうか。
分かる人、なかなか流石ですね。
もう誰も覚えてないと思うのですけど。
それはさておき、ベトナム戦争時、ベトナム人民軍の司令部だった場所だそうです。
地下への階段。
地下にも会議室など部屋がありました。
ちょっと誰もいなすぎて怖いです。
というのも見学出来るのはここまでですが、暗闇の通路はまだまだ奥まで続いているのです。
地下空間への入り口に分厚い扉が二つあるのもいけません。閉所恐怖症の人は動悸にお気を付け頂きたい仕様です。
実際ここから数kmにm渡って地下道は張り巡らされているらしいです。
この遺跡の敷地内にもいくつか地下への入り口がありました。
タンロン遺跡の外、一つ西のブロックはタンロン遺跡の発掘調査現場になってました。
うん、、
ま、発掘中ですからね。
特段目ぼしいものは見当たりません。
せめて「当時の様子」みたいなものが展示されてると建築物構造萌えの小生も昂ぶり高まるのですけども。ペルセポリスのように。
これなんなんでしょうか。
一定間隔にニンゲンが立ってます。
実際生身のニンゲンが立って撮影されてるようです。
その場所に柱があった事を示してるようですが、、なぜわざわざニンゲン立たせたのでしょうか。遺跡踏んじゃって良いのでしょうか。人柱?いやだとしたら不謹慎すぎるとはいえここはなんでもありの国ベトナムううむ、、、
などと2秒だけ考えてやめました。
おしゃべりしながら地面を掻いてます。
最初潮干狩りしてるのかと思いました。
ここが王宮の北門だったようです。
生々しいです。
ということで、
本日の観光は終了します。
ほんとは前回訪問時に月曜休館で入れなかったホーチミンの家&ホーチミン廟を訪れようと思ってたのですが、
昼のビールがなかなかご機嫌でして、なんならもう昼寝したい心持ちです。
今の靴は昨年2月にブラジルで30000円くらいはたいて決死の購入を試みたナイキのスニーカーが未だに大活躍してくれてるのですが、中国あたりで流石に中敷が破れ、限界を迎えているのを市販の中敷きでごまかしごまかしここまで来てました。
で、
次の街あたりからググググッと真夏になってくるため、思い切って歩きやすいサンダルを買おうかなと。サンダルなら靴下要らなくなるし。
ゲッツ。
ふふ、
いかに私がスニーカーを愛していたかが分かる足の色でしょう。
なおこれまでのナイキスニーカーは愛着あるので日本に連れて帰ります。●ンドでうんこを踏みまくり、かの国で人民の痰を踏みまくった大変ダーティーな靴ですけども。
空港で検疫引っかかったりして。
最近ビールばっか飲んでるので反省して青菜を頂きました。
そしたらしっかりガーリック効いててビール飲みたくなり我慢してたら右頬が痙攣するほどでした。
はい1800。
シンツーリストさんのバス乗り場に来ましたよ。
↑地図内オレンジ、Mapsme表示は「Ethnic Travel - the Sinh Tourist」です。
旧市街内のシンツーリストオフィスで買ったチケットを、この大通り沿いのシンツーリストオフィスで乗車券?に引き換えるんですね。
それを知らずに乗ろうとしたら運転手にゴニョゴニョ言われて焦りました。流石に運転手は英語通じないようです。
本日のバス。
乗客は5割欧米人、4割ベトナム人、残りはアジア人?って感じです。
結局食ってる私。
そして21:00頃には消灯され、
粛々と南へ向かうのでした。
やっぱ流石シンツーリスト。
道中ジュリアナ東京級のネオンの点灯を繰り返したラオカイ→ハノイバスとは大違いです。
さて、
明日はベトナム中部の街、フエに到着です。
こっから先は光速でベトナム観光していきますー。カームオン!でした!
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