【2018/4/6】#114 ウクライナ(2) チェルノブイリ原発 制限区域へ。
- 2018/04/08
- 02:01
本日はチェルノブイリ原発を見学してきます。
2010年頃?に、当該区域の放射線量が低下してきたためにウクライナ政府がツアーでの立ち入りを許容し始めて今に至ります。
事前に色々勉強していこうと思った中で悔やまれるのがこの映画が唯一見れそうなビデオマーケットが海外ではアプリが起動しなかったこと。
コンテンツ購入までしたのに。
カリーナの林檎 チェルノブイリの森
※上記は予告編です。
ご興味ある方、ぜひ見てみて下さい。
私は日本に帰ってからちゃんと拝見します。
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▼徘徊メモ
・行き先:チェルノブイリ原子力発電所
・手段:ツアーバス
・料金:89USドル
・時間:10時間 8:00出発、18:00戻り
▼移動図
以下は制限区域入り口までの移動図。
制限区域内はルート検索出来ませんでした。
上のピンが立ちまくってるあたりが原発付近です。
▼ツアーバスが訪れた場所
・右下のピン達がチェルノブイリの街です。
青ピンがランチをとった場所。
・やや左上のオレンジゲートは第二の検問ゲート。
・その左上の独立赤ピンが幼稚園、
・その右上のピンク達が原子炉群
・その左上のピン達がプリピャチの街、オレンジは街の入り口の検問ゲート
・左下の緑ピンはソ連軍事レーダーのDUGA-1です。
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チェルノブイリって皆さんどこまでご存知ですか?
私は、
原発事故を起こした、くらいしか知りませんでした。
それがウクライナにあるということも知りませんでした。
まずはテキストベースですが、チェルノブイリ訪問前の私なりのまとめです。
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▪️チェルノブイリ原子力発電所事故
1986年4月26日1時23分に当時のソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた事故。
のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)にて最悪のレベル7に分類される。
・事象
-ソ連が独自に開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉のうち4号炉が実験中に炉心溶融(俗に言うメルトダウン)の後に爆発。
-放射性降下物が現ウクライナ、現ベラルーシ、現ロシアを汚染した。設計担当博士は建設前に、この原発は非常に安全でモスクワの広場に建設しても問題ないと主張していたそうです。
-事故当時4号炉は操業していたわけではなく非常用発電系統の実験中だった。その途中で制御不能となって炉心が溶融した。
-飛び散った燃料棒は2000度。水と触れて水蒸気爆発を起こし、50トンの天井を吹っ飛ばした。
-大気中に放出した放射性物質量は広島原爆の約400倍。
-爆発後の火災。溶けて飛び散った燃料棒は1600-1800度の高温。この火災により上空6000mの気流に乗って世界各地へ放射性物質が飛散していった。
・影響
-10日間で福島原発の6倍の放射性物質を放出(520万テラベクレル)。
-死亡者 4000人 ※IAEA公式見解。異論あり。
-ソ連発表の事故直接影響での死者は運転員など33人。
-事故直後の爆発で亡くなった2人は遺体が回収されていない
-事故の放射線被曝とガンや白血病との因果関係を直接的に証明する手段がないため死亡者数には議論があるらしい。
-現在も原発半径30km以内は居住禁止、原発から北東350kmにはホットスポットと言われる局地的な高濃度汚染区域が約100箇所あり、当該区域では農業・畜産業が禁止されている。
・原因
事故当時、4号炉は停電などの外部電源喪失時に原子炉の蒸気タービンの慣性だけで発電がまかなえるかの実験をしていた。
-制御棒など根本的設計の欠陥
-運転員への教育不十分による操作ミス
-事故当時に特殊な運転を行ったため事態予測ができなかった
-低出力では不安定な炉で低出力運転を続けた
-実験が予定通り行われなかったにも関わらず強行した
※キエフのチェルノブイリ博物館では1つ目の原因しか語られていませんでした。
-ソ連政府は当初、事故は運転員の操作ミスと発表。ただ事後調査でこれを覆す事実が多く発見され、上記の原因に帰結している。
・対処
-爆発後の火災鎮火のために砂5000tを直上からヘリコプターで手で投下
-水蒸気爆発を防ぐために下部水槽の排水
-減速材(核分裂後の中性子の速度を下げる役)として炉心内へ鉛を大量投入
-液体窒素を注入しての炉心温度の低下
-その後4号炉をコンクリートで封じ込めるため延べ80万人の労働者が動員。
-事故当初、ソ連政府は事故事象を内外に公開せず施設周辺住民の避難措置も取られなかったため、周辺住民は事実を知らぬまま通常生活を送り被曝。
-事故直後に到着した消防士は放射性物質の危険性を知らされていないまま消火活動に従事。事故直後に原子炉上部で作業して急性放射性障害で死亡したウラジミール氏は余りに強い放射線量を浴び瞳の色が茶色から青色に変わってしまったという。
-その後派遣された解体作業者(リクビダートル)も大部分が危険性を知らされないままで十分な保護具は与えられなかった。
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事故そのものも大惨事ですが、その事故を隠蔽しようとした上層部の動きで被害はより深刻なものになったのですね。
これは日本の福島原発でも同じでした。
ツアーは朝8:00発。
ツアー会社は色々あったのですが他ブロガーさん参考にSOLO EAST TRAVEL社にしました。
お値段89USドルです。
オンラインで予約できます。
比較検討したCHORNOBYL TOUR社もメールレスポンスが早く良さそうでした。
いずれも英語対応可能なツアー会社です。
集合場所はKozatskiyホテル。
人民広場にあるホテルです。
隣の隣にマックがあるので
朝ごはんしながら待ちます。
これにて300円。助かります。
なお道中でATM引き出そうとしたら現金が出てこないというATM詐欺に遭いました。本旅初です。
800円分の引き出しだったので大した被害ではないですが。畜生め。
7:45。
ホテルへ向かいましょう。
集合場所はホテルなのは理解できているのですが、ホテルの中のどこだろう、と思っていたらホテル左脇の道路にそれっぽいバンが止まっておりました。
ここ
パスポートを提示し、受付完了。
パスポートが無いとツアー参加できません。
そしてサンダルNG、長袖長ズボン必須です。
チェルノブイリ区域は個人ではいけないため、こうしたツアー会社を利用することとなります。
ツアーバンは満席。
皆欧米人。アラブ系が1組だけ。アジア人は私1人。単身参加も私だけ。
バン内で被曝リスクについて自己責任の念書を書きます。ナスカのセスナ以来ですこの手の念書。
ガイドさんが放射線量を測定できるガイガーカウンターを持っており、随時見せてくれます。10USドルで個別レンタルも可能ですが、ガイドさんに聞けば随時見せてもらえるので不要でした。
キエフの街は0.1マイクロシーベルトです。
バンはキエフ北西にあるチェルノブイリ目指して進みます。
キエフ市街は丘の上にあり、すぐ傍を川が流れているのですが、今のところ川の風景を見れておりませんでした。
にしても川の向こうにも高層ビルが広がってます。
しつこいですが、
欧州最貧国とは思えない。。
2時間ほどでバスは30km制限区域入り口に到着。ここから先は一部の例外を除き誰も住んでいません。
近いです。キエフから。
その割にキエフが首都として機能し続けているのは事故当時の風向きが南風だったからでしょうか。
昨日の博物館での汚染区域の拡大図を見ているとベラルーシが最もダイレクトに汚染されてしまったように伺えました。
ベラルーシからしたらとばっちりもいいところでなんとも言い難い話です。。
冒頭のカリーナの林檎はそんなベラルーシの物語です。
なおベラルーシは観光ビザを通常発行してなく、空路インで5日間のみ有効なビザを発行、という厳しいビザ条件のため今回はルートから外しました。
制限区域でのゲートは写真NGとのこと。
ここでバンを降り、一人一人国境警備員にパスポートを見せていきます。
なのでパスポート必須だったのですね。
バンはそこから1時間くらい?北上し、
チェルノブイリの街に来ました。
約30年前から時が止まってしまった街。
このチェルノブイリの街にツアー会社の立ち寄り所があるようで、一度立ち寄りました。
我々の訪問者リストをコピーしてお役所だかなんだかに提出するんだそうです。
ツアーを催行するための機能は備わっているそうです。
そこからさらに北へ進みます。
途中、原発10km圏内制限区域ゲートを通りました。この圏内は居住禁止区域になっています。
最初の目的地、幼稚園。
地図上にはKopachi kindergartenとありました。
ガイドさんが地面を放射線カウンターで計測。
数値は11.3マイクロシーベルト。
やはり地表は値が高いです。
幼稚園もすっかり荒廃していました。
所々にある人形は、事故後にこうしたツアー向けに誰かが置いたものと私は思います。
当時はみんなバタバタでこの街から有無を言わさず退去したのであって、こんな人形をそれっぽく飾る時間などなかったはず。
そんな邪推はさておき、
ここに、私たちとなんら変わらない普通の人達が、普通に暮らしていた、ということを、改めて実感致しました。
幼稚園前の道。
この先にチェルノブイリ原子力発電所があります。
今思うと路上スレスレで撮影したのはあかんでしたね。
地表に放射線が積もってるので。
原子炉が見えてきました。
沢山あるんですね。
こちらです。
原子炉群を南から仰ぎ見ているのですが、
右(東)から順に、
6号炉
5号炉
1号炉
2号炉
3号炉
そしてメルトダウンした4号炉です。
今は新石棺という分厚い壁に覆われています。
2016年11月に完成したばかりで、それまでは取り急ぎの石棺(5000tもの鉛などの物質を上空から投下して埋めたもの)に覆われていたようです。
旧石棺は取り急ぎの処置でしかなく、雨による侵食や放射線の影響で老朽化が懸念されていたそうです。
新石棺はフランス企業が請け負ったそうです。
この原発の脇でガシガシとこのアーチ型の新石棺を構築し、線路を引いてスライドさせて旧石棺を丸々上から覆ったようです。
そして今、この新石棺の中で、旧石棺の一部解体の作業が進められているそうです。
ちなみにこの新石棺も10年しか持たないのだそうです。
100年後、どうするのでしょう。
4号炉と慰霊碑。
新石棺はとてつもなくでかいです。
なおこの周辺の地上1.5mあたりのガイガーカウンターも見せてくれたのですが写真ピンボケで不明です、が先ほどの幼稚園よりもかなり低かったはずです。
この新石棺の放射線防御力はかなり高そうです。
もちろん地表はもっと線量が高いと思いますが。
なおこの新石棺が出来る前に訪れた方のブログではこのあたりは地上1.5mあたりで2マイクロシーベルトだったそうです。
そして原発の周りでは大勢の作業員の方が何かやってました。4号炉の後処理でしょうか。
事故から30年、まだこの地では戦いが続いているのですね。
なおこれまた知らなかったのですが、チェルノブイリ原発は事故後も運転を続け、最後に3号炉が停止したのは2000年だったんだそうです。
上記の写真の通り、3号炉はメルトダウンした4号路の直ぐ隣です。
最後に通り掛かった送電線の鉄塔が物凄い数。
席が反対側だったので強引なショットですが。
ここからチェルノブイリ原発のすぐ西の街、
プリピャチに向かいます。
冒頭地図の通りなのですが、チェルノブイリよりもこのプリピャチの方がずっと原発に近いです。原発からの距離はわずか3km。
それもそのはず、この街はチェルノブイリ原発関係者の居住地として作られ、最盛期には5万人が住んでいたのだそうです。
街の手前のモニュメント。
これでプリピャチと読みます。
街の入り口にはゲートが。
厳重管理されております。
かつての街の写真。
今。
街は無惨に荒廃していました。
文化ホール的な?
動画。
ホテル?マンション?
こちらが社宅かと。
スーパーマーケット。
ここに、普通の人たちの、暮らしがあったのですね。
ところで、
所々にやけに鮮度の良い落書きがあるのですが、これは、、、?
強制退去時にこっそりとここで暮らし続けた人がいると聞きましたが、そういった人たちのものでしょうか。
それとも作業員の方々?
小さな遊園地広場に来ました。
ガイドの方が「後ほど説明しますが椅子には座らないでね」とのこと。
想像はつきますが、、、
その後ほどの説明。
観覧車前の地上1.5mは0.88マイクロシーベルトですが、
なんとこの観覧車、337マイクロシーベルト超えでした。
なぜこのゴンドラにこれだけ放射線が積もっているのかは謎です。
その奥にはスタジアム。
こちらが以前のトラックだそうです。
一通り歩いたところで、プリビャチの見学は終わりです。
またツアーバスに乗ってこんなところに来ました。
ここでも検問です。
そして徒歩で向かうのはこの写真の左上の鉄塔みたいなもの。
これです。
これ、1970年代に建設されたソ連の軍事レーダー DUGA-1です。
米国始め西側諸国の通信を傍受するために作られたスパイアンテナなんですって。冷戦の遺産です。
チェルノブイリ原発とは関係なさそう。
にしてもこんなものを公開するだなんて凄いと思いました。
いや、ここはウクライナなわけだがソ連は許容しているのだろうか?
動画。
その後はチェルノブイリまで戻り、なんとそこでランチタイムです。
食材は安全なものを使用しているそうです。
ボルシチ
ステーキ
いずれも美味しく頂きました。
ご馳走様でした。
こちらの食堂はツアー向けだけではなさそうです。原発で処理をしている方々の食堂も兼ねているようです。こじんまりとしたバーカウンターがありウォッカも用意されていました。
にしてもTシャツの自販機って。
節操ってもんをですね、
Tシャツ自販機脇のメッセージ。
失礼致しました。。
食堂後、庭に純真無垢なワンコたち。
動き出す黒丸。
あくび。
寝た。
地べたは放射線量高いだろうに、、、
とは言え、これは如何ともし難いのでしょうね。
プリピャチの街の放棄後、ワンコたちはみな野犬となってしまったそうです。
当然放射線を浴び続けるわけです。
以前はプリピャチの街で後ろ足が4本ある犬のミイラが目撃されていたそうです。
放射線は物体を貫通してDNAを破壊します。上記は犬の話ですが、当然人間にも同様の影響が出ます。癌、白血病だけでは無く、あらゆる人間の機能を壊すのですね。
その後バスは随所に立ち寄りつつ。
チェルノブイリの街の入り口。
慰霊のモニュメント。
これは何を表しているのでしょうか。
私にはこの線が放射線に見えました。
ちょっと鳥肌立ちました。
楽しく楽器を吹いている子供を知らぬ間につん裂いている放射線です。
その後ろに、亡くなられた方のお名前が札に掲示されていました。。
ちょっと辛かったのはその後ろ側。
札は黒く塗りつぶされ、名前には赤く斜線が入れられていました。。
というところでツアー終了です。
帰りはレントゲン機のような放射線量チェックゲートでチェックの上、区域から出ました。
なんと言いますか、表現が難しいのですが、このツアーはチェルノブイリ原発事故で廃墟になった村を見に行こうというところに主眼が置かれていて、なんとなくノリが軽いように感じました。欧米人と一緒だからでしょうか。
アラブ人はGoProに自撮り棒をつけて準備万端で臨んでましたが、終始テンションは低く、しきりにガイドに質問をしていました。
フクシマについても質問していました。
、、、ガイドもアラブ人も英語が達者すぎて聞き取れませんでしたがね。
事故のことをどうこう言えるほどの知識の無い私ですが、ちょっとツアー団体とのテンションに差がありました。
とにもかくにも、
チェルノブイリとプリピャチの街は、ただ確かにそこに人々の生活があったこと、そして事故後に何も知らされずしばらくそこで生活が続けられたて皆被曝したこと、そして目に見えない放射線についてどうこう言われてもよく分からないしこの土地で生まれ育ったんだからここを離れたくないという人が大勢いたんだということ、
そうしたことが原発の一度の事故で起こってしまうこと、を知ることができました。
昨日の博物館では、汚染がひどい地域に人々が帰ってくるにはあと24,000年必要だと言っていました(確か)。
24000年。
24000年前って人類いたんでしたっけ。
物凄い年月ですね。
昔シムシティという街を作るゲームで、原子力発電所よりさらにエコな発電所として超音波発電所と光学発電所なるものがありましたが、なんでもいいのですがここまで科学技術が発展している現代なので原発を上回る発電量と安全性をもつ発電所を発明できないものでしょうかね。
そこにブサタハタがあったので、つい。
あ、夕飯メインではないですよ。
あくまでも今日のツアーの整理ですってば。
すみません、んなこと言いながらMAX乗せです。
これで500円くらいです。
悦が極まるっつ。
今日も蕎麦の実チャーハンありです。
上にソテーみたいの乗っかってますが。
これカーシャと言うんですね。蕎麦の実に限らずイネ科の穀物を煮ているんだそうです。
帰り道、まだ立ち寄れていなかった黄金の門へ。
ここは昔10世紀頃のキエフ公国の時代に、この門がキエフの入り口であることを示すために立てられたんだそうです。
今では街のど真ん中にこれがありますが、昔はここがキエフの端っこだったのですね。
猫像。
珍しくないですか。猫の像って。
とか言って虎だったらごめんなさい。
街中に溶け込むウォールアート③
いい並木道に出会いました。
丘の上の街だからこその並木道です。
向こう側に丘の下の道路のライトが煌びやかです。
ウラジミール教会。
この玉ねぎ屋根が素敵。紺碧に黄金の星です。サンクトペテルブルク三位一体教会、ヘルシンキ大聖堂、以来です。
結構少ないのかなこのパターンの屋根は。
キエフ大学。
真っ赤です。
赤繋がりだからでしょうか、東大とも兄弟大学だそうです。
私は当然ながら東大なんて何の縁もありません。
赤門近くにミドリムシラーメン食いにいったくらいです。バジルテイストでとても美味いですよ。
、、、は、またラーメンに話になってしまった。
恋しいんです。カップヌードルがね。
この物価の安いウクライナにいるうちに必要なものを買っておこうと思い第一弾。
目薬。
お店の人に目薬さすポーズでアピールするも伝わらず、近くのお兄さんに助けてもらいました。
なぜ二本あるのか不明です。
用途を聞かれ「眼の乾き」と伝えたのですが、これ大丈夫でしょうか。
300円。
第二弾はイヤホンなのですが、見つからずに終わりました。
という尻すぼみでキエフ2日目終了です。
明日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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