まあそうなりますよね。
中国→ベトナム→ラオス→タイ→ミャンマー→タイときてマレーシア方面に行かないんですからね。
ほんとはベトナムの次に行く予定だったんですけどねー。
姉とラオスで落ち合う日を適当に決めすぎまして日数が足りなくなったのです。
ということで、
満を持してのカンボジア編でございますー。
――――――――――――――――――
▼徘徊メモ
・行き先:バンコク→シェムリアップ Siem Reap
・手段:バス
・料金:750バーツ≒2,625円
・時間:約9時間 8:30発、17:30着
※バスチケはカオサンの旅行会社で購入。事前ネット調べでは750バーツが相場ぽかったので購入したがより低グレードのバスで450バーツというのもあった。
※国境で乗り換えるのではなくシェムリアップまで直通。ただしアライバルビザ 取得は半強制的にバススタッフによる代行となり40USDだった。
↓移動図

――――――――――――――――――
↓ブログランキングに登録してみました↓
(別ウインドウで開くよう変更しました)
↑
記事が参考になった、ちょっと笑えた等々、
少しでも心動かされましたらぜひ上記の「世界一周」と書かれたボタンを1クリック頂けると幸甚です mm
クリック数でランキングが上下します。クリックは1日1回までです。
※クリックすると世界一周ブログランキングのページに飛びます。
――――――――――――――――――
バンコク最後の朝。
(は今日でしたね)

美味ーー!!!
いえね、
カオサンロードの近くに絶品カレークイッティアオを出すお店があると聞いて調べてみたらなんと朝7:30からやってるらしく。
カンボジア行きのバスは朝8:30なので余裕で間に合いそうなので来てみました。
カオソイはたまご麺ですが、ここのは米麺です。

これがね、美味しーーの。
麺はまあ普通なんですけど、スープが絶品。
ややココナッツ風味あるかも。
どことなくマイルドなんだけどスパイシー。
これは、、カレーライスも美味そうだぞ。
このチキンもしっかりとカレーで煮込まれてて神の領域です。

久々の完飲ショット。

お店の名前はアイサ・ロッティー。
GoogleMap検索できます。

カオサンの北東あたりにあるロータリーにあるセブンの西隣。

この奥に広いテーブルスペースが出現します。

カレーヌードル50バーツとややお高めですが、他にも色々なメニューあるので通うべきでした。無念。
小銭はきっと両替できないと思うので使い切るべくセブンで爆買い。

するほど総額はなく、ウイダーみたいの一つで宴は終了。
バスチケットはここで買いました。


カオサン西側の通りをちょっと北上したとこ。バーガーキングとスタバがあるとこの一つ南のブロック。
ここ、今回のシェムリアップ行きもプーケット行きもバスターミナルで買う金額と大差なしです。ただアユタヤやカンチャナブリなど近場は高くつく。
バスはカオサンロードだったりもう一本南の大通りだったりに停車しており、そのままGoです。

バスターミナルでバス乗り換え、とかじゃ無いのが良いですね。
過ぎ行くバンコクの景色。



なんだか感慨深いです。
いえね、日記には書いてないけど色々な想い出があるんです。この街には。
バスは8:30頃出発して11:00過ぎにお昼休憩。


と言いながら「20分ね」と言われ、かつ朝がっつりカレーヌードルやらしてもらってるのでそんなに腹ヘリでもなく、シェイク一杯だけに留めました。
なおそんな途中休憩の簡易な飯屋ですが、

まさかの昨日の絶品バミー屋ルンルアンと同じく緑のどんぶりマークが。
この店のレベルが実は高いのか、
マークの取得が●ンドセレクションのように金さえ払えば取得でk
景色は徐々に自然豊かに。

そういえばバス内はこんな感じ。
お値段750バーツのバスは人も少なくだいぶ快適にやれました。

14:00。
4時間半の行程の後、国境に着きました。

さて、
カンボジアは実はビザが必要です。この国境で取得できます。
で、
個人でも取得できるのですが、事前に聞いてた通りこの国境越え直通バスはバス会社の人たちが代行する流れになってました。
40USD。
ビザ代は30USDです。
手数料高いなー。
ただ私以外の皆さん全員迷いもせず普通に払ってたので、流れに沿いました。
個人で奮闘するとこの集団とはぐれて置いてかれるかもですし、結局自力で窓口行っても200バーツ≒700円の賄賂が公然ととられたりするそうです。
あ、
顔写真必要です。お忘れなく。
なくても追加で金払えばなんとかなるらしいですが。賄賂万歳ですね。
私は中国ビザ延長申請時に余った写真で行けました。
そんなやりとりをこの国境手前の冷房効いてる建物「の前」でやってました。
中でやれし。

10分休憩タイムだったのでポケットの中から見つかった10バーツでつくね串。
美味しくありませんでした。

バス会社の人たちの準備が整ったらみんなで出発です。



この写真に写っている品のない男どもは日本人です。
先ほどケンタッキーで買ったハンバーガー食いながら自撮り動画で「人生初の陸路国境越え!ハンバーガー食ってますが行けるんでしょうか!」とかやってます。
日本国家の恥なので今すぐここで爆発してください。
はい無事タイ出国。

お世話になりました。
国境越え中。

で、

そのままバスへ。
ビザ購入はもちろんながら入国手続きまでバススタッフがやってくれるようです。
(パスポート預けてます)
たぶんこのピンクがアライバルビザ 申請場所だと思うのですが、バスは青矢印の場所にいました。

はいビザゲットゥー。

入国スタンプとカードです。

またホッチキスしやがって。
滞在許可期間は1ヶ月。
ふふ、そんなに滞在するお金なんてありゃしませんよ。
国境を越えるとまたのんびりした景色となり、

バスの揺れも激しくなりますが、流石に寝ました。
17:45。
シェムリアップ到着。


なんと街のど真ん中もど真ん中に到着しました。

↑ここがバス会社のオフィスっぽいのですが結局最後までバス会社名が不明でした。
目指すは宿。
宿もここから近いです。
こちら。

ナガ アンコール ホステル。
一泊2ドルです。
値段だけ見て決めましたが、クーラーあるし、なんかオシャレだし、いい感じです。
ということで、
世界が誇るアンコールワットを擁する街(なんです)、
シェムリアップを散歩したいのですが、
カンボジアのイメージって全くなかった私ですが、
ここシェムリアップ、
すんげーーーツーリスティックシティーです。
シネコンあるし(小さいけど)

お洒落な建物たくさんあるし

24時間営業スーパーあるし

なんてったってメイソウあるし

そこら中のお店がズンチャカズンチャカしており、バーやタトゥー屋では半裸のローカルアニキがウェーイしてるし、道の両側からトゥクトゥクがヘイマイフレンド!だしお姉さんたちはマッサージマッサージィだし。
すごいなこの街。
あとカンボジアではリエルという通貨がありますが、米ドルの方が流通度が高いようで、街中の看板はみんなドル表記です。
そしてツーリスティックとはいえ物価は低めなので、レストランの価格表示は1とか2とか。
なんだかめっちゃやすいように感じてしまう不思議。
ひとまずATMへ。

リエルも米ドルも下ろせました。
米ドルも下ろせるのね。。!
手元に十分なドルを実は隠し持ってた私ですが、記念に100ドル引き出しておきました。
そしたら100ドル札出てきちゃってジーザスです。こんなんどこで使えんねん。。

続いてSIMカード。

宿の隣の隣あたりで購入。
1週間、容量制限なしでLTEが5ドル。
西の空が綺麗です。

この宿はあの兵の奥からプールの音が聞こえてきます。

いまちょっと裏通りを歩いてるのですが、ここは宿だらけでして、そして全ての宿とレストランにプールがついてそうす。
「FREE POOL!」
とか書かれまくってます。
すんげえな。
はいやってきましたSok San 通り。

ここが飯のコスパがヤバいらしいのです。
バスの中が暇すぎてお店の候補3つPick済みです。
1.Taste for Life

2.Two sister

3.Lady khmer

マジです。
どの店もビール一杯0.5ドル、チャーハンとか春巻き1ドルです
ビール安っ!!!
これはすごい!!!
飯はタイと比べちゃうとまあ普通に安い感じですかね。1ドルって大体30バーツですもんね。
なお宿周辺だと一食3-5ドルするので、ツーリスティック物価感も含めてタイとさほど変わらないですかね。まだちょっとしか見てませんけども。
てことで今日はTwo sisterさんにて

キャアアアアア!!!
おビールゥー!!!
ビールが高すぎて最後の晩餐ですらビールを飲みたいと思えなかったタイ、なので今日この場でタイ出国の打ち上げです。
そしてこれからのシェムリアップ0.5ドルビールライフに乾杯。
なおツマミは空芯菜炒めです。
もうこれが想像を超える爆美味です。
そしてメインディッシュ。

Amokというクメール料理。
卵を使った茶碗蒸し、、?的なものと聞いてましたが、こちらのお店のはむしろココナッツカレーな感じです。
具材は店員さんのおススメでFishにしました。
でこれがまたんまああああああああああ美味い。美味が爆発している。
魚はふわふわホクホクだし、ココナッツカレーは甘みあるけどコクがすごくてクセになる。
もう空芯菜炒めもカレーも一滴も残さず飲み干しました。
これは通える。
てか、
あかん。
この街、太る。
そのまま
シェムリアップの繁華街、パブストリートにやってきました。




これは、、
ちょっとしたミニカオサンですね。
ギラギラネオン通りの両脇にはレストランが並び、ズンチャカズンチャカ鳴り響く中でトゥクトゥク共が「どこいくー?ハッパ?オンナ?スペシャル?」などと群がってくる感じです。
いやそこら中がそうというわけではなく、全体的に賑やかで楽しげな雰囲気ですよ。
南側には市場がありました。Old Marketだそうです。


この時間は市場内は閑散としてますした。
ただ川を挟んだ南側にはもう一つマーケットがあり、そこはナイトマーケットとしてお土産屋が無数に乱立してました。






客引きのお姉さんたちの絡みが細やかです。
どの店も前を通ると「コニチワー」「ミルダケー」「ヤスイヨー」と。
インド人にでも教わったのでしょうか。
ただ一度断るとそれ以上は攻めてこずにまたスマホいじりだすあたりが東南アジアっぽい。
さ、
そんなところにしておきましょうかね。
今日はあくまでシェムリアップナイトライフの下見です。
ひとまず宿に戻って

明日用のチャリを借りました。
明日はこれでアンコールワットに行きますよ。
なんかちょっと、緊張します。
あのアンコールワットか。。。
ということで今日はここまでです。
オークン!でした。
(クメール語で「ありがとう」)
↓一日一回応援クリックをお願いします!↓
以下、カンボジア勉強メモです。
ちょっと薄め。
+++++++++++++++++++++++++++
▪️国名:カンボジア王国
英語表記:Kingdom of Cambodia
クメール語:ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា
(国旗)

(国章)

+++++++++++++++++++++++++++
▪️地理:
・北:ラオス
・東:ベトナム
・南:タイランド湾
・西:タイ


▪️首都:プノンペン
▪️人口:1,625万人 世界69位
(日本は1億2675万人で世界10位)
※2017年IMF調べ
▪️国民:クメール人86%
他ベトナム人5%、華人5%等
※wikipedia参照
▪️言語:クメール語
こんにちは សួស្ដី スオスダイ
ありがとう អរគុណ オークン
▪️宗教:上座部仏教が9割
信教の自由が保障されている
少数民族のチャム族はイスラム教徒である
※wikipedia参照
▪️通貨:リエル KHR
1,000KHR≒27円 →25円
1USドル≒109円 →110円
カンボジアではUSドルも普通に流通
以後弊ブログでは上記「→」の金額で換算
+++++++++++++++++++++++++++
▪️歴史
(年表)

<古代>
・1世紀頃より現在のカンボジア、南ベトナムにあたるメコン川下流域にはヒンドゥー・仏教国家の扶南という国家が存在し、インド・中国間の海上交易ルートの中継地として大いに栄えた。同国はクメール人の国家ではなくオーストロネシア語族(東南アジア島嶼部の語族)の国家であり、古代クメール人は同国の属民とされた。
・扶南の属民であったクメール人が扶南国とは別に真臘(しんろう)という国家を成立。7世紀前半には扶南から独立、徐々に扶南国を吸収していく。
・9世紀初頭に真臘の流れを継いだクメール王朝が始まる。12世紀には最盛期を迎え、現在のタイ東北部、ラオス、ベトナムの一部を領有する規模となった。アンコールワットはこの時期に設立された。
<植民地支配と世界大戦>
・16世紀頃より西洋人の商人や宣教師が訪れるようになり、1863年にはフランス帝国の保護国となり、1887年にフランス領インドシナの一部となった。フランス保護下でも形式的に王国体制は存続した。
・第二次世界大戦中に日本軍に占領されフランス領インドシナが解体された後、大戦末期の1945年3月13日に独立を宣言した。日本が連合国に敗北した後にフランス領に復帰するも1953年に完全独立を達成した。
<内戦>
・戦後、ベトナムにてベトナム戦争において米軍がカンボジア、ラオス領内のホーチミンルートへの空爆を実施するなどカンボジアへも被害が出る。
・そして1970年には親米派のロン・ノル将軍がクーデターによりシハヌーク元首を追放し、クメール共和国を樹立、これに対して北ベトナムがカンボジアへの侵攻を開始すると、ロン・ノル政権は国内のベトナム系住民に対する迫害・虐殺を行う。
・中華人民共和国の北京に亡命したシハヌークは、共産主義勢力クメール・ルージュなどを含む反米・反ロンノル勢力の武力共闘を呼びかけ、カンプチア王国民族連合政府の樹立を宣言。カンボジア内戦が始まる。
・ベトナム戦争が北の勝利で終結することが間近となった1975年4月17日、カンボジアではクメール共和国が打倒され、民主カンプチアを樹立したクメール・ルージュ政権はシハヌークとペン・ヌートをそれぞれ国家元首と首相に推戴するも実権はポル・ポトに掌握されていた。
・クメール・ルージュの権力掌握から1979年1月6日の民主カンプチア崩壊までの3年8カ月20日間のポル・ポト政権下にて、原始共産制の実現を目指すクメール・ルージュの政策により、旱魃、飢餓、疫病、虐殺などで100万人~200万人以上とも言われる死者が出た。この死者数は、1970年代前半の総人口は700~800万人だったとの推計の13~29%に当たり、大量虐殺が行われた。
・1978年に中ソ対立の文脈の中でソ連寄りのベトナム社会主義共和国の正規軍とカンプチア救国民族統一戦線が、対立していた中国寄りの民主カンプチアに侵攻。翌1979年1月、ポル・ポト政権を打倒して親越派のヘン・サムリンを首班とするカンプチア人民共和国を樹立した(カンボジア・ベトナム戦争)。その後1989年にはベトナム軍が撤退、1991年10月にパリ和平協定が締結された。
<現在まで>
・1992年3月から国際連合カンボジア暫定統治機構による統治が開始され、1993年5月には国際連合の監視下で民主選挙が実施される。9月には制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノロドム・シハヌークが国王に再即位した。その後に制憲議会は国民議会に移行した。
・1999年4月に10番目の東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国となった。
▪️経済
・名目GDP:245億ドル 世界108位
(日本は4兆8,721億ドルで世界3位)
・一人当たりGDP:1,508ドル 世界153位
(日本は38,439ドルで世界25位)
・経済成長率:7.151% 世界6位
(日本は1.713%で世界150位)
・失業率:情報なし
(日本は2.88%で世界99位)
※2017年IMF調べ
・2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は828万人と推定されており、国民の半数を超えている。
・国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に位置づけられている。
・主要産業は農業、漁業、林業などの第一次産業である。近年は観光産業と縫製産業が成長し、最貧国ではあるものの外国からの投資も大きな伸びを示している。
・主な鉱物資源として燐、マンガン、宝石がある。
・主要輸入品目は、石油製品(8.2%)、タバコ、オートバイ。主要輸出品目は衣類(77.8%)、天然ゴム、木材である。主要輸出先はアメリカ合衆国(36.8%)、シンガポール、タイ王国。主要輸入先はタイ(15.6%)、香港、シンガポールである。
+++++++++++++++++++++++++++
周辺諸国に大きな影響を与えたクメール王朝。ちょっとWikipediaだけだと情報薄めなのでもうちょと幅広に勉強したいと思います。
↓一日一回応援クリックをお願いします!↓
※会社のパソコンからだとIP重複でカウントされない場合があるのでお手数ですがスマホかご自宅パソコンからお願いしますmm
ーーー