と言いながら
先日の日記の通りラオス旅の途中でビザランのために2日だけタイに行っているのですが、本気のタイ旅は今日からです。
旅人の楽園!タイ!
(と勝手に私が思っているのですがどうなんでしょうか。そして誰か!飲みましょ飲みましょ!)
――――――――――――――――――
▼徘徊メモ
・行き先:
ラオス ルアンナムター Luang Namtha
タイ チェンコーン Chiang Khong
①ルアンナムター→ファイサーイ Huai xai
・手段:民営?バス
・料金:90,000キープ≒1,170円
・時間:約4時間 9:00発、13:00着
※当初予定時刻は8:30発だった遅延
↓ルアンナムターバスターミナル
↓移動図
②ファイサーイバスステーション→ファイサーイ国境
・手段:ソンテウ
・料金:25,000キープ≒325円
・時間:約15分
※めっちゃ高いが地元民も同額払ってたのでボラれてはなさそう
↓ファイサーイバスステーション場所
※右のBokeo Bus Stationでは無かった。
②ファイサーイ国境→チェンコーン国境
・手段:国境バス
・料金:7,000キープor25バーツ
・時間:約5分
※徒歩で国境越えは出来ない様子
※チャリ貸出での国境越えもあった
確か100バーツ
↓国境ここ。
③チェンコーン国境→チェンコーン市内
・手段:ソンテウ
・料金:60バーツ≒210円
・時間:約20分
※国境イミグレ出たところにソンテウ券売所?見たいのがあるのでボラれる事はなさそう
↓チェンコーン国境〜チェンコーン市内
↓チェンコーン地図マップ
(二行目はMapsme表記)
・下のオレンジ:チェンライ行きバスステーション
Bus station to Chiang Rai
・下の青:宿 ドミ一泊100バーツ≒350円
Maleehouse
・上の青:宿 ドミ一泊120バーツ
バーンファイ ゲストハウス
レンタルバイクやカフェなど併設
・上の赤:ワット・プラ・ケウ(?)
Wat Phra Kaeo
・その右下の赤:賑わいある川辺の広場
・その右下の赤:ナマズミュージアム
Giant Catfish and Fresh Fish 3D Museum
・上のオレンジ:地元民用国境越え渡し船
Immigration Office
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ということで朝7:30。
まずはルアンナムターバスターミナルへソンテウでピックアップです。
私と姉は行き先は違いますがバスの出発時刻が同じなので同じソンテウで出発です。
そしてルアンナムターバスターミナル。
2日前、
ここに朝3:30にほっぽり出された次第です。
私のバス、ファイサーイ行き。
(看板にはto BOKEOと書いてある。ファイサーイはBOKEO県にある。)
姉のバス。
ヴィエンチャン行き。さすが22時間バス。しっかりしたバスです。
てか姉、
普段2時間以上の交通機関に乗らない生活を送ってるのに22時間バスとか耐えれるのでしょうか。音楽プレーヤーとか持ってないそうですけど。
いずれのバスも8:30発です。
なおチケットはルアンナムターの街中の旅行会社で買ったチケットがそのまま搭乗券になってました。バスターミナル内のカウンターでチケットに引き換え、と言った必要はないようです。
まだバスの出発時間まで時間があるのでバスステーションのベンチに座ってたら中国景洪からの国際バスが到着し、

我々の目の前に上沼恵美子さんが二人やってきました。
まーーーマシンガントーク二人してぶちかますぶちかます。
これぞ中国おばちゃんです。
余ったラオス通貨で本日の朝ごはん。
日本でもよく見る雪のなんたらみたいなせんべいゲッツ。
で、
バス出発を待ってたら、
姉のバスが黒煙を上げ始め、
大の大人たちがわーわー騒ぎ始めました。
先行き不安な姉のバス。
そして8:20、
姉のバスの方が先に颯爽と出発していきました。
。。。ご武運を。
さて、
私のバスは
8:45時点でしっかりと未出発です。ラオス。
出発したのは9:00。
まあラオスにしては、、
と言いたいところですが、ここまでラオスのバスはほぼオンタイム運行だったのでこれは意外でした。
(乗合ソンテウなど人が集まり次第のバスは除く)
途中休憩。
休憩所に立ち寄り、
とかでは無く、車内のお子ちゃまがギャン泣きし始めたら
客「ちょっと休むー?」
運転手「おっけー」
みたいな感じで休憩タイムとなりました。
もちろん青空トイレです。ラオス。
ルアンナムターからファイサーイまでの道中は下り道が続きます。
ルアンナムターの標高が不明ですが(550m説から2000m説までまちまち)、だいぶ高地だったのかしら。
道中ではこんな光景も。
ファイサーイ着。
事前にMapsme見てる限りバスステーションが二つありましたが、以下地図の左のほうに着きました。
バスステーション行き先一覧。
ルアンナムター、ウドムサイ、ルアンパバーン、 ヴィエンチャン、と一通り主要どころには行けるようです。本数少な目ですけど。
で、
ここから国境の位置関係はこんな感じ。
徒歩5.4km。
って事で、
ソンテウです。
バスの到着と同時にどこからか出現しました。
25,000キープだそうです。
5kmでその値段はクソ高いですが、地元民さんもその額を支払っているのを目視確認したので私も右に倣いました。
はいやって来ましたよラオスイミグレです。
ソンテウはイミグレ建物の前に到着。
もう目の前が出国カウンターです。
ここで本日のドキドキポイント。
私ラオス入国時、
なぜかスタンプをパスポートの前半も前半の8ページの空いてるスペースにバスンと押されたのです。
その左隣は私の記念すべき日本出国スタンプ。
私の想定では、
日本出国スタンプの存在なぞ気にも留めずに私の旅立ちの想い出に真上からそのままスタンプズバン!です。
なんてったって相手はラオス人ですから。
結果、
※赤:今回の出国スタンプ
※青:前回の出入国スタンプ
順を追って説明します。
私は先日、「ビザ無し滞在期間15日」を再取得するためにラオスを一旦出国して2日後にタイから再入国してます。そのスタンプが青です。
で、
今回の審査官はこのページのラオスのスタンプを見つけて即時にいきなり出国スタンプを押しました。
きっとラオス入国スタンプを見つけたからだと思います。
で、
スタンプを押した後に気づいたんでしょうね、
その入国スタンプのすぐ隣にすでに出国スタンプが押されていることに。
その時の審査官のフリーズっぷりったらもう。
なおそもそもですが、
その入国スタンプにはラオス入国日が書かれているのですが、3/7になってます。
つまりその入国スタンプに対して出国スタンプを押す=ビザ無し滞在期間15日期間を容認してることになるのです。ラオス。
しばしフリーズしてる審査官を眺めて楽しんでいたのですが、後ろにも並んでる人がいたので教えてあげました。8ページだよって。
そしたら
「おっけー」
とパスポート返されました。
最後の最後までラオスでした。
イミグレカウンターを通過すると目の前にバス。どうやら徒歩で国境橋を越えることは出来ないようです。
バスチケットは25バーツ。
なおラオスキープでも払えました。
7,000キープなのでタイバーツで払うより6円損ですけども。
なおここには両替所もATMもあります。
あと「bicycle 100」とも書かれてました。
たぶん、、、友好橋をチャリ越えする好きな人にはたまらない人向けのレンタサイクルだと思うんですけども。
にしても高いので今回は遠慮しました。
バスの車窓から。



この橋は友好橋No4だと言うそうです。
この橋が出来る前は当国境は船渡しで越えていたようです。
てか私は今回も船で渡るんだと思ってました。だからこそこの国境越えを選んだのに。
なおその事実に気づいたのはつい先程ソンテウがラオスイミグレに着いたときです。
そのぐらい適当にしか調べてませんでした。
はいタイ側イミグレ。

橋を越えてから結構走りました。
はい、あっという間にスタンプゲット。
滞在期間も一ヶ月です。
それよりも衝撃だったのが、
これ。
入国時に記入するアライバルカードの半券であり出国時に記入が必要なデパーチャーカード、を
ホチキスでバチコンされました。
思わず私が「え!?」と叫ぶと
イミグレ審査官も「え!?」と言ってました。
ほかの人たちはホチキスばちん!に驚かないのでしょうか。
ということで、
すでに二日間だけフライングしてますが今日から本格的に、
57カ国目、タイですーー。
毎度長々と心苦しいですがいつもの勉強メモ。
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▪️国名:タイ王国
・英語:The Kingdom of Thailand
・タイ語:ราชอาณาจักรไทย
左が国旗、右が国章。
1939年までの正式国名はSiam([sàˈjǎːm] サヤーム、英語発音: [saiˈæm] サイアム、日本語発音:シャム)。
+++++++++++++++++++++++++++
▪️地理:
・北:ラオス
・東:カンボジア
・南:マレーシア
・西:ミャンマー
▪️首都:バンコク
▪️人口:6,910万人 世界20位
(日本は1億2675万人で世界10位)
※2017年IMF調べ
▪️国民:タイ族75%、華人14%、その他マレー系、インド系、モン族、カレン族などがいる。
※wikipedia参照
▪️言語:タイで話されている主な言語として、タイ語、北タイ語、南タイ語、イーサーン語、閩南語(潮州語)、クメール語(スリン・クメール語(英語版))、ジャウィ語がある。
こんにちは สวัสดี サワッディー
ありがとう ขอบคุณ コー(プ)クン
※男性は末尾にカップ、女性はカーを付ける
▪️宗教: 仏教(南方上座部仏教)95%、イスラム教4%、キリスト教、他にヒンドゥー教、シーク教、道教など。
・王室を始め、タイ国内のほとんどは仏教徒で占められている。そのほとんどは上座部仏教であり、それにヒンドゥー教や、精霊信仰を加味した独特の仏教になっている。
・紀年法は西暦も併用されているが、現在もタイ仏暦(仏滅紀元、タイ暦)が主に使用されている。上座部仏教徒の男子は一生に1回は出家するものとされている。
・南部やバンコク、チェンマイ、チェンラーイなどの地域ではムスリムも見ることができる。特に深南部三県のマレー系住民のほぼすべてがイスラム教徒である。
・中部のチャンタブリー県やバンコクなどには、コーチシナのカトリック禁制によって19世紀初頭やベトナム戦争時に逃れてきたベトナム人グループを中心にキリスト教徒も多い。
※wikipedia参照
▪️通貨:バーツ(THB)
1THB≒3.47円
以後当ブログは1THB≒3.5円換算
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▪️歴史
[1]国家成立
・タイの民族国家成立以前、中国雲南省付近に住んでいたタイ民族は、漢民族の領域拡大を受けインドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった。当時、タイの地には、モン族、クメール人が先住していた。
・小タイ族による最初の国家とされるスコータイ王朝(1238年 - 1350年)が、インタラーティット王がモン族やアンコール王朝の支配を退け成立。タイ北部チェンマイを首都とするランナー王朝とも同盟を結んだ。
・この時代にタイ文字が成立し、上座部仏教が国教となる。
[2]王朝の変遷
・その後、アユタヤー王朝(1350年 - 1767年)がタイ中部で成立しスコータイ王朝を併合。17世紀にはオランダやフランス、日本など世界各国からの商人が渡来、アユタヤはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際交易港、またシャム国(当時のタイの呼称)の首都として隆盛を極めるも、1767年にビルマ(現ミャンマー)の侵攻を受けほろびる。
・その後タークシン王がアユタヤを奪還しトンブリー王朝を開く(1767年 - 1782年)が、ビルマやカンボジアとの戦争が続き15年で終焉、その後に現在の王朝であるチャクリー王朝(1782年 - )へと変遷した。
・現王朝の初代王ラーマ1世(チュラーローク将軍)は、1782年に首都をトンブリーからバンコクに移したため、「バンコク王朝」とも呼ばれ、また、バンコクの非常に長い正式名称にも含まれているタイの守護仏の名から、ラッタナーコーシン王朝とも呼ばれる。
・なお1296年に成立しタイ北部を治めていたランナー王朝は15世紀に繁栄を極めた後に1558年にビルマに滅ぼされる。その後1774年にトンブリー朝に従属してビルマの支配から脱した。
[3]近代化
・ラーマ4世(モンクット)は、自由貿易の推進、仏教の改革などを行った。
・1855年、イギリスと通商条約を結んでからは、コメの輸出が急増し、全国土に稲作地帯ができあがった。それまでは多様な生産であったが、商品としてのコメ、錫、チーク、ゴムなどが輸出されるようになり、モノカルチャー経済に移っていった。
・当時周辺地域は西のビルマがイギリス、東のベトナム・ラオスがフランス、と欧米の植民地・保護領であったが、結果的にタイは英仏両勢力圏の緩衝地帯となったため独立を維持、植民地化を免れた。
・ラーマ5世(チュラーロンコーン)は、1873年国政改革に着手し、1892年4月1日に12省からなる近代的統治組織を創設した。国王が立法、行政、司法の三権を掌握する絶対王政システムを確立し、教育制度や官僚機関の整備、奴隷解放(1874年)など、タイの近代化をすすめるチャクリー改革を行った。
・ラーマ6世(ワチラーウット)が王位を継承すると絶対王制への批判が生じはじめ、1912年3月初め、立憲制・共和政を望む青年将校らによるクーデター計画が発覚した。
・ラーマ7世(弟のプラーチャーティポック)が即位したあと、1932年にはプリーディー・パノムヨンやプレーク・ピブーンソンクラームら官吏によって結成された人民党によるクーデターが勃発し、絶対君主制から立憲君主制へと移行した(民主革命、立憲革命と呼ばれる)。
・この時期に第一次世界大戦が発生しており、連合国として参戦している。
[4]第二次世界大戦
1940年11月23日に南部仏印に侵攻し、タイ・フランス領インドシナ紛争を引き起こし、1941年5月8日に日本の仲介によって東京条約をヴィシー政権と締結して領土を拡大した。
・太平洋戦争が勃発すると、日本軍はタイへ進駐し(タイ王国進駐)、タイは表面上日本と日泰攻守同盟を結び枢軸国として戦った。
・タイは東南アジア戦線では日本に積極的に協力しており、現地軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当している。一方で駐米大使セーニー・プラーモート、摂政プリーディー・パノムヨンらが「自由タイ運動」などの連合国と協力する勢力も存在し、連合国と連絡を取っていた。こうした二重外交により、1945年、タイは1940年以降に獲得した領地を返還することでイギリスとアメリカとの間で講和することが出来、降伏や占領を免れた。
・こうした経緯もあって国際連合にも1946年12月16日という早い段階で加盟しており、いわゆる敵国条項の対象ともされていない。
・大戦終結後、1946年6月9日に 国王ラーマ8世は王宮内で他殺体となって発見されたが、真相は究明されず、弟のラーマ9世が即位した。
[5]経済成長
・第二次世界大戦後の東西冷戦期は、ベトナムやカンボジア、ラオスのような近隣諸国の共産主義化に脅かされたものの、「共産主義の防波堤」としてアメリカの大々的な支援を受けたことも影響し、共産主義化は免れた。
・また、国民の高い教育水準や豊かな国土を背景に徐々に工業国への道を模索し、1967年には東南アジア諸国連合(ASEAN)に結成時から加盟。1989年にアジア太平洋経済協力(APEC)に結成時から参加した。
・なお、この頃より日本や欧米諸国の大企業の進出を背景にした本格的な工業化へのシフトを進めるとともに、それらを背景にした高度経済成長が始まり、バンコクなどの大都市を中心にインフラストラクチャーの整備も急速に進むこととなる。1992年には5月流血革命が発生したものの、プミポン国王の仲裁により収まった。
[6]現在
・1997年に始まったアジア通貨危機により、タイ経済は一時的に停滞したものの、その後急激な回復を見せ、日本企業や中国企業の進出も増え、現在では再び高い経済成長率を維持している。
・しかし、2006年頃からタクシン派と反タクシン派との政治的対立が激化するようになり、クーデターが発生するなど政情不安が続いている。
▪️国際関係
・柔軟な全方位外交を展開・維持しており、ASEAN諸国との連携、日本や中国、マレーシアといった近隣主要国との協調を外交の基本方針としている。
・しかし、2014年にクーデターによって軍事独裁政権が樹立されて以降、タイは中国との関係を急接に深めるようになった。
・タイの軍事政権に対して、日本や欧米諸国は、クーデターを非難して距離を置いているが、中国は現在の政権を支持し、タイとの関係強化の姿勢を鮮明にしている。
・2010年8月、カンボジアとの国境にあるプレアヴィヒア寺院(タイ語:プラヴィハーン)遺跡付近の領有を巡って対立が再び激しくなる。2011年には、カンボジアの攻撃を強行し、住民を巻き込んだタイとカンボジアの国境紛争を引き起こした。この紛争により、双方の兵士や住民ら30人近くが死亡し、100人以上が負傷した。寺院遺跡付近で国境紛争が続いたが、タクシン派のタイ貢献党が与党となるとカンボジアとの和解が進んだ。
▪️経済
・名目GDP:4,553億ドル 世界26位
(日本は4兆8,721億ドルで世界3位)
・一人当たりGDP:6,590ドル 世界86位
(日本は38,439ドルで世界25位)
・経済成長率:3.903% 世界72位
(日本は1.713%で世界150位)
・失業率:0.7% 世界109位
(日本は2.88%で世界99位)
※2017年IMF調べ
経済の安定や外国企業の積極的な進出を背景にした1980年代以降の高度経済成長はすさまじく、1985年から1995年にかけての10年間、タイは年間平均9%の経済成長率を記録した。
・アジア通貨危機(1997年)によって経済は停滞したが、その後は外国への輸出を積極的に行ったことから1999年、経済成長率は再び4%台を記録、2003年には6%台を記録し、タイは好景気に逆転した。
・この好景気を背景に中流階級の台頭が起こっている。クーデターによるあおりも受けたため2008年は2.5%とやや伸び悩み、2009年はリーマンショックもあり-2.3%とマイナス成長も2010年は7.8%と再び高成長。このように年ごとに経済成長にばらつきがあり、80年代後半から90年代前半に見られたのようなすさまじい経済成長からはやや落ち着いている。
・教育に力を入れた結果、1980年代以降は、教育程度の高さと賃金の安さ、そして中流階級の増大による国内市場の拡大に着目した日本や欧米諸国の企業の工場の進出が目立っており、併せて関税特典があるASEAN諸国内への輸出拠点として活用している。
+++++++++++++++++++++++++++
例のごとく長くなりましたが、
そんなタイを北からじっくり攻めていきたいと思います。
今ここ。
広いですねー。
で、4/13〜15のタイ正月であるソンクラン祭りを見学して、次の国(未定)に行きたいと思っております。
あと3週間もタイを観光できる自信がないので
おススメ穴場スポットをご存知の方いたら是非教えてください(切望)。
で、
話を戻しまして。
タイ側のイミグレ建物を出ると目の前にソンテウが。
大概こう言ったソンテウは敵です。
足元を大いにご覧になられて大変な高額を吹っ掛けてくるやーつ、
って思ったらすぐそこにいかにも公式窓口です、って感じのデスクがあり、そこのおばちゃんに「チェンコーン?」と聞いたら『あのソンテウに乗ってね』と指示されました。
60バーツでした。
距離10km。
これが高いかどうか分かりませんがどうなんでしょう。
ソンテウはチェンコーンを南北に走るメインロードを進んでいくので降りたいところで降ろしてもらう感じでした。
って事で、
チェンコーン街中で飯屋を発見したので下車。
これ頼んでみました。
読めないけども。
40バーツ≒140円。
なんか美味そうなの来た!!
とろみのある牛肉入りのスープに素麺みたいの入ってます。
そして
美!!!
味!!!
なんだこれは!!
って、
早速いまこれを書いてるテラスがある宿のおかみさんに聞いたら「パットミー」ですって。
ググってみたら
「パット」は炒め、「ミー」は極細麺の意味です
だそうです。
うーん、どう見ても焼きそばではないんだけどなー。
まあちょっと、のんびりとタイ料理を楽しんで行きたいと思います。
宿。
いくつか目星つけてた宿に飛び込みでやってきました。
Maleehouse。
Booking.comではシングル一泊150バーツですが、実際にはドミ100バーツがあり即決しました。
テラスからメコン川が見れちゃうスーパー宿です。
だいぶマイペースなぬこタソもおります。
さて。
ここチェンコーンは、特段何もない街と皆さま仰っておりまして、私も素通りするつもりでしたが、もしこの街でレンタルバイクできるならば行きたい場所があるので立ち寄りました。
そして宿で聞いたらレンタルバイクできそうなので、今日はここに一泊です。
ただ現在時刻15:00なのでバイク旅は明日にします。
バイク旅を明日にして良かったです。
というのも、

街のお店の大半がシャッター閉まってるんです。
宿の女将さんに聞いたのですが、
どうやら今日は選挙の日らしいのです。
18:00まではみんなお店も閉めるのよー、
ですって。
そんな中でも天下のセブンイレブンさんは通常営業です。
ありがとうございます。
そして
一軒だけ携帯屋も開いてたので無事SIMカードも買えました。
タイのSIMカード事情の事前情報が一切なかったですが、dtac社のSIMカード本体49バーツ、一ヶ月有効でTotal50GB使えるプランが100バーツで総額521円です。
いまタイSIMカードについての情報サイト見てたら書かれてたプランがみんな1000円越えしてたんですけど、私の激安プランは果たして良い選択だったのでしょうか。
ひとまずこれでAnytime電波Hackオッケーですふふ。
早速、残高チェックのコマンド入力してみたら
日付が謎の日付でした。
これ仏歴と言う、タイで使われる日付なんですね。iPhoneのGoogle検索結果に出てくる日付もこれで表示されてて困っております。
チェンコーン街中にあったTouristマップ。
全部タイ語。
ひとまずメインロードに沿って北上し、
疲れたら休憩してメコン川沿いを南下して来るというのが本日の観光です。
さあ歩いていきましょう、
このシャッター通りを。
タイ第一寺。
名前不明。
(後日調べ:Wat Phatthana Tua Yang)
入り口のナーガさんがちょっといかつめだった点以外はラオスの寺院と大枠は似てました。
扉のレリーフのインド臭も同様です。
タイとラオスの寺院ってどんな違いがあるのかしらん、と立ち寄ってみましたが、もはや100m先の川の向こうはラオスなわけで、このチェンコーンじゃそんな違いは無いんでしょうね。
タイ第二寺。
同じく名称不明。
(後日調べ:Luang Chai Sathan)
英文解説を2行だけ読みましたが、
この仏舎利塔ともう一つの寺院ワット・プラケオの仏舎利塔には大変に大事なもの(聖遺物?)が納められている!っぽいことが書かれてそうな雰囲気でした。
すんませんそこまでちゃんと読むモチベーションがちょっと。
そんなワット・プラケオがすぐ近くにありました。
早速入ってみたいのですが、
ちょっと待ってください。
この寺院の壁画の様子がおかしいです。
気づきましたか。
なんということでしょうか。
かの悟りを開かれた仏陀大先生と未来の世界のネコ型ロボットが夢の大競演をしております。
それだけじゃありません。
どうみてもラブアンドピースではなさそうな方まで。私的には抗体コーラリアンにしか見えない。
そして
嗚呼もう。
一時期日本いや世界を席巻した地縛霊さんがガチの霊を引き連れてシャバの世界を覗いてます。
仏陀先生、
ちょっと周辺の治安が乱れすぎじゃありませんか。
科学的見地から見て現実合理性の無い対象物は可及的速やかに成仏させてください。あ、ここで成仏って言葉は正しいのか?
ワット・プラケオ内の仏舎利塔。
境内
ところで
ワット・プラケオという名前がどっかで聞き覚えあるなと思ってたら、バンコクにあるタイで最高位の寺院の名前でした。
どうやらプラケオとはタイ語で翡翠(エメラルド)を意味しするんだそうです。
このチェンコーンのワット・プラケオもエメラルド仏(本物では無いでしょうけども)を納めていたのでしょうか。本尊は相変わらず金ピカでしたけども(半パンだったので外から覗いただけ)。
だいぶ歩いて
かつての国境越え船渡し場まで来ました。
以前は外国人もここを渡っていたそうですが、今では現地人しか渡れないそうです。
イミグレもチケット窓口かのごとく質素でした。
てことで、
超絶おシャンなカヘーが開いてたのでカヘラティーヌをしばきました。
お茶菓子までついてきやがりました。
175円。ぐふぅ。
冷房を浴びて満身元気になったのでここから折り返して川沿いを散歩です。
川沿いは道路が整備されて散歩できるようになってました。
川の向こうはラオスです。
夕陽。
タイは川の西側なので、夕陽は川とは反対側です。
しばしメコン川を眺める。
with私に何かを期待している本日の野犬。
徐々に通り沿いにカフェやホテルなぞが出現し始めました。川沿いにもなんだかそれっぽいのが登場し始めます。
しばらく歩くと広い場所に出ました。
屋台なぞも出てていい感じです。

焼き鳥20バーツ。

途端に野犬に絡まれる。
カヌー?の特訓中の学生たち。
泳ぎ場。
彼らは川で遊んでるのか、川に遊ばれてるのか。※流れは超早い。
しばらく先で
ガチでゲッホゲホしてました。
本気で流されてたようです。
良かったですね、そのままだったら南ラオスあたりの滝で粉砕されてましたよ。
宿周辺まで戻ってきました。
我が宿。
庭を通って川に出れちゃう仕様でした。
そんな川の景色。
写真じゃ伝わりませんが、
対岸のラオスは爆音カラオケ中です。
ああもう、
ここにきてまでラオス。
その後は宿に宿泊していたパリピー達にサングリアみたいのを奢ってもらい、
宿の天使を


ぬこ釣りで釣り上げ大変に幸せなメコン川ナイトでした。
なお宿パリピーと宿の女将さんは今からBARにいくということです。
行ってらっしゃーい。
って、
女将さんも!?
女将さん「今日は選挙で(従業員が出勤しなかったから私一人で)大仕事だったわよあーもう今日はとことん飲むわよっ!!」
いま、私、宿に一人です。
タイ、すげぇ。
明日はバイク借りてタイとラオスの国境の丘を見に行きます。
コップンカーでした。
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