25日間滞在したタイを一旦中座しまして、
次はミャンマーに向かいます。
まだまだタイは南の方が見切れていないので、
またこの後戻ってきます。
ひとまず前半戦はここまでです。
ということで今日はミャンマー入国日でございまするよミャンマーの皆さまミンガラーバァ!! ※こんにちは
と思ってたらまさかのチリタビ!さんと同じ日に同じ場所を目指していたようで、夜はお食事ご一緒しましたよ。
私、実は初めてなんです。
世界一周中のブロガーさんとお会いするの!
きゃっきゃ!!
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▼徘徊メモ
・行き先:タイ/アユタヤ
→ミャンマー/キンプン Kin pun
①アユタヤ→メーソート Mae sot
・手段:民営バス
・料金:290バーツ≒1,015円
・時間:約7時間 23:00頃発、翌6:00頃着
※24:30頃にトイレ休憩あり
※メーソートバスターミナル到着場所
「Mae Sot Bus Terminal South - main bus station to Bangkok」
※メーソート市内ではこの手前でも何度か停車したのでいつ降りればいいか分からずちょっと焦った。
②メーソートバスターミナル→国境
・手段:乗合トゥクトゥク
・料金:50バーツ≒175円
・時間:約15分くらい
※バスターミナル内にトゥクトゥクたくさんいる。人が集まってから出発するのですでに人が乗って出発を待っているトゥクトゥクを選ぶべし
※タイ側国境イミグレ
③国境越え
・手段:徒歩
・料金:なし
・時間:10分ほど
<タイ側出国>
・入国時に渡された半券に名前などの必要情報を記入して提出
・以外は特になし
<ミャンマー側入国>
・カウンターがどこなのかいまいち分かりづらい。INFORMATIONと書かれた場所で聞いたらカタコトの日本語を話す胡散臭い人がコニチハーと案内してくれる。イミグレ職員らしいが真相不明
・小さな事務所内でイミグレ手続き。特に質問事項等なく手続き完了(現在ミャンマーはビザ免除期間。2018年10月から一年間。)
(メモ)
・故郷を越えたミャンマーの街の名前はミャワディ Myawaddy
・ミャンマーはタイからマイナス30分の時差
・両替所:イミグレ事務所を超えると多数
・ATM:イミグレ事務所を越えて数分歩くと右手にAYA BANKのATM
・例のカタコトの日本語のイミグレ職員が色々お世話してくれる。
④ミャワディ Myawaddy →チャイトー Kyaikto
・手段:乗合バン
・料金:なんと20,000チャット≒1,460円
・時間:約8時間 10:00頃発、18:00頃着
※もっと安いバスが以下場所から出発するらしいが、ソンクラン期間は運行していないようです次のバスは4/19と言われた。場所↓
↓拡大
⑤チャイトー→キンプン Kin pun
・手段:バイタク
・料金:3,000チャット≒210円
・時間:30分くらい
※チャイトー地図
ピンクの場所でミニバン停車。
オレンジの場所から乗合トラックが出るらしいが、私の時は見当たらなかったのでバイタクを利用。
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朝6:00。
夜行バスはメーソートの街に入ったようです。
国境の街だからか、街の規模のわりに道路がしっかりしています。
バスがどこに停車するのか事前情報が無かった中でメーソート市内二箇所に事前に停車したのでいつ降りればいいか分からず焦りました。
結果、普通にバスターミナルがあり、そこに停車しました。
で、
ここから国境を目指します。
3.3kmなので歩けない距離ではないですが、バスターミナルにバイタクと乗合トゥクトゥクがいます。バイタクは100バーツ、乗合トゥクトゥクは一人50バーツでした。
私は乗合トゥクトゥク一択。
30分ほどでようやく満員になり出発しました。
6:50、国境に到着。
タイ・ラオス間もそうでしたが、なかなか質素なイミグレです。
タイ側はカウンターがいくつもあり、ミャンマー国籍、中国国籍、と書かれたカウンターしかなく、ひとまず中国国籍のカウンターに甚だ不本意ながら並びましたが、その奥にもいくつかカウンターがあることに気づき、進んでいくとタイ/FOREIGNERのカウンターがありました。
まあどこ並んでも大丈夫な気はしますけど。適当な国なので。
入国時に渡された半券に名前などの基本情報を記入して提出。
で、
はい簡単に出国。
出国手続き後は
橋を渡ります。徒歩です。
なお写真に写ってる男は国籍不明の両替商です。こんな感じで誰でもウロウロできちゃうくらい緩そうなんですけども大丈夫ですか。
進んでいくと向こうからも人が来ます。
大概こういう場所って進行方向がしっかり管理されているものですが、まあ上述の通りです。
ただあれですね、
タイは左側通行でミャンマーは右側通行なので、その辺もあるのかも。知らんけど。
橋の上からの景色。
この川が国境のようですが、大変浅そうです。簡単に越えれそうです。
現に
ホイホイホイーてな感じで渡し船が行き来していますが、彼らはどういうことなのでしょうか。こんな白昼堂々密入国なんてしないでしょうし。年パス?
はいもうきっとミャンマー入ってますよ。
ミャンマーイミグレです。
車両はここで車線切り替えをしていました。
さて、
このイミグレ、分かりやすい導線になっておらず、どこに行けばいいか分かりません。
ひとまずINFORMATIONと書かれた窓口でパスポート見せたらどこからともなくカタコトの日本語を操る男が出現し、入国カードの書き方を教えてくれ、入国手続きをする小さな事務所に案内してくれました。
大変に怪しい男ですが、
先人各位のブログを拝見しているとどうやら彼はこのイミグレの職員らしいです。おそらく一年間期間限定で日本人に対するビザ免除をしている間に訪れる日本人のサポート役を担当しているのでしょう。
であればまず怪しいものではないことを説明して欲しいですよね。
いや、ここで「アヤシイヒトジャナイヨ」なんて言われたらそれこそダウト!ですけども。
ということで、58カ国目はミャンマーですー。

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▪️国名:ミャンマー連邦共和国
・英語表記:Republic of the Union of Myanmar
・ビルマ語:ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်
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▪️地理:
・北:中国
・東:ラオス
・南東:タイ
・西:バングラデシュ、インド
▪️首都:ネピドー
※2006年までヤンゴンだった。
▪️人口:5,283万人 世界25位
(日本は1億2675万人で世界10位)
※2017年IMF調べ
▪️国民:ビルマ族68%、シャン族9%、カレン族7%など
多民族国家。
※wikipedia参照
▪️言語:ビルマ語
こんにちは မင်္ဂလာပါ ミンガラーバ
ありがとう ကျေးဇူးတင်ပါတယ် チェーズーティンバーデー
▪️宗教:上座部仏教が87%、その他キリスト教徒6%、イスラム教徒4%
※wikipedia参照
▪️通貨:ミャンマー・チャット(MMK)
1,000チャット≒73円
以降当ブログでは上記レートで換算
▪️物価:水500ml 300MMK≒21円
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▪️歴史
[1]古代
・ミャンマー南部の地は古くからモン族が住み、都市国家を形成して海上交易も行っていた。
・北部では7世紀にピュー人がピュー(驃)を建国した。 832年、驃国は南詔(中国雲南省周辺の国)に滅ぼされ、モン族とピュー族は南詔へ連れ去られたために、エーヤワディー平原(ミャンマー)は無人の地となり、200年間に渡って王朝がなかった。
・9世紀頃、下ビルマでモン族のタトゥン王国(9世紀 - 1057年)が建国された。
[2]ビルマ族の台頭
・1044年、南詔支配下にあったチベット系のビルマ族がエーヤーワディー平原へ侵入してパガン王朝を樹立した。上座部仏教を篤く保護した仏教国であり、多くの寺院を建設したので、建寺王朝とも言われている。
・1057年、パガン王朝はモン族のタトゥン王国を滅ぼした。
・パガン王朝は13世紀にモンゴルの侵攻を受け、1314年に滅び、その後、シャン人、ビルマ人、モン人らの勢力が分立した。その中のモン人はイラワディ川下流域のペグーを中心に、ペグー朝(1287年~1539年)をつくった。
・14世紀、トゥングーを拠点としたビルマ人が次第に有力となり、1531年にトゥングー朝を創建し、ペグー朝を陥れ、1544年には上ビルマも平定してパガンで即位、ビルマの統一を再現。さらにトゥングー朝はタイやラオスに進出、ビルマ領を広げた。しかし、国内はビルマ人に対するモン人の反発も強く、安定しなかった。
・18世紀に入り、北ビルマのビルマ人の中から現れたアラウンパヤーが、ビルマ全土の統一に成功、1752年にコンバウン朝(アラウンパヤー朝)を建てた。コンバウン朝は清朝の侵入を撃退、一時大きな力を持ち繁栄した。1767年には東隣のタイに侵攻し、アユタヤ朝を滅ぼした。19世紀には西隣のインドへの侵攻を試みたが、イギリスの反撃に遭い、インドを植民地化したイギリスがビルマにも侵攻してきた。
[3]イギリス統治と反英闘争
・コンバウン朝ビルマは、イギリス領インドに対する武力侵略を発端とする3度に渡る英緬戦争を起こして敗北し、王朝は滅亡。1886年6月、英清ビルマ条約でビルマはイギリス領インドに併合されてその1州となる。
・イギリスの植民地支配を受けていたビルマでは1930年に、反イギリス組織「我らビルマ人協会」(タキン党)が結成された。
・このような民族運動の高揚を受け、1935年、イギリスは新インド統治法を制定すると同時にビルマをインドと分離し、その直轄植民地としてビルマ総督が置かれ準自治州とされた。
・タキン党はアウンサンらの指導により、1838年から激しい反英独立闘争を展開していったが、40年、イギリス当局によって幹部が逮捕され、組織は壊滅。ビルマを脱出したアウンサンらは日本に亡命、日本軍の協力を得て、軍事訓練を受け、ひそかにビルマに戻り、ビルマ独立軍の母体となった。
・太平洋戦争が開始されるとフランス領インドシナ南部を抑えていた日本軍は、1942年、ビルマに侵攻し、イギリス軍およびイギリス領インド軍と戦い、全土を制圧した。
・日本はビルマに対して軍政を布き、親日政府を樹立した。独立義勇軍のアウンサン将軍は表面は日本軍に協力しながら地下活動の共産党などと連絡を取り、密かに抗日運動を指導した。
・1943年、日本の東条内閣は大東亜共栄圏の一国としてビルマの独立を認めたが、アウンサンらは国家主権のない名目上の独立に反発、独立義勇軍も参加して反ファシスト人民自由連盟を結成、45年3月から抗日武装闘争を開始した。
[4]独立
・日本軍敗退後、イギリスの植民地支配(民政)が復活すると、再びイギリスからの独立闘争を展開し、1947年にアウンサンとイギリスのアトリー内閣の間で独立協定に調印、国内の諸勢力の統合を進め、1948年1月、イギリス連邦に加わらない形でビルマ連邦として独立を達成した。初代首相には、ウー・ヌが就任したが、独立直後からカレン人が独立闘争を行うなど、政権は当初から不安定な状態にあった。
・1962年3月2日にネ・ウィン将軍が軍事クーデターを起こし、ビルマ社会主義計画党を結成して大統領となり、ビルマ式社会主義を掲げた。
・1981年にネ・ウィンが大統領職を辞した後も1988年までは軍事独裁体制を維持したが、経済政策の失敗から深刻なインフレを招く等、経済状況を悪化させ、1988年にはネ・ウィン退陣と民主化を求める大衆運動が高揚。ネ・ウィンは7月にBSPP議長を退く。
・同年9月18日に政権を離反したソウ・マウン国軍最高司令官率いる軍部が再度クーデターにより政権を掌握し再度ビルマ連邦へ改名。
・これに対し民主化指導者アウンサンスーチーらは国民民主連盟 (NLD) を結党するが、アウンサンスーチーは選挙前の1989年に自宅軟禁された。以降、彼女は長期軟禁と解放の繰り返しを経験することになる。
・1989年6月18日に軍政側はミャンマー連邦へ国名の改名を行った。
[5]民主化の苦悩
・その後、社会主義体制を放棄し、市場経済化や外資導入を図っているが、基本的人権や民主政治は否定され軍政が続いた。
・2007年9月にはヤンゴンなどで僧侶を中心とした大規模な民主化デモが発生、日本人ジャーナリストが射殺される事件が起こり、国際的な批判が強まったが、運動は抑圧されている。
・2006年、ミャンマーの軍事政権は、首都機能を従来のヤンゴンから、新首都ネピドーにへの移転を強行した。ネピドーは「王都」を意味する新しい都市名で、荒野の中に急いで造られた
・ミャンマーの軍事政権は、国際的な非難と経済封鎖が続くなか、2010年にアウンサンスーチーの自宅軟禁を解除。アウンサンスーチーは政治活動を再開し、数度にわたる政権側との交渉を経て立候補、2012年に当選して国会議員となった。2015年の総選挙で彼女の率いる国民民主連盟(NLD)が第一党となり、大統領になる可能性があったが、憲法の規定(夫が外国人であるため)によって立候補できず、別な人物が大統領となり、彼女は外務大臣などに就任し、実質的な権力を握ることとなった。そして2016年にはミャンマー連邦共和国国家顧問というポストにつき、実質的な国家元首となった。
・アウンサンスーチーはこうして復権し、形の上では民主化、非軍政化がはかられたが、依然としてミャンマー国軍は大きな発言力を持っており、政権も強権的で非民主的な運営に批判も出ている。
<ロヒンギャ問題>
2017年、ビルマ西部のバングラデシュに隣接したアラカン山脈地域(現地ではラカイン州)で、イスラーム教徒少数民族であるロヒンギャの村を、ミャンマー国軍が襲撃して多数の死者が出るという事件がおこった。ミャンマー政府はイスラーム過激派が活動していることを理由に挙げたが、この攻撃を避けて多数(約60万人と言われる)のロヒンギャが、隣国のバングラデシュに難民として救済を求め、一挙に国際問題化した。国際世論はアウンサンスーチー政権によるロヒンギャ保護を求めたが、ミャンマー政府の正式見解はロヒンギャを認めず、バングラデシュからの不法移民と見做しており、非難が高まっている。背景には長い仏教徒とイスラーム教徒の宗教対立があるとされているが、アウンサンスーチー政権にはミャンマー軍に対する統制がとれていないのではないか、との見方が強まっている。
▪️国際関係
・中立的な立場による等距離外交を基本方針としている。
・1997年7月には東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。
・欧米諸国:国内の人権問題や政治の民主化をめぐる問題で対立しており、アメリカや欧州連合(EU)からは経済制裁を受けている。
・中国:その一方で、インド洋方面への進出口を求めている中国からは多額の援助を受けている
・インド:経済的な結びつきを強化している
・日本:ビルマは1954年11月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきた。特にネ・ウィンは親日的な政策をし、このことがBSPP時代の巨額の二国間援助に影響を及ぼしたともいわれる。
▪️経済
・名目GDP:685億ドル 世界72位
(日本は4兆8,721億ドルで世界3位)
・一人当たりGDP:1297ドル 世界157位
(日本は38,439ドルで世界25位)
・経済成長率:2.101% 世界132位
(日本は1.713%で世界150位)
・失業率:4% 世界76位
(日本は2.88%で世界99位)
※2017年IMF調べ
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ここはミャワディという街だそうです。
現在7:00。
ミャンマーはタイより30分時差があるのでミャンマー時間では6:30です。
先ほどの男が私に「どこにいくんだ?」と聞くので『キンプン』と伝えると、
イミグレ事務所でてすぐ右手にあるこのバス窓口を紹介されました。
駄菓子菓子、お値段なんと25000チャット≒1,825円という。
事前に調べていたバスは8,000チャットだったのでちょっとこれは却下。
先人皆様の情報を元にそのバスが出てる場所を目指します。
ひとまず歩き出すとすぐ右手にATMがあったので現金をゲトゥー。

200,000チャット≒14000円くらい?をひとまず下ろしたらこんな感じに。
ミャワディの街。
なんというか、
ラオス感を感じる。
一方で歩いてる男性は腰布みたいの巻いてる(名前なんていうんだっけか)。バングラデシュでベンガル人が良く着ていたやつです。
もうお隣ですもんねバングラデシュ。
SIMカードが喉から手が出てるほど欲しいですが現在早朝。お店は開いてません。
で、
くだんのバス会社はこのお寺の手前を右折して
お寺を眺めながら
次を左折してちょっと歩いたここ。
Mapsme↓
なのですがここで奇跡。
その場にいた人が身振り手振りで教えてくれることには、
なんと、4/19までバスがないらしー!!
ソンクランの影響かな?
なんとー。
ってことで
先ほどのバス会社?まで戻り、料金折衝の末20,000チャットという、それでも高杉な値段で決着しました。うーむ大誤算。
バスチケットは名刺です。
読めない。
唐突に目撃した托鉢。
そうか、
まだ早朝だもんね。
ところで靴は脱いでるけど跪かないのね。
さて、
その場でしばし待ち、出発の9:00が近づいてくると、お店のニイちゃんがバイクに乗れ!言うてます。
ここからミニバンがある場所に移動するっぽいです。
ライドオン
するとニイちゃん、なんだか見覚えある景色を進んでいきます。
これはまさか、例の8000チャットバスか?
するとグロス25,000ネット8,000でこのニイちゃんのマージン17,000チャットキィい!!
とわなわなしてたら
例のバス会社オフィスは普通に通過しました。すません。
やってきたのはここ。
左の青矢印です。
ここでニイちゃんが店番の人に10,000チャットを渡したのをしっかり見届けました。てことは、ここに直接きたら10,000チャットだったのかな。てかマージン率100%やないか。
そしてミニバンは11名くらいの定員に対し7名くらいで10:00に出発。余裕で1時間遅延。
ここからキンプンを目指しますが、このミニバンはヤンゴン行き。
そしてチャイトーという途中の街で私が降りる予定です。
チャイトーからキンプンまでは乗合トラック。
チャイトーまでは7-8時間くらいと見積もってます。
そしてかなり悪路らしいです。
というのを見越して私昨夜の夜行バスで1時間しか寝てません。タイSIMカードを使い倒してネットを浴びてました。
ので即爆睡。
ふと目がさめると11:00。
まだミャワディにいました。
嘘でしょ。
どうやら乗客集めに奔走していたらしい。
これが乗合バンの難しいところですよね。
ミャンマーの景色って事前イメージがほとんどありませんでしたが、
なんというか、手付かず感。
途中立ち寄ったお昼休憩。
注文の仕方がわからず突っ立ってたら
店員さんに「チキン?ポーク?」と聞かれ、ポーク、と答えたら
パーリィーです。
なんだこれ、何が起こっているんだ。
いや、ターリー的な感じか?
ひとまず私はコメとポーク以外は追加料金の可能性ありと判断し、ポーク以外は店員さんの目を盗んで手をつけたかどうか分からないぐらいの微量をちょっとずつ食べてみました。
で、
ミャンマー料理デビュー戦ですがなかなか美味い。
まずこの手前左のポークカレー。
衝撃的な油の量です。カレーというか、豚煮込み食べるラー油和えみたいな。
これは好き嫌い分かれるでしょうね。
私?
好きに決まっているじゃないですか愚問です。
で、
写真忘れましたがその他の取り巻きたちをちょっとずつつまんだのですが、これがもう爆美味。
私の大好物カリフラワーのカレー炒めが特にもう。
死ぬが近い青天の爆美味です。
うっかりそれだけ完食してしまいましたが
お値段トータル3000チャット≒210円でした。
好き。
なんて浮かれた千鳥足で歩いてたら
このドブに左足が落ち鉄格子にガシャンしました。
ちょっと、ひさびさに超流血なんですけど。
そして絶対これきったないんですけど。
幸いトイレに石鹸があったのでしっかりめに消毒して絆創膏を貼りました。
以後気をつけます。カリフラワーに心身持ってかれてました。
その後はずっと爆睡していたのですが、
時折目を覚ますと









写真では分かりかねると思いますが、
道中の村で村人が大水掛け祭りしてます。
往来の車にバッシャバッシャ水をぶっかけてはヒャッハーしてます。
どうやらミャンマーにもダジャンという名で水掛け祭りが存在しており、4/21までがその期間なのだそうです。
写真では分かりませんが、皆さんこれでもかと爆音をぶちかまし、車道に一列になって踊り散らかしながら往来の車に水バシャーでヒャハー!です。
とはいえこのタイとは違う、どことなくアットホームな感じ。ちょっと好きかも。
込み入ったテクノロジーはなく、
家の前に家族と友達が集まってホースを天に向けてヒャハーな感じです。





そんなこんなで
チャイトーに着きました。
18:14着です。実に8時間。
いや、この運転手マジで休憩しまくるんですよ。
5,6回は休憩タイムありました。
正味2時間は休憩してたと思います。
降ろされた場所ここ。
ピンクの場所です。
で、
ここからオレンジの場所に移動して乗合トラックに乗るのが常套らしいですが、
私はこれ。
バイタクです。
いやもう時間も遅いせいか乗合トラック見当たらないし、それ以上に私はバイタクが好き。3000チャット≒210円。
道中、ミャンマーピーポー大騒ぎです。





ミャンマーの夕方の空。
見えてきましたキンプンの街。
思った以上に栄えてます。
本日の宿。
キンプンは宿が高く、ここSEA SAR HOSTELはダブルルーム一泊10ドルor15000チャットでした。
8ドルの部屋があるという事前情報ですが、現在クローズ中だそうです。
ひとまず二日ぶりのシャワーを浴び(冷水)、ミャンマーのお札をチェック。
全体的に汚いお札が多いです。
ラオスと同様、国外では紙くず同然だそうです。上手いこと使い切らなくては。
さて、
冒頭に記載の通り、今宵は大変に崇高なイベントがございます。
なんと現在ブログランキング2位(私3位)のチリタビ!さんが同じ日に同じ場所にいるらしい!
道中も宿も私とは別々、しかもチリタビ!さんの方がいずれもお安く仕上がっているというもはや流石。
そんなチリタビさんの宿に、私の手持ちの中で最も白い白Tでお邪魔しまして、
ヒャッハー(゚∀゚)
いやー!
夢心地!!
いや、もうチリタビさんが面白すぎましてですね、私ひさびさです、「よくお飲みになるんですか?」と聞いてこんなに嬉しそうに「好きなんですぅ」という御方。思わず私ビール噴き出してビールが鼻に入りました。粗相。
そしてまさかのチリタビさんとは出身大学が同じということで、思い出話に花が咲きまくり始めたところで店員さんが閉店宣告したので本日はここまで。
まだ21:00ですけども、
どうやら他のお店も閉店モード。
今日はここでお開きとしました。
↑我々が店を出ると同時にシャッターを閉め消灯するお店。え、そこまで閉めたかった?
ただ次の街の宿は私がチリタビさん予約してた宿に押し掛け予約したので明日の夜もタイミング合えば是非!という次第です。
同じ旅路なのに決して「いっしょに行きましょうヒューヒュー!」というノリではないのがさすがまるさん、生粋の旅人ですね。
なおまるさんとの話の中での今日イチの事件は昼のミャンマー料理の付け合わせが実は無料だったということです。
ギギギ
ということで!
実はここキンプンはもう目と鼻の先にアレがあるんですよ。
明日はそのアレを見に行きますよ。
チェズーティンバーデー!でした。
(ミャンマー語で「ありがとう」)
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